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「くれる」「くださいませんか」「いただけませんか」
依頼のことば
じつは複雑怪奇な日本語
~くれる?
これは友だちや家族、または下に見ている相手に対してつかいます。
主語はもちろん相手です。
(おまえが) (わたしに) ~してくれる?
会話でつかうときは、自分と相手しかいないので、「おまえ」と「わたし」は言いません。
命令・依頼は強さの順番でいうと
しろ (よ) !
しなさい
して (くれる? / ください)
してくれる?
してくれない?
否定形にすると婉曲になる
~くれない?
そのまま「~くれる?」より「~くれない?」のほうがすこし柔らかくなります。
これは日本語すべてに言えることです。
たとえば意中の彼女をデートに誘うときにこう言ったらどう思うでしょうか?
明日、ディズニーランドに行きますか?
はあ?
行くことが決まってんの?
行くのが当然みたいな言いかたじゃん!
誰があんたと行くか👿
ふつうはこう言うでしょう。
明日、ディズニーランドに行きませんか?
相手がどう思っているかわからない。
当然のことではない。
まだ決まっていない。
そういうときは「否定文」にします。
それが日本語の掟です😄
肯定文にすると、たとえ疑問文でも、
選択の余地なし!答えはYesと決まっている!というニュアンスになってしまいます。
~もらえる / もらえない?
この形もあります。
「くれる」と「もらう」のちがいは、主語がちがうことです。
くれる:相手が主語
もらう:私が主語
たとえば
彼がプレゼントをくれる。
私がプレゼントをもらう。
ほとんどの人は気づいてないと思うけど、「もらう」ではなく「もらえる」という可能形になっています。
上の例文だと
プレゼントをくれる / くれない?
とは言えるけど、
プレゼントをもらう / もらわない?
とは言えないからです。
「くれる」は相手が主語なので成り立つけど、
「もらう」は私が主語なので成り立ちません。
だから「もらえる」という可能形にします。
私が (彼に) 〇〇してもらう可能性があるか?ということです。
まどろっこしい日本語ですね😅
でも、みなさんこれを使いこなしてるんですよ。
凄すぎる!
日本人!
丁寧な依頼 (敬語)
さて問題は丁寧な依頼です。
くれる→くださる (下さる)
もらう→いただく (頂く / 戴く)
漢字はカッコ内のとおりですが、ふつうはひらがな書きます。
むかしは何でもかんでも漢字で書くのが偉いような風潮がありましたが、漢字はひと目で意味がわかる反面、「主張が強すぎる」という嫌いがあって副詞や、ほかの言葉に付属する言葉はひらがなで書いたほうがバランスがいいです。
「戴く」なんてうるさすぎますね。
副詞を、強ち、恰も、寧ろ、などと書くと、うるさいでしょ😄
~くださいますか / ませんか?
さて、「くれる」の敬語は「くださる」なので丁寧な言いかたにしようと思ったら、
「~くださいますか / ませんか?」です。
ちょっと脱線すると、
もともとは「くださる」に「ます」がついて「くださります」
「り」が「い」に音便変化して「くださいます」
「くださいます」の命令形が「くださいませ」
古い形は「くださりませ」
そのうち「ませ」が脱落して「ください」になりました。
ごめんください (ませ)
ごめんなさい (ませ)
いらっしゃい (ませ)
などはそのまま現代語に受け継がれていますね。
本線にもどります。
「~くださいますか / ませんか」
もありですが、ふつう使いません。
なぜでしょうか?
まず上に書いたように肯定形の「くださいますか」をつかうと
やって当然、当たりまえ、やるべきだ、やらないという選択肢はない、という脅迫的なニュアンスになります。
丁寧な装いをしてじつは傲慢。
否定形の「くださいませんか」ならすこし柔らかくなるんだけど、これもあまりつかいません。
主語が相手だから
その理由は「動作をするの (主語) が相手」だからです。
直接的に相手に何らかの「動作をするよう」求めるのですから丁寧な言いかたにしても、何となく失礼で上から目線の感じが拭えないんです。
~いただけますか / ませんか?
