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「備中松山城」「小松山城」「天空の城」「天守」「天守の中」「現存」
天空の城
天空の城「備中松山城 (裏口) 」雲海の展望台~大池~天守閣はこちら
最近は兵庫県の「竹田城」が有名だけど、「備中松山城」は天守が現存する山城としては最も高いところにあります。
ちなみに標高は、竹田城が353.7m。備中松山城が430mです。
案内図
一般車は「城見橋公園駐車場」までしか行けません。
ここに車を停めて、シャトルバスに乗ります。
🚌シャトルバス。往復300円。帰りはチケットを見せなくても乗れます✌
平日やシャトルバスが運行していないときは自家用車でふいご峠まで上がれるそうです。
おじさんは休日しか行ったことがないので=^^=
ふいご峠からは徒歩で登ります。
小松山城 (こまつやまじょう)
現在、備中松山城と呼ばれているものは「小松山城」です。
備中松山城の本丸にはいらずに石垣に沿って右側を歩いて行き、遊歩道を伝っていくと「大松山城」に行けます。
「大松山城」には何も残っていません。
詳しくはこちらをご覧ください。天空の城「備中松山城 (裏口) 」雲海の展望台~大池~天守閣
所在地
岡山県高梁市内山下1
高梁で「たかはし」と読みます。
おそらく岡山県人以外は読めないでしょう。
おじさんはもちろん読めませんでした=^^=
「現存する天守閣」を持つ城では「日本一高い」ところにある。
これだけ陣取り合戦で支配者が何人も変わったにもかかわらず焼かれることなく残っていたというのが不思議です。
ふつう、残っているのは石垣などであとは昭和、平成になってから復元されたものですが、この備中松山城は江戸時代に建てられた天守閣がそのまま残っています!
ふいご峠からお城
シャトルバスを降りて、歩いて登ります。
山の上から見た高梁市街と高梁川
大手門
遊歩道を登っていくと最初に見えてくるのが「大手門」の跡です。
備中松山城がある臥牛山は花崗岩でできており、その岩盤を利用して、その上に石垣を築いています。
根性の木
足軽箱番所跡
三の平櫓東土塀 (さんのひらやぐらひがしどべい)
筒狭間 (つつざま) 。鉄砲狭間 (てっぽうさま)
鉄砲を撃つための穴。
ほかにも、▲三角、■四角などがあります。
内側からは色んな角度で撃ちやすいように広く、外からは鉄砲の弾や、矢がはいりにくいように狭くなっています。
矢狭間 (やざま)
矢を射るための穴。
おもに縦長の四角 (長方形) 。
三の丸
足軽番所跡
石垣
厩曲輪 (うまやくるわ)
野面積み (のづらづみ)
左はトイレ。
この先、トイレはないのでここで済ませておきましょう=^^=
右の石垣の上が「二の丸」。
ちょうどこの上に「雪隠跡 (抜け穴? ) 」があります。
雪隠跡 (せっちんあと)
二の丸にあります。
二の丸
二の丸広場から、本丸、天主閣。
正面に見えるのが、「五の平櫓」。
本丸、天主閣にはいるにはここで入城 (入場) 料を払います。
大人300円。小人150円。 (2017年12月)
与謝野寛 (鉄幹)
「松山の 渓を埋むる あさ霧に わが立つ城の 四方しろくなる」
天守閣の中へ
入口
入ったところ
天守の内側にも石垣が!
ここでスリッパに履きかえます。
内部の構築物
梁に梁が突き刺さってる!
そして「楔」止め
おそらく当時のままの釘。
梯子のような階段
天守の2階に上がれます。
曲がった材を組み合わせるのはむずかしいです。
武者窓 (むしゃまど) 。連子窓 (れんじまど)
おっ! キリンビールが!
さすが岡山!
御社壇 (ごしゃだん)
鯱瓦 (しゃちがわら)
頭は虎。体は魚。
神社の狛犬のように、阿 (口を開けてる) と吽 (口を閉じてる) 形で一対になっています。
「鴟尾 (しび。とびのお) 」が変化したものとも言われます。
「鴟」は「とび」と「ふくろう」の2つの意味があります(^_^;)
鬼瓦 (おにがわら)
平成の復元
かけつぎ
左がオリジナル。右が修復したあとです。
寄木細工かパズルのようです。
ピッタリだと入らないので、すき間を作ってはめ込み、最後にくさびを打ちこんでとめます。
蕪懸魚 (かぶらげぎょ) 。兎の毛通し (うのげどおし)
妻の拝みに取りつけられている装飾。
一対の鰭 (ひれ) を持つ。
平成13~15年の修理で取り替えられた。
江戸時代 (1683年) の創建材と考えられる。
懸魚も、鬼瓦とおなじように棟木や桁の先を隠すためのカバー 兼 飾りです。
火除の意味があり元は「魚」がぶら下げられていたので「懸魚」というらしいけど、魚がぶら下がっているのは見たことがありません=^^=
「蕪」は野菜の「カブ」のような形をしているからこう呼ばれるそうです。
とくに「唐破風」につけられる「懸魚」を「兎の毛通し (うのげどおし) 」といいます。
6枚の葉っぱのようなものは、ズバリ「六葉 (ろくよう) 」といいます(^^)
天守 唐破風板・裏甲 (てんしゅ からはふいた・うらこう)
南面唐破風屋根の芯材。
この上に漆喰が施される。
裏甲は、唐破風板の上に取りつけられる瓦座。
平成15年の解体修理で取り替えられた。
江戸時代 (1683年) の創建材と考えられる。
石落し (いしおとし)
狭間 (さま)
内側からは外がよく見え、外からは中が見にくいように工夫している。
囲炉裡 (いろり)
展望台から
展望台。入口
夕日に燃える展望台
説明書き
日没
高梁市街と高梁川が見えます。
肉眼では備中松山城が見えるんだけど写真ではわかりませんね。
ちょうど夕日が沈むあたりにお城が見えます。
展望台からもお城に歩いていけます。詳しくはこちら↓
天空の城「備中松山城 (裏口) 」雲海の展望台~大池~天守閣はこちら
案内看板
高梁(たかはし) と松山(まつやま)
ところで「高梁市」にあるのになんで「備中松山城」なの?もともとは「高橋」という地名だったんじゃよ。「高橋」兄弟が城を治めていたんじゃ。お兄さんが「大松山」。弟が「小松山」を。築城は「秋葉三郎重信(あきばさぶろうしげのぶ) 」という人です。
地名と名字がいっしょなのね!そうじゃ。ところがこの「高橋」さんが、城があった「大松山」「小松山」という山の名前から地名を「松山」に変えたんじゃ!せっかく自分の名前が地名になってるのに(^^)そのあと城主は何人も変わって、明治2年。また地名を「松山」から「高梁」に変えたんじゃ!なんで「梁」という字を使ったのかしらね?それはわしもわからん(^_^;)(高梁市産業観光課のパンフレット「備中松山城。城山ウォーキングマップ」より)
お城ランチ
高梁 (たかはし) 駅前の食堂。
プラスチック製のお城が三段の重箱になっていて、ご飯とおかずが入っています。
残念ながら、現在は「台湾料理屋」に変わっていました。 (2017年12月)