おじさんが親に言われたこと、されたこと ~ 親の仕打ち

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「虐待」「反面教師」「呪いからの脱却」

この記事はかなり荒れますが、洗いざらい吐き出して打ち止めにしたいと思います。
もしおなじような親に苦しんでる人がいたら、最後のほうの「外面」あたりから読んでクズ親から脱却してください。
あなたは何も悪くない。
悪いのは幼稚で我儘なクズ親だ。

子どもは作らない。子どもがかわいそうだから

おじさんの悲しく辛い体験です。
それ以外なにもありません。
幸せな家庭に生まれて親に惜しみなく愛情を注がれたか、そこまで行かなくてもフツーの親のもとに育った人はこのページを静かに閉じましょう。

今で言えば虐待ということになりましょう。
ただ、当時はなにかのときに誰かにこぼしても「親がぜったい正しくていつも子どもが悪い」という呪いの言葉から解放されることはありませんでした。
おじさんは親のことを悪く言う悪い人間だとされました。

子どもを愛さない親などいない、というのも子どもをサンドバッグにする親が自分を正当化するためにつかう都合のいい文句で、もしそれが真理ならば、コインロッカーに子どもを捨てる人などいるはずがありません。

そんなこんなでおじさんはまず「自分は子どもは作らない。だって生まれてくる子どもがかわいそうだから」と思うようになりました。

意に反して、結婚して子どもが生まれました。
正直「バンザイ」とは思えませんでした。

でも、自分の子どもには悲しい思いはさせたくないと思いました。
すくなくとも自分が親からされたような酷い仕打ちは自分の子どもにはしない。
すべては親 (自分) の都合で生まれたのだから最大限責任と愛情を持って育てる。
自分が親にされて嫌だったことはもちろんしないし、親にしてほしかったことを子どもにすると誓いました。

子どもはかわいい!楽しい!なんで怒るの?

それは苦労や困難をともなうものではありませんでした。
だって子どもはかわいいもん。
子どもの反応や成長を見てると楽しい。
子どもと遊ぶと楽しい。
世の中の大人たちはなんで子どもを「育ててやってる」とか「子どものせいで自分が犠牲になる」とか言ったり、子どもを怒鳴ったり、叩いたりするんでしょうか?
まったくわかりませんでした。
今もわかりません。

こんな人たちにかぎって自分の親は尊敬もしてないし感謝もしてません。
そのくせ自分の子どもには尊敬と感謝を要求する😄

子どもは神さまのくれたプレゼントです。
おじさんは自分の子どもを怒鳴ったことも叩いたこともありません。
我慢したのではありません。
だって子どもは大人を怒らせるようなことをしないから。

おむつにウンチをするのは当たりまえ。
夜中に泣くのも当たりまえ。
病気をすればかわいそうで自分が代わってあげたい。
子どもが病気になると怒る親なんて考えられません。おじさんの親のように。

疲れたから子どもと遊ばない?
いや子どもと遊ぶと疲れが吹き飛びます。
そりゃあ肉体的には疲れるけど、心の疲れが吹き飛びます。

子どもは親のマネをする。だから教育する必要はない

子どもは知能が発達していない肉の塊だと思ってるあなたは認識が甘いです。
子どもはじつによくまわりの大人を観察していて、ことごとくマネをします。
いいとか、悪いとかいう判断はない。
とにかくマネをする。
それが生物が生きて行くのにいちばんカンタンで合理的で確実な方法だからです。

親は何もする必要がありません。
正しく生きていれば子どもは言わなくてもぜんぶマネします。

100万回「赤で渡るな」と言っても、親が1回でも赤で渡れば子どもも渡ります。
「大人はいいんだ」とか「他人はいいんだ」なんてバカなことは言わないでください。
ほんとバカです。おじさんの親のように。

親が赤で止まり、青で渡れば、子どもはそれをよく観察しています。
教えなくてもマネします。

人にやさしくしなさい?

そんなことを口酸っぱく言ってもあなたが人を叩けば子どもも人を叩きます。
もし子どもが人を叩いたら、それはあなたが人を叩いているからです。

やさしくしなさいなんて言わなくても、あなたが人にやさしくしていれば子どもはそれが「やさしさ」などという判断や定義づけなどなく、「親がやっているから自分もおなじこと」をします。

そんな自然の摂理の中、おじさんはよく親とおなじにならずにすんだものです。
それは耐え難い苦痛と悲しみがあったからでしょう。
親と同化せずに反面教師として子育てには成功しましたが、自分の人生では他人を優先して自分を粗末にするという親から埋めこまれたプログラムから完全に脱却することができないまま終わりを迎えようとしています。

おじさんの親の仕打ち

抱っこもおんぶも膝の上もない

物心つく前はわかりません。
でも物心ついてからおじさんは父にも母にも抱かれた記憶がありません。

肩車してくれたのはおじさん (おじさんのおじさん) くらいだなあ。
遊んでくれたのもいつもおじさん。

遊んでくれない

おじさんはとうぜん男の子だったので小学生くらいになると他の家の子とおなじようにお父さんとキャッチボールがしたかったです。
頼んだことはあるけどただの1度もしてくれませんでした。

小学校の高学年くらいに学校で将棋が流行りました。
おじいさんが将棋や囲碁をするので家に将棋盤がありました。
1度も相手してくれませんでした。

だから姉妹と山崩しとか将棋倒しくらいしかすることがありませんでした。

お父様、お母様と呼ばされる (クラスで1人だけ)

おじさんは親のことを「おとうさま」「おかあさま」と呼んでいました→呼ばされていました。

物心ついたときからそう呼んでいたのでなんの疑問もありませんでした。
他の家の子はだいたい「おとうさん」「おかあさん」と呼んでいるのは知っていたけどべつに不思議にも思いませんでした。

小学校高学年のときにどんな経緯かおぼえていないけど、学校で先生が「家で親をなんと呼んでいるか」という話になりました。

おとうさん、おかあさんがほとんどで、パパ、ママがすこし。
パパ、ママはちょっと幼稚って感じで囃し立てられるくらいの時代です。
今から50年くらい前ですからね。

貴族かよ!

他にありませんか?

