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天空の城「備中松山城 (裏口) 」雲海の展望台~大池~天守閣

展望台から

 「備中松山城」「展望台」「大池」「臥牛山」「大松山城」「吊り橋」

天空の城

天空の城「備中松山城 (表口) 」~天守閣の中はこちら

最近は兵庫県の「竹田城」が有名だけど、「備中松山城」は天守が現存する山城としては最も高いところにあります。

ちなみに標高は、竹田城が353.7m。備中松山城が430mです。

案内図

このパンフレットは展望台に置いてあります。

現在、備中松山城と呼ばれているものは「小松山城 (こまつやまじょう) 」です。

所要時間

おじさんが歩いた目安です。休憩時間もふくまれます=^^=
トラック (軌跡) はGarminのGPSで記録したものです。
休まず歩けば転回場から備中松山城まで1時間弱です。
最低でも、往復2時間は見ておきましょう。

右下の (∧) マークをタップするとページトップにもどれます。
この地図を見たくなったらタップしてください。

所在地

岡山県高梁市内山下1

高梁で「たかはし」と読みます。
おそらく岡山県人以外は読めないでしょう。

おじさんはもちろん読めませんでした=^^=

「現存する天守閣」を持つ城では「日本一高い」ところにある。

これだけ陣取り合戦で支配者が何人も変わったにもかかわらず焼かれることなく残っていたというのが不思議です。
ふつう、残っているのは石垣などであとは昭和、平成になってから復元されたものですが、この備中松山城は江戸時代に建てられた天守閣がそのまま残っています!

ひげおじさん
備中松山城と展望台の中間にある「大池」の水を抜いて中を見られる機会があったので行ってきたよ!
さっちゃん
山道も歩きやすくて、片道1時間くらいでハイキングにちょうどいいわね!
クマ
アルバムみたいな感じなんで、ゆるりと眺めてね!

国道からの入口

岡山自動車道 賀陽ICを下りて国道484号を右へ。
西進。高梁市方面に向かいます。
楢井ダムを過ぎると、間もなくこんな看板が右側に見えるので右折して入ります。

吉備国際大学のサッカー場を過ぎ、少し走ると突然、開けたところに出ます。

見晴台から

備中松山城は赤い矢印の下にあるけどこの写真ではわかりませんね(^_^;)

三脚にビデオカメラをつけて撮りました。

正面が天守閣。右は二重櫓です。

雲海展望台

もうすこし先へ行くと「雲海展望台」という立派な展望台があります。

右側に3台くらい停められるスペースとトイレがあります。
パンフレットと手洗いまでついてます。
大型バスも通るので路上駐車はやめましょう。

展望台から、三脚にビデオカメラをつけて撮りました。

正面が天守閣。右が二重櫓です。

今から、歩いてあそこまで行きます。

展望台

パンフレットも置いてあります。

右手に備中松山城。正面の川は高梁川で、高梁大橋も見えます。高梁市の駅前。市の中心部です。

突き当たりの転回場

帰りに撮ったので反対向きですが、向こうが展望台のほう。

大型車のUターンのための場所ですが、今日は「大池」の見学のために駐車場として使っています。
右手は高梁市の職員の方です。

休日出勤ごくろうさまです=^^=

車を停めて山道に

右上が転回場。大池をとおって、備中松山城まで行きます。

愛宕山はお城の南のほうにある山です。

こんな看板が(^^)

ひげおじさん
わしは猿が嫌いじゃ! なぜならわしが山仕事をしておるとき、置いていた荷物の中から貴重品には目もくれず、着替えのシャツなどが放りだされ、3時のおやつに食べようとしていたドーナツを食われたからじゃ!
さっちゃん
お金は置いといてもいいけど、食べものは持って歩かないとダメね(^^)

ほんと、猿にはエサをやらないでくださいね。
人間はエサをくれるものだと思ってしまいます。
そして、こやつらはエサをもらっても感謝することなどなく、くれるのが当たり前だと思ってしまいます。
だから、こんどはエサをくれないと「逆ギレ」します。
餌を持ってないとわかると、怒って引っかいたり、噛みついたりします。

昭和30年に餌づけして自然動物園なるものを開園したそうです。
う~ん。なんか言ってることとやってることが矛盾してるな。
平成3年に閉園しました。
(高梁市のホームページより)

この看板を右にはいると、吊り橋ではなく、三角点、切通し、番所をとおって、吊り橋の向こう側 (南側) に行けます。

とりあえずまっすぐ行きましょう。

うしろに停まっているのは市役所の車です。

吊り橋が見えてきました!

