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「上げてきた」「上がる」「上げる」「上がってくる」「上がっていく」
上げてきた!
レースの実況で
最初にこの言葉を聞いたのはMOTO GPなどのバイクのレースの実況です。
順位を上げた
もともとはA選手がB選手を抜いて3位から2位に「 (順位が) 上がった」です。
自然ではなく当人の努力と作用によって「上がった」ということを表現したいなら「他動詞」をつかって、
「順位を上げた」でもいいでしょう。
上げてきた!
あるときからこういう言いかたをするアナウンサーが現れました。
「ロッシ!マルケスを抜いて順位を2位に上げてきた!」
「順位を上げた」でいいと思うけど、動きを表現したいと思ったのでしょうか?
それとも、ほかのアナウンサーと差別化を図りたかったのでしょうか?
無分別に意味もわからずマネするアナウンサーたち
新しい?言いかたをマネしたかったのでしょうか?
それとも新人アナウンサーが先輩を見習って、レースの実況はこういう言いかたをすればいいとかってに思いこみ、安易にマネしたのでしょうか?
猫も杓子もつかうようになりました。
問題はここからです。
「順位を上げた」と「順位を」という目的語がはいっているうちはまだ良かったのですが、意味もわからずつかってる連中は、ただ「上げてきた!」とだけ言うようになったのです。
「何が?」上がったの?
ただ、「上げてきた!上げてきた!」と連呼するばかり。
「ロッシ!上げてきた!上げてきた!」
ロッシが何を上げてきたの?
何が上がったの?
ロッシがどうなったの?
そのうち「誰かを抜いて順位を上げた」のではなく、ただ追いついてきただけで「上げてきた!」を言うようになりました。
それを言うなら
「追いついてきた」
「迫ってきた」
「距離を縮めてきた」
「もうすぐ抜くかもしれません」
「ラップタイムはロッシのほうが速いですね」
「つぎのコーナーの突っこみが勝負です」
「つぎの周回ではロッシが前に出ているかもしれません」
など山ほどあります。
素人のおっさんでもこれだけネタがあるのに、プロのアナウンサーが「上げてきた!」しか言わない。
天気予報でも
「きょうは気温が上がってきそうです」
「きょうは移動性高気圧に覆われ、風もなく穏やかで、日中は気温が上がりそうです」
でいいです。
気持ち悪いのは、不自然なのはなぜでしょうか?
その前にここで基本的な言葉の意味をおさらいしておきましょう。
上がる。上げる。
上がる
自動詞。
自然に物が、あるいは人間自身が「上に移動する」
例:)
風船が上がる。
(わたしは) 2階に上がる。
上げる
他動詞。
対象となるもの (目的語) を「上に移動させる」
人間自身は移動しない。
したがってかならず対象物、目的語の「上げられるもの」がなければなりません。
例:)
風船を上げる。
風船はかってに上がっていくのですが、故意に、人の意思によってそうする場合は「上げる」といいます。
(わたしは) 荷物を2階に上げる。
「~くる」のつかいかた
「上げてくる」じたい不自然な言い回しなので、「上がってくる」について考えてみましょう。
「わたしは2階に上がる」
とはいいますが、
「わたしは2階に上がってくる」
とはいいません。
(上がってから、「また降りてくる、もどってくる」という言外の意味をふくませるときにはつかいますが、意味が変わります)
もしいうなら、
「娘が2階に上がってくる」
です。
視点、あなたが今いる場所
「娘が2階に上がってくる」
これをあなたが言ったとしたなら、あなたはどこにいますか?
2階ですね。
「~くる」という場合、視点は「いま自分がいる場所」なのです。
これが「娘が2階に上がる」だったらどうでしょうか?