おじさんは何のためらいもなく「おとうさま・おかあさま」というとクラスが一瞬シーンとなりました。
そして次の瞬間聞こえた言葉が「貴族かよ!」で、クラス全員がド~っと笑いました。
おじさんは恥ずかしくありませんでした。
誇りに思っていたわけではありません。
なぜみんなが笑っているのかわからなかったからです。
だって物心ついたときからそう呼んでいるんだから。

けっきょくクラスにおじさん1人しかいなくて、おそらくその学校はおろか、よその学校でもいなかったんじゃないでしょうか。
それこそ貴族くらい😄
それもお嬢様が言うならいいけど、男の子ですからね。

子どものうちならまだしも、30、40になって髭面のむさ苦しい男が、おとうさま・おかあさまと呼ぶことを想像したでしょうか?
してないですね。
まったく親の身勝手です。

親は親 (祖父母) をおとうさん・おかあさんと呼んでいた!

学校の件があってから「おとうさま・おかあさま」というのはかなり珍しいらしいということがなんとなくわかり気になっていました。
毎年、正月になると祖父母の家に家族で行くんだけどそのとき驚くべきことに気づきました。

おじさんの両親が祖父母、つまり親の親を「おとうさん・おかあさん」と呼んでいたんです。
どゆこと?
それまでは気にしてなかったけど、学校の一件から気になっていて、自分の親は親のことをどう呼んでいるのか気になったんです。

自分たちも「おとうさま・おかあさま」と呼んでいるならわかるけど、自分たちは「おとうさん・おかあさん」と呼んでいる。
じゃあなぜ自分の子どもには「おとうさま・おかあさま」と呼ばせるのだろう?

ふつうならここで聞きますよね。
でもすでにおじさんは充分に調教されていたので、親にそんな質問はできませんでした。
親の欠点や粗を見つけてしまうことはいけないことだと洗脳されていたからです。
でも心の中ではいつまでも「なぜ、なぜ?」がリフレインしていました。

ちなみに、おねえちゃま、おにいちゃま、おじちゃま、おばちゃま、おじいちゃま、おばあちゃまでした。

客が来ると挨拶させられるけど、そのあと追い払われる

めったに家に親の友人や客は来なかったけど、たまに来るとべつの部屋にいてもわざわざ玄関に呼び出されて「お迎えの挨拶」をさせられます。
良家の子女を演出したいのでしょうか?
自分が客人だったらわかると思うけど、そのへんにたまたまいたのではなく、子どもがわざわざ玄関に呼び出されて挨拶を強要されてもまったくうれしくもないし、感心もしないですよね。

そのくせ挨拶だけさせると、あとは大人の邪魔をするなと追放されます😄
だったら最初から呼ぶなよ。

そして帰るときには「お見送りの挨拶」をするために玄関に集められます。

毎日のように尻を叩かれる (理由不明)

とにかく親の記憶といったら毎日のように尻を叩かれていたことですね。
問題は何をしたから親は怒ったのかまったくわからないことです。
とにかく親の不機嫌の八つ当たり、サンドバッグ代わりとしか思えないですね。

そして叩かれると怖いし、痛いから泣く。
当たりまえ。
すると親はかならずこう言います。

泣くな!泣いたらもっと叩くぞ!

いえいえ叩くから泣いているんです。
叩いたらもっと泣きます。
そもそもおじさんはなぜ叩かれているんですか?

なぜ尻なのか?

1度だけふだんの親が機嫌がいいときに「なぜ尻を叩くのか」聞いたことがあります。
まったく予想できない答えが!

「お尻は痛くないから」

いや痛いし、痛くなかったら叩く意味がないでしょ。

屈辱を与えるためと跡を見られないため

おじさんが大人になってから得た結論はこれです。

考えてみればわかるけど大きな大人を四つん這いにさせて尻を叩くのは大変です。
抱きかかえられるくらいの大きさだからできることです。
そしてただ尻を叩くのではなく、ズボンを下ろし、パンツを下ろして地肌を叩きます。

こうすると痛いのはもちろん、服を脱がされて押さえつけられているという最大限の屈辱を与えられます。
ほっぺた叩かれたり頭を殴られたほうがまだマシですね。
この押さえつけられて下半身丸出しという屈辱感はないから。

そして昨今の虐待の話からわかるとおり尻なら赤く腫れていても他人に見られることはありません。
顔が腫れていたら近所の人や先生に知られてしまいますからね。

高熱でうなされると「うるさい!」と怒鳴られる

おじさんは子どものころ病弱でした。
しょっちゅう熱を出していました。
ほとんどは微熱。
お腹もよく壊すし、自家中毒もしていました。

要するに多大なストレスを感じていたということです。

高熱が出て苦しいときに治るわけではないけど唸っていると気が紛れるということがあります。
おじさんの家は部屋がたくさんあったので親とべつの部屋で寝ていました。
ところが熱が出てうなされると母が父母が寝ている部屋に連れて行きます。

そこまでは、もしかしてやさしい?と思うんだけど、そのあとが地獄です。
父が「うるさい!」と怒鳴るんです。

おいおい、そんならわざわざおなじ部屋に連れてくるなよ。
これも子どものときは親の愛を信じていたので考えることもなかったんだけど、今思うと、それなら母がわたしが寝ている部屋に来ればいいことじゃんか。
なんでわざわざ父のいるところに連れて行って「うるさい!」と怒鳴られなけりゃならないのか?

あんたがそんな顔してるとこっちまで気分悪くなるわ!

人間誰しも悲しいことがあります。
そんなときは我慢しないで泣いたほうが楽になることもなります。

でも我が家では悲しい顔をすることさえ許されませんでした。
おじさんもいろんな悩みがあり、悲しいこと、辛いことがあり、うなだれているときもあります。
そもそもこの家と親が苦しみの最大の原因なのだが。

そんなとき親は容赦しません。
フツーは「どうしたの?元気ないけど何かあった?」でしょ。
ふつうじゃないとしても、おじさんなら自分の子どもにそう聞きます。
あるいは何も聞かずに楽しい話をしたりします。

しかし母は鬼のような形相で吐き捨てるように言い放ちました。

あんたがそんな顔してるとこっちまで気分悪くなるわ!

人の気分と自分の気持は関係ありません。
しかし、これも今のおじさんなら、いや世の中のフツーの人なら九九よりもよく知っている当たりまえのことなんだけど、おじさんの親は「自分の不機嫌は子どものせい」だったんです。

充分に調教されていたおじさんは親にそう言われると、激しい自責の念に駆られます。

親が不機嫌なのは自分のせいだ!

その反対もあります。

わたしが悲しんでるのに笑うな!

おじさんが楽しくて笑っているときにとつぜん怒り出します。
親が悲しい気分のときに子どもは笑ってはいけないんです。
親とともに喪に服せというのか?

