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嫌いな人といっしょにいる訳 ~ 依存心を断ち切れ!

犀の角

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「1人歩む」「依存心を捨てる」「自立」「犀の角」

ブッダ
ともに歩むのに、ふさわしい人がいないなら、ただ1人歩め。犀の角のように!

<スッタ・ニパータ 第1. 蛇の章。3. 犀の角 35-75>

否定的な相手と一緒にいる理由

親子、夫婦、恋人、友だち?

家族や友人でも仲が悪いのにずっと一緒にいる人がいますね。
いつも喧嘩してるのに別れない人がいます。

なぜ彼らは別れないのでしょうか?

嫌いなら、愛してないなら、一緒にいて楽しくないなら別れればいいのに。

否定する人は否定することに命をかけてる

ああ言えばこう言い、こう言えばああ言う。
人が白といえば、黒と言い、人が黒と言えば、白と言う。
人が右に歩けば左に、人が左に歩けば右に歩く。

人が話す前から手や首を横に振る。

なぜならその人の価値観や理屈から否定しているのではなく、「否定すること」が習性であり自動実行プログラムだからです。

否定する側

嫌いなのに別れない理由

ほんとに好きではないです。
嫌いです。

でも、その嫌いな相手と居つづけるのには理由があります。

相手を否定する。
自分より劣っていると言い、自分もそう思い込み、相手にもそう思わせ、相対的に自分が優れている、価値があるかのような感覚を味わえるから。

「八つ当たりの相手」「うさ晴らしの道具」といっても過言ではありません。
もっといえばサンドバッグ代わり。

いわゆる「優越感」というやつです。

「優越感」は「劣等感」の裏返しでしかありません。

ほんとに自信がある人は、人の評価も要らないし、誰かと比較する必要もないし、まして自分より能力的に劣っている相手を探す必要もありません。

自分に価値がないとわかっているから、必死になって、自分より「劣っている」相手を探し求め、ひとたび見つけたらけっして放しません。

そもそも誰かより優れているとか、誰かより劣っているということ自体この世には存在しません。

否定される側

嫌われているのに別れない理由

このひと以外に自分の相手をしてくれる人はいないと思っている。

たとえ相手が自分のことを嫌っていても、自分をバカにしていても、このひと以外に自分の相手をしてくれる人がいないと思っている。

この人と離れたら自分はひとりぼっち。
ひとりぼっちになるのが怖い。

だから、嫌われていても、バカにされても、場合によっては暴力をふるわれてもその人にしがみつきつづける。

けっして相手のことが好きでも、尊敬してるわけでもない。
でもこの人に捨てられたら生きていけないと思いこんでいる。
あるいは洗脳されて、そう思いこまされている。

どちらも相手に依存している!

薬物中毒と変わりません。
アルコール中毒、ニコチン中毒、ギャンブル、その他といっしょです。

それらが体を痛めつけ、あるいは事後、不快感を覚えても依存してしまうとやめることができなくなります。

ほんとは嫌いなのに理由をこじつけて「しがみついてるだけ」

寄生虫と一緒

否定する側は自分の慰みもの、鬱憤ばらし、自分の劣等感を一時的に見えなくするためだけの対象にしているのに、その「叩く」相手がいなくなると1人で生きていけなくなるので、じつは否定する相手がとても大事です。

なのでいつも寄生する相手を探しています。
ひとたび見つけて取りついたらけっして放しません。離れません。

もし、相手が離れる素振りや言動を見せたら、「ほんとうは愛してるんだよ」というようなことをいいます。

それが効果を示さなければこんどは「 (わたしから離れるなんて、わたしを捨てるなんて) おまえはひどい人間だ! 」と脅しにかかります。

いや、もしかしたらそれが「愛」だと本人も信じこんでいるかもしれません。
すると、もはや演技ではないのでほんとに始末が悪いです。

とくに親子関係で立場の弱い子どもにとって、「子どもに依存する親」は世の中でいちばん恐るべきものかもしれません。

いっぽう寄生される子どものほうも、親である相手に依存しているので「ほんとはこの人は自分のことを思っていろんなことを言ったり、してくれてるんだ」と思いこもうとします。
親も「あなたのため」とか「あなたを愛しているから」とかよくいいます。

とくに子どもは親に食べさせてもらわないと生きていけないので、こういうことが起こりがちです。
あるていど大きくなって自分で生活できるようになるまでは親に依存するしかないからです。

困ったちゃんにはかかわるな!