「大松山つり橋」

臥牛山。佐与谷山国有林。能書

国有林野貸付契約地。

遊歩道と吊り橋のために、高梁市が国から借りてるんですね。
至 平成32年 と書いてあるけど、それが過ぎたらどうなるんでしょうね?
まさか、吊り橋を取り壊して元通りにしろとか? それはないでしょうね=^^=

「吊り橋の入口」

まるでイノシシの罠みたいですが、おそらく動物が行き来するのを防ぐためではないかと思います。

吊り橋といっても、しっかりしててまったく揺れません。
すき間もなく、下も見えないのでこわくはないです。

ひげおじさん
わしはここに来るまでずっと不思議に思ってたんじゃ。城の裏側からかんたんに天守閣に行けるなら山城の意味がなかろうと。
さっちゃん
むかしは吊り橋なんかなかったから、この谷を渡るのはムリね!

吊り橋から、林業用の作業道が見えます。う~ん。バイクで走りたい!

「分岐点」の道標

右が切通し、番所経由で吊り橋を渡らずに転回場にもどれます。

大池

大池に着きました!

大池の発掘調査 見学会 2018年3月4日

市役所の方からいただいたパンフレットです。

ふだんは石垣の半分くらいまで水が溜まっているのですが、調査のために水を抜いています。

水たまりに、カエルの卵と、オタマジャクシと、数匹のカエルが…

赤い矢印の高さで、上と下の色がちがうのがわかりますか?
ふだんはここまで水が溜まっています。

池は南北に細長く、北側 (転回場のほう) に排出口があります。

この階段状の穴は調査のために掘ったもので底に木樋 (もくひ) が見えますか?

V字の溝になっているのは掘ったものではなく、水が流れ削られ、陥没したものです。

横に縞模様が見えますが、底に木樋を置いたあと、上から土をかぶせていった跡です。

この木樋が埋まっている北側の池の内側には奇妙な石の出っ張りが6本。

この間に垂直に管を立てて、ところどころに「栓」をつけて水位を調整したのではないか?
でも、わかりません。とのことでした=^^=

この奇妙な出っ張りの下に木樋があります。

こちらが池の内側です。
これがさっきの外の木樋につながっています。

池の壁です。

石を積み上げただけです。
水を通さないというより、土だとどんどん削れてしまうからそれを防ぐためだと思います。

ところで、なぜ水が地面に染みこんで抜けてしまわないかと思いますよね。

これは池の底なんだけど、厚い岩盤があって水を通さないんです。
コンクリートで固めたんではないですよ。

 

なぜこの場所を選んだか?
おそらく、下は水を通さない岩盤で、すこし凹んだ地形なので、もともと水が溜まりやすい場所だったと思われます。

「東側の階段」

「南側の階段」

南側からの外観です。

池の底に溝があるのは調査のために掘ったもので、ほかの部分の土も取り除けば1枚の岩盤が出てきます。

石壁の中段くらいから根性の木が生えてます。哀れ、切られてしまっています。合掌m(_ _)m

池の底。ぬかるんでいるので渡し板が敷いてあります。

ひげおじさん
山城のもう一つの謎。水はどうしてたんだろうな? 川はないし井戸を掘っても水なんかでないだろうし。下から運んでたのかな?
さっちゃん
山の上にこんな大きな水たまりがあったのね。水を通さない層があれば雨水もたまるのね!

池の中から出てきたもの

出土品ならぬ、出水品=^^=

木樋の「栓? 」

木は、ふつうは微生物に分解されて (腐るということ) すぐなくなってしまうんだけど、水の中では酸素が充分でないので分解されず長く残ります。なので、展示もこうして水につけたまましています。空気に触れると分解されてしまいます。

鍋の残りも水に浸かってるところは腐りにくいけど、上に顔を出してるところは腐ったり、カビが生えたりするから気をつけてね。
それよりなるべく残さずに早めに食べようね。
ビン詰め、缶詰も空気がはいらないように液体で満たしているよね。