とにかくいつも親の顔色を窺っていなければなりません。
自分の気持は二の次。
親の気持ちがすべて。

とんでもないクズ親です。

椅子ごと倒れたら「ざまあみろ」と言われる

おじさんの家はテーブルに椅子でした。
子どもは背が低いので必然的に高い椅子に座らなければならない。

おじさんも椅子を揺らして遊んでいて親に注意はされていたけど転んだときに言われた言葉がこれ。

「ほらひっくり返った。言わんこっちゃない😄」

いやまず心配しろよ。
それから、
「そうやって椅子を揺らしてると今みたいにひっくり返ってケガすることもあるから気をつけようね」
といえば、そのとおりだと思うし、それからやらなくなる。
まあ、言われなくてもやらなくなると思うけど。

この「言わんこっちゃない」は鬼の首を取ったように喜んでしょっちゅうつかってましたね。
そんなにうれしいですか?

また親の好きな言葉は「自業自得」でした。
おじさんが痛い目に遭うと、おじさんに何の落ち度がなくても「自業自得」とうれしそうに言うのです。
そんなにいい気味ですか?

ブランコから落ちたら心配されずに怒られる

公園のブランコで遊んでました。
子どもならごく当たりまえの日常。

たまたま持っていた手が滑っておじさんはブランコから落ちました。
ちょうどいちばん低いところだったのでケガはありませんでした。

でもそのあとブランコがもどってきます。
親が叫びました。

そこまではフツー。
危ないから「危ない!」と叫ぶのは当たりまえです。
問題はそのあと。

フツーは、おじさんはフツーと思うんだけどフツーじゃないのか、フツーという表現が個人的すぎるというのなら、おじさんなら自分の子どもがブランコから落ちたら、急いで駆け寄って抱きかかえて「大丈夫?」と聞きます。
ケガはない?
頭打ってない?

でも母は言いました。
鬼のような形相で。
まるでおじさんが人殺しでもしたかのように。

親に心配かけて!

おいおい、まず子どもの体の状態を見ろよ。
子どもが危ない目にあったら、親に心配かけて子どもが悪いことになるのか?
おじさんは転ぶことも許されないのか?

ケガしないように注意するんではなくて、母の機嫌を損ねないことに全身全霊を集中して生きていなければならないのか?

「塩取って」

5人家族でした。
おじさんが塩を取ると例のごとく親が激怒します。

人の前に手を出すんじゃない!

じゃあどうすればいいの?
「塩取って」といいなさい。

そして「塩取って」というとなんと言いましたか?

自分で取れ!

もう嫌がらせの限界越えてますね。
クラスにもこんないじめっ子いませんでした。
世の中でいちばんの敵は親でした。

しかし親は子どもを愛し、子どもは親を愛し尊敬している演技をしなければならない。
そうしないと家に置いといてもらえないからです。
大人なら「ふざけんな!」と啖呵を切って家を出るところですが、子どもは自分ひとりで食べていくことができません。
住むところもありません。

だから奴隷状態に甘んじるしかありません。

まだ奴隷だという認識があればいいです。
しかし恐るべきは「親は子を愛し、自分も親を愛している」と自分を騙しつづけなければならないことです。

欺瞞。憎しみと怒りは自分に向けれられる

憎しみや敵をそのとおりに認識していればまだマシ。
それを隠すと、憎しみや怒りは自分に向けられます。
だって他に向けられないんだもん。

こうしておじさんの心も体も崩壊していきます。

味噌汁をこぼしたら人殺しでもしたかのように怒られる

そんなにしょっちゅうではないけどおじさんも人間だからたまには手が滑ったりぶつかったりして味噌汁をテーブルの上にこぼすことがあります。

こんなとき母は例のごとく鬼のような形相で怒ります。
まるで人殺しでもしたかのように。

お椀を持つ手が震える

これはすぐ出なかったんだけど、30歳くらいになったときにとつぜん出ました。
自分でも訳がわかりませんでした。

それからは人と食事をすることが苦痛になりました。
本態性振戦というやつでしょうか?

機能的な問題ではありません。
なぜなら1人で食事するときはまったく問題なし。
それからとても親しい人か、反対にまったく知らない人では出ません。

社内などの顔と名前は知ってるけどとくに親しいわけではない人が前にいると手が震えます。
取手のついていない水筒のコップとか湯呑なども震えます。
ちゃんと取手がついてるものはいくらか抑えられます。
それから中に液体がはいっていなければ震えません。

30~50くらいまではそれが続きました。
今、まったくないわけじゃないけど、そもそも他人と食事をすることがなくなったのでわかりません。
出先でたまたまはいった食堂でたまにおなじような症状の人を見ることがあると、移ります😅
それまで大丈夫だったのに自分の手も震えます。

アドレナリン過剰?

恐怖や危険を感じて戦闘態勢にはいるとアドレナリンが放出されます。
瞳孔は開いて敵をよく見えるようにし、動悸は速くなり血管は収縮して血圧が高くなります。
また痛みを感じにくくなります。
すべては敵と戦うため。

火事場の馬鹿力とか、武者震いもこの範疇です。

だれと戦うんだ?

しかしこれは自分の意識ではどうにもなりません。

おじさんはしばらくは取手のない湯呑などはつかわない。
人前ではお椀にはいった味噌汁などは飲まない。
などの悲しい選択を強いられていました。
液体だけでなくご飯のはいった茶碗もダメでした。
できるだけ両手で持って安定させる。
そういうときは喉もよく通りません。

緊張すると震えるというのがこれですが、緊張しなくていいところ、だれもおじさんのことなんか知らないし興味もないし見ていなくても緊張してしまうんです。

これも子どものころの忌まわしい経験から起きたことでしょう。

おやすみなさいを何回も言ったら怒られた

教育熱心な?いや単に支配者である親に礼儀を尽くすために挨拶は欠かせません。
いつも「おやすみなさい」と言ってから寝るのですが、その日はなぜかまたもどってきて「おやすみなさい」と言いました。
きっとおじさんは寂しかったんだと思います。
親がまともに口を利いてくれるのは挨拶のときくらいだから。
挨拶しろと言った手前、無視することはできない。

このときだけはちゃんと返事してくれるので嬉しかったのでしょう。
おじさんは、もう60になるのにそのときのことと、そのときの気持ちをよく覚えています。
小学校中学年から高学年のころでしょう。

まちがいなくおじさんはニコニコしていました。

ところが地獄はすぐやってきました。

いきなり父親がキレたんです。
そう、まさにキレた。
ふつうは「もうわかったから寝なさい」と苦笑いしながら言うもんでしょう。
それがクズ親はとつぜんキレるんです。
途中の段階とか、脈絡とかないんです。

「うるさい!何度言ったらわかるんだ!」

天国から地獄です。
いや天国なんていうほど大したもんじゃない。
ただ、こちらが挨拶したら親が返事してくれるだけの話。

つぎの日から「おやすみなさい」を言わなくなったのは言うまでもありません。
その先はよく覚えていないけど布団の中で泣いていたにちがいありません。
怒られたから?
いや、親にかまってほしいという気持ちをハエたたきのごとく叩き潰されたからです。

あんた1人がしゃべってるから他の人がしゃべれないじゃないの!

