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「ドラマ」「脚本」「監督」「制作」
ドラマ、映画
登場人物
登場人物はできるだけ少なく
役者をたくさんつかうとそれだけお金がかかります。
だから、できるだけ少ない役者を使い回しましょう
それに、登場人物が多いと人物設定もめんどうだし、視聴者もなかなか覚えられないから。
登場人物はできるだけみな関係者~全員どこかでつながってる
役者の節約だけでなく、話を1カ所でまとめてできます。
また、何度も「お前は〇〇の△△なのか!」というシーンを苦労することなくつくれます。
新しい会社の上司が元旦那で、新しく知り合って恋人になった相手はじつは元旦那の弟。
こんな感じですね。
「世間は狭いね」ということはあるけど、現実にはそんなに多くはありません。
また登場人物が多くて、みな独立した人生を送っていると、それぞれの人生や人間関係を描くのがめんどうです。
ドラマの主軸に関係ない人間模様は書く必要がないからです。
登場人物はできるだけ訳ありに
ふつうの人じゃおもしろくありません。
だから、かならず訳ありにします。
かならず離婚してるか、親に虐待されたとか、難病を抱えていて余命3カ月とか。
これだけで脚本を練ることなくお涙頂戴物語にできます。
まあ、この路線はおじさんは大嫌いです。
人を殺して感動と履き違える脚本は竈に焚べます。
いや、竈あるんかい!
ここんところは安易と言わざるをえず、人を殺さないで感動させる筋書きを書きなさい。
人が死ぬと心が震えるのは感動しているのではなく、戦いているだけです
戦争映画なんか下の下の下です。
戦争で人が死ぬことなんか美しくもなんともありません。
ただひたすらに、空しく、惨めで、理不尽なだけです。
登場人物はできるだけ癖ありに
これも訳ありに似ているけど、ふつうの性格・人格ではおもしろくないので、「変な人」にします。
現実社会では社会生活を送れないはずの、すぐにキレる奴とか。
妙に馴れ馴れしいやつとか。
また人と関わりを持ちたくなく無愛想なのに、なぜかまわりがその人をほっておかないとか。
そりゃ、ドラマだからです。
あなたがツンケンしてればだれもあなたのご機嫌取りなんかしません。
くれぐれも勘違いなさらぬように
また傲慢で自信過剰で通るのはドラマのキャラクターとしての阿部寛さんくらいです
あなたが真似すれば、阿部寛ではなくジャイアンになるのでご注意ください。
名前はできるだけ変わったものにする
山本太郎と山田花子では印象薄いですね。
ていうか現代では逆にめずらしいかも。
女の子なら、キララとかウララとかいう名前にしましょう。
男なら未だに蓮?
まあ、2文字か3文字の呼び捨てしやすい名前がいいです。
宗太郎みたいなのは、それはそれで何か特別な家柄とかキャラクターを表したいときのみつかいます。
苗字も勘解由小路とか、綾小路とか、西園寺などというのは、それだけで由緒ある家柄という設定が見えます。
登場人物同士の接触
偶然にも大都会のあちこちで何度も出会う / 見かける
出会いすぎやろ!
東京都民1000万の中でなんでそんなに、しょっちゅう街角で出会うかな?
