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People pleaser は Parents pleaser ~ 人に嫌われろ!

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「people pleaser」「parents pleaser」「親の呪い」「自分を幸せにすることに全力を尽くせ

「人に嫌われろ」

いきなりドキッとする文句ですが、これはあとで説明します。
だから希望の言葉をもう1つ書いておきます。

「自分を幸せにすることに全力を尽くせ」

People pleaser は Parents pleaser

people pleaser は直訳すると
「人を喜ばせる人」

なんかいい意味みたいだけどちがいます。
そのこと自体はけっして悪いことではないんだけど、問題は自分の気持ちや考え、都合をすべて殺して他人に尽くす奴隷のことです。
自分の人生を棒に振ってしまいます。
ドブに捨てると言ってもいい。
さらに言えば、「生きながら死んでいる」状態です。

これがいいことでないということは日の目を見るより明らかです。

だから people pleaser の意味はこういうことです。

「人に気に入られることでしか自分の価値を感じられない人」
「人に嫌われたら自分の価値はなくなるだけではなく、生きていけないと思う人」
「だから人に嫌われることはとても怖いことだと信じている人」
「人に嫌われることは悪いことだと思う人」
「そのためにいつも他人の顔色を窺い、他人の意向だけを全力で感じ取ろうとし、自分の気持ちや考え、都合などすべて捨てて、他人の気持ち・考え・意向だけを最優先して一生を過ごす人」
「もし複数の他人がちがう意見を持っていたらそのすべてを満たすことはできないので地獄に陥る人」
「相手が白といえば自分も白といい、相手が黒といえば自分も黒という。昨日、白だったのに今日は黒だと言われればそれに突っ込むこともなく自分も黒だという」
「他人の気持ちや考えを映す鏡といってもいい」
「だから相手に嫌われることはなくても気に入られることもない」
「そればかりか、現代風に言えばうまく空気を読んで相手の逆鱗に触れないようにしているので、相手はあなたの存在すら気がついていない」
「それこそ悪い意味での空気のような存在」
「いてもいなくてもどうでもいい人」
「あなたはいつも相手のことだけ考えて相手のためだけに尽力してきたのに、相手に気に入られるどころか、相手はあなたの存在さえ気がついていない」
「ずるい人たちはあなたのその性格を利用するだけ利用して、必要なくなったら捨てる。でも完全に捨てるわけではなくて、使いたいときにだけまた呼び出す。魔法のランプの精のように」

親が無条件にあなたを受け入れなかった

あなたが people pleaser になったわけ

さて people pleaser になるにはそれなりの理由があります。
生まれつきということはないでしょう。
あなたがあなたのままで受け入れられていたなら、あなたは他人の気に入るような訓練をして無意識にそれをするようになることはありえないから。

人はほんらい自分がいちばんかわいいはずです。
その自分をいっさい犠牲にして他人の奴隷になるなんてありえません。
ふつうなら。

ふつうでない親

しかしあなたの親はふつうではありませんでした。

幼稚な大人

あなたの親は幼稚で精神未発達で我儘でした。
かれらは職場でも、地域社会でも、尊敬されることもなく慕われることもありませんでした。

世間では認められないので力も立場も弱い子どもに八つ当たりする

あなたはただのサンドバッグです。
親はあなたを1ミリも愛していない。
憂さ晴らしの道具です。

力も弱いし、立場も弱いのでやりたい放題です。
子どもは善悪や社会全体の考えなど理解していない白紙の状態で生まれてくるので、生まれた親のいいなりです。
嫌なことでも親が言えば絶対です。
理不尽に叩かれようが親が絶対です。

子どもが泣いたら「泣くな!」と言ってまた叩く。
子どもが何か言えば「口答えするな!」「だってでもじゃない!」「屁理屈を言うな!」という。
おまえが屁理屈言うな!

子どもは親に食べさせてもらわないと生きていけない

子どもは親に食べさせてもらわないと生きていけません。
それどころか生まれたばかりでは床に寝転がっているだけで自分で動くことさえできません。

親が我儘を通すのにいちばんいい方法は「食事を抜く」ことです。
これほど卑怯な手はありません。
それから家に入れないことです。
締め出しですね。

子どもはどんな理不尽な親の言うことにも従いますが、それは、自分が悪いことをしたからではなく、そうしないとご飯が食べられないからにすぎません。
そうしないと家に入れてもらえないからにすぎません。

親に気に入られることが生きる術

こうして子どもが日々学習するのは、物の善悪や道理ではなく、ただひたすら「親に気に入られる」にはどうすればいいかだけです。
何をしたら、親は気に入り、何をしたら、親は気に入らないのか?