子どもは家に帰ってくると、今日、学校でこんなことがあった、あんなことがあったと楽しそうに親に話をします。
フツーは?

晩ごはんの家族団欒の時間。
おじさんがいつものように、楽しそうに話をしていると母が冷たく言い放ちました。

あんた1人がしゃべってるから他の人がしゃべれないじゃないの!

😮

えっ?
これってフツーじゃないの?
えっ?
僕が1人でしゃべってるから他の人はしかたなく黙っているの?

それからおじさんは一切しゃべらなくなりました。

しばらくして母が言った一言。

最近、〇〇 (おじさん) は無口になったね。人は一生にしゃべる量が決まってるのね。

バカ。
あんたが「しゃべるな!」と言ったからだろうが。

ちなみにおじさんは話しはじめるのが遅くて親が心配したそうです。
こいつはいつまでもしゃべらなくて親に心配かける悪い子、と思ってたんですかね。

自分がつかってないトンカチで頭を殴られる (理不尽の極み)

これは生涯忘れません。

小学校高学年のころでしょうか。
居間には家族全員がいました。
たぶん夕食の前くらいの時間でしょう。

父が帰ってくるなりとつぜん怒り狂いました。

おじさんの首根っこをつかまえると有無を言わさず隣の部屋に。
手には金槌を持っています。

罪状?

どうやら居間に金槌が置いてあったらしいです。
というくらいおじさんにはまったく身に覚えのないことです。
そこに金槌があったことさえ気がつかなかったから。

そして誰がつかったか聞くまでもなくおじさんをつかまえ折檻をはじめました。

わざと電気を点けずに戸を閉めて恐怖を煽る

パンツを脱がして屈辱感を与えるのと同様、いつものパターンが誰もいない部屋に連れて行ってわざと電気を点けずに真っ暗な部屋で拷問するということです。

恐怖感満点!
悪くなくてもすべての人が「わたしが悪うございました」と言ってしまうでしょう。

父は持っていた金槌でおじさんの頭を叩きはじめました。
もちろんケガしない程度に手加減しています。
それがまたいやらしいですね。

訳がわからないまま取り押さえられて、暗闇だけど金槌で頭を叩いているらしい。

とうぜん泣き喚きます。

脱獄囚

親の好きな言葉が脱獄囚。

「脱獄囚がはいってきたらどうするんだ!」
と怒鳴りながら頭を金槌で叩きつづける。

もう1度いいます。
おじさんはつかってないし、そこにあったことさえ知らない。

「僕、つかってないよ!」
「うるさい!言い訳するんじゃない!」

この「言い訳するな」「口答えするな」「だって、でもと言うな」も耳にタコができるくらい聞きました。
とにかく親がぜったい正しくて、たとえ親に殺されようとも絶対服従の奴隷です。

そして例のごとく
「泣くな!泣くともっと叩くぞ!」

おじさんは訳もわからず、泣きつづけます。
理不尽の極みだけど泣き止まないと、叩き止めないので我慢しようとしても涙は出るし、嗚咽が出ます。
かなり長い時間だったような気がします。

ようやく父の憂さ晴らしが終わったようで解放されました。

訳がわかりません。
父が帰ってくるなり自分がつかってない金槌でとつぜん頭を叩きつづける。
「つかってない」と言ってるのに聞いてくれない。

そしてこれより精神的ダメージが大きかったのがこれ。
父が部屋を出ていったあとも、おじさんは訳がわからずしばらくそのまま呆然として嗚咽していました。
すると母がやってきて言いました。

妹がつかったのよ。でも、こういうことがあるから気をつけようね!

何じゃそりゃ!
妹がつかったの知ってるならなんで止めてくれなかったの?

それに「こういうことがあるから気をつけようね」ってどういう意味?
おじさん頭がおかしくなりそうです。

大人ならこんな家はすぐ飛び出すんだけど、小学校高学年じゃあ行くところがないのでまだ泣きながら居間にもどると、父は憂さ晴らしが終わって上機嫌。
妹は何も知らずに遊んでる。

おじさんはこのどこにも持って行きようのない理不尽さと悲しみに打ちひしがれていました。
そこに怒りや憎しみはありませんでした。
ただただ、訳がわからず、わかっていることは父が喚きながらおじさんの頭を金槌で殴りつづけたということ。
それからこの家に味方はいないし、正義はないということ。
それをはっきり認識することは子どもにとっては地獄なので意識の底に隠されたけど、そんな目にあいながら自分は「この家で親に愛され、親を愛していると思いこまなければならない」という道理を思いっきり無視した状況を強いられているということ。

こうしておじさんはどんどん蝕まれていきます。

妹はかわいいけどおまえはかわいくない

あるとき父が上機嫌で帰ってきました。
妹に色鉛筆のお土産?をあげました。

「僕のは?」

父の返事。

おまえのはない。妹はかわいいけどおまえはかわいくないから

これでもおじさんはニコニコしながら、おじさんは親に愛されてると思わなければなりませんでした。

なんだその変な唇

どんな状況だかまったくおぼえていません。
ただ、父がおじさんにそういったことだけはおぼえています。

これがふだんから親子で冗談が言えるような間柄ならべつですが、親には三指ついて「おかえりなさい」と言わなければならないような関係では笑えません。
子どもにはこんな無神経なことを言いながら、もし子どもが親に向かっておなじようなことを言えば、殴り殺されるでしょう。

おじさんがふつうの唇ならこんなセリフもないし、たとえ言われても気にもならなかったでしょう。
おじさんは今でもそうだけど昔から体中の肌が弱く、唇は1年中乾燥してひび割れして腫れていたんです。
だからこの言葉は笑えないんです。

スローモー

母親がつけたおじさんの仇名が「スローモー」です。
スローモーションの略です。
「蛍光灯」とも言われました。
おじさんは他の人に比べてとくに動作が遅いわけではありません。

ただ、ときどきボーっとすることがありました。
大人になるとボーっとすることがなくなるけど、じつはこれは大事なことなんです。
心や体が疲れたときに自動的に心や体を休ませて充電するんです。
べつに精神的、肉体的疾患ではありません。

出かけるときなど「何やってんのよ。早くして」くらいならフツーの親ですが、こういうときおじさんの母親は烈火の如く怒ります。
まるでおじさんが人殺しでもしたかのようです。
まさしく鬼の形相です。

そして冗談や洒落でなくスローモーと言います。
いっしょに笑えるような冗談や雰囲気ではなく、自分の子どもを嘲笑しています。
自分の子どもを立派な人間にしたいのか、バカにして溜飲を下げる道具に仕立て上げたいのかどっちなのか?

