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「自分第一」
自分第一
こう書くとすぐ「自己中心主義」と思う人がいるでしょう。
もちろんちがいます。
この世というのは自分が存在しなくなれば、いっしょに消滅するのです。
宇宙も、地球もなくならないし、世界の人々もいなくなりません。
だけど「世の中」というのは、人が認識してはじめて存在するので、あなたがいなくなれば、あなたが認識する世の中もなくなります。
自分あっての世界
あなたが生きていて意識があり、物を見たり、音を聞いたり、それによって心に良きにつけ悪しきにつけさざ波が立ちます。
もしあなたが見ることも、聞くことも、心を動かすこともやめれば、世の中は消滅したも同然です。
人の役に立つことを美徳とするのは支配者の策略
人の役に立つ人になれ?
「俺のために奉仕しろよ」といってもふつうの人は言うことを聞きません。
「なんでおまえのために俺が奉仕しなきゃいけないんだよ!」というのがふつうの反応。
そこで支配者、為政者は「道徳」だの「美徳」だのいう言葉を作り出し、教育という名のもとに奴隷を調教 (洗脳) してきました。
「これは俺のためじゃないんだよ。こうするのが人間として正しいからだよ」と視点を逸して奴隷をだまします。
ちなみに労働が美徳というのも支配者の陰謀です。
そうしないと奴隷が働かないじゃないですか😄
「主人のためにタダで働け」というより、「労働は美しい」といったほうが人は働くでしょ。
人の嫌がる仕事を進んで引き受ける?
これも美徳と称して、要するに自分が嫌な仕事をお人好しのあなたに押しつけるための呪文です。
あなたが快く引き受けるとわかれば、次から次へとあなたに雑用やトラブルの後始末を押しつけてきます。
ふつうは、みんな
これもよくつかわれますね。
とくに日本人はこれにだまされるし、また奴隷同士でもつかっています😅
「ふつうはこうする」
「みんなそうしてる」
「してないのはあなただけ」
「これが道徳、社会常識」
これは翻訳するとこうです。
「わたしがこういうルールを作ったからお前らはそれに従え」
「わたしはそうするのだが、みんなやっていることにする」
「ほとんどの人はしてないが、あなただけしてないことにする」
「これが俺様のルール、俺様の常識。奴隷たちは俺様のルールに従え」
とくに日本人は「みんなしてるのに自分だけしていない」とそれは悪いことだと思うように調教されています。
逆もまた然りで、「誰もしてない。そんなことをするのはあなただけ」という言葉もあなたを不安と恐怖に陥れるのに充分な言葉です。
クズ親につかわれると子どもは絶望的な精神障害になる
親がかける嘘にまみれた呪いの言葉
子どもを愛さない親はいない。
→だから、わたしもお前を愛しているのだ。そのことに疑いを持ってはいけない。もし疑いを持てば、それは道徳に反することである。もし疑えば、お前は人間のクズだ!
子どもは親を尊敬するものだ (べきだ)
→お前は、親であるわたしを無条件で尊敬すべきだ。もし尊敬しなければお前は人間のクズだ!
ほんとに子どもを愛している親は「子どもを愛さない親はいない」などと言いません。
子どもが親を尊敬していれば、親は「子どもは親を尊敬するものだ (べきだ) 」などと言いません。
子どもを愛していないから「愛しているものだ」と、自分の気持ちではなく世の中の真理かのように言います。
子どもに尊敬されていないと気づいているから「尊敬するものだ」と自分の考えではなく世の中の真理かのように言います。
この人たちは、子どもにはダメだということを自分がして「大人はいいんだ」とか「子どものくせに生意気だ」とか、太陽が西から昇るとさえ言いくるめます。
もし子どもが矛盾点を突けば、立ちどころに「口答えするな」「だって、でもじゃない!」「屁理屈言うな」と槍で突き刺します。
お前が屁理屈言うな!です。
このようなクズ親に育てられた? (調教された?) 子どもは、日々精神を病んでいきます。
真理や秩序を無視して、矛盾を親の都合で言いくるめる。
もし矛盾を指摘すれば、時と場合などと屁理屈を言う。
きのう白だといったものも、親の都合できょうは黒になる。
それに対して反論できない。
反論することは道徳に反することである。
親に反論する子どもは悪い子どもである。
という呪いにかけられているので、子どもはその矛盾を心にしまい込んだり、あるいはそれに気づく自分を罪深く感じるようになります。
罪の意識と自責の念
