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「ライムライト」「needs」
All it needs is courage, imagination, and a little dough.
必要なのは勇気、想像力、そしていくらかのお金だ
これは有名なセリフでだれもが引用している。
しかし悲しいかな。
ちゃんと自分で聞いて書いている人は皆無だ。
ほぼ100%の人がネットのコピペのコピペをしているだけである。
だからちまたにあふれる有象無象のサイトには
All it takes is…
と書いてある。
needs
チャップリンはtakesとは言っていない。
明らかにneedsと言っている。
takesとneedsはまったく発音がちがうのでまちがえようがない。
嘘だと思う人はちゃんと聞いてみて。
開始から52分。
Thereza (テリーザ) がベッドの上で寝たまま昔話 (恋バナ) をしているときにチャップリンが言った言葉だ。
it takesは文法的にも正しいし意味も「必要だ」ということだが、チャップリンは it needs と言っている。
Read AloudというアプリやGoogleドキュメントの文字起こし機能をつかっても needs である。
dough
古い言いかたで「お金」「現ナマ」のこと。
doughはパン生地のことで、doughnutはドーナツ🍩。
いまはdonutと書くのがふつう。
limelight
読んで字のごとく「石灰光」
石灰に火を吹きつけることで白色の光を得た。
これを舞台照明に使っていた。
lime (ライム) は「石灰」のこと。
生石灰または消石灰
生石灰 CaO
酸化カルシウムともいう。
おじさんが子どもの頃は、校庭のライン引きに生石灰を使っていたが、生石灰は水と激しく反応して発熱する。
倉庫の雨漏りで火事になったこともある。
体にも悪いのでその後、消石灰に変わった。
生石灰は今でも乾燥剤につかわれている。
「禁水」と書いてあるように、濡らすと発熱して場合によっては火事になるのでぜったい濡らしてはいけない。
生ゴミといっしょに捨てたりしないように。
また火がなくてもお湯が沸かせるので防災用品やキャンプ用品にもつかわれている。
消石灰 Ca(OH)2
CaO + H2O → Ca(OH)2
すでに水と反応したあとの石灰だ。
水酸化カルシウムともいう。
しかしこれも強アルカリで吸うのも目にはいるのもよくない。
アルカリはタンパク質を溶かす。
目に強アルカリがはいると失明することがある。
痛いじゃすまない。
炭酸カルシウム CaCO3
これをふくむ岩石はlimestone (石灰岩) という。
これから生石灰や消石灰をつくる。
最近ではライン引きに生石灰や消石灰の代わりに炭酸カルシウムがつかわれている。
そもそも白線を引くのになんで危険なアルカリをつかっていたのかわからない。
limeの語源
初出12世紀以前
古英語 līm (石灰。鳥もち)
slime (ねば土) が原義。
古くはbirdlime (鳥もち) の意味でつかっていた。
(ジーニアス英和大辞典より引用、抜粋)
漆喰
「しっくい」と読むがじつは「石灰」の唐音 (宋音) から。
呉音、漢音についで唐音はいちばん新しい中国の発音で現代語に近い。
何のことはない「石灰」のことである。
建物につかうものを「しっくい」と言って区別するようになり、べつの漢字を当てた。
「漆 (うるし) 」という漢字をつかえばなんとなく「塗るもの」って感じがしね?と当時の人が言ったかどうか。
mortar (モルタル) もおなじようなものである。
英語の発音はモーター。
motorはモウターに近い。