小学校の卒業文集に「総理大臣になる」と書いてあった

小学校の卒業文集の寄せ書きに「総理大臣になる」と書いてありました。

いやほんとに自分でそう思うんならいいですよ。
なれるかどうかは別として。

でもこれが自分の言葉でないことは火を見るより明らかです。

親はいつもおじさんに「人の上に立つ人になれ」と言ってました。
それなら常日頃のおじさんのプライドを完膚なきまでに叩き潰す尻叩きその他は何なんでしょう。

おじさんはよく班長に立候補したけどそれは自分の意志ではなく親に強いられていたからです。
また班長になったといえば親が褒めてくれるからでしょう。
それを「愛されている」「受け入れられている」と勘違いしている。

小学校の生徒会長をやったこともあるけど今ではわかります。
人望はないけどほかにやる人がいないからなっただけ。
ていうか、親に褒めてもらいたかったんでしょう。
そしてはっきり言ってただの雑用係です。

集団登校も班長になった、いや、されたけどおじさんは班長どころかいつも置いてかれました😄
ほんとの友だちはいなかったんですね。
なんたって、おとうさまという家だから。

おじさんは親に隷従することをそのまま他人にもして、いいように利用されていました。
でもほんとの友だちはいない。
だれもおじさんのことなんか好きでないし、感謝もしていない。

無理やりやらせたくせにいざギターを弾きはじめると「うるさい」と言われる

小学校高学年のころにフォークギターが流行りました。
姉と妹は3歳くらいからピアノを習っていました。

親はおじさんにもなんか楽器をやれと言いました。

ギターが流行っていたのでギターがやりたいと言うと、フォークギターはみんなやってるからクラシックギターにしなさいと言われました。
まあ最初からお坊ちゃまにするためにクラシックをやらせるつもりだったんでしょう。
ギターがやりたいといっても知っていた曲は禁じられた遊びだけ。

もともと興味があったわけじゃないのであまり練習しませんでした。
ヤマハの音楽教室に通わされたけど指の練習ばかりで楽しくありませんでした。

10歳のときに始めたんだけど、高校2年くらいになってフラメンコに出会いギターを弾くのがとても楽しくなりました。

あるとき部屋でフラメンコの練習をしていると母が来てギター以上の大声で怒鳴りました。

わあ!すごい!

それは感嘆ではありません。
そりゃあ声の調子でわかるし、人が一所懸命練習してるときにわざわざ大声を出して中断させないですよね。

練習しなさいと言った手前「うるさい」とは言えなかったんだろうけど、その「すごい!」は「うるさい!」でした。

大学受験があるからギターやめなさい

どんだけ我儘な親だ?
ヤマハ教室はやめさせられたけど、ずっと1人で弾いていました。
恐怖と理不尽と悲しみが支配する家でギターは唯一のおじさんの慰みになっていたんです。

ニーニョ・リカルドは言ってます。
わたしはギターがなければ死んでいただろう。

おまえだけ声を出していてみっともない

父がテニスをやっていておじさんも中学にはいってやることになりました。
テニス自体はけっこう楽しかったですね。
意外と筋も良かったんですよ。
あの親でなければ錦織圭のようになっていたかも😄

テニスにかぎっては親のお坊ちゃまにしたい欲望とおじさんの好みが合ってしばらく続いていました。
ただ父がテニスコートに行くときに車の中でずっと他の車の悪口を言っているのが嫌でだんだん行かなくなりましたが。

あるとき合宿がありそこでビデオを持っている人がみんなの練習風景を撮ってくれました。
それをみんなで見ていると、ミスしたときおじさんだけが「あーっ!」と声を出しています。
おじさんも自分で見ていて恥ずかしくなるくらいでした。

そこで親が一言

おまえだけ声を出していてみっともない

それはまったく異存がないんだけど、なんでおじさんは失敗したときにこんなに声を出すんでしょうか?
これも当時はわからなかったけど今はわかります。

失敗が許されないから

もうここまで読んだ人 (いるのか?) ならわかると思うけど、味噌汁こぼしたら人殺ししたかのように怒られる。
どんな小さな失敗も許されません。
おじさん自身が失敗を恐れたり、恥ずかしいと思っているのではなく、失敗したら親が怒るから失敗が怖いんです。
だからミスすると声が出てしまう。
もちろん声を出したところでどうにもならないですよ。

そのミスショットがふつうの人以上に重大事なんです。
人殺しに匹敵するくらい😄

ギターの発表会の異常なまでの緊張と震え

ギター教室の発表会が年に1度あります。
おじさんはこれが大嫌いでした。
ギター教室の生徒とその父母だけなんだけど、緊張して指が震えてほとんど弾けません。
あれだけ練習したのに頭が真っ白になって曲も忘れてしまいます。

当時は単なる「上がり症」だと思ってたけど、今では理由がはっきりわかります。
親の異常な期待、というか異常な完璧主義で失敗は絶対許されないから。
おじさんが完璧主義なのではなく、親が完璧主義なんです。
自分のことは棚に上げて。
しかも「失敗してダメな子ね」という観点ではなく「あんたのせいで〇〇家に泥を塗った」「あんたのせいで私 (親) が恥かいたじゃないの!」という観点です。
おじさんが失敗したことより、世間に恥をかいたという怒られかたをするからです。

おじさんの親はけっして
「そのうち慣れるわよ」とか
「気にしなくていいわよ」などとは口が裂けても言いません。

母親に「世の中の女は汚い」と言われる

母親は子どもが最初に会って、いちばん近くにいる「女」です。
その母が「世の中の女は汚い」と言いました。

これには (母親は除く) という言葉が隠れています。

いえいえ、おじさんは姉と妹もいます。
これも除外ですか?
そうでしょう。

母は息子を自分だけのものとし、世の中の女を近づけたくなかったのでしょうか?
よく溺愛といいますが、すこしも愛していません。
ただ鎖につないで飼っているペットのようなものです。
ペットならまだもうちょっと可愛がってもらえたかな?
額に入れて飾る絵くらいの存在か。
気に入らないと切り刻まれる。