子どもはふつうに善良に生活していてもつねに罪の意識と自責の念に苛まれて生きていきます。
何を考えても、何をしても、何を言っても「自分が悪いんだ」と思うようになります。
マンガの世界みたいですが「空が青いのも、太陽が眩しいのも、みんな自分が悪いんだ」と思うようになります。
世の中の人たちの不幸はすべて自分のせいだと思うようになります。
ほんとです。
おじさんはそうなりましたから。
あとは自殺するしかないですね。
こんな悪い自分は生きていちゃいけない。
死の恐怖か、生への執着か、死ななかったけど、生ける屍でした。
息をしてるけどとても生きてるとはいえない状態。
それでも親には幸せなふりをしなければならない。
親を尊敬し、親に感謝しているふりをしなければならない。
親に愛されていると思いこまなければならない。
もし、おじさんがあのとき死んでいても親はまったくわからないでしょうね。
この期に及んで、惜しみなく愛情を注ぎ、何不自由ない生活をさせてやったのに自殺するなんて「親不孝」だと言うのが目に見えます。
自殺なんかして世間に恥かかせやがって、というのがいいところでしょう。
だから悔しくて死ねなかったのかもしれない😄
こうして万人の奴隷になる
おじさんは成人して家を出てからも、いつも他人の顔色をうかがい、人が望むように行動し、自分の気持ちなんかどうでもいい。
人の機嫌が悪ければそれは自分のせいだと思う。
ずっとそんな人生を送ってきました。
人の顔色うかがって、人が望むように行動しても、けっきょく誰からも尊敬されないし、愛されることもない。
親とおなじような人間にはいいように利用されました。
他人といると疲れるわけ
もう書くまでもありませんね。
万人の奴隷ですから。
人に必要のない気をつかうから
人といればいつも他人の顔色と望みをうかがってそのように行動しなければならない。
そして何をしても、相手がどう受け取ってもけっきょく「自分は悪い」という気持ちしかない。
たとえ相手が本心から「ありがとう」と言っても、素直に受け取れない。
この人はほんとは満足してないどころか、怒ってるけど、無理してそう言ってくれてるだけだ。
だって「自分は悪い人間だから」
人がほんとに「ありがとう」なんて言ってくれるはずがない。
「他人といると疲れる人へ」って書いたけど、けっきょく自分のことでした😅
打ち止めにするはずだったけど、親の呪いはまだ解けていない。
墓場まで持っていくんでしょう。
ただ1つの救いは、親がクズでおじさんのことはこれっぽっちも愛していなくて、すべては親が自分の欲望を満たすためにおじさんに言ったり、したりしてきたということに気づいたということです。
さあここからは、おなじような親に調教され、いつも自分を責め、他人を優先し、いや他人のために自分の一切を犠牲にして苦しんできた人に呪いを解く手助けをしましょう。
自分自身、完全に解けていないけど、親の呪いに気づき、自分がそれに基づいて行動していることに気づくだけでも収穫はあります。
自分第一
冒頭の文句にもどります。
まずあなたは誰の奴隷でもありません。
あなたはあなたという独立した1人の人間であり、あなたの人格であり、あなたの人生です。
クズ親のものでもないし、世の中の人たちのものでもありません。
当然、世の中のあなた以外の人たちも一人ひとりみんな独立した個人であり、かれらはあなたのものでもないし、ほかの誰のものでもありません。
気持ちも、感情も、行動も、人生もみな一人ひとりのもので、それぞれ自分に責任があります。
言い換えれば、あなたは他人の気持ちや、感情や、行動や、人生に責任はありません。
依存心の権化に注意
あなたの親はまちがいなく依存心の権化です。
あなたに依存し、あなたを依存心と罪悪感の網でぐるぐる巻きにしました。
世の中にはこいつらが大勢います。
こいつらは寄生虫とおなじで、寄生する相手をいつも探しています。
そして一回喰らいついたらけっして離れません。
もし離れるとしたらあなたが死ぬときでしょう。
それくらいしぶとく、しつこいです。
あの手この手であなたを縛りつけます。
クズ親に調教された罪悪感の塊のあなたは格好の餌食になります。
また得てしてこいつらは「親切」「好意」を装って近づいてきます。
あなたを油断させ懐柔したところで、こんどは「罪悪感」を持ち出してあなたをコントロールします。
あなたは「道徳」「美徳」「常識」などの呪文をつかえばカンタンに操れますから。
気をつけてください。
あなたは他人に責任はない!
