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「anger」「怒る」「怒らせる」「怒らされる」
anger ≒ 怒る
anger = 怒らせる (使役)
anger は他動詞です。
他動詞と自動詞
他動詞は、目的語を取り、その目的語 (対象) に対して動作を行うものです。
「本を読む」「字を書く」「音楽を聞く」「日本語を話す」「ごはんを食べる」「釘を打つ」など。
自動詞は、目的語を取らずに単独の動作で成り立つものです。
「歩く」「笑う」「寝る」「立つ」「座る」など。
だから anger は日本語にすると「怒る」ではなく使役形の「 (誰かが誰かを) 怒らせる」です。
たとえば子どもが遊んでいて鉢植えを割ってしまいました。
わざとじゃありません💦
すると、その行為が父を「怒らせる」のです。
鉢植えを割ったので、
子どもが父を怒らせる/怒らせた。
A child angered his father.
でも、日本語では「怒らせる」はつかいません。
※ 説明のため現在形をつかっていますが、「怒る」はふつう現在形でつかうことはありません。
「わたしは (これから) 怒ります」とは言いませんね。
「 (わたしは) 怒った😡」です。
be angered 怒らされる (使役の受身)
じゃあお父さんを主語にして受身にすると、
父が子どもに怒らされる/怒らされた。
A father was angered by his child.
しかし、日本語ではこれもつかいません。
ふつうは何と言うでしょうか?
get angry ≒ 怒る (自動詞)
そうです。
父が怒る/怒った。
A father got angry.
父が子どもに (対して) 怒る/怒った。
A father got angry with his child.
日本語では自動詞、他動詞という言葉はあまりつかいませんが、目的語 (対象) を取らずに自分一人で動作するものを自動詞と呼びます。
だから、
「子どもに怒る」と言うけど、
「子どもを怒る」とは言いません。
もっというと「子どもに怒る」もあまりつかいません。
自然な日本語
この場合、もっとも自然な日本語はこうです。
「子どもが鉢植えを割ったので、父は怒った」
日本語の「怒る」
① 1人で怒る (自動詞)
よくわからないですね💦
「腹を立てる」とも言います。
自動詞で、誰かがしたこと (場合によっては自分自身のこともある) や、自然現象に対して自分の正義や「こうあるべき」姿に合わないときに不快感をおぼえ頭に血が上り動悸が速くなる状態です。
子どもが鉢植えを割ったのも悪意があってわざとした場合もあるし、たまたま手が当たって倒してしまっただけのこともあります。
また、雨が降るというような人間にはどうしようもない自然現象の場合もあります。
さらには自分がまちがえたり、失敗したときに「自分はまちがえない人間であるべき」「自分は完璧で失敗など許せない」という愚かな考えに取り憑かれているときは、自分に対しても「怒ります」😄
② 他人の過ちを咎める (とがめる)
叱る (他動詞)
雨に腹を立てることはできるけど、雨に対して叱ることはできません。
対象は人間で、自分より立場が下の者にかぎります。
社長を叱ることはできません。
物理的には可能だけど、すぐクビになります😅
子どもが悪さをしたときなど「子どもを叱る」ことになるんだけど、「正義は人の数だけある」というようにあくまで立場上、権力のある者の一方的な物差しで行われるので、ほんとに「子どものため」「社会のため」に叱っているのか、単に自分の虫の居所が悪かったから八つ当たりをしてるだけなのか、はたまた単なる専制君主のわがままなのか判断に苦しむ部分もあります。
ただ言葉としては「怒る」といったときに単に「腹を立てる」のではなく、「叱る」「注意する」「他人の過ちを咎める」などの意味でつかわれることもあります。
この場合は、「怒る (叱る) 」相手 (対象) があるので他動詞のように働きます。
でも、「怒る」は自動詞なのでやはり目的語は取れません。
目的語をつけると変な日本語になります。
英語だと anger (怒らせる) ではなく、scold (叱る、叱責する) に近いです。
言語はけっして1対1では対応しないので、まあ近いかな、としか言えません。
怒る、叱る
能動態
父が怒る。 (自動詞)
父が子を叱る。 (他動詞)
はつかいますが、
× 父が子を怒る。
はつかいません。
「怒る」は自動詞なので目的語を取れません。
受身 (受動態) 自然な日本語
この場合、もっともつかわれるのが「子ども目線」の「受身」です。
「怒られる」「怒られた」ですね。
父に怒られる/怒られた。
父に叱られる/叱られた。
これが自然な日本語です。
怒られるよ!
嫌な言葉ですね。
でも、とてもよく聞きます。
「自分にとって不都合なこと、不愉快なこと、面白くないこと、やってほしくないこと」などをさも「それが常識だから」「それこそが正義だから」と正義を盾に相手に脅しをかけて牽制します。
「やめなよ。先生に怒られるよ!」
子どものころ、この言葉を何百回、何千回聞いたことでしょうか。
40、50のいい大人になっても言う人がいます。
さすがに先生はいないのでただこう言います。
「怒られるよ!」
「誰に?」と聞き返したいです。
そこには暗黙の了解で、社長や上司を思い浮かべています。
わたしが言っても聞かないだろうから、「社長に怒られる」と言えば聞くだろうというみみっちい根性が垣間見えます。
怒られるからやめるのではなく、悪いことだからやらない
「怒られるよ」という脅しは裏を返すと「怒られなければやってもいい」ということになります。
人が見てなければ、見つからなければ「怒られない」のでやってもいい。
ちがいますよね。
悪いことだから「やってはいけない」んです。
小人閑居して不善をなす至らざる所無し
「閑居」はもともとは「間居」で「1人でいること」です。
もっというと「門」の中は「月」だけど漢字が出てきません。
誰も見てなければ野山にゴミを捨てるような者を「小人」といいます。
ブッダの言葉によく出てくる「愚かな人」といってもいいでしょう。
これには続きがあって、「君子は人がいてもいなくても、誰も見ていなくてもいつも変わらず慎み深くいるものだ」と書かれています。
ほんとはこちらの言葉のほうが大事なんだけど「小人閑居して…」のところだけが言われるようになっています。
わたしは日本語教師をしています
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