じっさいには親はあなたが何をしても気に入りません。
とにかくいちゃもんをつけてあなたを罵り、叩きます。
理由なんかありません。
道理もありません。

親の憂さ晴らし、八つ当たりだから。
サンドバッグは何もしなくても殴られるのです。

その中でもできるだけ親の意向に気を使いそれに沿うように日々努力します。

親の身勝手な欲望を満たしたときだけ受け入れられた

善悪でも道理でもなく、ましてや人として生きていくのに大事なことではなく、ただひたすら親の我儘を満たしたときだけ親に受け入れられました。
もちろんそれは愛ではありません。
かれらは強欲なので、あなたが気に入るように動くのが当たりまえで、そうでないと烈火の如く怒ります。
そして、たとえ100%望みどおりに動いたときでさえ、親の機嫌で叩かれます。

これが理不尽でなくて何でしょうか?

親には愛されたいというごく自然な望み

これは理屈ではなく子どもがとうぜん持っている感覚です。
気に入られないと生きていけないとかいうことではなくても。

だからこんな偏執的な親でなくても子どもは親の顔色を窺うものです。
そして愛されたい、ほめられたい。

自然な感情です。
じっさい子どもは親や大人の言うことをよく聞いていて、行動もじつによく見ています。

親に愛されたいという気持ちのせいで状況を客観的に見ることができず、理不尽な要求でも親に従い、自分を殺す原因にもなります。

自分の考えや望みは捨てていく

こうして自分の考えや、感情や、何がやりたいかということはすべて心の奥底にしまっていきます。
自分でもわからなくなります。

親の欲望には一貫性がなく、昨日は白だと言い、今日は黒だと言い、明日は赤だと言います。

親が機嫌がいいときはあなたもニコニコしていなければなりません。
たとえどんな辛いことがあっても。
親が悲しそうな顔をしているときには、たとえあなたにいいことがあってもけっして笑ってはいけません。

あなたは1人の人間ではなく親の心を映す鏡、そして親の願いを叶える道具、そして親の憂さ晴らしのためのサンドバッグだから。

あなたはこうして親の家に住まわせていただき、食事を与えられる奴隷として完璧になっていくのです。

人に気に入られないと生きていけないと思うようになる

学校でもクラスメイトに対してそのように振る舞うようになります。
ほんとの友だちはできないし、いわゆるパシリになります。

成人して運良く家を出て、つまり親と別居するようになれば改善されるかというとそうでもないんです。
なぜなら、親の気に入るように日々努力してきたのは自分の意志でもなく、明確な考えでもないからです。
無意識にそうするように洗脳されています。
プログラムされているといったほうがいいか。

そして学校での人間関係がそのまま会社の人間関係に変わるだけのことです。
あなたは会社でも家や学校でやっていたこととおなじことをします。
そう、すべての人の奴隷として認めてもらうためだけにあなたの労力と時間をすべて費やします。

これがもしふつうに暮らして大人になった人が、戦争などで捕虜になって無理難題をふっかけられ理不尽な扱いをされるのなら、とうぜん相手に対して反感や怒り、憎しみを持ち、生き延びるためだけにしかたなく相手に従うという意識があるのですが、生まれたときから奴隷として育てられるとすべての自分の反応や行動は無意識に行われます。
自分が「親の気に入るように」動いていることは自分ではわからないのです。

なぜなら親はそれを道徳とか、常識とか、美徳とかいう言葉で巧妙に騙してきたからです。

あなたは親の気に入るように動いているのではなく、それを道徳としてやっていると信じています。
いや信じこまされています。

親のためにやっているのではなく、そうするのが道徳だから。
そうするのが常識だから。
そうするのが当たりまえだから。
そうするのが人間として美しいことだから。

だからたとえ親元を離れても、世の中すべての人に対して、親とおなじように接します。
いつも自分は捨てて、他人の顔色とご意向だけを窺っている。

人の不機嫌や怒り、悲しみはすべて自分のせいだと思う。
知り合いだけでなく、町行く通りすがりの人さえも。

何か問題が起きれば悪いのはすべて自分。
すべて自分に原因があると思ってしまいます。
いつも親が正しく、いつも自分が間違っていると言われつづけてきたから。
そのように親に調教されてきたから。
プログラムされてきたから。
そして、そのことに自分は気づいていないから。

