子どもは親の所有物ではない! おもちゃでもないし、慰みものでもない!

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「親」「子」「虐待」

親にされたことは自分の子どもにはしないと決心した! 

転んだとき

「大丈夫? 」ではなく
「親に心配かけて! 😡」だった。

親が心配なのは私の体ではなく、親の気持ちのほうなのです。

転んで痛い思いをしてるのは自分なのに、転んだらまず親のご機嫌を伺わなければならない。
「自分が転ぶことは悪いことだ」
「だから転ぶこともできない」

尻叩き

しょっちゅう理由もわからず尻を叩かれました。
とにかくなんで怒られているのかわからない。
とつぜん親が怒り出して、となりのまっ暗な部屋に連れてかれて叩かれるのです。

怖いし、痛いので泣くと「泣くんじゃない!  泣いたらもっと叩くぞ! 」といってさらに叩きます。

いまだに「これをしたから親が怒ったのだ」とおぼえていることは一つもありません。

金槌で頭を叩かれる! 

ある日のこと、父親が帰ってくると居間においてあった金槌を見つけてとつぜん怒り出し、例のごとくうむをいわさず私をとなりのまっ暗な部屋に連れていき、その金槌でわたしの頭を叩きはじめました。

「こんなところに金槌を置きっぱなしにして泥棒が入ってきたらどうするんだ! 😡」

そもそもわたしは金槌を使ってないし、そこに置いてあったことさえ知りませんでした。

「知らないよ! ボクじゃないよ! 」と叫んだけど聞く耳持たず気が済むまで叩かれました。

まったく身に覚えのないことで泣きじゃくってると父親がいなくなったあとで母親がこっそり私にいいました。

「〇〇子 (妹) が使ったのよ。でもそういうことがあるから気をつけようね」

と訳のわからないことをいいました。

妹が使って置きっぱなしにしたのを知ってるならなぜそう言って止めてくれない? 
わたしにはまったく非がないのに「気をつけようね」ってどういうこと? 

妹はかわいいけど、おまえはかわいくない! 

ある日父が妹にだけお土産を買ってきました。

「ボクには? 」

と聞くとこういいました。

「妹はかわいいけど、おまえはかわいくないから」

虐待

今なら「児童虐待」の部類にはいるでしょう。

だから、もし自分に子どもができたら、こういうことは決して言わないし、しないと決心しました。
そして、それはできました。
かんたんなことでした。
当たり前のことでした。
だから、自分の子どもに対してはいっさい悔いがありません。

自分の子どもを叩いたことは一度もないし、激しく叱ったこともありません。

心配することもなく子どもはイヤなことをいったりしたりしません。
誰に言われたわけでもないのに隣の子が骨折して片手が使えなければ面倒を見てあげたそうです。
その理由についてはあとで述べます。

高熱でうなされると「うるさい! 」と怒鳴られる

わたしは中学に上がるくらいまでしょっちゅう熱を出しては学校を休んでいました。
とくに病弱というわけでもなくふだんは外で遊んでいたんだけど、しょっちゅう風邪をひいては熱を出していました。

「はやく先生の顔忘れてね (病院に来なくてすむようになってねという意味) 」と先生に言われたものです。

高熱で苦しくて辛くてうなされていると父親が「うるさい! うるさくて寝られない! 😡」と怒鳴ります。

わたしは苦しくても声を出さないように我慢しなければなりませんでした。

小学校の卒業文集で

小学校卒業、つまり小学校6年生のときの寄せ書きにこう書いてありました。

「総理大臣になる」😄

もちろん自分の意志ではありません。
親がそう望んでいた、いや求めていたからです。
でも当時のわたしはほんとに自分がそうなりたいのだと思いこまされていたのでしょう。

総理大臣になれとは言わなかったけど、常日頃「人の上に立つ人間になれ」というようなことは言ってました。
人の人格や尊厳を傷つけ否定して、理不尽な叱責ばかりして「人の上に立つような精神」が育つでしょうか? 
わたしは卑屈な精神しか身につきませんでした。

わたしはつねにいわれのない「罪の意識」「自責の念」を感じ、自分を責め、親の顔色ひいてはまわりの人たちの顔色をつねにうかがう人間になっていました。
これを拭い去るのに10年はかかりました。
今でも完全に払拭されてはいませんが。

