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「発達障害」「人はみな障害を持っている」
おじさんは発達障害が嫌いです。
ほかにもアスペルガー、多動性障害 (ADHD) 、新型うつ病、ダウン症など。
こう書くとすぐ噛みつく人がいるでしょうから断っておきます。
これらの障害そのものを否定するのではなくそれを取り巻く人やその扱いかたが問題です。
特別扱いです。
おじさん自身のことを言えば、潰瘍性大腸炎、食事依存性運動誘発アナフィラキシー、両感音性難聴など、障害者手帳はもらえないレベルだけど治らなくて生活に支障をきたす病気を山ほど抱えて60まで生きてきました。
だからこそ言えます。
病気に甘えるな!甘やかすな!
いやはや発達障害の人が最近とても多い。
増えたんでしょうか?
ちがいます。
発達障害という病名をつけられた人が増えただけです。
おじさんから言わせればただ成熟していない体だけ大人になった人です。
50、60にもなって発達障害はないだろう。
わたしは発達障害だからしかたないだろう、といってまるで幼児のように傍若無人にふるまい喚き散らしまわりの人をそれに従わせる。
おかしいだろう。
スーパーの床で仰向けになって「おもちゃ買ってえ」と泣き叫んでる幼児とおなじです。
むかしからいた
このような「病名」がつけられる前から、我儘な子、落ち着きのない子、協調性のない子、人の心を理解しない子などいました。
でもそれは病気ではなく、そういう性格・性質として団体行動が取れるように指導していきます。
授業中に立ち上がってウロウロすれば先生が注意します。
座らせます。
奇声を発する子もいました。
でもまわりがそのつど注意します。
犬といっしょです。
うるさく吠えても注意しなければ犬はいつまででも吠えつづけます。
自分が吠えたいときにいつでも吠えます。
飼い主がちゃんと躾ければ犬はまわりの状況を見るようになります。
病気として認定されなくても、病名がついていなくても、人間もそうやって団体生活を学んで大人になっていくんです。
まわりの扱いかた
ところが発達障害のような病名がつけられるにいたって、まわりが
「病気だからしかたないよね」
という扱いをするようになってしまいました。
奇声を発しても、ウロウロ歩き回っても注意しないでほったらかし。
当人は「これでいいのだ」と自覚するまでもなく、だれにも何も言われないのでいつでも自分の好きなときに自分の好きなことをやります。
病気は免罪符や水戸黄門の印籠ではない
「わたしは病気だから何をしてもいいのだ」ということはありません。
何をしても許されるわけもないし、あなただけが特別な権限を持っているわけでもありません。
ついでにあなたが末期ガンになったからといって、まわりの人がみんなあなたを哀れんで特別扱いしてくれるのが当たりまえという考えもまちがいですから。
たいていの人はやさしくしてくれるでしょう。
でもそれが当たりまえだと思うと、そうでない人は悪い人だという考えに陥ってしまいますから気をつけましょう。
他人はあなたの家来ではありません。
他人はあなたに興味はないし、あなたの世話をするために存在するのでもありません。
そうでないというなら、あなた自身は誰かの家来で誰かのために自分を犠牲にしてめんどう見ていますか?
してないですよね。
何をもって障害者というのか?
ダウン症は遺伝子の問題なのでもちろん本人にはどうしようもありません。
しかし、それはあくまで遺伝子の問題にかぎって言えば、ということです。
トリソミーという明らかにわかる、通常とはちがう遺伝子の状態ですが、染色体の数は正常でも遺伝子に書きこまれた設計図やプログラムは世界に1つしかなく人それぞれ、千差万別です。
それは体の大きさや、化学的な反応 (アレルギーなど) など様々な人間を作り出します。
もちろん人間だけではありません。
生命はこの多様性によって絶滅を逃れ生き延びてきました。
もしみんなおなじ遺伝子を持っていたら、ある条件のときに一斉に死んで滅びてしまいますから。
人はみな何かしらの障害 (ハンデ) を負っている
障害者手帳を持っていなくても、目に見える障害がなくても、人はみな何かしらの障害を持っています。
1人としておなじ人間はいない。
体の大きさも、筋力も、脳力もちがいます。
体が小さいのは障害とはいえないのか?
これはおじさん自身の経験ですが、おじさんは特別小さいわけじゃないけどいつもクラスで一番前でした😄
前ならえは腰に手を当てる役。
ほかの人が何もつかわずに棚のものを取れるのに、おじさんは踏み台をつかわないと取れません。
かけっこをすればいつもビリ。
サッカーをしても追いかけるばかりで1回もボールに触れない子ども。
野球をしてもボールはあまり遠くまで投げられません。
バットは自分の身長と体重に比べて重いので振るのがむずかしくいつも空振り。
これは障害とは言えないのでしょうか?