そこで白羽の矢が立ったのがこれ!
「くれる」の尊敬語は「くださる」だけど、ここは斜め上の「もらう」の謙譲語「いただく」の可能形をつかいます。
そして、上の例とおなじように肯定形の「いただけますか」は押しつけがましいので、否定形の「いただけませんか」をつかいます。
謙譲語の可能形の否定形です😮
これは文法的に考えると訳わからなくなるので、「いただけませんか」というのが、丁寧度の最上級で、もっともふさわしいとだけ覚えておきましょう。
なぜ可能形なの?
「もらう / いただく」の主語は「私」です。
「~してもらいますか / いただきますか」というともはや依頼ではなく、有無を言わさぬ命令口調になってしまいます。
文法的には疑問形だけど、思いっきり命令文です😄
主語は「私」なので奇妙な命令文ですね。
自分自身に命令することはありえません。
命令文というのは相手の動作に対して使うものだからです。
「私は学校に行きなさい」とは言わないでしょう。
否定形の疑問文にすると「~してもらいませんか / いただきませんか」だけど、主語が「私」なのでやはり奇妙な文章になってしまいます。
主語を入れて書くとたとえばこんな文章になります。
「私はあなたに来ていただきませんか?」 (自分に聞いているのか?😄)
「あなたに来ていただくのですか / いただかないのですか?」という不思議な文章になってしまいますね。
そこで可能形にすると、「相手に~していただく」ことは状況や相手の都合・意志などに鑑みて可能か?できることか?というニュアンスになります。
「いただく」の可能形「いただける」の否定形にすることで、
「私はあなたに~してもらうことが可能かどうか?」
という意味になります。
いただきたいのですが…
もう1つ変化球がありました😅
「いただけませんか?」はまだ相手に対する「依頼」から抜け出せていないのですが、
「いただきたいのですが…」になると、もはや「依頼」ではなく「つぶやき」になっています😄
これはあくまで自分の気持ちを「つぶやいた」だけです。
あなたに言ってるんじゃないですよ。
あくまでわたしの一人言です。
あっ、聞こえちゃいました?
って、最初から相手に聞いてもらうつもりのくせに😂
いただけるとうれしいのですが…
「いただきたい」がまだ相手への押しつけが残っているとすればこれでどうだ!
これは「もし、そのようなことが起こればわたしはうれしいかもしれない」という最大級の仮定の個人的な気持ちです。
そう。
あくまでわたしの気持ちであって、あなたにお願いしてるんじゃありませんよ。
でもじっさいには「ですが…」の後ろには、
「あなたはどう思いますか?」
「あなたはやってくれますか?」
「やってくれるよね」
という心の声がついてます。
補足
~くれますか?~くれませんか?~もらえますか?~もらえませんか?
「~くれる?」と「~いただけませんか?」の中間には「くれる / もらう」に「ます」をつけて、しかも肯定形と否定形があります。
このへんは、その人の育った環境、考えかた、地域性、相手との関係、社会的距離 (ほんらいの意味のソーシャルディスタンス) 、心理的距離などさまざまな要素が絡むので一言では言い表せません。
否定形は否定的な雰囲気を醸し出してしまうこともある
上に肯定形は押しつけがましく、否定形は遠慮がちで相手の都合を考えていると書きましたが、時と場合によっては「否定形」が「否定的な」雰囲気を醸し出してしまうこともあります😅
~もらえますか?