そして経済的には独立しても、人に気に入られないと生きていけないと感じてしまうのです。

人に嫌われることがとてもこわいです。
人に嫌われるくらいなら、自分なんかどうでもいい、いなくなってもいいとさえ思っています。

だからいつもすべて人を優先し、自分の考えや感情や望みなど1ミリもはいる隙はないのです。
そんなものはとうの昔に埋葬してしまいました。

犠牲になってもだれもほめてくれない、尊敬してくれない

おじさんはドラマにあるように、人の不始末を自分のせいにしてかばうこともよくありました。

でも、それでかばった相手がおじさんのことを好きになるかというと、とんでもない。
バカにされるだけです。
なめられるだけです。

親方もおじさんがかばったことに気づかない凡人です。

かばった相手がおじさんを尊敬したり、好きになったり、親方がおじさんを褒めたりするのは、ドラマの中だけです。
現実世界ではバカにされるだけです。

被害妄想と加害妄想

被害妄想と加害妄想はじつはおなじものです。

みんな自分を責めていると思ってしまう (被害妄想)

親はいつもあなたを責めました。
何をしても何もしなくても。

だから世の中の人もみんな自分を責めていると感じてしまいます。
自分の至らなさにみんな立腹していると思ってしまいます。
自分がどんなに他人の顔色を窺い、ご意向を窺い、そのように言動してるつもりでも。
けっして自分に自信が持てません。

だって親はけっしてあなたを認めなかったから。

自分はみんなに不愉快な思いをさせていると思ってしまう (加害妄想)

根幹は被害妄想とまったくおなじです。

おなじ理由で、あなたはどんなに人に親切にしても善意を尽くしても、人を傷つけ、人に不愉快な思いをさせていると思ってしまいます。

だって親はいつもあなたにそう言ってたから。
親はいつも「お前のせいでわたしは不愉快だ」「お前のせいでわたしは不機嫌なのだ」「いつもすべてお前が悪いのだ」と言ってたから。

人といるのが苦痛

そりゃそうでしょう。

あなたは人といるかぎり、いつも他人の顔色とご意向を窺い、何をしても何もしなくても、相手を傷つけていると思い、また相手に責められていると感じるのだから。
これほどの苦痛はありません。

あなたと縁もゆかりもない人さえあなたを責めていると感じるのだから。

people pleaser は parents pleaser

これがそのゆえんです。

あなたは生まれつき人の犠牲になり、他人の奴隷として生まれたわけではありません。
そのように行動しないと親に受け入れられず、家に入れてもらえず、食事も与えられなかったからです。

捻じ曲げられた怒りと憎しみ

本心ではあなたは親を憎んでいます。
当たりまえです。
人間としてのとうぜんの権利を認められず、道理も無視して親の機嫌でサンドバッグとして叩かれてきたのだから。

ただ上にも書いたとおり、物の道理がわかってからそうされるのと、何も知らない白紙の状態からそのように仕立て上げられるのではまったくちがいます。

あなたは親に憎しみを持つことは道徳に反するとプログラムされて、ロボットのようにそれを拒否するようにセットされています。

親に怒りや憎しみが湧くと、必死でそれを隠そうとし、抑圧します。
完全に消すことはできません。
なぜなら理不尽で不条理なことだから、冷静に頭で考えて処理して結果を出すことができないからです。
そりゃそうでしょう。
親には正しい理屈も道理もへったくれもないんだから。

こうしてきちんと処理できないまま親に対する怒りと憎しみにフタをします。
それは自然に消滅することはなく、ただただ積もっていきます。

そして、消せない怒りや憎しみを自分に向けるようになります。
消すこともできず、親に向けることもできないのなら自分に向けるしかない。

もちろんこれはまちがったやりかたです。
でも家にいさせてもらい、食事を与えてもらうにはこうするしかないんです。

親に対する憎しみは自分の生存にとって好ましくない感情なので抑圧します。

親を殺すか自分が死ぬか

ある日、この憎しみが限界に達すると、一気に親に対して爆発して親を殺す悲劇が起こります。
親に逆らうことは自分の死を意味するんだけど、もう死んでもいいと思っています。
もちろんそのことさえ意識はしていません。

外側に爆発せずに内側に爆縮すると、自分で自分を殺します。
つまり自殺です。

親を殺して自分も死ぬという可能性もあります。
よくありますよね。
けっしてめずらしいことではありません。

おじさんは大学3年になって将来について考えなければならなくなったときに、絶望的に何をしていいかわからなくなって引きこもりになっていました。
当たりまえじゃないですか。
ひたすら親の望みだけを考えて生きてきて、自分がどうしたいとか、何をしたいとか考えたことがない。
いや、自分がどうしたいか考えるなんて言語道断。
自分が何をしたいかがわからないのもそうだけど、親を喜ばせることで自分にできることが何もないということに気づいたんです。

そのおじさんに親が言います。
「将来何がしたいの?」
「何がやりたいの?」
「何になりたいの?」

ヘドが出そうです。
お前が聞くな!

