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「嫌い」「好き」「自分への期待」
自分が嫌い=自分が好き
自己嫌悪とか、自分が好きになれない、自分が嫌いとか人はよくいいます。
ほんとでしょうか?
自分と他人と分けてるけどじつは望むところはおなじ
自分と他人はちがうと思っていますね。
もちろん肉体的にも精神的にもちがいます。
あなたは右手を動かそうと思えば動かせるけど、他人はあなたの意思では動きません。
他人には
「動け」と命令するか、「動いてください」とお願いするか、「動かないと殺すぞ」と脅すかしないと動いてくれません。
物理的にはそうだけど、望むところ、理想とするところ、好き嫌いはおなじなんです。
あなたが人間として「いい」、「こんな人がいい」「こんな人が好き」という好みや価値基準は1つしかありません。
それは他人に対しても当てはめるし、自分に対しても当てはめます。
他人がその基準を満たしていなければあなたはその人が嫌いです。
でも、おなじように自分がその基準を満たしていなければ自分が嫌いになります。
自分に期待している証拠
自分自身が自分をどうでもいいと思っていれば、文字どおりどうでもいいです。
地球に70億人いる直接自分と関係ない人が、自分の価値基準を満たしていなくてもどうでもいいですね。
直接、自分に利害が及んだり、自分を傷つけたり、自分に脅威になる行動を取る人間でなければどうでもいいです。
でも、あなたが
「自分を嫌い」
ということは、
「あなたがあなた自身に期待し、こうあってほしい、いやこうあるべきだと望んでいる」
「しかし、あなたはあなたが望む理想の人間ではないし、あなたが望むとおりに動いてくれない」
ということに対する不満を表しています。
ごまんといる世の中のどうでもいい人ではなく、いちばん近くにいて、いちばん好きな人だから、望む姿、理想の人間であって欲しい。
でも、現実はそうではない。
だから、あなたは「自分が嫌い」なのです。
これは身近な人に対してもおなじことをしていて、あなたが嫌いだと思う人は、じつはあなたが好きでその人に過大な要求をしている場合が多々あります。
よくあるのが親が自分の子どもに過大な期待。
恋人に過大な期待。
パートナーに過大な期待。
でも、自分の期待に応えられないから相手を嫌いになる。
自分と関係ないどうでもいい人なら、算数のテストが0点でも、ほんとどうでもいいです。
自分はいつもいっしょにいて、どこにでもついてくるから
これも大きな理由ですね。
あなたはけっしてあなたから離れることはできません。
片時も離れることはできません。
他人なら、嫌な人なら離れることができます。
でも、あなたは自分から離れることはできません。
寝ても覚めてもどこに行ってもあなたに「つきまといます」😄
寝ていても悪夢にうなされることがあります。
自分探しの旅
よく聞くけど自分はいつも自分といっしょにいます。
他のどこにもいません。
世界中どこに逃げても、チョモランマの頂上に行こうと、南極大陸に行こうと、宇宙飛行士になって月に行こうと、あなたについてきます。
ただ、非日常で、異質な人や、異質の文化に触れることで「見えなかった自分」が見えたり、気づいたりすることはあるかもしれません。
自分に高望みしすぎ
あなたの理想的な人はどんな人ですか?
健康で、明るくて、人に優しくて、頭は良くて、運動神経も良くて、社会的にも地位があり、人望が厚く、多くの人、いや世の中すべての人があなたを尊敬し、あなたを愛し、あなたに良くしてくれる。
ムリでしょ。
現実のあなたはその足元にも及ばない。
持病を患い、暗くて、意地悪な気持ちがあり、頭は良くないし、運動もできないし、社会的に地位はないし、だれもあなたに望まないし、だれもあなたを尊敬しないし、愛さないし、良くしてくれないし、そもそもあなたのことなど存在も知らないし、興味もない。
それが現実です。
ただ、それはあなただけではなく、世の中のほとんどの人がそうです。
他人の本心や事情などあなたも誰も知らない
じっさいあなたの身の回りにそんな理想的な人がいますか?