親は大学といえば、東大、早稲田、慶応。
研究者になるならノーベル賞を取るような学者。
勤めるなら「隣近所、親類縁者に自慢できる」有名ブランド会社にはいらなければわたしを「子ども」として認めてくれませんでした。

でも親は専門学校と高卒なんですけどね。
父親は有名企業でもないけど、会社役員 (工場長) であることを声高に言ってました。

すべての子どもは親に愛されたい

子どもは親の庇護がなければ生きていけません。
歩くこともできない赤ん坊なら当然のこと。
歩きだして、言葉をしゃべるようになっても、自立できる大人になるまでは親に食べさせてもらわないと生きていけません。

だから親に受け入れられないことは死活問題です。

そんな心配まったくない人は幸せです。

でも現実には子どもを愛してない親もいる

「子どもを愛さない親なんているはずないじゃないか! 」というのは迷信です。

というより子どもを制御するためのフレーズです。
本気でこう思っている人たちは幸せです。
ほんとに愛されて大事にされて育った人でしょう。

親に愛されてるはずだと思いこもうとする

たとえしょっちゅう親に怒鳴られ、叩かれても、「自分のためなんだ。自分を愛してくれてるからなんだ」と思いこもうとします。

また、親もそういいます。

「あなたのためよ」「おまえのためにしてるんだ」

でも嘘です。

でも子どもは親に見放されたら生きていけないので必死でそう思いこもうとします。
「親は自分のことを愛してはいないんだ」と気づいても、それに気づきたくないので自分に嘘をつきます。

虐待、DV

子どもは無力なので気づいたとしても家を出ていくことができません。
なのでどんなに虐待されても親にしがみつきます。
謝れば許してくれるなら、親のご機嫌を取れば家にいられるならそうします。

虐待された子どもたちの決まり文句

「ごめんなさい」
「ゆるしてください」
「わたしが悪いんです」
「いい子になるから」

もちろん親に強要されて書かされた文章であったり、こう書かないと、言わないと、家から放り出されたら生きていけないからです。

こんなニュースを見るたびに子どもが不憫でならず、大人になってない親に憤りを感じます。

1人で生きていける大人でさえ「依存心」に縛られた人は、ほかの依存心に縛られた人に「依存」します。

自分で直立することができない「葛 (かずら) 」が大木に巻きつくならまだしも、「葛どうし」で絡み合っているのをよく見ます。
おたがいに相手にもたれかかっているけど、どちらも自立していないので、絡み合ったまま地べたを這いずり回っています。

物理的に拘束されているわけではないので大人はその人から離れることができるはずなのに、「依存心」を断ち切れない人は「愛されてなくても」「傷めつけられても」その人にしがみつきます。

嫌いな人といっしょにいる訳 ~ 依存心を断ち切れ!

親と遊びたい

これも正常な親子ならごく当たり前のことです。

何度も誘ったけど、わたしの父は一度もキャッチボールの相手をしてくれませんでした。
また、小学校高学年のころ将棋がはやっていて、相手を頼んだけど一度もしてくれませんでした。

どこかに連れてってくれるのはおじさんか、おじいさん

たまに (年に1回というレベルです) 家に来る、または夏休みや正月に行って、遊びに連れてってくれるのはおじさんや、おじいさんでした。

スキーに連れてってもらったのもおじさん。
親は一度もスキーに行ったことがありません。
プールに行くのもおじさんと。
キャンプは子供会で子供だけ。
親と行ったことは一度もありません。

おとうさま、おかあさま

わたしは親のことをこう呼ばされていました。

小学校高学年のとき学校で「家で両親のことをなんて呼んでるか」という話になり、わたしはなんの迷いもなく「おとうさま、おかあさま」と言ったら、同級生に「貴族かよ! 」と笑われました。
そのときはじめて「おとうさま、おかあさま」と呼んでるのはクラスで自分だけだということを知りました。

親は、自分の親 (わたしの祖父母) のことを「おとうさん、おかあさん」と呼んでいました。

どういうこと? 

