「苦」に耽るのは、「快楽」に耽るのと同じくらい愚か~ブッダのつぶやき

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「快楽」「苦」「耽る」「シャカ」「ラーフラ」「スジャータ」「気づき」「意識化」

「苦」に耽るな!

ブッダ
「苦」に耽るのは、「快楽」に耽るのと同じくらいバカなことだよ!

「快楽」に耽るのがよくないというのは何となくみんな知ってるけど、「苦」に耽るのはそれと同じか、それ以上にバカなことだよ。

これは両極端を経験したブッダだから言えることです。

サーキヤ (シャカ) 国の王子として生まれありとあらゆる「快楽」を与えられた。

サーキヤ (シャカ) は種族、国の名前。
釈迦 (シャカ)族、釈迦国で生まれたので「お釈迦さま」と呼ばれるようになってしまいましたがもともとは国の名前なんですね。
「ブッダ」も「目覚めた人」という意味で、個人名ではなく本名はサンスクリット語で「ガウタマ・シッダールタ 」といいます。
パーリ語 (サンスクリットの俗語のようなもの) では「ゴータマ・シッダッダ」といいます。
う~ん。舌かみそう(^^)
専門的になりますが、パーリ語は前後の子音が同じになってしまう (まあ発音の怠惰化なんだけど(^_^;)) 傾向があります。
みなさんよく知ってるのが「ニルバーナ (涅槃) 」
パーリ語では「ニッバーナ」になります。
ちなみに「ガウタマ」は「良い牛」という意味です✌

王子様だから当たり前といえば当たり前だけど、食べるものはなんでもいくらでもあり、朝起きると裸の女がまわりにいっぱい寝転がっている状態 (なんとうらやましい(^^))

これは単に王子だからというだけでなく他に理由がありました。

ブッダが生まれたとき、仙人がやってきて王様に言いました。

「王子は立派な王様になるか、立派な聖人になるかどちらかだ」

王様はビビりました。

「この子が出家して城を捨てて出て行ってしまうかもしれない…」

そこで何不自由なく、ありとあらゆる「快楽」を与え、城に縛りつけようとしたのです。
ところが王様のもくろみははずれ、むしろ逆効果。

ブッダは「快楽」にうんざりしてしまったのです。

「快楽」は一時だけ喜びを感じられるけど、すぐ消えてしまう。残るのは「空しさ」だけ。

「快楽」や「物」では「幸せ」にはなれない。

そう。ブッダは気づいてしまったんだね。

王様はなんとかブッダを城に縛りつけるべく「ヤショーダラ」という女性と結婚させ妊娠したんだけど、ブッダは出産前に子供の顔を見ることなく、出家してしまいます。そう。お城をこっそり出て行ってしまうのです。

このとき29歳。

名前だけつけていきます。

ラーフラ

その意味はなんと「障害」!

ひげおじさん
このへん、おじさんはブッダはひどい人だと思いました…

諸説あるけど、出家して求道するのに「障害」だからという説があります。

王様の縛りつけ作戦失敗…

ありとあらゆる「苦行」にチャレンジするも「幸せ」にはなれない…

ありとあらゆる「苦行」を試し、死にそうになることもありました。

でも、「幸せ」は見えてこなかったのです。

スジャータ

ん? なんかきいたことがあるぞ。
だいぶ昔、コーヒーフレッシュとしてCMが流れてました。

ブッダは「断食」の「苦行」をして骨と皮ばかりになり明日にでも死ぬような状態になっていました。
それでも、「幸せ」は見えてきません。

そのとき、近くに住んでいる娘が「乳粥」をブッダに与え、ブッダはそれを飲んで死を免れました。

その娘の名前が「スジャータ」です!

