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「三坂山」「山中一揆」
三坂山 (みさかやま)
岡山県真庭市 (旧湯原、勝山、久世町の境でしょうか)
ここでも13人がさらし首になったそうです。
山久世の寺谷川から途中までバイクで上がりました。
薄暗かったのかピンぼけしてます(^_^;)
十石茶屋跡と国名紀元の地
読みづらいのでかいつまんで説明します。
三坂山は、岡山の足守 (あしもり) から鳥取の大山まで通じる「大山道 (だいせんみち) 」の最大の難所とされました。
久世の三阪 (三坂と字がちがいます) の集落から、三坂山を経て、湯原の釘貫小川 (くぎぬきおがわ) まで遊歩道があります。
むかしは「追い剥ぎ」が出たそうです。
これも昔話や特別な話ではなく、近くに民家もない人通りが少ない、でもそこを通らなければならない場所は盗賊どもの格好の場所であったようです。
それを防ぐために津山藩がここに茶屋を開かせました。
当初は口米三石。のちに十石を与えたので十石茶屋と呼ばれるようになりました。
明治40年ころまで、弥衛門夫婦が住んでいました。
「国名紀元の地」と書かれています。
「美作 (みまさか) 」の地名は、「三坂 (みさか) 」が紀元であるという説。
「圀」は「則天文字」というのだそうです。
中国武周朝の創始者である女帝武則天 が考案し定めた漢字。則天新字、武后新字とも言われる。 (ウィクショナリーより抜粋)黄門様。水戸光圀公くらいでしか目にしませんね。
南側 (久世側) はヤブの中で見通しが悪いけど、峠の北側 (湯原側) は展望が開けています。
湯原の町と三角の山は雨乞山 (あまごいせん) かな?
遊歩道は整備されています。
足尾神社 (滝)
ここからは歩いて三坂山に登ります。
足尾神社 (滝) はこちら
三榮神社はこちら
山中一揆 (さんちゅういっき) 。ゆかりの地はこちら
林道 ~ 三坂山 (岡山県真庭市)はこちら