この言葉をあなたに贈ります。
依存心の権化は、いろんな言葉であなたを「悪人」に仕立て上げようとします。
「いい人間であろうとする」あなたにつけ込みます。
それを跳ねのけるには「あなたは他人に責任はない」ということをよく頭に刻むことです。
まいにち朝から晩までこの言葉を繰りかえしてください。
責任はその人自身にあるのです。
だから依存心の権化があなたを極悪人、人でなし、悪魔となじろうがすべて無視してください。
あなたが何か言い返したり、反応したりすると、こいつらの思う壺なので完全に無視してください。
怒鳴ったり、ひるがえって泣きついたりしますが無視です。
あなたが悲しんだり、怒ったりすればこいつらの思う壺です。
無視です。
寄生虫は宿主がいなければ野垂れ死にしますからほっときましょう。
つぎの餌食をまた探すでしょうがほっときましょう。
あなたが餌食になる必要はありません。
まちがっても「かわいそうだ」なんて思わないように。
これも、やつらのいつもの戦略だから。
その言葉と行動は自分のためですか?それとも相手のためですか?
自分の気持ちと言葉と行動をつねに意識する
これは自分をいつも見つめることですが「冷たい視線」ではなく「冷静で正確な視線」です。
ここをまちがってはいけません。
あなたは今までも自分をいつも見ていたつもりでしょうけど、見ていたのは「自分」ではなく「他人の要求」だったんです。
自分の気持ちと思っていたのは、じつは他人の欲望や要求。
それに基づいて言葉を発し、行動する。
すべては他人の欲望を叶えるため。
そしてそれを自分の気持ちとすり替える。
自分を観察、あるいは「監視」していたのは「クズ親の冷たい目」です。
それを自分の中に取りこみ、親から離れても自分に監視カメラをつけたまま生きてきたんですね。
この監視カメラの後ろ側に回って、ほんとの自分を俯瞰して見ましょう。
そしてこの悪魔の監視カメラを叩き割ってやりましょう。
人のためにいいことをしたはずなのに、なぜか悲しい、虚しい、後ろめたい罪悪感がある
それはあなたの本心ではないからです。
あなたが「自分の気持ち」「自分の望み」として人に親切にしてあげたなら、満足していい気持ちになるでしょう。
今、相手がほんとに感謝しているかどうかは問題にしません。
でも、親切にしてあげたはずなのに、なんかうれしくない。
それどころか、悲しかったり、虚しかったり、はたまた罪悪感まで感じるのはおかしいですね。
場合によっては理由のわからない憎しみや怒りまで生じることもあります。
それは「ほんとは自分はそうしたくなかった」からです。
まず、そのことに気づきましょう。
そしてほんとの自分の「気持ち」と「望み」は何だったのか考えましょう。
あなたはそうしなかったからといって別に罪に問われるわけではありません。
そもそも、あなたは他人の感情や人生に一切、責任がありません。
人の役に立とうとするな!
「人の役に立つのはいいことだ」というのはあなたの考えですか?
ちがいますよね。
親や先生に押しつけられ、刷り込まれてきた考えです。
人は繰りかえしおなじことを言われつづけると、だんだん考えることをやめそれを無条件で信じるようになります。
地球温暖化やコロナがいい例です。
今やだれも二酸化炭素について疑わないけど、ほんとに温暖化の原因は二酸化炭素ですか?
ほら、考えたこともなかったでしょ。
テレビで言ってるから。
ネットに書いてあるから。
あなたが自分から人のために何かをしたいと思うならけっこうです。
でも「人の役に立つのはいいことだ」と刷り込まれているからそうしようとするならやめましょう。
この場合「人」といって一般論のようなフリをしていますが、「人」の正体は「親」や「先生」です。
「親の役に立て」「先生の役に立て」と言ってます。
もっと有り体に言えば
「親の自分勝手な満足を叶えろ」
「そのためにはお前はすべてを犠牲にして親に尽くせ」
ということです。
極端な書きかたをしたけど、これくらい書かないと親に洗脳され、自分を殺してきたあなたにはわからないからです。
あなたは相手の心を映す鏡にすぎなかった
そんなやついたっけ?
あなたは人の気持ちを考え、思いやりがあり、やさしいのにもかかわらず、クラスでは目立たず「そんなやついたっけ」と言われる人です。
あなたは相手の心を映す鏡にすぎないので、他人からあなたの姿は見えないのです。
あなたは自分のほんとうの気持ちや心を押し殺し、相手の気持ちや感情に合わせてしゃべり行動します。
相手はあなたに感謝するというより、あなたがそこにいることさえ気づきません。
あなたはただの鏡だから。
自分第一に考える
自分を優先する。
今まで人の気持ちばかり考え、自分を殺してきたあなたにはむずかしいですね。
でも、やりましょう。
傍若無人?