怪我の功名?

まあ必然といえば必然だけど、自分に何の望みも動機もないのに受験勉強に精が出るわけがない。
おじさんは高校までは100点取って当たりまえ。
90点だと怒られる成績だったので、自分のやりたいことをやっていればけっこういい人生が送れていたのではないかと思います。

しかし、親は元よりおじさんの気持ちや望みなどまったく頭の片隅にもなく、隣近所、親類縁者に自慢できる有名大学にはいって、有名ブランド企業にはいるか、ノーベル賞を取るような「えらい」学者になることしか頭にないので、おじさんの意志に関係なく東工大を受け、滑り止めに武蔵工業大学を受けさせられました。
武蔵工業大学の方、申し訳ありません。
武蔵工業大学は滑り止めではなくハイレベルの大学でした。
そんなこともおじさんは知りませんでした。
それから早稲田、慶応。

ふざけんな。

けっきょく全部落ちて、鬼の形相で「がっかりした!楽しみにしてたのに!」と、この家にいる権利を剥奪されながら浪人生活に突入。

でも東工大にはいれなくてよかったです。
そのおかげで自分の意志に関わらず「親の期待を裏切る結果」となりましたから。
こうしておじさんは自分の意志で行動するまでもなく、必然的に親の敷いたレールから外れることになりました。

おじさんは総理大臣にもなれないしなりたくもないし、ノーベル賞を取るような科学者にもなれない。
「人の上に立てる人になれ」といいながら、おじさんを奴隷として扱う。
ああ理不尽なんてもんじゃない。
どうすればいいんだ?

遅ればせながら親との軋轢が生まれて、親がさらにおじさんに辛く当たるようになっていきました。
そのうち親に殺されるのではないかと本気で思っていました。

ちょうどこの時期、金属バットで親を殴り殺す事件が発生して世間は大騒ぎでした。
おじさんは身につまされる思いで、今でもその人の名前を覚えています。

うちとはちがい両親と兄が一流大学出で自分だけ落ちこぼれ。
一流大学に行けないやつは人間じゃないくらいの両親で、ついに殺したんですね。
けっして理性を失ったのではない証拠に、自分にやさしくしてくれていた、祖母と妹は殺さなかったんです。
おじさんにはその気持ち、とてもよくわかります。

離れろ

おじさんは第4の選択肢を取りました。
親と戦うのではなく、親から離れることです。
親を殺すのでもなく、自分を殺すのでもなく、ただ黙って離れる。

これもまだ自活できるだけの能力がない幼少のときにはできません。
家を出ることは死を意味するから。
そのためにどんな理不尽な要求も飲んで、自分を殺してきたんだから。

おじさんは有り体に言えば、何も言わずに家出しました。
出家したといえばかっこいいんだけど。
この人たちには何を言ってもムダだとようやく気づいたんです。
しかし、意気揚々ではなく、それこそ青白い顔で、これから先どうやって生きていくのか何も望みがない状態でしたが。
それでも家にいてどちらがどちらかを殺すようなことにはなりたくないと、わずかばかり残っている自分の脳みそで考えて出たんです。

頼る人はだれもいませんでした。
ほかの家族も味方ではなかったから。

親戚や友人などの付きあいもあまりなく、おそらく祖父のところに転がりこんでも、こちらの言うことには耳を貸さず、すぐ家に追い返されただろうから。
今思うと1人だけおじさんのおじさん (まぎわらしい) が味方になってくれたかもしれないと思うけど、そもそも人に迷惑をかけることや、人を頼りにすることなんて、people pleaser には論外です。

だれにも頼らず、だれにも迷惑をかけず、それどころか他人のために自分を犠牲にして尽くさなければならないようにプログラムされているのだから。

人に嫌われろ

ここからは people pleaser を脱出する方法です。

人に嫌われろ。でも自分には嫌われるな。自分を嫌うな

言うまでもありませんが、人にケンカをふっかけたり、罵詈雑言を浴びせろということではありません。

ただそこここで言われたり、書かれたりしているように
「人に嫌われることを恐れるな」なんてセリフは甘っちょろいんです。

ずっと人に嫌われることをもっとも恐れ、ひたすら人の顔色を窺って自分を殺して生きてきた人に、「恐れるな」なんてセリフは効果がありません。

「ありのまま」とか
「自分らしく」とか
「自分は自分。人は人」なんて言葉では無意識に自分を守ろうとする行動をしてしまいます。
じっさいには自分を守るのではなく、自分を殺す行為なんだけど。