ずっと結婚しないで母の所有物にしておきたかったんでしょう。

2次元のポスターを貼ってると「好きな子いないの?」と聞かれる

まあいやらしい質問ですね。

これは質問ではなく、わたしが愛して尊敬してるのは母上だけですという返事が聞きたいだけです。
ていうかそう言わなければまた鬼のような形相でおじさんを罵るんでしょう。

そこまで言わなくても「いないよ」と返事すれば御の字でしょう。

大学受験で不合格だったら慰められずに怒られる

小学校の卒業文集に「総理大臣になる」と書いてあったように、おじさんの親はおじさんが、親類縁者や隣近所に自慢できる「〇〇商事」というような一流企業にはいるか、ノーベル賞を取る学者になるしか、おじさんをこの家の一員として認めませんでした。
子どもの成功を願ってではなく、まわりの人に自慢するためです。

いやはや自分の子どもであるだけでかわいいということはないのか?
おじさんが後に子どもを持ったときは、「この子が何であっても健康で自分のやりたいことができればそれでいいな」と純粋に思ったし今でも思ってるけど。
極端な話、この子がもし殺人を犯したとしてもおじさんはこの子の味方であると確信しています。
罪は償わなければならないけど、それでも見捨てない。
本気でそう思っています。
もうおじさんの体はボロボロであげられないかもしれないけど、内臓が必要ならおじさんのをあげる。
いや、残念ながらあげられる品質じゃないけど😅

話が逸れた。

おじさんの親は東大、慶応、早稲田くらいしか大学と思っていません。
理工系なら東工大。
滑り止めに武蔵工業大学を受けたけど、武蔵工業大学って滑り止めのレベルじゃなくてもっと高いんですね😅
模試のとき熊本工業大学を選んだんだけど、親から離れたいという気持ちが出ていましたね。
親がなんで熊本工業大学なの?と聞いたけど、「あなたから離れたいから」とは言えませんでした。

そもそもおじさんは総理大臣にもなりたくないし、〇〇商事にも興味はないし、まだ自分の心を騙しつづけていたから表面には出なかったけど、「なんとなくやりたいことがない」という鬱病の状態になりつつあって、それはほんとにやりたいことがないわけじゃなくて「親の望みと自分のやりたいことはちがう」ということに気がついてはいけないから「やりたいことがない」という嘘を自分につきつづけていたんですね。

目的もないしやる気もないので受験勉強も身がはいらずぜんぶ落ちました。
当然です。

特別はいりたい大学もないけど、試験で落とされるというのは「おまえは無能だ!」と人間の能力だけでなく人格や存在まで否定されるようで気持ちのいいことではありません。
合格発表を見に行って、自分の番号がなく落胆して家に帰ります。
その時点ですでに予期していたかもしれないが。

家に帰ればとうぜん結果を聞かれます。
いや、もうわかっていたでしょう。
親の反応が。
何か期待していたの?
クズ親に期待するだけバカだね。
ブランコから落ちたら怒られるんだよ。

帰りたくない家に着いて玄関を開けると母が待ち構えています。

「どうだった?」
「ダメだった…」

ああ!がっかりした!楽しみにしてたのに!

出た!
このクズ親ならそうでしょうよ。
例のごとく夜叉のような面構えになっておじさんの顔に吐き捨てました。

何を期待してたの?
「ああそうなの…残念ね。でもまた次があるわよ」
とでも言われるとでも思ってたのか?
このバカ!
いつになったらこのクズ親の心がわかるんだ?

いやわかっていた。
ただ、それを表面化するとこの家にいられないから。
気がつかないふりをしていた。
親に愛され、認められている、幸せな家庭の子どもを演じないとこの家にいられない。

親に愛されているという幻想に浸っていたい

それだけじゃない。
親に愛されてないということを認めるのが辛すぎる。

この家が好きなの?
いや、好きじゃない。
でも、まだ1人で生きていけないから。

いや18くらいになったらなんとか生きていく方法はある。
大変だけど。
でも調教され、洗脳されていたから

親類縁者、隣近所に自慢するための存在でなければならない

親はまわりの人に「うちの子は東大に合格したんですよ」とか「一流会社にはいったんですよ」とか言って自慢したかっただけです。
だから、全部落ちて浪人なんて「世間に恥ずかしい」という考えです。
恥ずかしいどころか「〇〇家の恥さらし」「親の顔に泥を塗りやがって!」という感覚です。

渡る世間は鬼ばかり

と。
この家だけが平和で世間は魑魅魍魎が跳梁跋扈する世界。
そのように洗脳されていたから。
親に嫌われたら生きていけない。
この家を出たら生きていけない。
そう洗脳されていたから。

地獄の予備校時代

ふつうの人でもすべて落ちて浪人になったら落胆します。
でもおじさんは、自分自身の気持ちより親に嫌われることの恐怖が大きかったです。
それは親に気に入られたいというレベルではなくて、「親を落胆させることは人殺しに匹敵する大罪である」くらいに刷り込まれていたからです。
自分の気持ではなく、とにかくこの家にいるにはどこか大学にはいらなければならない。
東大でなくてもいいから、すくなくとも大学と名前のついているところ。
それがこの家にいるための最低条件です。

うちの子が浪人だなんて恥ずかしくて親類縁者、隣近所に言えませんわ、ってなところでしょう。

親は大学出じゃない!

この矛盾からも目を背けていましたね。
親のまちがいや矛盾に気づくことは罪深く自分を殺すことでもあったので必死で気がつかないふりをしていました。

「おとうさま」とおなじで、じぶんたちは「おとうさん」と呼んでるのに。
いや、親の矛盾に気がついてはいけない。
それに気がついたら家にいられなくなるから。

柴田恭兵が車を盗んだ話

ある日、家に帰ってくると母が柴田恭兵が親の車を盗んだ話をうれしそうに話し出しました。
徹子の部屋かなんかに出てて、昔話として話したようです。
もちろん犯罪です。
親の金を盗んだ話も。
この人たちは昔、悪かったことを武勇伝のように話します。
でも今は更生していい人ですよと。
これも嫌いです。

はじめて母に怒る

カチンと来ました。
幸せ家庭ごっこもそろそろ限界に来ていました。
おじさんは1人で生きる勇気もなかったけど、もう騙せなくなってきていました。

ふだんからこういう話をしていて、緩い家庭なら文句はありません。
でも厳格な親だからこそ腹が立ちました。

「もし僕がおなじことをしたら笑ってられるの?人殺しでもしたかのように怒り狂うでしょう」

母はさすがにそのときは言い返す言葉もありませんでした。

教育方針をまちがえた?いまさら?