(デジタル大辞泉より引用、加筆)
感想
自己肯定・否定そして相手との比較
これはこの映画だけでなく、昔も今も、そして現実世界でも続いている人間の悲しいさがである。
人はけっしてだれかと精神的に対等にはなれないのだ。
いつも、誰も、自分の世間的認知度、社会的地位、仕事の有無、収入の多寡、健康などを自分の「人間的価値」と決め、相手と比較する。
自分と他人を計る物差しである。
そして自分と他人を天秤にかけて釣り合わないと感じると身を引く。
中にはそんなものどこ吹く風とまったく意に介さない図々しい人もいるが。
紐になるのをとうぜんと思う人は人でなし、ろくでなし、穀潰しという。
さて、
冒頭、睡眠薬らしきものを飲み、隙間にタオルを詰め込んでガス自殺を図る娘がいる。
彼女はバレリーナだが足が動かなくなったことで自殺を図ったのだ。
名をテリーザ (テリー) という。
チャップリンはかつては売れっ子コメディアンのカルヴェロだったが、いまは落ちぶれて仕事がない。
しかしいまこの状況ではチャップリンはまだ立場的に「上」なのだ。
精神的にも「上」なのだ。
もちろん娘を見下すつもりはないが、チャップリンはまだ自殺するまでに追い込まれてはいない。
飲んだくれてはいるが。
娘を助け面倒を見て、温かく、励ます。
そしてこの記事の冒頭のセリフを吐くわけだ。
自殺する身の上や精神状態に比べれば、まだ自分のほうがましな人生を送っていると無意識のうちに思っている。
そのつもりはなくても、自分は人助けをして「あげて」いる善人であるという奢りがかならずある。
立場逆転から身を引く
ところが娘の足はしだいによくなり仕事に復帰しただけではなくトップスターとなっていく。
それに「比べて」チャップリンは相変わらず仕事がない。
劇場に行ってもだれにも相手にされない。
逆プロポーズ
テリーザはチャップリンに結婚を求める。 (1:16)
そのときのセリフがこうだ。
「このときを待っていたのよ」
どんなとき?
そう。
足が動かずチャップリンの世話になっているときには言えない。
仕事を得て順調になり、さらにトップスターになったときがその時だ。
ここに自分と相手との「価値」や「権利」の比較がある。
もちろんチャップリンに対する彼女の気持ちは本物だろう。
相手の立場や財産目当てでないからこそ本物の愛とも言える。
しかしそこには「自分のほうが上」という意識がかならずあるのだ。
ほんとに愛しているのならいつでも言えるはず。
でもそれが言えないのが人間だ。
完全におんぶに抱っこの状態で「結婚して」とは言えないのだ。
人はだれかの世話になるとき、ありがたいと思い感謝する反面、自分を惨めに思うのである。
人に何かして「あげてる」ときのほうが精神的には満たされるのである。
それが人間だ。 (そうでない人もいるが)
そして悲しいことにチャップリンのほうは彼女と反対に「自分のほうが下」という意識になって結婚を断る。
それもただNOというのではなく、言い訳をするのだ。
このへんがチャップリンはじつに人間の本質を見抜いている。
そしてそれを突きつけられる観客にはとても痛い。
「わたしは年寄りだから」とか
「ほかにもっとふさわしい人がいるよ」などというありきたりなセリフを吐く。
もちろん「わたしが惨めに感じるから」が本心なのだがそうは言わない。
2人がおたがいに相手のことが好きで、尊重してるのはまちがいない。
でもそこには「価値」や「立場」などで相手と自分を比較するという人間の本質がある。
家を出ると告白したときチャップリンは言う。
「ここにいれば自分を苦しめるだけだ」
そして
「少々の誇りが」
と付け足す。
これがチャップリンの本心だ。
置き手紙
そしてチャップリンは置き手紙を残して家を出て行く。 (1:44)
喜劇なのか?
