山中一揆 (さんちゅういっき) 。ゆかりの地

弥治郎が岳

「山中一揆」

山中一揆とは?

亨保11年 (1726年) 山中 (さんちゅう) と呼ばれる真島郡と大庭郡 (現在の岡山県真庭市) で起きた大きな一揆です。
真庭市は島郡と大郡から1字ずつ取って作った名前です。

当時、津山藩は10万石でしたが、亨保11年11月11日、藩主、松平浅五郎が11歳で死亡。
後継ぎがいなかったのでお家断絶、所領は幕府に持っていかれることが予想されました。
そこで幕府に持っていかれる前に、庄屋が年貢米をしまっている郷蔵からこっそり運び出そうとしました。
悪い奴らです!

農民に見つかり阻止されます。

浅五郎のいとこが後を継ぐことになったけど、石高は10万石から5万石に減らされました。
幕府の支配になるのは真島郡と大庭郡の山中地域であると予想され、再び、役人が年貢米を持ち出そうとします。
監視していた農民にまたもや阻止されます。

悪徳役人により、年貢米を納める期限を早めたり、増税したのでついに不満が爆発。

農民は立ち上がり、未納分を免除すること、増税をしないことなどを要求し、かなりの部分を認めさせました。
表向きは要求を飲んだように見せ、津山藩は一揆に関った人たちを次々に捕らえ、処刑して見せしめにしました。
51人が処刑されました。

要求はすべて反故にされ、農民は「二度とこのようなことはしません」という詫び状を書かされました。

翌年、亨保12年5月。山中は天領になります。
いわゆる「国有地」ですね。
久世には「天領」と「ニュー天領」という名の定食屋さんがあります(^^)

弥治郎嶽 (やじろうがたけ) 。聖ガ岳 (ひじりがたけ)

岡山県真庭市 (旧勝山町) 見尾

弥治郎が岳

弥次郎と表記されることもあります。
どちらが正しいのかおじさんはわかりません(^_^;)
そもそも昔の人は漢字など読み書きできなかったと思うので。

もともとは聖ガ岳というところでしたが、弥治郎が隠れていたということで弥次郎嶽と呼ばれるようになりました。

「嶽」は「岳」の旧字体です。

弥治郎が岳2

洞窟に隠れていたけど、愛犬が毎日せっせと食事を運び、その後をつけられて見つかったとか。

旭川沿いにあり深い谷ですが、ここ「向見尾」の集落からは星山の山頂がちょっとだけ見えます。
当然、星山の山頂からはこの集落がちょっとだけ見えます。

星山から見た向見尾

写真の真ん中辺。白っぽいところが向見尾の集落です。
右端に切れかかってる白い建物が東口の登山道入口のビジターセンターです。

向見尾

星山 (ほしやま)はこちら

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妙典塚 (みょうてんづか)

岡山県真庭市 (旧湯原町) 黒杭

曹洞宗。露松山大林寺 (そうとうしゅう。ろしょうざん。だいりんじ)

曹洞宗。露枩山。大林寺

松は「公」の下に「木」という字です。残念ながらフォントがありません。
別に間違いではありません。「枩」のように木が上に乗っかってるパターンもあります。
漢字の会意、形声などの「合わせ文字」はパーツが近くにあればいいという大雑把なルールだったのでいろんな字体があります。
それでは覚えるのが大変。活字をたくさん作らなければならないなどの理由から、1つだけ代表が選ばれ「正字」とされるようになりました。
他の字は「異体字」とか「俗字」などという不名誉なレッテルを貼られるようになってしまいました=^^=

「島」は「嶋」、「嶌」と、山が上下と左の3通りあります。

山中一揆。妙典塚 妙典塚。供養塔

亨保11年 (1726年) 。51人も処刑されました。
そもそも藩の悪徳役人が年貢米をせしめようとしたのに、役人は処罰されず農民が処刑される。
「人民は弱し。官吏は強し」という星新一さんの著書もありますね。

妙典塚。能書

湯谷義民の墓

岡山県真庭市 (旧勝山町) 田口湯谷

棒杭 バイク

石碑があるけどほとんど判読できません。おじさんが字が読めないんじゃないですよ(^_^;)

石碑。能書。読めない

長右衛門と三郎右衛門という2人の義民が祀られています。

長右衛門。三郎右衛門 墓。棒杭

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三坂山 (みさかやま)

岡山県真庭市 (旧湯原、勝山、久世町の境でしょうか)

ここでも13人がさらし首になったそうです。

山久世の寺谷川から途中までバイクで上がりました。

行き止ま林道

薄暗かったのかピンぼけしてます(^_^;)

峠の看板 SN3E2922 SN3E2918

十石茶屋跡と国名紀元の地

SN3E2920

読みづらいのでかいつまんで説明します。

三坂山は、岡山の足守 (あしもり) から鳥取の大山まで通じる「大山道 (だいせんみち) 」の最大の難所とされました。
久世の三阪 (三坂と字がちがいます) の集落から、三坂山を経て、湯原の釘貫小川 (くぎぬきおがわ) まで遊歩道があります。
むかしは「追い剥ぎ」が出たそうです。
これも昔話や特別な話ではなく、近くに民家もない人通りが少ない、でもそこを通らなければならない場所は盗賊どもの格好の場所であったようです。
それを防ぐために津山藩がここに茶屋を開かせました。
当初は口米三石。のちに十石を与えたので十石茶屋と呼ばれるようになりました。
明治40年ころまで、弥衛門夫婦が住んでいました。

SN3E2919

「国名紀元の地」と書かれています。

「美作 (みまさか) 」の地名は、「三坂 (みさか) 」が紀元であるという説。

「圀」は「則天文字」というのだそうです。
中国武周朝の創始者である女帝武則天 が考案し定めた漢字。則天新字、武后新字とも言われる。 (ウィクショナリーより抜粋)

黄門様。水戸光圀公くらいでしか目にしませんね。

南側 (久世側) はヤブの中で見通しが悪いけど、峠の北側 (湯原側) は展望が開けています。

山頂から

湯原の町と三角の山は雨乞山 (あまごいせん) かな?

湯原

遊歩道は整備されています。

遊歩道

さっちゃん
旭川沿いの道があるのになぜこの険しい山を越えなきゃいけなかったのかしらね?

首切峠 (くびきりとうげ) 。トンネル

岡山県真庭市 (旧勝山町と旧美甘村) の境

トンネルの現在の正式名称は「美甘 (みかも) トンネル」だけど、手前には思いっきり「首切」バス停と「首切トンネルの桜」という看板がある(^_^;)

首切。バス停 首切トンネル。桜

ここには山中一揆を示すものはとくにありません。
古戦場跡なのでその時さらし首にされたことからこの名がついたという説もあります。

首切トンネル。南側

心霊スポットでも何でもありません。誤解のないように。
全国の峠にはこのようにさらし首にされたところがいくらでもあります。けっして珍しくはありません。
恐ろしい時代ですね。
現代に生まれてよかった=^^=

山中一揆についてはこちらのページに詳しく書かれています。

外部サイトです。おじさんもこのページを参考にさせていただきましたm(_ _)m

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弥治郎が岳

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