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「ようだ」「ようにする」「ようになる」「様」
ようだ
漢字で書けば「様だ」
もともとは「様 (よう) 」という名詞に、断定の助動詞「だ」がついたものです。
だから漢字とその音がはいったあとでできた言葉です。
「元気だ」「便利だ」などもおなじ作りかたと活用をしますが、これらは形容動詞 (ナ形容詞) として扱われます。
学者さんがそのように分類しているだけで、構造的にはおなじものです。
「ような」+体言 (名詞など)
「ように」+用言 (動詞、形容動詞など)
という形でよくつかいます。
「ように」は連用形なので続く用言を修飾しますが、副詞的に後文を修飾することもあります。
見た目の「様子」「状態」「性質」などを表します。
「そのように見える。似ている。だけどじっさいはちがうか断定できない」
というのが前提です。
似て非なるもの
例:
今日は真夏なのに寒くて、まるで真冬のようだ。
→真冬のように寒いけど、じっさいは真冬ではなく真夏だ。
このように「なのに (もかかわらず) 」などの前提条件がはいることが多いです。
↑このように「ように / ような」は文章にたくさん出てきます😄
似ているものの代表例
あなたのように真面目な人を見たことがない。
→あなたは真面目な人の「代表者」です。
単語を飛ばして修飾する日本語
日本語の複雑なところですが、上の文は次のようにも言えます。
あなたのような真面目な人を見たことがない。
上の文は「真面目な」という用言にかかっているので連用形の「ように」
下の文は「人」という体言にかかっているので連体形の「ような」
をつかいます。
どちらも正しいですが語順からすると上の文のほうが自然です。
もし、「真面目な」という用言がなければ、否応なしに直接「人」にかかるのでこうなります。
あなたのような人を見たことがない。
「あなた」という「人」を例に上げているので、
あなたは「いい人」なのか「悪い人」なのかこの文だけではわかりません😅
そもそも英語は動詞以外は活用することがなく、てにをはがないので語順を入れ替えることができません。
語順で主語か目的語か決まってしまうからです。
日本語は、てにをはがつき、形容詞、形容動詞も活用するので位置を変えてもその働きが何に対しているのかがわかります。
確信がない
どうやら車が壊れているようだ。
ほんとは壊れてないかもしれない。
話者に自信がなく、はっきり断定できないけど「そのように思う」ときにつかいます。
ようにする / なる
「似ている」とちがう意味になります。
ただ「様子」「状態」を表していることに変わりはありません。
ようにする
目的・目標・努力・意志 (自分に対して)
「その状態にする」ということです。
上司が言います。
「無断でやったらダメだろ!」
「今度から報告するようにします」
しかしあくまで「努力目標」で強い意志がありません😅
上の返事を言い換えるとこうです。
「今度からできたら / なるべく報告するように努めるけど、もしかしたらできないかもしれないなあ~」💦
かならず実行するならこうです。
「今度から報告します!」
「ように」はやはり「曖昧」「不確実」のニュアンスがあります。
使役の意味 (相手に対して)
「迷わす」を辞書で引くと
「迷うようにする」と書いてあります😄
これは相手を「迷う」よう (状態) に仕向ける、コントロールするということです。
他動詞として定着していますが、もともと「使役」の意味を持っています。
「迷わす」は使役の古形で、現代語では「迷わせる」といいます。
命令・依頼・希望 (相手に対して)
上の例にならえば上司はこう言います。
「報告するように (しなさい / しろ) 」
後ろのじっさいの命令「しなさい / しろ」が省略されているんですね。
直接的に命令語をつかわないことで婉曲になります。
「静かにしろ!」
→「静かにするように」
「勉強するように」
「マンホールの蓋が開いてるから、落ちないように」
「明日は遠足です。遅れないように」
初詣で、おじさんの子どものころの願いはいつもおなじでした。
「 (神さま) どうか背が高くなりますように (してください / おねがいします) 」
まあ163cmより大きくなりませんでしたがね😅
神さまはいなかったようです。
それとも耳が悪かったのでしょうか😄
ようになる (変化→現在の状態)
これは「する (他動詞) 」→「なる (自動詞。結果) 」の関係ですね。
「焼く」→「焼ける」
「燃やす」→「燃える」
の関係です。
「努力する」→「できるようになる」
例:
毎日、プールに通って泳げるようにする。 (努力、目標)
→やがて泳げるようになる。 (結果。現在の状態)
過去形をつかう
「ようにする」がこれから先、未来のことについて言うのに対して、
「ようになる」は結果で、すでにその状態になったのでふつうは過去形でつかいます。
やがて泳げるようになる。
→泳げるようになった。
「泳げるようになる」のほうは特殊な状況と言い回しで、しいて言うなら
未来・推量・完了です😄
まだ起きていない未来のことについて、想像でその時点 (未来) で完了したイメージです。
言ってみれば未来完了形です。
上の例は努力の賜物ですが、努力を伴わない単なる「状態の変化・結果」を表すこともあります。
気がついたら泳げるようになっていた。 (無為の結果。現在の状態)
いつの間にか自転車に乗れるようになっていた。 (同上)
この場合は「なった」ではなく「なっていた」をつかいます。
「なった」はその変化した瞬間にそれを意識しているとき。
「なっていた」はその変化に気がつかず、あとになってすでにその状態になっていることに気がついたときにつかいます。
自分のことでなくてもつかえます。
土砂崩れでこないだまで通れなかったけど、今日は通れるようになっていた。 (自然に、あるいは第三者がやってくれた)
意向形は別物「ようとする」
日本人ならだれも気にしたことがありませんが外国人は「よう」という音だけですべておなじものと考えてしまいます。
それは日本人が外国語を勉強するときもおなじです。
take を「取る」という意味だけで覚えていても、つかいかたによって意味はいろいろ変わります。
また同音異義語でまったく意味のちがう言葉もたくさんあります。
たとえばwell は「よい」と「井戸」
like は「好き」と「似ている」のように
まったくちがう意味があります。
これらはもともと形も発音もちがう別の言葉でしたが、時代とともに音が簡略化されて同化して同じ音になってしまったものです。
ただその言葉の位置やいっしょにつかう動詞や助詞とのつながりで区別できます。
それは日本語もおなじです。
意向形の「よう」とする
五段動詞では「走る」→「走ろう」でまちがえることはありませんが問題は一段動詞です。
「見る」→「見よう」
「食べる」→「食べよう」
例:
見ようとする。 (今この瞬間、見る努力をする)
見るようにする。 (これから見ることを習慣にするつもり。今までは見なかったけど、これからはそのことに注意してそのように行動することにするつもり)
両方とも「努力する」「自分の気持ち」という意味があるのでなおさらややこしいですね。
「見よう」は意向形で後ろに「と」がつきます。
「見る」は連体形で後ろに体言の「よう (様) 」がつき、さらに後ろの助詞は「に」です。
このちがいを説明してあげてください。
あっ、意向形、連体形、体言なんて言ってもわからないから、上は動詞の活用形で「と」がつく。
下は辞書形のままで「に」がつくと教えてあげてください。
また「見よう」は「走ろう」の仲間であると教えてあげてください。
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