冗談ではないですよ。
小人病あるいは肉体的発達障害とでも名付けましょうか😄
障害者かどうかの仕分けはじつはこんなもんです。
その程度によりますが。
たとえば片手がない人はだれが見ても障害者だと思うでしょう。
片手で何かをする姿を見れば、「不便だな」「大変だな」とわかるけど、両手があってもすこし動かすのに支障があるとか、平均的なサイズよりすこし短いとか小さいとかいうことはかならずハンデになります。
他人から見るとわからないだけです。
たとえば平均的な人は片手で持てるものを、手がすこしだけ小さい人は両手をつかわないと持てません。
平均的な人は1度に2コのものを持って運べるけど、手が小さい人は両手をつかわなければならないので1度に1コのものしか運べません。
空気が読めない
アスペルガーの人は空気が読めず決まった手順でやらないと混乱するといいます。
アスペルガーという診断をされていなくてもそういう人はむかしからいたし今もいます。
アスペルガーだからまわりがめんどう見てあげるのではなく、アスペルガーの名前がついていようがついていまいが、人間は社会で生活していかなければならないので、そこは天性の性質や性格や能力ではなく、後天的に訓練すべきです。
感覚的にはわからなくても訓練したり勉強したりすることで、こういうことは人に言ってはいけないとか、してはいけないとかいうことは学ぶことができます。
それをしないでアスペルガーだからしかたないよね、と放置されればその人は一生そのままです。
ダウン症
知り合いにダウン症の子がいましたが、やはりまわりが腫れ物にでも触るか、あるいはなるべく関わり合いにならないようにしているのは見え見えで、こういう社会やまわりの反応がより障害者を障害者たらしめる要因だと思います。
ダウン症の子がほかの子に砂をかけていましたが、かけられたほうは先生に言われているのか何も言わずにされるがままでした。
おじさんはたまたま見かけたので注意しました。
べつにダウン症でなくても子どもはそういうことをするもんです。
ダウン症だから言ってもしょうがないよね、という対応が問題だと思います。
ふつうの子でもすることを注意しなければ、ダウン症の子は「これでいいのだ」ということしか学びません。
もちろんそんなことも意識しません。
自分は何をしても何を言っても文句を言われることがない。
幼児のまま未成熟のまま体だけ大人になっていきます。
新型うつ病
まあおじさんも非道い親のもとで育てられて?調教されて?鬱病の気があるけどこれは理解できません。
精神科、心療内科に行ったこともあるけど、元気が出る薬?と睡眠薬を処方されただけでまったく話になりませんでした。
おじさんが会った会社の同僚は月曜から土曜まで会社を休んで、日曜日には地域のマラソン大会に出場してまたその翌日の月曜から土曜まで休む。
こればかりは怠け病と言わざるをえません。
おじさんが心を病んだときは心だけでなく体重も減り、肌はガサガサ、顔は土気色でまさに生ける屍でしたが、こいつは筋肉隆々で肌の艶もすこぶるよかったです。
鬱病というのは「もともと好きだったことさえやる気がなくなってしまう」ものです。
けっきょくそれで生きていけるのは親に食べさせてもらっているからです。
おじさんは心も体もボロボロでも自分1人の力で生きなければならなかったので這いつくばるようにして仕事をして生き延びました。
毎日、自殺したいと思いながら。
新型うつ病は贅沢病、怠け病以外の何ものでもない。
そんな病名をつくるな!