自己中心主義で傍若無人。
人のことなどお構いなしに自分の欲望だけを追求する。
そんな人にはなりたくない。
大丈夫です。
あなたはどう逆立ちしてもそんな人間にはなれないから😄
あなたは何年も、あるいは何十年も、他人の気持ちばかり考えて生きてきたでしょう。
今日から自分を第一に考えて、と言われても、はいそうですか、と180°方向転換することはできません。
自分を第一に考えて、そのように言葉を発したり、行動したりしようとしてもあなたの1/100も出せないでしょう。
やっぱり人の気持ちが気になるでしょう。
だから、あなたが今日からとつぜん傍若無人な人間になることはありません。
あなたは人のことを考えないようにしても、完全に考えないことは不可能なので、「自分のことだけ考える」くらいでちょうどいいです。
自分第一。自分が大事
「自分にやさしく」くらいだと生温いし曖昧なので、「自分第一」という簡潔でわかりやすい言葉にしました。
もともと傍若無人な人はこの記事を読まないでしょうから。
自分の本心なのか、相手の望みなのか見極める
すぐには自分を優先できなくても、自分が発した言葉は自分の気持ちなのか、相手のためなのか?
自分が取った行動は自分の望みなのか、相手の望みなのか?
いつもそれをよく吟味しましょう。
関東の1つ残し、関西の遠慮の塊
いただきましょう😋
あなたは今までけっして手を付けたことがないでしょう。
でももし、あなたが「食べたい」と思うなら手を伸ばしましょう。
誰かのものでなければ、みんなに権利があります。
みんなには、もちろんあなたもふくまれます。
ほんとに食べたい人がいれば、その人はとっくに食べています。
みんなが手を出さないのは、「メチャクチャ食べたいわけではない」のと、手を出すと「あっ、わたしも食べたかったのに」というやつがかならずいるからです😄
騒ぎ立てるやつがいても気にしない
いえいえ、ほんとに食べたかったら食べてます。
中には「わたし1コも食べてなかったのに」というやつもいます。
なくなるまで食べなかったということは、たいして食べたくはなかったということです。
こういう連中にはこういいましょう。
じゃあ食べればよかったのに。出そうか?
と、口からもどす仕草でもしてやりましょう。
だいたい大騒ぎするやつほど、自分が食べたときは涼しい顔をします。
人が食べると騒ぐのは、そうやって人を牽制してつぎからは自分が食べられるようにするためです。
社交的な人が羨ましい?
明るくて話し上手で誰とでも話し、大勢集まってるところで中心になるような人は羨ましいと思うことがありますね。
でも、どうなんでしょうか?
この人は他人のことなんか気にしていません。
自分が注目の的になればいいだけです。
ほんとにすぐれた人格者なら、隅っこでもじもじしてるあなたにも声をかけるでしょう。
また単にとても寂しがり屋で、1人では、いられない人でしょう。
家に帰って1人になると、孤独で寂しくて死んでしまうような人です😄
いつもしゃべりまくっている人は静けさに耐えられない人です。
静けさが怖くてたまりません。
だからいつも人がいるところに行って、しゃべりまくります。
その中にほんとの友だちがどれだけいるでしょうか?
彼が困ったときに助けてくれる人はどれだけいるでしょうか?
彼がおしゃべりで、それが愉快だから人が集まっているだけではありませんか?
それからみんながみんなその人をいいと思っているわけではありません。
中には「うるさいやつだな」と思っている人もいるでしょう😄
静かで思いやりがあって気が利くあなたのことを「素敵」だと思っている人もいるかもしれません。
ただ、あなたは今まで人に気を使いすぎてきたので、人の気持ちを分析するのはやめましょうね。
また、しょせんそれはあなたの「想像」でしかないので、他人のほんとの気持ちは誰にもわかりません。
お互いさま
あなたが良かれと思ってしたことでも、相手は迷惑と感じていることもあるかもしれません。
あなたにそのつもりがなくても相手を傷つけていることがあるかもしれないし、相手は悪気はまったくないんだけどあなたが傷つけられることもあります。
生きものが生きているかぎり、お互いに影響を及ぼすのは自然の摂理なのでしかたありません。
あなたが罪悪感を抱く必要もないし、他人の至らなさも大目に見てあげましょう。
無理に社交的にならなくてもいい
上に書いたようにおしゃべりな人がいいとはかぎりません。
あなたはこの記事を読んでもすぐには他人のことを考えないようにするのはむずかしいと思います。
「人に気をつかって疲れてしまう」のなら、無理に人と関わる必要はありません。
あなたがあなたのままでいられないのなら、パーティや飲み会などは拷問に等しいでしょう。
あなたは先に帰ってもいいんです。
ほんとに楽しんでる人はじつはわずかで、ほとんどの人は「つきあいが悪いやつ」とレッテルを貼られるのを恐れて「楽しいフリ」をして居残ってるだけです。
ほんとは帰りたいと思っています。
つぎから呼ばれなくなる?