あなたは、1階にいるかもしれないし、2階にいるかもしれないし、外にいるかもしれないし、小説の一部でイメージの世界かもしれません。
俯瞰的に遠くから「上に移動する」という動きだけを描写しているのです。
だから、「上がってくる」という場合には、「いま自分がいる場所」に「向かって近づいてくる」ことを示しています。
自分は最初から上にいて、「後続車が自分の場所まで来た」というニュアンスがあります。
まあ上げるのは「順位」であって、ライダーやバイクではないので、「上げてくる」という言い回しはおかしいのですが。
しいて言うならヒルクライムをしていて、後続のライダーが「自分の場所まで上がってきた」ときくらいでしょうか。
その他の例
帰ってくる
(わたしは) 家に帰ってくる/帰ってきた
この場合、視点は「自分の家」にあり、自分は「自分の家」にいます。
「帰ってくる」の場合はまだ家にいないけど、視点は自分の家にあります。
自分の目は家にあり、これから帰ってくる自分を想像しています。
「帰ってきた」の場合はまちがいなく、あなたは今「自分の家に」います。
彼 (彼女) が帰ってくる/帰ってきた
この場合もあなたは「自分の家」にいて、彼 (彼女) はあなたが今いる場所に向かってきます。
あるいは、あなたがいる場所に来ました。
彼 (彼女) はあなたといっしょに住んでいて、ともに生活しているということを表しています。
だから、「彼は自分の (彼自身の) 家に帰ってくる」とはいいません。
あなたがいる場所に来ないなら、「帰ってくる」ではなく、「帰っていく」です。
あなたから離れていきます。
複合語の場合、「帰ってくる」と仮名書きにするほうが見やすいですが、意味はまさしく「来る」でこちらに向かっています。
「~いく」のつかいかた
「~くる」が「自分の場所 (視点) に向かってくる」のに対して、「~いく」は「自分の場所 (視点) から離れていく」ことを表します。
これも複合語の場合、「~いく」と仮名書きのほうがいいですが、意味は「行く」で、「自分から離れていく」ことを表します。
「わたしは家に帰っていく」とはふつうつかいません。
これではもう1人の自分がいて、もう1人の自分を見送っているようです。
「彼 (彼女) が家に帰っていく」
あなたは彼 (彼女) と別れて、あなたはその場に取り残され、彼 (彼女) はそれぞれ自分の (彼、彼女の) 家にもどるという意味です。
あなたはそのままそこで野宿するのか、自分の家に帰るのかわかりませんが、あなたは彼 (彼女) の後ろ姿を見送って、「同じ場所には行かない」ということを表現しています。
上がってくる。上がっていく
ここまで読んだかたはもうおわかりでしょうが、
「上がってくる」の場合は、あなたは「上に」いて、対象物や人は自分に近づいてきます。
「上がっていく」の場合は、あなたは「下に」いて、対象物や人は自分から離れていきます。
同窓会のお誘い
ねえ、こんどの同窓会来るでしょ!
この人はまだ同窓会の会場にはいないけど、視点はすでに会場にあります。
主催者、幹事側の人間で、「自分は会場にいて、招待客を待っている」イメージです。
ねえ、こんどの同窓会行くでしょ!
この人は「お客さん」「招待された側」の人間で、視点は自分の家にあり、相手も相手の家にいて、おたがいにこれから会場に「向かっていく」イメージです。
上げてきた!
ということで、「上げてきた」は胃の内容物が重力に逆らって口にもどってきたときだけに使いましょう✌
「気温が上がってきそう」も、あなたは温度計の上にいて、気温があなたのいる場所までやってくるという意味です😄
「雨が降ってきた!」は、いま自分がいる場所に雨が降ってくるので正しい使いかたです。
もし「雨が降っていった」なら、あなたはきっと雷様で雲の上にいて、自分の場所から下界に向かって、雨が降っていったのでしょう。
まずつかわないけど、「通り雨があなたの上に雨を降らし、過ぎ去っていった」という詩的な表現かもしれません。
やまとことば ~ 一覧
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