その遺伝子と体質と能力と性格をもって生きていかなければならない
生まれたときから何でもできる人はいない
生まれたときから成熟した大人とおなじことができる人はいません。
みんなすこしずつ言葉を覚え、体の運動能力を磨いて、自分で立って歩けるようになるんです。
もし大変そうだからといって赤ん坊をずっと寝かせたままや歩行器に座らせたままにしておけば、この人は一生歩けなくなってしまいます。
その体で生きる方法を学べ
自分で親と遺伝子を選ぶことはできません。
あなたがこの世に生まれたことじたい奇跡ですが、あなたがどんな親に育てられ、どんな遺伝子を持って生きていくかは神のみぞ知る、です。
あなたは今生に生まれた以上、その体と心で生きて行くしかありません。
車のようにもっと高性能の車に乗り換えることはできないんです。
おじさんは乗り換えたいですけどね😄
車ではなくこのオンボロな体を。
乗り換えることはできないので、背が低い人は踏み台をつかうしかない。
でも踏み台をつかえば物が取れるじゃないですか。
手が小さい人はいっぺんにたくさんのものが持てないから、すこしずつ何度も運ぶことになる。
でも人より回数は増えるけど運ぶことはできます。
しょせん比較の問題
おじさんの場合、高校からずっと165cmで、25歳を過ぎると縮みはじめるというからいまは163cmくらいになっているかもしれないけど、もしコビトの世界に行けばおじさんは巨人で力持ちかもしれません。
すべては比較の問題で、誰と、何と比べるかで変わってしまいます。
でも、おじさん自身の大きさや能力が変わるわけではありません。
180cmの彼も、3mの巨人国に行けばチビです😄
おじさんはときどき手がもう1本、いや4本8本あったらいいのにと思うことがあります。
でも手は2本、体は1つしかありません。
いっぺんに持てる量にはかぎりがあります。
だからもし手が1本しかない人が2本ある人を羨ましいと思っても、じつはそれも比較にしか過ぎません。
まったく手がない人に比べれば1本あるだけでぜんぜんちがう。
手が2本というのは平均的な人間であるけど、絶対標準ではありません。
もし手が4本ある種族の中だったら「手が2本しかないかわいそうな障害者」というレッテルを貼られていたでしょう。
できることしかできない
だれでも与えられたこの体と心でできることしかできません。
できないことはできません。
でも何も努力しなければできるはずのこともできなくなってしまう。
その体と心なりに努力する
病名なんかどうでもいいです。
与えられた体と心でできることをやりましょう。
「わたしは『〇〇病』だからできなくて当たりまえなんだ」と威張っていてもいいですが自分が損するだけです。
弱者保護でなく弱者優遇の社会はおかしい
近年つぎつぎと新しい病名が発表されていきますが、病気が増えたのではなく名前がつけられただけです。
新種が発見されたのではなく、前からいたけど名前がなかっただけ。
べつに病気に名前をつけなくてもいいです。
ただの未成熟や人と話をするのが苦手だというだけの人が、病名をつけられて特別扱いされます。
会社はアナウンスすべき
障害者の雇用義務と補助金
従業員を43.5人以上雇っている会社は障害者を1人以上雇わなければなりません。 (厚生労働省)
43.5人て何だよ😄
ほんとお役所仕事だな。
自分で書いてておかしいと思わんのか。
障害者を雇うと補助金がもらえます。
黙っている
しかし会社はだれが障害者か全社員に知らせません。
また個人情報だの個人の気持ちに配慮してるだの言うんだろうけど、言わなくても「この人はおかしい」というのはすぐわかってしまいます。
障害者手帳を持っているかどうかはどうでもよく、平均的な人とちがう言動をすればその人は煙たがられます。
通路にわざと立って人が通るのを邪魔して満足しているようなチンピラも障害者です。
何をもって「ふつう」というのかは「平均的」「多数派」ということでしかないけどめんどうなので「ふつう」という言葉をつかいます。
おじさんは難病を患ってるので「ふつう」じゃありません😄
障害者とわかっていればまた対応がちがう
全社員にあらかじめこの人は障害者であるということを知らせておけば、「ああ障害者だからこういう反応や行動をするんだ」とあるていど理解も得られます。
もちろんそんなの関係ねぇという人もいます。
人それぞれなので、障害者にやさしくない人を悪いということもできません。
しかし知らされていないと
「何でこんなことわかんないんだよ!」とか
「ふつうの人ならこんなことしないだろ!」
というように反感や怒りを買ってしまいます。
みんなが障害者に理解はないだろうし、それを強制するのもまたおかしいです。
特定の人 (つまり障害者) に特別な権利を与えるのはおかしいんです。
まあブラック企業ほど補助金目当てだけに障害者を雇いあとはほったらかし。
ふつうに働いている人が割りを食い、障害者もいられなくなってやめてしまいます。
ほんとの平等って何?
平等とはみんなにおなじ対応をし、おなじ機会を与えるということで、特定の人に特別な権利や優遇措置を与えるのは「不公平」にほかなりません。
障害者かどうかは関係なく、会社では「会社に必要な能力があり、会社の利益に貢献すること」が雇うかどうかの決め手です。
「わたしコンピュータのことまったくわからないんだけど、ここで働きたいです」
といってもコンピュータの会社はこの人を雇いませんよね。
当たりまえです。
これは差別ですか?
いいえ、ちがいます。
企業は自ら利益を産み出さないと持続できないんです。
国民の血税を湯水の如くつかう役人とは訳がちがいます。
会社に必要な能力がない人が雇われないのは障害者かどうかは関係ありません。
かりに片手がない人でもプログラミングが抜群であれば雇うでしょう。
多少、人とのコミュニケーションが苦手でも、だれにも真似できないデザインを産み出す人は創造的な仕事をする分野で活躍できます。
むすび
ということで要するに障害者というレッテルには何の意味もなくて、その人がその人の持ってる能力を活かし、慢心することなく、つねに仕事に必要な能力を磨き、また人付き合いが苦手でも人とやり取りをしなければならない環境にいるならその能力も磨くことが必要です。
そうでないなら無人島で1人で暮らしてください。
潰瘍性大腸炎は17万人もいるのに理解がないなあ。