快適な集まりでないなら、むしろ呼ばれないほうがありがたいじゃないですか。
家で1人でいると寛ぐなら、それでいいです。
自分が自分のままでいられることが精神衛生上とても大事です。
もしいっしょにいて疲れるならそれは友だちや恋人じゃない
そんなあなたも友だちや奇跡的に恋人と呼べる人ができるかもしれません。
でも気をつけてください。
もしいっしょにいて疲れるなら、それは友だちや恋人じゃありません。
まちがって結婚したら自ら牢獄に身を投じたようなもんです。
その相手は依存心の権化で、あなたを餌食にしました。
あなたは網に閉じ込められがんじがらめに縛られました。
今からでも遅くはありません。
そんな人とはできるだけ早く縁を切りましょう。
鬼と呼ばれようと、悪魔と呼ばれようと無視です。
あなたはそんな相手といっしょにいても魂を吸い取られて衰弱していくだけです。
あなたの魂を吸いつくしたら、ぎゃくに寄生虫があなたの亡骸を離れていくでしょう😄
2500年前にブッダが言ってます。
ふさわしい人がいないなら1人で歩め
1人が寂しいからと魂を売ってはいけません。
人と会うときは自分第一を肝に銘じて
仕事その他、人が生きていくためにはどうしても人と関わらなければならないときがあります。
そのときは自分の心に充分用心して、「自分第一」を意識します。
他人とのやり取りで、自分が自分を無視して相手の気持ちだけ考えていないかどうか注意します。
もし気がついたら自分の気持ちに視線をもどします。
自分の発した言葉が相手のためだったら、自分のための言葉に訂正します。
行動するときは、相手のためなのか、自分のためなのか、よく吟味します。
もし相手のためにしたなら、そのことをよく理解します。
まちがっても自分のためにしたという欺瞞に陥らないように。
自分で自分を騙すことのないように。
本心でないなら相手のために行動しないこと。
相手が上司や社長なら、あくまで自分は「この仕事を失わないためにこの人に敬語をつかい、言われたことをやっているだけ」ということをよく意識すること。
まちがっても、この人たちを尊敬しているなどという欺瞞に陥らないように。
あっ、もちろんほんとに尊敬できる人なら尊敬してください。
でも、自分に嘘をついていないかくれぐれも注意してください。
おさらい
- 自分第一。自分が大事
- あなたは他人に責任はない
- それは自分のためですか?相手のためですか?
- 人の役に立とうとするな!
ぜんぶ頭にはいらないと思うので、人と会うときは「自分第一」と唱えましょう。
そして人と話しているときも、自分がなにかするときも「自分第一」と心の中で唱えます。
とくに相手が要求を持ち出してきたとき。
これはわかりやすいですが、たちが悪いのが「一般論で善悪」の話をはじめたとき。
それは一般論ではなくその人の要求、欲望を表しています。
「人の役に立つことがいいことだ」とか
「人に親切にするのはいいことだ」とか
その言葉自体は体裁のいい顔つきをしていますが、「人」というのは100%それを口にしている人自身のことで、真意は
「人 (わたし) の役に立ちなさい。要するにわたしの奴隷になりわたしに奉仕しなさい」
「人 (わたし) に親切にしなさい。あなたは自分の気持ちや利益をすべて捨てて、すべてわたしの望みを叶えるために尽力しなさい」
ということです。
あなたは、その人の奴隷ではないし、その人に奉仕する必要もないし、何1つ譲り渡す必要はありません。
たとえケチと言われようがあなたは自分の権利を握りしめて、けっして放してはいけません。
おなじことを相手に言ってみてください。
その人は何1つあなたのために奉仕しないし、何物も手渡しはしないから😄