だから
「人に嫌われろ」
と書いたんです。

それくらいの覚悟がないと今までの自分は変えられません。
安心してください。
今まで人の奴隷として生きてきたあなたが今日からとつぜん傍若無人に振る舞う悪漢にはぜったいなれないので。

「人に嫌われろ」くらいでちょうどいいんです。

しょせん比較の問題だけど、
「人に嫌われるのが当たりまえ」という前提で人と接すれば、それこそ相手が何を言おうと、どんな表情や反応をしようとまったく怖くありません。
予想どおりじゃん。

最初から嫌われるつもりだから、嫌われて当たりまえ。
かりにあなたの言動でだれかの表情が変わったり、不機嫌になったりしても、それは予想どおり。
だから平気。
気に入られる必要など微塵もない。

親への憎しみを自分への憎しみにすり替えて自分を憎み、嫌うなんて愚の骨頂。

あなたの親は幼稚な極悪人だった

このことをよ~く肝に命じてください。

あなたは1ミリも愛されてなかった。
悲しいことだけどそれを受け入れてください。
あなたの親ではなく、愛されてなかったという事実を。

あなたに植えつけられた「親に悪い」という感覚は親に埋めこまれた巧妙なというか狡猾なプログラムです。
あなたはすこしも悪くありません。
悪いのは親です。
あなたをサンドバッグにした親です。

それでも餌を与えられたというなら、あなたの親に問うてみるといい。
「あなたはあなたの親 (つまりあなたの祖父母) に感謝していますか?」

Noです。
得てして自分の子どもに辛く当たり、親は尊敬するものだなどというやつにかぎって自分の親は尊敬していません。
じっさいおじさんの親はいつも自分の親 (つまり祖父母) のことを悪く言っていました。

祖父母だけでなく兄弟 (おじ、おば) 、近所の人、まったく無縁の世間の人たちなどとにかくありとあらゆる人の悪口を言ってました。

人に気に入られなくても生きていける

世の中には変なやつ、意地悪なやつが大勢いるけどみんな生きてます。

憎まれっ子世に憚るなんてえ言葉もあります。

むしろ嫌われ者のほうが幅を利かしているんです。
もちろんあなたがわざわざ嫌われ者になる必要はありません。

でも人に気に入られなくても、友だちがいなくても、恋人がいなくても生きていけます。
とくに今の世の中は村社会とはちがうので、1人でもまったく問題ありません。
ていうかそういう人のほうが多いんですよ。
心配しなくてもあなただけが1人じゃありません。

まあグループで群れてる連中も目にするけど、かれらは1人が不安なだけでけっして仲良しではありません。
かれらはグループの中で嫌われないように相手の様子を窺っているんです。
ほんとの親切ややさしさではないから、そのグループの権力者のご機嫌を窺っているだけです。
そしてだれかを仲間外れにしたり意地悪したりします。

そんなグループにはいる必要はありません。
それどころかそんなグループにはいれば、やっと親から離れたのに、また親に対してやったのとおなじように、people pleaser を繰り返すことになります。
だれかの奴隷に成り下がるんです。

人に嫌われても生きていけるけど、自分が自分に嫌われると生きていけません。
自殺するしかありません。
物理的に死ななくても、すでにあなたは死んでいます。
生ける屍。
ただ飯を食って、息をしてるだけの物体です。

けっきょく people pleaser はだれにも愛されない

あなたはもういやというほど経験してると思うけど、あなたがどれだけ自分を殺し、親に尽くしてきても、親は1ミリもあなたを愛さなかったということをだれよりも知っています。

親だけじゃありません。

people pleaser は
「ただのいい人」
「都合のいい人」いや
「都合のいい便利な道具」
にすぎません。

都合のいいときに利用するけど、だれもあなたのことが好きじゃありません。
だから people pleaser をやっていても、友だちも恋人もできません。

友だち風な人がいるかもしれないけど、それはあなたを道具として利用したいだけの人で友だちではありません。

気をつけてください。

あなたが友だちの誘いや頼みを断ったときに「そんなこと言ってると友だちいなくなるよ」などと言ってあなたを脅し、あなたを奴隷にしようとする人は100%友だちではありません。
そんな友だちもどきとは今すぐ別れなさい。

かれは便利な道具を手元に置いときたいからそういうだけです。

ほんとの友だちや恋人は、あなたがあなたでいるだけで、あなたのことが好きです。

八方美人は八方不美人 ~ すべての人を満足させることはできない

犬が嫌いな人は、犬だから嫌い

犬が嫌いな人は、犬が何かをするからでも、何かをしないからでもなく、ただ犬が嫌いなんです。
そんな人に尻尾を振るのはやめましょう。

それはあなたのせいではなく、彼の好みの問題です。

べつのたとえをするなら、カレーが嫌いな人にいくらあの手この手で味付けを変えて、食べさせようとしても彼は食べません。
あなたの努力が足りないのではなく、彼はカレーが嫌いなんです。

依存心の寄生虫に気をつけろ!