これだけ書いておきながらおじさんはスーパーで「~もらえますか?」をつかうことがあります。
こんな感じ。
「冷凍食品はこれ (保冷バッグ) に入れてもらえますか?」
否定形をつかうと「やってくれない」ことが前提になってしまう雰囲気もある
「~もらえませんか?」と否定形にすると丁寧な反面、相手が「やってくれない」ことを前提に話しているように聞こえることもあります。
この人はどうせ意地悪だからやってくれないに決まっている、というニュアンスです。
また、まだそれをやっていない人にやんわりと文句を言うときには「~もらえませんか?」になることが多いです。
「ほんらいやるべきことをやってないから、やってよ」というニュアンスです。
ここはあえて肯定形の「~もらえますか?」をつかうことで「あなたは親切な人だからたぶんやってくれるよね」という肯定的で好意的な気持ちを伝えることができます。
たぶん😅
イントネーションは大事ですよ。
「~もらえますか⤴」と疑問形ならいいけど、
「~もらえますか⤵」と語尾を下げると文法的には疑問形だけど、傲慢な命令形になります😅
ちなみにおじさんは何年も前からマイ籠とマイバッグ (保冷袋) をつかっていますが、断られたことはありません。
マイバッグが普及する前はキョトンとする人がいましたが、さいきんでは「むしろ」喜んでやってくれることが多いです。
おじさんがかりにレジで働いていたらめんどうだとは思わないでしょう。
毎日、朝から晩までカゴからカゴへ移すだけの作業は退屈です。
ちょっとでも変化があればそのほうがいいと思います。
それもチョーむずかしいリクエストだったら嫌だけどむずかしくないですよね。
スーパーの人だって自分で買い物するし、家に帰ったら速攻で冷凍食品は冷凍庫へ、冷蔵品は冷蔵庫に入れるでしょう。
わたしは冷凍食品と洗剤の区別ができませんという人はまずいないと思います。
慇懃無礼 (いんぎんぶれい)
言葉は丁寧なんだけど失礼な感じがするやつっていますよね😄
人は言葉だけで話しているのではない
それは丁寧な言葉をつかっているんだけど、内容自体は高圧的だったり、表情や態度が人をバカにしてるからです。
むかしから目は口ほどに物を言う、といいます。
ぞんざいな言葉づかいなのに嫌な感じはしなくてフレンドリーな人と、言葉は丁寧なのにいけ好かない感じがする人がいます。
それは言葉ではなく「心」とそれにともなう表情や態度、話す内容によるからです。
敬語は相手との距離を置く雰囲気も持っている
ほんらい敬語は相手を敬うものですが、表裏一体で、相手を遠ざける言葉でもあります。
敬語は「親しくない相手」につかうので、これをつかうことで「あなたとは仲良くなりたくありません」という意思表示にもなりえます。
おじさんは、依存心が強くて、幼稚で、強圧的な親に育てられたため、だれでもいつまでも敬語をつかうのでよく言われることがあります。
「〇〇さん (おじさんのこと) 、さん付けやめてくださいよ~」
「えっ?」
「呼び捨てでいいです。わたしのほうが年下なんだから😉」
わたしはこの人と距離を置きたいわけじゃないんだけど、年下でも敬語から離れられません。
相手はそれを丁寧というより「よそよそしい」と受け取るんですね。
臨機応変
だから最上級の「~いただけませんか?」は万能ではありません。
丁寧なんだけど「わたしは教養があってございますのよ」のように聞こえてしまうこともあります😅
相手との関係と、その相手の人間性を見極める必要があります。
会社の上司には迷わず敬語をつかいましょう。
たとえその上司が人を見下すような人間でなくても会社はそういう組織です。
もしよほど仲良くなって、会社の行事ではなく個人的にいっしょにテニスをするとか、家族ぐるみでバーベキューをするとかいうような関係になったら言葉をすこし変えてもいいかもしれません。
その場合でも、上司からそのように催促されてからのほうがいいでしょう。
そういう関係になっても会社では上司ということをお忘れなく。
むずかしいのは会社の上下関係のようにはっきりしていない人間関係です。
それはもうあなた次第です。
その人と仲良くなりたいか?
その人とは距離を置きたいか?
またこの場合でも相手が自分をどう思っているか、言葉の使いかたをどう思っているかを見極めます。
まあ、あなたが仲良くなりたいと思う相手だったら、好意的な人だと思いますが。
それを感じるから仲良くなりたいと思うのでしょう。
いけ好かない人とタメ口で話したいとは思わないでしょう。
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