「源内焼 (げんないやき) 」平賀源内のお指図にあるようです。

「源内焼の皿」

「備前焼 (びぜんやき) 。他」

備前は今の岡山の南のあたりの国です。
吉備国が、備前 (びぜん) 、備中 (びっちゅう) 、備後 (びんご) と別れました。

大池~大松山 (おおまつやま) 城跡へ

さて、大池の見学もすみ、大松山城跡へ向かいます。

秋庭三郎重信 (あきばさぶろうしげのぶ)
相模国三浦氏 (さがみのくに。みうらし)の一族 とあります。
今の神奈川県ですね。三浦郡は今の三浦半島のあたりですね。

備中国有漢郷 (今の高梁市有漢町) の地頭に任命されて、ここ「大松山」に城を作ったという話です。
631年の間に、19氏46代の交代があったそうです。

これから行く備中松山城はもとは「小松山城」なんです。

戦国時代の殿様ってほんとかわいそうですね(T_T)
こんな山城に閉じこもって、本丸なんか猫の額ほどもない…
清冽な水もなければ、新鮮な食べものもない。
食べものには毒がはいっているかもしれない。
家臣も信用できない。
いつ寝首をかかれるかわからない。
間者 (スパイ) がいるのは当たり前。

戦で命を落とすのはまだいい方、暗殺されることもよくある。

戦国武将って、じつは自分のポリシーとか、忠義とかなくて、とにかく勢力の強そうな方にコロコロ寝返るんです。

昨日の敵は今日の友

なんて言うけど、裏を返せば

昨日の友は今日の敵

にもなります。

裏切りなんて当たり前。
だって、もともと忠誠心なんかないんだから。

ポリシーがあるとすれば、どんな手を使っても自分が生き残ることです。

起きて半畳寝て一畳。天下取っても二合半。

殿様だ! といっても立てば自分の占有するスペースは畳半分だけ。
寝ても、畳1枚分。
いくら頑張っても1日に食べられるご飯はせいぜい2合半がいいところ。

ああ、殿様じゃなくてよかった=^^=

まっすぐ行けば備中松山城の天守閣。

大池から大松山に向かいます。といっても80m。5分くらいのところです。
こんな山の上に大きな池があり水が手にはいるのはかなり珍しいことです。

おじさんはいろんな山城を歩いたけど、こんな池があるのは見たことがありません。

これによれば、延応2年 (1240年) に、大池から西にある大松山に秋庭三郎重信が城を作ったという話です。

堀切 (ほりきり)

堀切 (ほりきり) というのは平らなところにあるお城の「お堀」と同じで、水がないだけです。
敵が攻め込みにくいように大きな溝を掘っています。

井戸と思われる石組み。

大松山城跡

「本丸」

「本丸。中心部」

本丸からの景色

大松山城跡~天神の丸。天神社 (臥牛山) へ

さて、大松山をはなれ、臥牛山 最高地点の天神の丸に向かいます。

「臥牛山 (がぎゅうさん) のアベマキ」

人の名前みたいですね=^^=
牛が臥せた (ふせた) ような姿ということで「臥牛山」と呼ばれますが、岡山県以外にもあります。

年齢:350歳。身長:30m。ウェスト:4.7m

「天神の丸跡 (てんじんのまるあと)」

標高480mの臥牛山につくられました。
正確には487mのようです。

後世になって「天神社 (てんじんしゃ) 」という神社が建てられました。
明治初期まであったけど、いまは城下の寺町の龍徳院 (りゅうとくいん) に祀られています。

臥牛山 (がぎゅうさん)

こんなイメージですね。

これはうちの近所の「箸立天神 (はしだててんじん) 」というところの牛さんです=^^=
リンクはこちら↓

箸立天神 (岡山県真庭市)

臥牛山というのは単峰ではなく、「大松山」「天神の丸」「小松山」「前山」の4つの峰をひっくるめていいます。

天神の丸。天神社

天神社

「てんじんしゃ」と読むようです。「てんじんじゃ」と濁らないようですね。
「天・神社」ではなく、「天神・社」ということみたいです。
「あまつかむやしろ」とも読むそうです。

