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「人工知能」「AI」「人間」「目覚めること」「意識化」
AI ~ 人工知能
近年、AIの技術の進歩は目覚ましいものがあります。
むかしのSF小説に出てきたロボットやアンドロイドが現実のものになりつつあります。
人は、姿形だけでなく、機能も自分に似せてロボットやアンドロイドを作ります。
人も人工知能?
人は、ロボットやアンドロイドとはちがうと思っています。
でも、果たしてそうでしょうか?
制御するコンピュータを人間とおなじかそれ以上のものにして、体の動きも人間とおなじかそれ以上にして、自分たち人間に近づけていきます。
プリ・インストールされたプログラムだけでなく、学習能力も与えられています。
ロボットというと冷たい金属でできてるイメージで、温かい血が流れている自分たち人間とはちがうと思っています。
でも、それも金属の上に柔らかい素材のカバーをつけて、顔の表情まで変えられるようになりつつあります。
それって人間の皮膚や筋肉と同じものではないでしょうか?
人間とロボットの違い
ロボットやアンドロイドは壊れたら自分で直すことができません。
自分と同じ形のものを複製する力もありません。
人間の形はしてるけど冷蔵庫や車といっしょで壊れたら人が修理しなければならないし、修理できなければスクラップです。
まあその点、人間も自己修復機能の限界を超えれば元に戻すことはできず、維持することができなくなれば「機能停止」。
つまり、寿命を終えて「死ぬ」のですが。
ロボットに「自己修復機能」と「自己複製機能」を与えたら?
見てくれや、素材は関係なく、壊れたらある程度、自分で直すことができる。
自分が壊れて「機能停止」する前に、自分と同じ形のものを複製して残すことができたら?
ロボットやアンドロイドはかってにどんどん増えていくでしょう。
世界最終戦争のあと
人類はおろかにも仲間同士で殺し合い、絶滅してしまいました。
自分たち人間だけでなく動植物も全滅させてしまいました。
ところがその地球上で動いているものがいます。
人間が作ったロボットやアンドロイドたち。
彼らは人間がいなくても自己保存し、自分の複製を作りつづけます。
それは誰が命令したわけでもなく、自分たちの意思でそうしているわけでもなく、そのように「プログラム」されているからです。
宇宙人が地球にやってきた
地球にやってきた宇宙人は、ロボットやアンドロイドが地球の「生命体」であり、「支配者」であると思うでしょう。
この星の生命は「金属製」で「油」と「電気」で動いていると。
彼らは人間によってプログラムされたとおり、「従順」で「好意的」で、宇宙人とコミュニケーションを取ります。
人間も誰かに作られたロボット?
人間にかぎらず、地球上の動物の体の構造やそれを維持するシステム、複製を作るシステムを知るにつれ、その複雑さに驚かされます。
わたしたちは骨と肉で体が作られていて、血が流れているからロボットとはちがう「生き物」だと思ってるけど、「カルシウム」で構造材を作り、「タンパク質」で構造材をつつみ、「血液」という液体で酸素とエネルギー源を循環させ、「人工知能」を搭載している「ロボット」ではないでしょうか?
さらに、わたしたちは現在のロボットやアンドロイドを自分たちとおなじように、カルシウムとタンパク質と血液が流れるチューブを張りめぐらせ、ほっといても自分でエネルギーを取り込み、複製を作る存在に変えていく可能性も大いにあります。
ほんとに自分で考えていますか?
わたしたちは自分で考え、自分で判断し、自分の「意思」で動いていると思っているけどそうでしょうか?
よく「本能」のままとか「自由」に対して、「理性的」「理知的」という言葉が使われるけど、わたしたちはほぼ「本能」のままに動かされているだけです(^^)
お腹が空いたらご飯を食べますね。
眠くなったら寝ますね。
そりゃ食べなきゃ死ぬし、寝なきゃ死にます。
でも、食べなきゃ死ぬとか、寝なきゃ死ぬとか「考えて」、あなたはご飯を食べたり、寝たりしてますか?
誰もそんなこと考えてないと思います。
それは「本能」のままなんです。
自由とは「自分の思うまま」という意味
ほとんどの人は勘違いしているけど、食べたいときに食べて、寝たいときに寝るのは「自由」ではないんです。
それは「本能」というプログラムによって「無意識に」もっといえば「強制的に」動かされているだけです。
仏教では「まどろんでいる」という状態です。
目は開いているけど、「寝てる」んです。
それはさながら夢遊病者のようです。
ほんとに「自由」なら、食べることもできるし、食べないでいることもできる。
ほんとに「自由」なら、寝ることもできるし、寝ないで起きていることもできる。
腹が立ったら好きなだけ人を殴る。
彼は自由でしょうか?
いいえ。
自由なら、人を殴ることもできるし、殴らないでいることもできます。
殴らないといられないなら「自動実行プログラム」で「動かされている」だけです。
我を失って殴るなら完全にプログラムに「操られて」います。
彼は誰かに作られた「ロボット」や「アンドロイド」といっしょです。
誰かにインストールされたプログラムに沿って、自動的に「動かされている」ロボットにすぎません。
目覚めること。気づくこと
「悟り」というと辛気臭い宗教の言葉とか、空を飛ぶような神通力でもないとできないと思われるけど、本来の意味は「目覚めること」「気づくこと」という意味です。
覚悟
「覚る」も「悟る」も「さとる」と読みます。
「覚悟」というと「命を賭けるような一大決心」というような意味になっていますが、もともとはどちらも「さとる」。
「真実を知る」「目覚める」という意味なんです。
ただ、じっさいにはこの「目覚めること」「気づくこと」がとてもむずかしいのです。
意識化すること
そのためにはすべての自分の感情や行動を「意識化」する訓練が必要です。
お寺で修行するのではなくて、日常生活で食べるときも、寝るときも、お風呂にはいるのも、トイレに行くのもすべて「意識」してやるクセをつけるのです。
我を忘れて「怒る」のは「自動実行プログラム」に動かされているだけです。
まず「怒っている」自分に気づくこと。
そして、ほんとに「自由」なら、「怒る」こともできるし、「怒らない」こともできるのです。
近ごろ身のまわりにアンドロイドが!?
「あなた人間ですか? ロボットじゃないの? 」という人? が増えてます。
狭い道で譲っても知らん顔していく人。
前を歩く人がなにか落としても表情1つ変えずに通り過ぎていく人。
スマホの画面に縛られたまま前を見ずに歩く人。
横断歩道も信号もないところで、まったく左右を見ないで当たり前のように車道を横断する人。
こんな人が増えてる気がします。
若い人だけでなく、おじさんより先輩の何十年も生きてきたはずの年寄りでさえ。
おじさんは思います。
「あれはきっとロボットにちがいない。人の顔や、姿形をしてるけどロボットだ」
しかも、最低レベルの人工知能さえ搭載されていません。
もちろん学習機能なんかあるわけがないです。
人が人たるゆえんは「自分で考える」ことです。
しかし、彼らは電池で決められたプログラムどおり動いているだけで、自分で考えたり、判断したり、行動することができません。
電池が切れるまで動きつづけるだけのおもちゃです。
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