また予備校時代か大学にはいったあとかわからないけど、そのころの話です。

これもどういう経緯でこの言葉が出てきたのかおぼえていませんが、母が言いました。

「教育方針をまちがえたわ」

は?

何を今更?
おじさんもう20歳だよ。
この年になって今更、教育方針をまちがえたわって言われて、はいそうですか、って言うとでも思ってんのか?
どうしてくれんだよ。
この20年。
そしてこの暗闇の中でもがき苦しみ心が捻じ曲げられてしまった僕をどうしてくれんだよ。
今更、まちがってましたって言われても、この心の歪みや傷は治らないよ。

それを言われて、明日から晴れ晴れと生きられるならいいけど。
どれだけ辛く悲しく虚しく淋しい気持ちで生きてきたか。

実験でもやっていたのか?
おまえは失敗作だったでは許されない。
オギャーと生まれた瞬間にもどってやり直してくれるのか?

カラオケ事件→家出

隣の家の人ははっきり言って異常者で、夜中の2時、3時、4時という時間に大音量でカラオケをやります。
毎晩のように。
もちろん目が醒めてしまいます。
それも思いっきり下手くそ。
歌うというより、唸ってるような感じ。

もちろん親は何も言いません。
もしかしたら、ほんとにヤバい人だったのかもしれません。

おじさんは大学に行かなくなり、今で言う引きこもりの状態になっていたころです。
これはもう専門家の助けを借りるしかない。
疲れ切った心と体で精神科に行った帰りです。

精神科 (今は心療内科というのか?) に行っても、ろくに話も聞いてもらえず、なんか向精神薬と睡眠薬だけもらって帰ってきたときです。
隣の家は解体していてカラオケもなくなっていたときです。
夜の7時くらいに帰ってくると屋根がない状態で大音量でカラオケをやっていたんです。
おじさんはヤケになっていたので「うるさい!」と怒鳴りました。

するとその家の人がうちに怒鳴り込んできました。
まあ、間が悪いと言おうか、棟上げのお祝い (そこまで建物あったかな?) かなんかでうちに音を出すことを断っていたそうです。
もちろんおじさんは聞いていません。

でもこれが初めてなら、何事?と思うだけだけど、それまでのことがあるのでこの人に文句を言う資格はありません。

よくぞ言った!とでも言うと思ったのか?いい加減にわかれよ!このバカ!

その場は親が頭を下げて収めましたが、つぎの日、謝りに行くことになりました。
そこでおじさんはまた「エセ幸せ家族」の役を演じます。

おじさんはほんとバカです。
建前上、頭を下げたけど、隣人が帰ったあと「よく言ってくれた」というかな?とドラマみたいなことをすこしだけ考えていたんです。
ほんとバカです。
もう、このクズ親に期待することは何もないでしょう。

このときは気持ちが決まったので爽やかな気分でもありました。

この腐った家と親を離れよう

この人たちはこれからもここに住みつづけるんだ。
おじさんを受け入れもしないし、愛しもしないし、慰みものにしただけの人たちに何の義理もお礼もないが、かわいそうだから頭を下げてやろう。
それで俺は黙ってここを去ろう。

おじさんはとことんお人好しでバカだけど、クズ親はもっとバカです。
引きこもってたおじさんがその後、急に明るいふりをしていてもそのことに気づかない。
気づくわけがない。
この人たちはおじさんを1人の人間として見ていないのだから。
そして家を出ました。

あれじゃ〇〇君かわいそうだよ (おじさん)

話は前後するけど、母には弟が3人いて、そのおじさんたちはわたしをかわいがってくれて遊んでくれました。
人として扱ってくれました。

小学校の高学年のころだと思うけど、おじさんの家に家族で泊まりに行ったことがあります。
夜、隣の部屋でおじさん (わたしでなく母の弟😄) と母が口論しているのが聞こえました。
ぜんぶは聞き取れなかったけど一言だけ耳に残った言葉がありました。

あれじゃ〇〇君かわいそうだよ

おじさん (わたし) のことです。
何がどうかわいそうなのかわからないけど、その言葉が胸に刺さりました。

このおじさんはわかっていたんですね。
母がわたしをどう扱っていたのか。

そのあと、おじさんといっしょに風呂にはいったんだけどとても和やかな表情で温かい気持ちが伝わってきました。
そういえば、自分の親とこんな風にくつろいで風呂にはいったおぼえがないな。

夜の厚木飛行場

このおじさんは、あるときとつぜん夜に家にやってきて、わたしを連れ出したんです。
わたしの家では夜、外出するなんてありえない。
もちろん母は反対します。
そこを半ば強引に連れ出してくれました。

ほんとに収容所から救出してくれたという感じです。
そして夜の厚木飛行場に車で行きました。
もちろんフェンスの外から眺めるだけです。
でも、おじさんには生まれて初めての経験です。
そのころとくに飛行機が好きだったわけでもありません。
ただ、夜9時過ぎに車で外に行くということだけでも新鮮でした。

自分は結婚もしないし子どもも作らないと誓った

親の慰みものにされ、人間として扱われず、鬱病になり未来に希望もなく、そのボロボロの心と体で新聞店に住み込みで働き、最初の1週間はまいにち自殺しようと思っていて、それでも死に対する恐怖か生への執着か生きつづけたけど、こんな苦しみと悲しみしかない世界なら子どもをこの世に生み出すのはかわいそうだと思いました。
だから、自分は結婚もしないし、子どもも作るまいと思いました。

こんなかわいそうな子どもをこれ以上作ってはいけない。

でもそれは、おじさんの家と親がおかしかったので、子どもはそれだけでかわいそうな存在ではありません。
でも当時はほんとにそう思っていました。

自分の子どもには、自分の体をあげてもいいと思った。今も思ってる

冒頭にも書きましたが、子どもは天使だと思います。
けっして大袈裟ではありません。
神さまの贈りものといってもいいです。

なんでこんなかわいい子どもを邪魔だと思うクズ親がいるのか。
こんなクズ親こそ子どもを作るな!