おなじ店におなじタイミングではいる。
東京のような都会に住んでいると、おなじ町の近所に住んでる人も、おなじ会社や学校に通っている人でさえ町で会うことはありません。
おじさんは横浜に住んでいましたが常々不思議に思っていたのは、小学校を卒業して中学に通いはじめると、おなじ学区だからおなじ中学に通っているはずなのに、もう小学校時代の近所の友だちに会うこともありません。
会うのはおなじクラスの生徒だけです。
高校になって電車通学がはじまると、おなじ駅をつかってるはずなのに、だれにも会いません。
それなのにドラマでは東京の街角で5分に1回くらい知り合いに会う
ランチしてるときも、夕食を食べているときも、知り合いに目撃される。
現実にはありません。
だってドラマでは人物関係を濃密にしなければ話にならないから。
誤解はかならずまわりの人が解いてくれる
ドラマでは「嫌な奴」「悪い奴」と思われている人が、かならず共通の知人を通して「あの人はじつはいい人なのよ」とフォローしてくれます。
また、東京のど真ん中で偶然、その人が年寄りの荷物を運んであげる場面に出会います。
ドラマだから。
現実には、誤解されてもそのままで一生を終わります。


サスペンスの展開
いちばんいい人そうな人がいちばんの極悪人
いかにも悪そうな人が犯人じゃ最初からわかっていておもしろくない。
だから、かならず仏を絵に書いたような人を真犯人にしましょう。
これ、定番です。
いちばん悪そうな人がじつはいい人
上の裏返しで、いかにも悪そうな奴。
ぜったいこいつが犯人だろうという人は、じつはいい人にしましょう。
見た目が悪くて、じっさいに悪いんじゃおもしろくないから。
これは展開を工夫しましょう。
そうでないと、ドラマの後半になって「じつはいい人」にしようとしても、悪いイメージがこびりついて無理やりいい人にしようとしてなりきれないお粗末なお話になってしまうことがあるので。
ラブコメの展開
最初はかならずおたがいが大嫌い
これも定石。
だって最初から仲良かったらおもしろくもなんともないもん。
話の展開もないし。
定石だけどここが脚本家の腕の見せどころ。
嫌いが好きになる事件と心の動きの描写をしっかりやりましょう。
それから時間配分もとても大事です。
早すぎず、遅すぎず、ほどよい頃合いに。
これがしっかりしてないと、「なんであいつらいつの間にか仲良くなってんねん!?」という陳腐なドラマになるので。
それか「そんなことで好きにならんじゃろ!」と反感を買います
「そうだよね。そうだよね。良かったね」と視聴者に思わせるような自然な流れが必要です。
アクション
かならずサングラスをするか遠目にする
ひとえに吹き替えのためです
サングラスかけてしまえばだいたい誰だかわかりません。
あとはヘルメットをかぶってバイクに乗せるとか。
「私をスキーに連れてって」 (古い!) の原田知世さんの吹き替えは男性だそうです。
スキーウェアにゴーグルしてたら性別もわかりませんね。
Flash Dance (これまた古い!) の踊りのシーンは吹き替えが5人くらいいたらしいです。
もちろん主演は女性ですが、ブレイクダンスなどは男性が吹き替えをしてるそうです。
なんであんなモジャモジャ頭なのかな?と思ったけど、吹き替えのためですね。
踊りのシーンで顔がよく見えないように。
かつらを被ればみんな同じに見えるから。
カメラを大袈裟にブレさせる
これはおじさんが大嫌いな手法です。
臨場感、速度感を出すためですが見にくいだけです。
だからアクションのときは吹き替えの顔を隠すのには持って来いです
繰りかえしますが、臨場感の効果など微塵もなく、ただひたすらに「見にくい」だけだからやめましょうね。
カメラは固定しましょう。
素人がホームビデオで撮ってもそこまでブレない。
アクションシーンだけでなく、モノローグ、ダイアローグのシーンでさえ訳もなくカメラをブレさせる映画がとくに邦画に多いですが、酔いそうです。
あの人たちは自分で撮った映画を自分で見たことがないのでしょう。
終始、カメラを斜めにするのも最悪です。
映画でなく、一般人がふだんの撮影をするときにかならず斜め45度にする人がいますが、断言します。
性格がひねくれています。
ねじけています。
そうそう。
おじさんがトップガンを見たときに凄いと思ったのは、あのジェット戦闘機のドッグファイトがしっかりカメラのフレームに収まっていたことです。
2機、3機がフレームにはいっていてその中で激しい動きをする。
機体の動きや姿勢がよくわかります。
もしあれを日本映画みたいにカメラブレブレでやっていたら、それこそ「おもちゃの飛行機がバレないようにしてるのね」と思ったでしょう
絶対やってはダメなパターン
海外追放
彼氏または彼女が留学または海外に転勤して別れる。
最低。
2人の関係をはっきりさせたくないときにつかうけど、これほど陳腐な筋書きはありません。
ちゃんと日本国内で決着してください。
海外渡航がめずらしく2度と会うこともない時代とちがい、今はランチでイタリアに行ける時代です
いつまで大昔の手法をつかっているのか?