いないでしよ。
傍目には、健康で明るくて仕事もうまく行っていて、恋人や家族がいて、収入もあるように思える人も、じっさいは大変な難病を抱えていて、仕事もうまく行ってなくて、家族ともうまく行ってなくて、借金まみれで明日破産する状況かもしれません。
あなたは知らないだけです。
明るくてやさしくて親切そうな人も、心の中はどす黒い、情念や恨みや妬みや憎しみが渦巻いているかもしれません。
あなたは知らないだけです。
自分に厳しすぎ
自分に甘い人は、自分を嫌いになったりしないでしょう。
そういう人はこの記事を読む必要はまったくありません。
あなたは他人には「いいよ、いいよ」というのに、自分には「ダメだ、ダメだ」という人かもしれません。
自分を他人だと思え
あなたは人にはやさしいのです。
人には甘いのです。
他人なら「まあ、いいんじゃないの」といえるでしょう。
それは、他人に期待していないからです。
他人は自分じゃないから「どうでもいい」んです。
やさしさというより、無関心、自分には関係ないからどうでもいいという心理もあります。
他人は自分じゃないから、理想的な人間であることを求めません。
でも、自分は世界一かわいいから、世界一好きだから、世界一大事だから、理想的な人間であってほしいんです。
あってほしいくらいならいいけど、あるべきだと思ってしまうんです。
それが自分を苦しめる最大の理由です。
自分から幽体離脱するがごとく、自分から離れて俯瞰して見て、自分を他人のように見ましょう。
そうすれば「まあ、いいんじゃないの」と思えます。
他人がうっかり皿を落としても「わざとじゃないし、しょうがないよね。まあ、いいんじゃない」と思えるなら、
あなたがうっかり皿を落としたときも「わざとじゃないし、しょうがないよね。まあ、いいんじゃない」と思いましょうよ。
他人のミスを許せない人は論外です。
さっさとこの記事から離れてください。
そうではなく他人に甘く、自分にきびしいあなた。
なぜ自分のときだけ、「なんでこんな失敗をしたんだ!」って責めるんですか?
それは自分だけは完全無欠のスーパーマンであれと思っているからではないですか?
自己要求水準を下げる
自分を受け入れたければ、他人に対するのと同じくらいに自分に対する要求水準を下げることです。
他人がドブにハマったら笑ってられるのに、自分がドブにハマったら許せないっておかしくないですか?
自分のことも他人事のように俯瞰して空の上から眺めてみましょう。
大したもんじゃない
あなたはあなたが思ってるほど大した人間じゃありません。
ふつうの人間です。
とくべつ低いわけでも、悪いわけでもない。
世の中の多くの人と同じく、ふつうで、状況によっては親切にもするし、意地悪い気持ちもあるし、意地汚い根性もあります。
でも、それは「ふつう」です。
あなただけじゃありません。
世の中のほとんどの人がそうです。
みんな表面上は「いい人」を演じているから、やさしそうに、親切そうに、心が広そうに、自分より「いい人」に見えるけど、中身はあなたと変わりません。
自分は自分の本心が見えてしまうから
あなたも他人も演技してるんだけど、あなたは自分自身の心や本心が見えてしまいます。
だから、自分のウソが見えてしまいます。
でも、もし他人の心も見えたらあなたと変わりありませんよ。
みんなウソつきです😄
程々に
自分が好きならではこそ、自分に期待しすぎて、それが叶えられないから自分を嫌いになる。
愚かなことです。
自分が嫌いだと感じたら
「自分が自分に期待すること」>「じっさいの自分」
という方程式があることを思い出しましょう。
この方程式はかならず左辺のほうが大きいという普遍不屈の絶対原理があります。
これは覆すことができません。
右辺をいくらバージョンアップしても、かならず左辺のほうがもっと大きくなり、けっして「じっさいの自分」は「期待する自分」を超えることはありません。
満足する人生を送るには左辺を「程々に」することしかありません。