家族でも、親戚でも、会社でも、友だちグループでもかならず「困ったちゃん」がいるものです。

困ったちゃんはいつも寄生する相手をさがしている!

ひとたび取りつかれたらけっして離れません。
ダニや寄生虫といっしょで、いつも寄生する相手をさがしています。

困ったちゃんは人情にうったえかける

怒ったり、泣いたり、あるいは義理、人情、人道論ありとあるゆるものを駆使してあなたを縛りつけようとする!

そもそも「ちゃん」で呼ばれている人は要注意!

いい年したおっさんが「〇〇ちゃん」と呼ばれている場合は、その人はまちがいなく相当の厄介者です。
「〇〇ちゃん」と呼ばれて喜んでいるのがすでに幼稚です。
ふつうに成熟して自立した大人なら「〇〇ちゃん」なんて呼ばれたくないです。
逆に「バカにしてんの!?」と思うのがふつうです。

まわりの人はめんどくさいから、下手に関わりたくないから、いや絡まれたくないから「ちゃん」をつけて泳がせているだけです。
自分のところに来ないでね。

むかしからおなじところに住んでる幼なじみは別です。

駆除方法

相手と議論など戦わしてはいけません。
寄生虫はその点ではあなたよりすごい能力を身につけています。
やつらは生まれてから今まで何十年とその能力を磨いてきたのだから😄

寄生虫があなたのことを「鬼」「悪魔」「人でなし」と罵っても相手にしてはいけません。

ただひたすら無視しましょう!

できるなら即刻、その人から離れましょう。

家族なら別れる。家を出る。
会社ならやめる。

精神エネルギーをすべて吸い取られて死ぬよりマシです。

諸事情でその場から離れられないなら「無視」です。

あなたがもし適当に相手したり、理屈で説明しようとしたり、怖い顔をしてみせたりしても、どちらにしても寄生虫は「自分に反応してくれた」ことで喜ぶからです。

こんなあなたは要注意!

人に気に入られたい。
人の役に立ちたい。
人に「役に立った」と言われたときだけ幸せな気分になる。満たされた気分になる。
人の役に立つことをやったと思ったのに、誰からも感謝も褒め言葉もないと、空しくなる。ムダなことをした気分になる。
人の目が気になる。
人の態度や視線が冷たいと感じると、自分が悪いことをしたにちがいないと自分を責める。
人と衝突したり、意見がくいちがうと、かならず自分のほうがまちがっている、悪いと思ってしまう。
たとえ自分が正しいと思っていても、人との対立を避けるためとりあえず謝ってしまう。
そのうちほんとに自分が悪い気がしてくる。

人の評価が気になる。
いや、人の評価がすべて。自分自身の価値観や基準をまったく持っていない。

自分が好きなこと、自分がやりたいこと、やろうと思ってたことも、他人が否定するとやめてしまう。

自分はいい人でありたい。
誰からも好かれ、気に入られる人間でいたい。
自分に欠点はあってはいけない。
自分は完璧な人間であるべき、あるはずだと思う。
自分が他人を傷つけることなどありえない、あってはならない、あるはずがないと思っている。
もし、そのようなことがあれば自分は人間失格である。生きる資格はないと思ってしまう。

思い当たる人は気をつけましょう。

依存心の餌食になる素質マンマンです。

人の役に立たないとダメなの? ~ あなたの価値は誰が決めるの?

依存心を断ち切れ!

こういう困ったちゃん、寄生虫を一刀両断にできないのは、あなたの中にも「依存心」があるからです。
その相手から直接、恩恵を受けることはないでしょう。

ただ、まわりの目とか、世間体とか、「弱いものを助けるのがいい人」みたいな社会通念。
そういったものを守ろうとするあなたに依存心があるのです。

自分の足で立て!

エセ家族ごっこ、夫婦ごっこ、恋人ごっこ、友達ごっこはやめましょう!

自分の気持や都合で家族や、伴侶や、恋人や、友だちを切り捨てるのは自分のエゴや、人道に反しているのではないか? などと考えてしまいます。
でも本当は自分が1人になるのが怖いだけだったりします。
それをあたかも「人のため」のようにすりかえているだけです。

あるいは「人の目」「世間体」を気にしているにすぎません。

これらもまた「依存」です。

ほんとにあなたが自立しているなら「他人の評価」は必要ないはずです。

さらば寄生虫!