子どもの頃はただ面白おかしく笑って見ていたが年取るごとに笑えなくなってきた。
これはとてつもない悲劇なのだ。
悲しすぎる。
ペーソスなんて安っぽい言葉ではない。
「サーカス」 ではサーカスの娘を助け応援して、彼女は活躍するようになるが、ラストシーンでチャップリンは馬車に乗らずその場で若い2人を見送る。
「僕は君に何もしてあげられないんだ」とつぶやくチャップリン。
「街の灯」では盲目の娘に金持ちのふりして援助して、彼女はチャップリンのお金で手術して目が見えるようになり、花屋まで開く。
最後にみすぼらしい浮浪者がその人だと気づくがその後はわからない。
「モダンタイムス」だけは2人とも仕事がなく明日がどうなるかもわからないが「対等な立場」ゆえ、2人で歩いていく。
その点ではモダンタイムスがいちばん幸せだった。
しかしここにも比較があり、親に先立たれ姉妹ともバラバラにされて1人で野良犬のように生きていたときに「比べれば」好きな人といっしょにいられるから貧しくても幸せに感じるのだ。
今まで「よりは」まし。
現実界ではそのうちお金がないことに不満を持つようになるのだ。
もっともっと欲しいという渇愛にまみれているのがこれまた人間であるが、これはブッダに譲ろう。
足が動かなくなったこと。そして歩けるようになったこと
足が動かなくなった
母親が亡くなって姉が育ててくれた。 (45分)
バレエも習わせてくれていたが、そのために姉が娼婦をやっていることを知ってショックを受ける。
友だちも見ていた。
バレエ団にはいったが、メリーズという当時の友だちが入団してから足が動かなくなった。
彼女はリューマチだと言っているが、ほんとは精神的な問題だった。
姉に申し訳ないという気持ちと、人に見られて恥ずかしいという気持ちだ。
歩けるようになった
アルプスの少女ハイジの「クララが立った」はここから出てきたのか。
もちろん小説のアルプスの少女ハイジのほうがはるかに古いが。
チャップリンがやっと新しい仕事を手にしたのに初日で首になった。
1週間の契約のはずなのに。
嘆くチャップリン。
それを聞いてテリーザが憤る。
「わたしに何て言ったのよ」
チャップリンがテリーザを励ますためにいろんなことを「偉そうに」言った。
人は自分がうまく行っているとき、あるいは相手より自分の人生のほうがましだと思うときは、他人に偉そうなことを言うのだ。
言えるのだ。
そして気づいたら何もつかまらずに立っていた。 (1:03)
彼女のセリフは “I’m walking.” だ。
舞台で再発。チャップリンの荒療治とほんとうのやさしさ
テリーザは復帰して順調に登りつめていく。
ついにプリマドンナの地位を得る。
しかし直前で怖くなり足が動かないと言い出す。 (1:30)
足がすくむというやつだ。
チャップリンは気のせいだと彼女を宥めようとするがパニックに陥ってしまって聞く耳を持たない。
そこでチャップリンは彼女を思いっきり叩く。
よろけるぐらい叩く。
驚き、チャップリンを穴の開くほど見つめるが、そのとき彼女は走っているのだ。
「ごらん。足は悪くないよ」
そして彼女は舞台に出て見事に踊りきり、名声を不動のものにする。
もちろんチャップリンはその場の成り行きで本気で怒って叩いたのではない。
それが証拠に彼女が舞台に出たあと、舞台裏で神様にお祈りを捧げるのだ。
「どうか踊りを続けさせてください🙏」
踊り終わったあとみんなに祝福されるが、テリーザはその輪の中から飛び出しチャップリンに抱きつく。
チャップリンは心から喜ぶと同時に、落差を感じるのだ。
自分は喜劇役者として再起できていない。
そして彼女と別れることを決意する。
玉にキズ
テリーザは足が動かなくなりバレエの道を断たれ絶望して自殺を図る。
ふつう自殺に至る人は身なりにいっさい関心を持たなくなる。
着替えないし、髪は梳かさないし、風呂にもはいらない。
食事もしない。
もちろん化粧もしない。
生きることにまったく興味も関心もなくなるのだから。
しかし、自室で睡眠薬らしきものをあおり、ガス自殺をしようとしたテリーザは髪はきれいに梳かしてきれいな服を着て化粧もバッチリだった。
チャップリンの部屋で厄介になっているときも、ずっときれいなままだ。
う~ん。自殺志願者には見えない。
そこはリアリティよりビジュアルを求めたのか。