菅原道真 (天神さま) を祀る「天満宮」のこともあれば、天津神 (あまつかみ) を祀る神社のこともあるけど、両者は別物です。

「拝殿」あと

「本殿」あと

今日はここでお弁当をいただくことにしました=^^=

本殿あとから下を見下ろしたところです。
ここが臥牛山の最高地点480mです。

天神の丸。天神社~備中松山城へ

おなかも、くちくなったところで、いよいよ備中松山城に向かいます。

「せいろうが壇」

能書が何もないのでどういう意味かわかりません。

「相畑 (あいはた)」

相畑城戸 (あいはたきと) の跡。
備中兵乱 (1575年) の古戦場。
番所や井戸の跡が残っています。

今まであまりアップダウンがなかったんだけど、ここだけ急な下り坂です。

「車井戸」

はじめは「おっ! こんなとこにトイレが! 」と思ったんたけど(^^)

「土橋」

う~ん。どう見ても木の橋なんだけど…
山城には、谷を渡るために土を盛ってつくった橋があります。
もともとは「土の」橋があったけど崩れてしまったので木の橋をかけたんでしょうかね?
でも、橋をかければ敵に攻め込まれやすくなると思うんだけど…

「番所跡。石仏」

ここにも井戸らしき痕跡が。

「土橋。道標」

上の土橋をわたった南側 (備中松山城のほう) にあります。

天守閣まで200m!

備中松山城!

到着しました!

表側からは2回ほど上がってるんだけど、裏から来たのは今日がはじめて。

最初に見えてきたのが、「二重櫓」

備中松山城のいちばん北側に位置します。

現存していて昭和3年に修理が終わり完成しました。

岩盤の上に立つ二重櫓

「二重櫓と天守閣」

「二重櫓。西側の崖」

「腕木門跡」

天守閣の北側の門です。

「後曲輪跡」

作りものかと思ったけど生きてました=^^=

「九の平櫓跡」

「天守閣。東御門」

「天守閣。南御門。券売所」

本丸と天守閣にはいるには入場料…いえ、入城料300円がいります。
また、表側から上がる場合はシャトルバス往復400円がいります。
歩いて登れば只です=^^= (2018年3月現在)

二の丸から天守閣

手前の角に立つのは、五の平櫓

井戸かな? と思ったら「雪隠」でした(^^)

でも、日本は清潔なんですよ。
16世紀のヨーロッパではトイレがなく、お城のそこここで用足ししてたそうです。
お風呂もはいらない。
だから、香水が発達したんです。

いや現代でもパリなんか、ゴミは散乱してる、犬のウ●チはあちこちに転がってる。
恋人たちが愛を語らうセーヌ川なんて汚くて臭くてドブ川のようです。

「十の平櫓」

備中松山城~土橋へもどる

しばし休憩してから帰路につきます。

土橋~天神の丸 (来たときと別の道)

土橋をわたり、番所跡の石碑の後ろのほうに行くと、来たときと別の道で天神の丸に行けます。
しばらく山腹沿いに歩き、そのあと急斜面を登ります。

スマホのカメラがなぜかエラーが出て写真が撮れませんでした(^_^;)
その時点ですでに200枚くらい写真を撮っていたので容量オーバーかな? と思ったけどSDカードの空きは充分ありました。
何枚かいらない写真を消しても直らない。

再起動したら直りました(^^)
ここで一句。

「スマートフォン 困ったときの 再起動」

スマホでもパソコンでもなんかわからないけど機嫌が悪くなったら再起動すると何ごともなかったように動くことがあります=^^=

この場所にもどりました!

ここから天神の丸はすぐです。

天神の丸~吊り橋へもどる

吊り橋南詰 (南側ってことです)

これは行きに見た道標ですね。
帰りは吊り橋をとおらず、切通しと番所のほうから帰ってみましょう。

吊り橋南詰~切通し。番所。三角点~駐車場へ

切通しと石仏

切通「堀切」

吊り橋を迂回して見晴らしのいいところに。

下に見えるのは、行きに通った道。
市役所の方の車が見えます。

ここもお弁当スポットですね。

三角点 (478.21m)

遊歩道から西のヤブにちょっとはいったところです。
この辺は長年の勘というか、匂いでわかるというか(^^)

三角点。
なれど、見通しはきかぬ。

「三」しか見えないし(^_^;)

駐車場 (転回場) にもどってまいりました=^^=

市役所の方、休日出勤ごくろうさまでした=^^=

おかげさまで楽しい1日でした。

2018-03-04

天空の城「備中松山城 (表口) 」~天守閣の中はこちら

山城。一覧はこちら

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