カメラブレブレ
上に書いたし、これは脚本ではなくカメラワークですが、絶対です。
うるさい音楽や背景音
これも脚本ではありませんが、邦画は大事なセリフのところでもおかまいなく大音量で音楽を流します。
ていうか大事なセリフのところになると、これでもかというくらいうるさい音楽を入れます。
要りません。
セリフがまったく聞こえません。
やっぱり制作者は自分が撮った映画を見てないんだろうな。
どうしても音楽入れたいんなら字幕を入れてくれ。
アホか
アニメ
顔がみな同じなので髪や服の色を変える
おじさんの人生の中で最悪なのは「キャプテン翼」ですね。
みんなおなじ顔してる。
いや全員クローンじゃないか?
近年のアニメはみんなおなじ顔で書き分けることをしません。
白黒の時代はできなかったけど、現代は色がついているので髪や、服、目の色を変えるだけで区別できます。
どう?
カンタンでしょ。
あとはキャラクターに変な日本語をしゃべらせます。
「〇〇だなも」とか
「△△じゃが」とか
怪しげな方言もどきをつかわせて、キャラクターを区別します。
妖怪ウォッチでいろんな方言が出てきたけど、現地人にしてみれば「まちがった使いかた」で気持ち悪いったらありゃしません
ドラマでも博多出身という設定で博多弁をしゃべらせたりするけど、もすこし現地人がついて指導したほうがいいですね。
中途半端な方言は外人のカタコト日本語みたいで滑稽です。
「ばい」とか「と」を言えば博多人ということではありません。
モブ (群衆) シーンは大変なので戦闘員はユニフォームにヘルメットをかぶらせる
アニメーターにとってモブシーンは地獄です。
人数が多くなればなるほど顔を書き分けるのは大変になります。
それこそキャプテン翼状態になる。
「おまえら全員クローンか?」てなことになります。
だから、戦闘員にはお揃いの戦闘服を着せて、フルフェイスのヘルメットを被らせましょう。
未来少年コナンでも戦闘員は戦闘服にフルフェイスでしたが、大津波のあと住民が戦闘員のヘルメットを毟り取るというアニメでは暴挙ともいえる場面もありました。
だって顔を書かなきゃいけないもん。
未来少年コナン
今見ると、瑕疵も見えますが、やはりアニメの金字塔と言っていいでしょう。
当時の作品はちゃんとキャラクターの書き分けができています。
白黒でも区別できる。
コナンとジムシーとダイス船長とレプカはぜったいまちがえません。
ハイハーバーで女の子がたくさん出てくるけど、「あれ?ラナじゃん?」ということはありませんでした。
こんなに素晴らしい作品なのに放映当時は視聴率が伸びず、その後、ラナはカリオストロの城のクラリス、ラピュタのシータへと受け継がれていきます。
宮崎駿さんの理想像はおじさんの理想像でもあります。
個人的にこの3作品が好きなんですね。
城に囚えられたお姫さまを助けるという単純な話が。
そしてヒロインはただ可愛いだけじゃなくて、王子さまを助けるという強さも持っている。
「けっ!そんな女いねえよ!」というフェミニストの声が聞こえてきそうです
AshiGirl 「アシガール」の考察~「未来少年コナン」との共通点~時間旅行~ひげおじさんのつぶやき
話がそれた。
むすび
さあ、これであなたも今日から脚本家。
または監督、制作者。
カンタンでしょ。
ここで宮崎駿さんが言ってた言葉を引用しましょう。
フィクションなんだけど、リアリティがないと作品にはいりこめない
どんな突飛な世界と動きでもいいんだけど、物理法則をしっかり表現すればリアルに見えてその世界にはいりこめるんです。
ギガントは浮上するのにとても時間がかかり動きがゆっくりでした。
あれがひょいひょい軽やかに動いたら視聴者は「軽いな」「小さいな」と認識してしまうんです。
ウルトラマンシリーズの特撮でも、ウルトラマンや着ぐるみの怪獣のシーンは高速度撮影してからスロー再生しています。
そうしないと、着ぐるみを来たウルトラマンと怪獣が、模型のビルを壊しているようにしか見えないからです。
50mのビルが倒れるにはそれなりの時間がかかるということです。
それが一瞬でポテッと倒れたら、「おもちゃじゃ」とわかってしまうからです。
動きだけじゃなく、たとえ宇宙人の話でも筋書きは大事です。
架空の世界だとわかっていてもその世界なりにリアリティが大事です。
それがなくて穴だらけ、無理な展開だと、見てるほうは白けてしまいますよ。