自分もそう呼んでたから、子どもに呼ばせるならわかるけど、自分たちは「おとうさん、おかあさん」と呼んでるのに。

人 (自分) に感謝しろという人ほど、人には感謝しない

わたしの親は、子育てがいかに大変か、どれだけお金がかかるかという話をして、わたしに「感謝」を強要しました。

ところが、わたしの親は自分の親 (わたしの祖父母) の悪口ばかりいい、会っても口ゲンカをしょっちゅうしてました。
感謝など、ひとかけらもない。

大学受験に落ちたとき

合格発表のボードに自分の番号がない。
意気消沈して家に帰ると待ってた言葉がこれでした。

「がっかりした! 楽しみにしてたのに! 😡」

『初めて恋をした日に読む話』に自分とまったくおなじ状況の主人公が出てきて身につまされました。

不合格を知り落胆してるのは自分のほうなのに、親は慰めたり、いたわったりすることもなく、責めるのです。

「自分は親の欲望を満たさないと受け入れてもらえないのだ! 」「大学に行けない自分はこの家の子どもとして認めてもらえないのだ! 」

浪人生活は地獄でした。
ふつうの人とちがうのは「自分の無力感」や「将来への不安」ではなく、一重に「親に受け入れてもらえない」「家にいる権利がない」という思いです。

一浪してけっきょく東大、早稲田、慶応にははいれず、3流大学というところでしたが、「これで家にいられる」という思いで、合格してうれしいという気持ちはまったくなく「ほっとした」というのが正直な気持ちでした。

こんなときも祝ってくれたのはおじさんです。
「大学に行っていろんな人に会うと楽しいこともたくさんあるから」

失敗したときに言い訳をする人、しない人

中学のときにテニスをしていて練習風景をビデオで見る機会がありました。

するとわたしは球を打ち損なうたびに大声で「あーっ! 」と叫ぶのです。
ほかの人は黙っています。

わたしはこのビデオを見てよくわかりました。

転んだら「親に心配かけて! 😡」と怒られる。
大学に受からなかったら「がっかりした! 😡」と怒られる。

自分は失敗したら親に怒られる。親に受け入れてもらえない。
自分に失敗は許されないのです。
だから親に怒られる前に大声を出したり、言い訳をしたりするんです。

いっしょにビデオを見ていた親は、
「ほかの人は黙ってやってるのに、あなただけ大声出してみっともない! 😡」と怒ったけど、それはあなたのせいですよ! 

茶碗を持つ手が震える

本態性振戦というのでしょうか。
30歳すぎてから発症しました。

いつもではないです。
人に見られてると意識したときに震えることがあります。
また、人前で字を書かなければならない場面でも震えることがあります。
どうかわたしの手元を見ないでくださいと思います。

これも子どものころに、味噌汁をこぼすと、人殺しでもしたかのように怒鳴られた経験からだと思います。

だから空の器を持っても手は震えません。
そんなのあたりまえだと思うかもしれないけど、そう思える人は幸せな人です。

この経験からわたしは、自分の子どもがこぼしたときは「こぼしてもいいから、すぐ拭こうね」といって拭きます。

失敗しても言い訳しない人

かれらは失敗しても怒られたり、咎め立てされたりしないで育った人たちです。
失敗してもダメ人間と言われなかった人たちです。
失敗しても人間として悪者にされたりすることがなかった人たちです。
ただ人として受け入れられてきた人です。
そもそも責められないのだから、言い訳する必要がないんです。

カラオケ事件

隣の家が毎晩、夜中の2時、3時にカラオケを大音量でするようになりました。
1時間くらいはやってます。

ある日、夜7時くらいに帰ってくると外でやっていたのでわたしは「うるさいんだよ! 」と日頃の鬱憤もこめて怒鳴りました。
すぐ隣の家の人がうちに怒鳴りこんできました。

すったもんだで結局わたしが頭を下げることになったんだけど、わたしには淡い期待がありました。

「よく言ってくれた」の一言です。

毎晩、夜中の2時、3時に騒音をまき散らしている人に問題があるのに、まわりの住人が我慢しなければならないほうがおかしいです。それこそ警察に通報してもおかしくありません。