あなたはマインドコントロールで親に依存するようにプログラムされました。
そうでなくても無力な子どもは親に頼るしかないんだけど。

しかしほんとに依存してるのはじつは親のほうです。
親が自分の慰み物にするためにあなたを調教しました。
ことさらに親がいないとあなたは生きていけないかのように洗脳しました。

おじさんもよく言われました。
渡る世間は鬼ばかり。
この家だけが平和なのだと。

とんでもない。
世間の人はほとんどおじさんに無関心だけど、家にいるよりはましでした。
自分から寄っていかなければ向こうからやってきて、おじさんに罵詈雑言を浴びせたり、殴ったりする人間はいませんでした。

世の中には少なからずこの寄生虫がいます。

困ったちゃんには近寄るな!

だいたい会社などの組織や何らかのグループで、いい大人なのに「〇〇ちゃん」と「ちゃん付け」で呼ばれている人がいます。
これは大方、困ったちゃんです。
あなたがもし成熟した大人なら「〇〇ちゃん」と呼ばれてうれしいですか?

困ったちゃんは「〇〇ちゃん」と呼ばれてご満悦です。
まわりの人間がかれを「〇〇ちゃん」と呼ぶのは、人気者だからではなく困ったちゃんだからです。
何かにつけガキのように我儘を言い、駄々をこねる。
頭ごなしに叱っても床を転げ回るだけでめんどうなので、テキトーにあしらってるだけです。

不機嫌という餌に食いつくカモを待っている

困ったちゃんはあなたの親とちがって生まれながらにしてあなたと関係があるわけではないけど、あなたの親とおなじ依存心の権化です。

取りつく相手をいつも探しています。
そして依存心に操られやすい人間に対してとても鼻が利きます。

やつらの戦略

方法はわかってしまえば単純だけど、あなたのように依存心の悪魔にコントロールされてきた人にはわからずまんまと罠にはまってしまいます。

やつらは直接あなたに命令する代わりに不機嫌という武器をつかいます。

不機嫌はあなたのせいではない。相手にするな

やつらの戦略とその回避方法

何も問題がなくても、自分の我儘や欲望を叶えたいときにやつらは「不機嫌」な態度をつかいます。

たとえばお腹が空いたら、自分で作るか、食べに行くか、食べものを買ってくるということをせずに大声で

「ああ、お腹空いた。これじゃ仕事なんかやってらんないよ」

と叫びます。

あるいは

「だれか食べるもの買ってきてくんないかなあ」

と叫びます。

無視。できるだけ離れる

無視してください。
これがやつらのやり口です。
今までのあなたはこういう人にすぐ寄って行ってこう言ったでしょう。

「お腹空いてるんですか?何か買ってきましょうか?」

(来た!いいカモ!)

まんまとやつらの罠にはまってしまっていました。
1度カモを見つけるとやつらは徹底的にあなたにまとわりつきます。
こんないいカモぜったい手放すもんか。
あなたの親はあなたが子どもでまだ自活できないということと、親という立場を利用してあなたをカモにしていたけど、世の中の寄生虫はあなたとは無関係なので無視してください。

あなたは「だれか」ではありません。
仮にあなたを名指ししたとしても無視してください。

だいたいこういうやつらはジャイアンとちがって弱虫なので、直接名指ししたり、強い命令をすることはありません。
向こうから寄ってくるのを待ってます。
だれかが反応するのを待っています。