あなたの精神エネルギーを餌とする寄生虫はバッサリと切り捨てましょう。
それはけっして人道に反することでもないし、恥ずかしいことでもありません。

いつまでも寄生虫にあなたのエネルギーを吸わせているほうが恥ずかしいことです。

渡る世間は鬼ばかりではない

わたしは親から世間は鬼ばかりで、今いる家だけが平和な世界だと洗脳されました。
あなたの親だけがあなたの味方だと。

ところが親はわたしの味方ではありませんでした。

わたしを依存する宿主としていただけです。
親はわたしに寄生していました。

じっさい世に出てみると、親が言うほど恐ろしい場所ではなく、それどころか何の血の繋がりもない通りすがりの人の世話になったり、助けてもらうことのほうが多かったです。

もちろんすべてが善人ではないけど、すべてが悪人でもないというのが事実。
そして、あなたが思うより意外と善人は多いものです。

世の中にはあなたのことを肯定してくれる人かならずがいる

この人と離れたら、誰も自分のことを相手にしてくれないのではないかと「否定する相手」にしがみついているあなた。

世の中にはかならずあなたのことを「肯定してくれる」人がいます。

少なくとも、ほとんどの人はあなたのことを「何とも思ってません」😄

つまりとくに肯定するわけでもないけど、否定もしない人が大部分です。
ほとんどの人はあなたに興味がありません。

だから「否定する人」にしがみつくのは愚かなことだと気づいてください。

いま一緒にいる相手こそ鬼だ!

いまこそ鬼、寄生虫と訣別しましょう!

「あなたのことを思っていってあげてるのよ」
「あなたのためにしてあげてるのよ」

という人にほんとにあなたのことを思っている人はいません。

「あなたのため」という言葉は100%「自分のため」です。

たとえ1人でも敵といっしょにいるよりはマシ!

孤独がこわい?

1人はさびしいかもしれません。

でも、敵といっしょにいるよりはマシです。

あなたのことをいつも「否定して」「攻撃する」人となぜいっしょに居つづけようとするのですか?
あなたの寝首を掻くかもしれない人となぜひとつ屋根の下で暮らすのですか?

敵がいない生活をはじめれば、はじめはさびしさを感じることもあるかもしれないけど、やがてその「解放感」にこの上ない安らぎを感じることとなりましょう。

ふさわしい相手がいないなら1人で歩め!  犀の角のように

ブッダが2500年前に言ったことばです。

さびしいからと、愚かな連中といっしょにいないように。

勘違いしないでくださいね。
誰ともつきあうなということではありません。

無人島で暮らせといっているのではありません。

ただ、さびしいからといって、くだらない連中とつるむのはやめましょう。

あなたをバカにしたり、からかったりするような連中はけっして友だちではありません。
あなたを悪行に誘う連中も友だちではありません。
さっさと別れましょう。

いっしょにいるべき人

理想はあなたと志を同じくする人

あなたと価値観が同じで、同じ方向に進む人と人生の旅を共にすることができればこれ以上、心強く、楽しい旅になることはまちがいないでしょう。

でも、その場合でも一人ひとりは独立、自立していなければなりません。
どちらかが相手に依存しはじめたら2人の関係はおかしくなってしまいます。

進む道が変わるなら、しがみつくことなくそれぞれの道に進む覚悟は持っていましょう。
ケンカ別れするのではありません。
それぞれ自分の信じる道、自分が進みたい道を進むだけのことです。

「一生この人といっしょに」というのは執着です。

まずこのような人と出会うことはないでしょう。

あなたを肯定する人

食べものの好みや、趣味、聞く音楽の種類、さまざまな価値観、性格、生活リズム。
そんなものはちがってもいいんです。

意見がちがっても、あなたのことをつねに「肯定する人」

これが夫婦でも、恋人でも、友だちでも絶対条件です。

少なくともあなたを否定しない人と

最低でも、あなたを否定しない人。
これがいっしょに生活できる最低条件ですね。
まあ、いてもいいけど、べつに一緒にいる理由もありません(^_^;)

いついなくなってもいいけど、少なくともそばにいても害はない人です😄

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