しかし、その一言はありませんでした。
期待したわたしがバカでした。

そのとき決めました。

家を去る

親が自分のことを愛してないことは気がつきはじめていたし、親が自分の味方ではないことはよくわかったのでだまって家を去ることにしました。

ただ「親が自分を愛してない」という事実を認めるのは、死ぬほど怖くとても悲しく辛いことでした。

自分の子どもに対して決めたこと

自分がされてイヤだったことは自分の子どもにはしない

世の中には自分がそうされたから、人にもそうするという人がよくいるけど、わたしは自分がされてイヤだったことは決して子どもにはしないと決めました。
そして、それはむずかしいことではありませんでした。
わたしにとっては当たり前のことでした。

何より子どもがかわいいので、子どもに腹を立てたことがありませんでした。

じっさい子どもはわたしにイヤなことをいったり、したことがありません。

一度だけメガネをあらぬ方向に曲げられて「これはしちゃだめだよ! 」と怒ったことがあるけどそれくらいですね。
もちろん子どもに悪気などこれっぽっちもないことはわかっていますから。

子どもは泣くものだし、食べものはこぼすし、おむつは換えなければなりません。
でも、そんなの当たり前のことじゃないですか? 

スーパーなどで子どもを怒鳴りちらしたり、腕をつかんで激しく引っぱったりする親をときどき見かけますが何をそんなに怒っているんでしょうか? 

自分の思い通りにならなくて駄々をこねてるのはむしろ親なのでは? 

大人より遅いのはあたりまえ

これもわかってない大人が多いので驚きます。

シャツのボタンを留めるのに時間がかかる。
靴をはくのに時間がかかる。
はいても左右逆だったりする。

歩くのも遅い。

大人の口癖は「もっと早く」です。
わたしの母はわたしのことを「スローモー」と呼んでいました。

あなたは生まれたときからすばやく服を着て、靴をまちがえずにはいて、大人のように歩いたんですか? 

子どもはなんでも自分でやりたがる

ある時期になると自然に子どもはなんでも自分でやりたがるようになります。

こんなチャンスはないじゃないですか? 

それを「遅い」という理由で「急かす」。
あるいは親がやってしまう。

子どもの成長の機会を奪ってしまいます。

自分がしてほしかったことを自分の子どもにする

とにかく話を聞いてほしかった。
いっしょに遊んでほしかった。

抱っこやおんぶをたくさんしてほしかった。

シルバニアごっこにお絵かき

いやあじっさい40、50のおっさんがシルバニアごっことか、お絵かきとか進んでやりたいとは思いません(^_^;)

「お絵かきなら1人でできるんじゃないの? 」というと、「いっしょにやりたいの! 」といいます。

今だけだもんね! 

いつもこう思って子どもとつきあいました。

「パパ、パパ。遊んで~」というのは今だけです。

疲れてる。忙しい。
そういうときもあります。

でも、子どもが「遊んで~」といってくれるのは今だけです。
誰に教わったわけでもないけど、わたしはなぜかこのことがよくわかっていました。
心配しなくても、小学校に行きはじめると学校の友だちができて親とは遊んでくれなくなります(^_^;)
とくに女の子なので思春期になったら「うぜえ」とか「くせえ」とか言われるのではないかとビクビクしてました😄

どうしても手が離せないときは「待って。これ終わったらやるから」といってかならず約束を守ります。
これが大事。

「これ直して! 」は千載一遇のチャンス! 

ペンダントの鎖が外れたのをちょっと直してあげるだけで、あなたのことを尊敬の眼差しで見てくれます😄

「親は尊敬するものだ」などという陳腐な言葉を100回繰りかえすよりよほど効果的です! 

子は親の鏡

めんどくさいので「あとで」といってけっきょくやらない人が多いけど、それは子どもに「大人はこうやって逃げるんだ」ということを学習させます。
魔法の言葉「あとで」をいえばやらなくてすむんだと思わせます。

ほら、あなたが「宿題やったの? 」と聞くと、「あとで」と答えるでしょう。
あなたのせいですよ。

中学くらいになって「子どもが口も利いてくれない」などという大人が多いけど、それは「あなたが子どもの話を聞かなかった」何よりの証拠です。
いまさら子どもに相手をしてくれなどというのは自分勝手です。