仲間の修行僧はブッダをバカにしました。
「根性のない奴だ」と。

でも、ブッダはまた気づいてしまったんです。

「苦行」では「幸せ」にはなれない。

それにしてもスジャータを商品名にして、よく仏教界から苦情が来ませんでしたね。
今でも、この商品はあるようです。
あまり見かけないけど。

厳粛な仏教徒は肉はもちろん牛乳やそれから作るチーズ、バター、ヨーグルトも食べてはいけません。
ただし! ブッダは肉食を禁じてはいません!
これは後世、ブッダの弟子の一部が作った決まりです。
実際、ブッダは村人のさしだした晩ごはん「柔らかい豚」という料理を口にしておなかをこわし激しい下痢のもと亡くなってしまいます。
これをむりやり「きのこのスープ」だという人がいますが、無理が通れば道理引っ込むでしょう。
不殺生戒 (殺してはならない) に反するので都合が悪いからだけど、ブッダは肉食を禁じてはいません。
みだりに殺してはならないと言ってます。
肉は食べないと言っているあなた。米も野菜も生きています。
野菜はなぜためらうことなく切れるのですか?
それは、切っても赤い血が出ないし、目もついてないし、悲鳴もあげないからです。
いやほんとは悲鳴をあげてるかもしれない。
これはまた別の記事で取り上げましょう。

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菩提樹 (ぼだいじゅ)

そして、菩提樹の下で静かに瞑想して「悟り」を開くのです。

このときブッダ。35歳。

bodhi (ボーディ) は「悟り」という意味。
この音を漢字にしたのが「菩提 (ぼだい) 」です。
ブッダがこの木の下で悟りを開いたので「ぼだいじゅ」と名前がつけられました。
もともと菩提樹という木があったわけではないんですね。

buddha (ブッダ) もその派生語で「悟りを開いた人」「目覚めた人」という意味です。

「悟りを開く」というのはそれこそ「苦行」をした修行僧しかできないと思ってしまうけど、本来は「目覚める」という意味です。

まどろんでいる。

人は目を覚まして、自分の意志で「判断」して「行動」していると思っているけど、ほんとは「自動実行プログラム」にしたがって無意識に動いている (動かされている) ロボットなんです。

これを仏教では「まどろんでいる」といいます。

気づく。

「悟りを開く」というのは特別なことではなく、「自分が今、何に反応して、どういう感情が働き、何をしているのか『気づく』」ことなんです。

でも、これがじつはむずかしい。
それは年を取れば取るほど、「自動的に」動くようになっているからです。

思い出せないと思うけど想像してください。

子供のときのほうが何をするにも、今、目の前でやっていることに「全神経」を「集中」していたと思いませんか?

ハイハイするのも、つかまり立ちするのも、人の話を聞くのもものすごく「集中」していたと思います。
初めて歩き始めるときに、今夜のテレビや晩ごはんのことは考えていなかったと思います。

「無我夢中」になれることって大人になると少なくなりますね(T_T)

おじさんは今、ギターを弾きながら、「今夜は何を作ろうかな? 」なんていう考えが頭をよぎってしまいます(^_^;)

すべての行動を「意識化」する。

無意識に、自動実行プログラムにしたがって動くのではなく、すべて「意識化」することが重要だとブッダは言ってます。

それこそ、手を持ち上げるのも、息を吸うのも、吐くのも、排泄さえ「意識しなさい」と言っています。

サーキットを走るときくらい集中して、自分の体を動かすことに集中しなさい。

そう。サーキット走行や林道をバイクで走るのが「瞑想」に通じるのは、すごく「集中」して他のことを考えないからです。
さすがにサーキット走行しているときに、「今夜の晩ごはん」は頭に浮かびません(^^)
もし、それが頭に浮かんだら、サーキット走行はその時点でやめたほうがいいです。

「瞑想」「禅定 (ぜんじょう) 」は言いかえると「超集中」です。

テレビ見ながら、スマホいじりながらご飯なんてとんでもないですね(^^)
テレビ見ながら、スマホいじってる人がいるけど、ほんとどっち見てるんだ? と思います。
じつはどっちも見てない。

ひげおじさん
おじさんはとてもこの境地にはなれないけど、意識するように努力してます(^_^;) 集中できてないので、あちこち体をぶつけてしまいます。

ブッダ
すべての行動を「意識化」すること。それが目覚めること。そして「幸せ」になることだよ。

ブッダ
「中道」だね。
なにごとも両極端はよくない。ほどほどにね。

他にも読みたい! という方はこちら↓

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