反応してはいけません。
顔色を変えてもいけません。
できるならそいつらとはできるだけ離れていましょう。

こういう困ったちゃんは無視すれば取り憑かれることはありません。
もしそれでもあなたにしつこく要求するならこう言ってやりなさい。

「なんで私があなたの食べものを買ってこなきゃいけないの?」

あるいは

「なんで私があなたのお腹の面倒を見なきゃいけないの?」

たちが悪いのは会社の上司などです。
あなたとはたまたまこの会社に居合わせただけだけど、会社組織という中で立場上無視することができません。

でもできるだけ近寄らないようにしてください。
できるだけ離れていてください。
直接あなたに命令したのでなければ、彼が泣き喚いていても無視してください。

大きな我儘なガキです。
手に負えません。
そしてただのガキではなく寄生虫です。
近寄って声をかけたとたんあなたに飛びついて一生食らいついて離れません。

また言います。

「人に嫌われろ」

あなたの「人に嫌われたくない」「人に嫌われたら生きていけない」という考えや気持ちに依存心の寄生虫は寄ってきます。

じっさいこんな困ったちゃんやクズの上司はいなくてもあなたは生きていけます。
ていうか邪魔以外の何物でもありません。
害毒でしかありません。

相手にすると絡まれるのでとにかく無視。
離れること。

上司だと直接呼ばれたら無視する訳にはいかないかもしれないけど、最初は聞こえないふり。
それでも呼び続けたなら話は聞くけど、理不尽な要求ならたとえ上司でも断りなさい。
たとえば休みの日に無給で引越しの手伝いを頼まれたりしたら。

そこは臨機応変に。

直接的に「あなたの引越しの手伝いをする言われはありません」などと言ってはいけません。
それが言えるのはドラマの登場人物だけ。

「ああ、すいませ~ん。その日は予定がはいってて行けませ~ん」とでも言っておけばいいでしょう。

寄生虫でなくてあなたが尊敬する上司でもあまり深入りしないほうがいいです。
そこであなたの依存心が芽生え、またいつ上司が寄生虫に変身するやもしれません。
あなたにとって人間関係は危険なのでテキトーにつきあいましょう。

そんなことしてたら友だちができない?
けっこうです。
その友だちがほしい、恋人がほしいという依存心があなたを弱くし、また寄生虫の餌食になります。

仲良くなるほど自分自身であれ

おじさんもそうなのでわかるのですが、だれかと仲良くなったら気をつけてください。
それは相手を疑えということではありません。

あなた自身がまた依存心によって自分自身を傷つけていくからです。

友だちや恋人ができたら、
「できるだけこの人とずっといたい」
「この人に嫌われたくない」
と思うのは人の自然な心。

でも依存してはいけません。

好きな人こそ自分をさらけ出す

むしろどうでもいい会社の同僚などとはテキトーにつきあいましょう。

でもあなたがほんとに好きな相手には自分の五臓六腑をさらけ出しなさい。

「こんなことを言ったら嫌われるかな?」とか
「こんなことをしたら変な人だと思われるかな?」とか
思いはじめたとたん、あなたは相手の顔色を見て、気持ちを察して、それに合わせるだけの鏡に逆戻りです。
あるていどそれで相手との関係がうまく行ってもあなたは全然楽しくありません。
じつは相手も楽しくありません。
「あれこの人、なんか最初会ったときより色が薄くなってる」
「この人のどこが好きだったんだっけ?」

あなたはむしろ「いつ嫌われるか」という恐怖で毎日暮らすようになるでしょう。
そうすると相手と会うのが苦痛になります。
そしてケンカしたわけでもないのに、自分からすこしずつ距離を置いて離れていきます。
あなたはあなたの色を失い、相手もあなたの存在が霞んで見えるようになる。
自然消滅というやつですね。
本末転倒です。

嫌われないように行動してけっきょく自分から離れていくなんて愚の骨頂。
どうせなら大喧嘩するなり、思いっきり嫌われて別れたほうがましです。

もしあなたが嫌われまいと相手の前ではおならをガマンしていたら、かりに結婚しても一生おならをガマンしつづけなければなりません。
おならしても気にしない人とつきあいなさい。

おならはたとえだけど、すべての自分の感情や価値観がそうです。
自分が好きなもの、嫌いなものをはっきり言いなさい。
自分から言う必要はありません。
聞かれたら、相手の好みを考えるのではなく、自分の好みを正直に言いなさい。
また自分の好みは言うけど、相手の好みも否定してはいけません。
好みは人それぞれ。
好みがちがっても仲良くなれる人はいます。
それはおたがいに相手の好みを否定しないこと。

自分の好みを言って、もし相手が気に入らないというならさっさと別れたほうがいいです。
あなたがもし狐だったら最初に尻尾を見せてやりなさい。
「あなたが狐でもいいよ。尻尾がいいよ、っていうか尻尾が好きだよ」という人とつきあいなさい。
もし尻尾が嫌いな人とつきあうなら、あなたは一生尻尾を隠しつづけなければなりません。
そしてある日とつぜんそれが見つかってしまい破局を迎えるなんて悲しすぎます。
見つかったときよりも、あなたが隠しつづけている毎日が苦痛です。