それこそ自業自得です。

子どもと遊ぶのがしあわせ

こう思えない人はかわいそうですね。
こういう人たちは子どもを作らないほうがいいです。

疲れていても子どもと遊ぶと疲れが吹き飛びます。

おんぶに抱っこに肩車、パパの膝、グルグル

肩車もよくしました。
わたしはしてもらった思い出は一度もありません。

子どもは何も言わなくてもわたしが座っていると勝手に膝の上に乗っかってきます。
そこが落ち着ける場所だからです。
これはとてもうれしいことです。
私自身は親の膝に乗った記憶がありません。

子どもはスリルを好みます。
だからグルグル振りまわしてもらうと喜びます。
子どももわたしも目が回るけど「もっとやってえ~」と来ます😄
これもおじさんにはしてもらった記憶があるけど親にはありません。

子どもと何をしていいかわからない? 

とくにお父さんと娘だとそう思うかもしれません。
男の子ならキャッチボールとかすればいいと思うけど。
わたしもその懸念はありましたが、あまり「女の子だから」ということを考えないようにしました。

自分も楽しくないとむりに子どもとつきあっても楽しくないので、自分が好きなところに連れてって、好きなことをしました。

子どもも別に自分が男だからとか、女だからとか考えてないので親といっしょに遊べればそれでうれしいんです。

山登り、スキー、キャンプ、カヌーとよくつきあってくれました。
逆にこっちが感謝! 

無理じいはしません。
連れてっても子どもが嫌がったらやめます。

でも、喜々としてやってました。
山登りなど、大人は山に登ることや、山頂からの景色を眺めるのが目的だと決めつけているけど、子どもは落ちているドングリや松ぼっくりを拾うのに夢中です。
それでいいんです。
山頂まで登らなくてもいいんです。

こういう場所でも嫌がる子どもに「根性だ! 気合だ! 」と精神論を押しつけてるバカな親を目にします💦

スキーに行って疲れてくると転びはじめます。
「帰ろうか? 」というと逆に「イヤだ! 」といいます。

車に乗ると1分で眠りにつきます。
パパはこれから家まで車を運転しなきゃいけないのに、と思いながら子どもの安らかな寝顔に顔がほころびます。

親は最後の砦

たとえ世の中すべてが敵になっても自分だけは子どもの味方でいようと。
極端な話、子どもが過って殺人を犯したとしても自分は味方でいようと。
もちろん罪は償わなければなりません。
でも、子どもの味方でいようと。
それくらいの覚悟はありました。

子どもが事故に遭って臓器が必要なら自分のをあげる。

何があっても自分の親は自分を見捨てない、いつでもどこでも自分の味方で、自分を守ってくれる存在だと子どもが思えるように。

そうすれば自殺なんて起きるわけがありません。

学校、先生、クラスメートのせいにするけど、いじめがあったにしても親が味方であれば子どもが死ぬことはありません。
問題が解決しなければ転校したって全然問題ありません。

子どもは大人の言うこと、することをよく見ている! 

駐車場の車止め

これはほんの一例ですがとても印象に残っていていまでもときどき思い出します。

子どもと駐車場に行くと、車止め (車がそれ以上うしろに下がらないように設置してある縁石のようなもの) が1つだけ斜めになっていました。
わたしは何の気なく「アスファルトから剥がれているんだろう」と足でつつきました。
すると横にいた子どもがすぐさま、その車止めを蹴ったんです! 

わたしは思わず笑ってしまったと同時に怖くもなりました。

「見てる!  そして同じことをする! 」

子どもはわたしがなぜそれをしたかなんて考えてないでしょう。

「パパが蹴ったからそれは『蹴るもの』なのだ」と思ったのでしょう。
あるいは蹴ったら何か面白いことが起こると思ったのかもしれません。
そこに「いいか、悪いか? 」などという判断はいっさいありません。

わたしは子どもに「こうしなさい」などと一言もいってません。
でも、子どもは私がしたことをすぐにマネしたのです。
100回「こうしなさい」というより、どれだけ影響力と効果があることか! 