義務や責任でなく、子どもは楽しい!
面白い!
子どもといるのはこの上ない幸せだ。
望んでも結婚できない人もいるし、子どもができない人もいる。

何、産む必要はない。
産めない人の気持はわかりません。
でも、不妊治療なんかしないで親のいない子どもを引き取ったほうがいいです。
おじさんは男なのでお腹を痛めてないけど、子どもは目に入れても痛くないくらいかわいいです。
これも極端な話だけど、おじさんが騙されていてじつはおじさんの血が流れていなかったとしても愛情は変わりません。
過ごした日々は変わりません。
大事なのは血のつながりではありません。

いっしょにいた時間の長さでもありません。

中身の質ですね。

これは親子関係だけでなく人間関係すべてに言えるでしょう。
恋人でも、友だちでも、中身とどれだけ相手と気持ちが通じていたか。
それが大事です。

そして、無理して演じている自分ではなく、素の自分を受け入れてくれたかどうか。
おじさんの子どもがそうであったように、何も話さず何もしないで、ただおなじ部屋にいるだけで心地よい。
だから、おじさんの子どもは用がなくてもおじさんの部屋に来ます。
そして1人でもお絵かきをしている。

「あっちの広い部屋でやれば?」
「いいの!ここでやりたいの!」

もうたまりませんね。
これ以上の幸せがありましょうか。

外面がいい親がいちばんタチが悪い

だれが見てもクズで暴力的な親のほうがまだマシ

外面似菩薩内心如夜叉

わかりやすく暴力的な親ならみんな親が悪いといい、子どものあなたに味方し、救いの手を差し伸べる人もいるかもしれません。
しかし、外面がいいクズ親だと、みんなは親を擁護し子どものあなたを悪者にするでしょう。
あなたがいくら助けを求めてもだれも手を差し伸べてくれません。
あなたは偽装された家庭に見捨てられるのです。

親に対する無条件服従を世の中すべての人にもしてしまう

クズ親に育てられて調教 (洗脳) されると、世の中に出ても親に対するのとおなじように他人と接するようになります。
というかそれしかできません。
人とはそういうものだと洗脳されているから。

つねに無条件降伏。絶対服従

悪いのはいつも私

物の道理も、善悪もありません。
人と考え方や意見がちがえば「悪いのはいつも私」という結論以外ありません。

ほんとはあなたが正しいこともたくさんあるし、正しいかどうかでなく、単に好みのちがいだけのこともあります。

子どもを愛さないクズの親もたくさんいると知るべし

あなたの親はあなたを洗脳しつづけ、まんまと成功したけど、「世の中には子どもを愛さないクズの親もたくさんいる」ということを知れば、あなたは成人して世の中に出ていくときに親の呪いを背負っていかずにすみます。
じつはこれがとてもむずかしいんだけど、そのことを「知っているか」「まったく考えにもないか」ではちがってきます。

世の中に出て、世間の人々を自分の親とおなじように扱い、自ら進んで奴隷になることは避けられると思います。
いつもそのことを考えて、人に無条件に隷従するようなことを言ったり、したりしたら、そのことに気づくだけでもちがいます。
そして、言葉を訂正したり、行動を変えたり、その人との関係が親とおなじように隷従関係ならきっぱりと切り捨てましょぅ。
怖くはありません。

あなたはだれの奴隷でもないのだから。

依存心が強い人ほどあなたのような奴隷を探し求めている

精神未発達の他人に頼らないと生きていけない人ほどあなたのように無条件で奴隷になってくれる人をいつも探しています。
そしてかれらは奴隷の匂いにとても敏感です。
100キロ離れたところからでもあなたを見つけ出し自分の奴隷に仕立て上げます😄

いやむしろ寄生虫といったほうがいいかもしれません。

この人たちはとても弱いので、社会常識や倫理などを持ち出してあなたを支配しようとしますが、それはあなたの親がやってきたこととまったくおなじです。
うまく懐柔できないと、今度は反対にあなたを極悪人と罵ってあなたが「人によく思われたい」というやさしい心につけ込みます。
罪悪感に訴えるんです。

罪悪感という網で縛りつける

そんな言葉に怯んではいけません。
あなたはまったく悪くありません。
あなたを縛りつけるために罪悪感という網をあなたに被せました。
いちばんの極悪人はこの依存心の塊の邪悪で、そしてじつはちっぽけな存在です。

極悪人が上等じゃ!
おまえに言われとうない。
おまえに嫌われてもわしはまったく困らん😄

そう。
あなたはこんなクズがいなくても何も困らないどころか、よけいなゴミが片づいて体も心も軽くなるでしょう。

正しいかどうかでなく「ちがう」だけ ~ 呪いからの脱却

おじさん自身をふくめ、クズ親に調教された人は「相手が正しくて自分が悪い」という正誤、善悪という分けかたをやめて、たんに「ちがう」だけでどちらも正しくも悪くもないし、偉くもないし愚かでもないと考えるようにしましょう。

相手を変える必要もないし、自分も変える必要はない。
「ちがう」けどいっしょにいて、いっしょに遊んでもいい。

「ちがい」でなく「正誤」でしか判断しない人は、まちがって自分が権力を持ったとき (たとえば会社での地位とか、子どもを持つとか) 、「自分がつねに正しくて、相手がつねに悪い」という考えに180度切り替わります。
これはまったくいいことではありません。

あなたが部下を持てば部下をいじめ、子どもを持てば子どもをいじめるようになるでしょう。

また人といても楽しくないのはいつも
「どっちが正しくてどっちがまちがっている」
「どっちが偉くてどっちが愚か」
という評価をしているからです。
そして、相手の考えや行動を変えさせるか、自分の考えや行動を変えなければならないと思うからです。

おなじ人間ではない!

おなじ人間だと思うから腹が立ちます。
あなたは犬にしゃべれとは言わないでしょう。

お互いに相手に合わせる必要はない

あなたと他人は「ちがう」だけです。
どちらの考えも行動も変える必要はありません。

相手をあなたの基準に合わせる必要もなければ、あなたが相手に合わせる必要もありません。
そのままで、ちがうままでいいんです。

ちがっていてもいっしょにいられるし、いっしょに遊べる。
むしろ世の中みんなあなたとまったく同じ人だったら、つまらないを通り越して怖くありませんか😄
みんなあなたと同じだったら、あなた1人くらいいなくてもいいんじゃない😅

奇を衒ったり、無理に人とちがうことをして人目を引く必要はありません。
あなたのままでいいです。
それでもあなたは充分、他人とちがいますから。

さっちゃん
わたしパティシエになるわ🍰
ひげおじさん
いいけど、作る人と食べる人は別じゃけえな
さっちゃん
えっ!そうなの?

嫌いな人といっしょにいる訳 ~ 依存心を断ち切れ!

子どもは親の所有物ではない! おもちゃでもないし、慰みものでもない!

カルト ~ 親も国もおなじことをやってる

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自分第一 ~ 他人といると疲れる人へ

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