鶴の恩返しも雪女も正体を隠していたから、バレたときにさよならしなければなりませんでした。
最初から
「助けてもらった鶴です」
「雪女です」
って言えばよかったのに。

おじさんは狐でも鶴でも雪女でも幽霊でも大歓迎です😄

相手の好みを考えたり、それに合わせようとしたりして、無色透明の鏡になるのはもうやめなさい。

人のご意向ではなく、自分のご意向に注意を向け、それを叶えよ

大事なことは他人の顔色、ご機嫌、感情、意見、ご意向を窺うのではなく、
自分の感情、意見、ご意向を全力で感じ取り、それを実現することにすべての労力と時間を注げということです。

人のことなんかどうでもいい。

利己主義ですか?
我儘ですか?

人間だけじゃなく、すべての動物は自分が生きることだけを考えています。
植物だって、できるだけ他の植物の上に葉を伸ばし自分だけが光を浴びようとします。
葛 (クズ) のようにほかの木に巻きついて、いちばん上に葉を広げて、その木を枯らしてしまうこともあります。
まあ考えてはいないだろうけど、自分が生きることが最優先で、他人のために役立とうとか、ましてや自分を犠牲にしようなんてだれも思っていません。

もし地球上の生命が自分を犠牲にすること、自分を殺すことをモットーとしているなら、地球上からとっくの昔に生命はいなくなっているでしょう。
みんな、我が我がと生き延びようとしてるから今でも生命が存在するんです。

人間を見てご覧なさい。
飢餓だ疫病だ戦争だと言いながら、いまだに増えつづけている。
自分で自分を殺したがる生命なんていないんですよ。

ここまで言ってもあなたは他人のことが気になるでしょう。
何十年もそのプログラムで生きてきたのに、今日からいきなり「自分のために生きろ」と言われてもすぐにはできないでしょう。

だから乱暴なようだけど、もう1度言います。

「人に嫌われろ」
「自分のためだけに生きろ」

あなたのまわりから人がいなくなるかもしれないけど、それは友だちではなかった人たちです。
親とおなじ。
あなたを奴隷として、便利な道具として利用したかった人たちです。

あなたから甘い汁が吸えなくなったので離れていった寄生虫です。
離れてくれてありがとう。

self pleaser に

今日から self pleaser になりましょう。
自分で自分を喜ばす人です。

外界や他人に自分を喜ばせてもらおうとしてはいけません。
自分で自分を喜ばすんです。

パーティに行ったらだれかがあなたを喜ばせてくれるか?
否。
だれもあなたに興味はありません。

それはお互いさまです。
あなたもほんとは他人に興味はありません。
ただ親にそう調教されてただけです。

じっさい世の中のほとんどの人はあなたに興味がありません。
あなたは自意識過剰です。
だれかが泣いていてもそれはあなたのせいじゃありません。
だれかが怒っていてもそれはあなたのせいじゃありません。
だれかが「バカーっ」て叫んでいてもそれはあなたのことじゃありません。

もしだれかがあなたに文句を言ってきても、あなたがその人の足を踏んづけているとかいうんじゃなかったら、その人のかってな不機嫌であなたのせいじゃありません。

自分を幸せにすることに全力を尽くせ

いつも自分の気持ちや感情や考えに意識を集中し、それを大事にして、それにしたがって生きているなら、他人の顔色など気にならなくなります。

いつどこに行っても自分が自分のままでいられるなら、人が大勢いるところに行っても気にならなくなります。

大丈夫。
だれもあなたなんか興味ないから。
だれもあなたのことなんか見てないから。
みんな自分のことで忙しくてそれで手一杯なんです。

あなたが言ったことや、したことなんかだれも興味がないし、聞いてないし、見てません。

あなたがSNSに投稿しても1つも「いいね」がつかないでしょう😄

人は隠すと見たがるけど、見せようとするとだれも見てくれないもんです。

雨は覆われたものに降る ~ ブッダのつぶやき

だからあなた自身が、自分で自分を幸せにするように努力しなければ、あなたはけっして幸せにはなれません。
だれもあなたを幸せにはしてくれません。

「君を幸せにしてあげるよ」

アホか。
他人を幸せにすることなんてできません。
金を恵んだり、食べものを与えたりすることはできるけど。

あなたはあなたの力で幸せになってください。

あなたはもうだれの奴隷でもありません。
2度と奴隷にもどらないと誓ってください。

もう1度言います。

「人に嫌われろ」

そして

「自分に気に入られろ」

自分の気持ちや感情に100%労力と時間を注げ。
そして自分が自分に気に入られるように行動しろ。

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