でも、自分が手本を見せれば子どもはそれをマネる。
だから、とくべつ「ああしろ」「こうしろ」「あれはしちゃいけない」「これはしちゃいけない」という必要がない。

子どもに100回「信号を守りなさい」といって、自分が信号無視をしたら話になりません。
そのくせ「大人はいいんだ」とか、「親のすることに子どもが口をだすんじゃない」とか言い訳にもならない言い訳をしても子どもの尊敬は得られません。
不信感と軽蔑をもらうだけです。

「人にやさしくしなさい」というより、自分が人にやさしくしてあげればいい。
子どもはそれを見てます。

だから「人に親切」とか、「人にやさしく」してる意識などなく、子どもは親がやってるから自分もマネするだけです。

新聞配達

わたしは家を出たあと行くところがないので新聞店に住み込みで新聞配達をやりました。

配達中にこどもが「おい! しんぶんや! 」といいます。
「あれあれ。ここのお母さんはとてもお上品な方なのに家では『しんぶんや』と言ってるんだなとすぐバレてしまいます。
気をつけましょうね=^^=

当り前のこと

子どもは泣くし、おむつには漏らします

なんでこんな当たり前のことわからないんでしょうか。

子どもが泣くと寝られないけど「うるさい」と思ったことは一度もありません。

子どもが病気で高熱を出したり、下痢をしたりします。
かわいそうだと思います。
代われるなら自分が代わってあげたいです。
なんで面倒だとか、迷惑だとか思うことがありましょうか。

運転席でおむつ替え

このことは妙によく覚えているのだけど、まだやっと歩きはじめたばかりのときに雨引観音に遊びに行きました。
そこの太鼓が好きで何度も行っていたところです。

雨引観音~茨城県桜川市。孔雀の放し飼い

歩きはじめたばかりなので階段も子どもにとっては「アトラクション」の一つです。
自分の力でできることがなんでもうれしいんです。
やったことがないことができる。それがうれしい。

階段を降りてる途中で大きいのをしました。
いつもより特大で股間を揺らしながら。
でも、そこではどうしようもないのでそのまま駐車場までもどり、助手席にはチャイルドシートがついてるので、運転席でおむつを替えました。

それが楽しい思い出として残ってるんです。

子どもはおむつにしたあとも機嫌が悪くなることもなくニコニコしながら階段を降りてくるんです。
そこで親が「こんなところでして! 」とかいって怒ったりすると、子どもはそれがいけないことだと学習して、機嫌が悪くなったり、泣いたりするようになります。

でも、「わあ!  大きいの出たな! でも、ここじゃ替えられないから車までもどろう」と笑いながらいえば、子どもも「罪悪感」を持つことなくニコニコしながら歩きつづけるんです。

大人の反応で善悪を判断する

大人の反応をよく見ています。

だから、おなじ「転んだ」というできごとでも、親が怒ったら「いけないことをしたんだ」と思うし、「大丈夫? 」といいながらものすごく心配そうにふるまえば子どもは「ものすごく危ないことをしてしまった」と認識してしまいます。それで泣いてしまったりします。

心配しながらも「大丈夫。大丈夫!  大したことない! 」と親が笑顔でいれば、子どもも安心してすぐ立ち上がって歩き出します。

こうして転んだときに泣いたり、不機嫌になったりしてそのまま立ち上がらない子どもになるか、小さなことは気にしないで笑いながらまた立ち上がって歩ける子どもになるか決まります。

人にしたことはかならず自分に返ってくる

親を尊敬しろとか、感謝しろなどというより、子どもをほんとに大切にして物を言ったり、行動したりすれば、子どもは自然に親を尊敬して感謝します。

子どもに笑顔で接すれば子どもも親に笑顔を返すし、親がいつも怒ってれば子どももいつも怒っている人間になります。

無視すれば、無視される

子どもの話を聞けば子どももあなたの話を聞きます。
子どもが言うことを聞いてくれないのは、あなたが子どもの言うことをいっさい聞かないからです。

力で人を抑えたなら、力で人に抑えられる

躾という名目で自分の欲求を満たし、不平不満のはけ口とし、子どもをサンドバッグ代わりにするなら、子どもがあなたより力を持ったときにあなたをサンドバッグにするでしょう。
それはあなたのせいです。

天に向かってつばを吐く。自業自得。因果応報 ~ ブッダのつぶやき

悔いなし

いつも「今だけだもんね! 」と思いながら子どもとつきあってきたので、微塵も悔いはありません。

ひげおじさん
楽しかったな!
さっちゃん
わたしも!

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