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「緊急事態」「防衛機制」「正常性バイアス」
正常性バイアス normalcy bias
生きているものはかならず死ぬ
人間だけでなく動物も
「生きているものはかならず死ぬ」運命にあります。
「生まれるということは死に向かって歩きはじめる」ことといってもいいです。
これはけっしてペシミスティックな考えではなく真理です。
すべての生きものは「生」に執着し「死」を恐れる
これまた真理です。
もしこのプログラム (本能) がなかったら生きものはカンタンに死んでしまいます。
ていうか、もうこの地球上に生き残っていません。
わかりやすくいうと、燃え盛る火の中に平気で飛び込んでしまうとか、お尻に火が点いていても平然としているとか、100mの崖から無造作に飛び降りてしまうとか、こういう生きものは心配しなくてもすでにこの世に生き残っていません。
なぜかわからないけど、火や高いところを恐れるものだけが生き残っただけのことです。
防衛機制
この「危険」や「死」を恐れるプログラムは生き残るのに役に立ついっぽう、「恐れ」「不安」というストレスで心や体を傷めつけるという「副作用」があります。
なにごとも程々ですね。
そのために、「重大な危険」「致命的な状況」にあったり「死に直面」すると「恐怖」というナイフで自分自身を傷つけてしまわないように、心や脳の働きや五感をあえて麻痺させる作用が働きます。
これを防衛機制といいます。
また最近では「正常性バイアス」という言葉がつかわれるようになりました。
「危険はない」
「これはいつもとおなじふつうの状態なんだ」
と思いこもうとします。
自分で自分に催眠をかけます。
事故で人が倒れていてもだれも助けない
これはじっさいにおじさんが経験したとても不愉快なできごとです。
おじさんはバイクで会社に向かう途中、車に追突されけっして大袈裟でなく10mくらい飛ばされてバイクともども地面に転がりました。
朝の通勤時間帯なので対向車も後続車もいます。
だれも停まらない!
不幸中の幸いといえるのかどうか、おじさんは対向車線に跳ね飛ばされることなくまっすぐ進行方向に飛ばされたので対向車に轢かれることはありませんでした。
しかし、倒れてるおじさんとバイクの横をゆっくりこちらを見物しながら対向車は通り過ぎていくだけ。
また対向車が途切れると、バイクとおじさんを跳ね飛ばした車をよけて後続車が、地面に転がってるおじさんとバイクを眺めながらゆっくり通り過ぎていきます。
そしてまた対向車が…
だれも寄ってこない!
また大きな物音がしたので近所の家から何人も人が出てきました。
しかし、みんな玄関先でこちらを見物しているだけで誰一人こちらに来る者はいません。
跳ねた後続車の運転手も車から降りてきません。
まあ運転手は恐怖で動けなかったのかもしれませんが。
1人でも動けば事態は変わる
こういうとき1台でも止まれば、あるいは玄関先で見物している人が1人でも寄ってくれば、他の人も追随します。
とくに日本人は!
先頭の1台が通過してしまうと、後続車も
ああ、前の車が通り過ぎたから『大したことじゃないんだろう』と考えて自分も通り過ぎてしまいます。
そこまで考えてないだろうけど。
前の車が止まらないから、自分も止まらない。
とくに日本人だから
けっきょくおじさんは自分でヨロヨロと立ち上がり、倒れたバイクを起こして路肩に移動しました。
そして、自分で近くの店に行って電話を借りて警察に通報しました。
大事故なら死んでる
追突されたのは不運ですが、おじさんには相当強い守護霊がついていたのか、かすり傷程度ですみました。
まあ、ほんとに強い守護霊がいるんなら、最初から事故に会わずにすんだと思うので、中くらいの守護霊かな
眠り姫の魔法使いみたいに、魔法を解くことはできないけど「死なずに眠るだけ」の防護策しかできなかったように。
こういうときまわりの人たちが止まって、すぐ救急車を呼んで、すみやかに運ばれれば助かったかもしれないものを、10分も15分もだれも止まらず、通報もしなかったために死んでしまうことがあります。
そこには
「ほかの人がだれも止まらないから大したことはないんだろう」
「だれかが通報しただろう」
という考えがあるかもしれません。
いや何も考えてはおるまい
もっとひどい場合には、倒れている人を後続車が次から次へと「轢いて」行くことですね。
中国で赤ん坊が轢かれているのにみんな知らん顔で通り過ぎ、次から次へと車に轢かれていく動画が話題になりましたが、日本人も変わりませんよ
けっして他人事じゃありません。
あなたたちもおなじです。
アナフィラキシー anaphylaxis
おじさんはアナフィラキシー・マスターです
何度も経験しているので、どんな順序で進行するか、これは危険かどうかもあるていどわかります。
異常を感じてから5分くらいで症状がひどくなるようならかなり危険です。
15分くらいしてまだ「痒い」「腫れてる」とかいうレベルなら危険はありません。
また重篤な場合は、動悸が速くなり、それにもかかわらず血管が拡張し貧血気味で、鼻や喉が詰まってきて呼吸がしづらくなります。
最悪、喉が完全に詰まって窒息死します。
蜂に刺されて死ぬのは、蜂の毒ではなく窒息死が原因です。
蜂に刺された
草刈りをしていると1年に1回はかならず刺されます
刺されたところがすこし腫れたり色が変わったりするけど、1週間くらいで治ります。
しかし今回はじめてアナフィラキシーを起こしました。
いやアナフィラキシーの一歩手前か。
耳の前あたりを刺されて5分くらいは何ともなかったのでいつものやつか、と思っていたら、手のひらが熱く痒くなってきました。
色も赤くなっています。
また腫脹して手袋状態になっています。
体液がたまって指が曲げづらくなっています。
これっていつものアナフィラキシーの始まりじゃん!
瞼も腫れてきて、また刺されてもいない唇も腫れて痺れてきました。
いっしょにいた人に言ったが
蜂に刺されたことを言って、様子が変なんで会社にもどると告げました。
そのときその人はおじさんの顔を見ているはずなんだけど反応はありませんでした。
いつも腫れぼったい瞼だから気づかないか
救急車を呼ぼうかちょっと迷ったけど、症状が出はじめたのが刺されてから5分くらいしてからだったのと、会社にもどったときはすでに10分くらい経っていたので、ひどいアナフィラキシーではなさそうだと思いました。
何度も経験しているのでとつぜん失神するようなものではないことを知っているので、自分で車を運転して病院に向かい、万が一途中で貧血や呼吸困難などの兆候が出てきたら車を停めて救急車を呼ぼうと思いました。
幸い、病院で血圧を測っても下がっていることはなく中程度のアナフィラキシーでした。
脈拍は126ととても速かったですね。
慌てて病院に駆けこんだせいかもしれません。
無知、無関心
これはアナフィラキシーに対する無知、そして他人に対する無関心が起こした問題です。
一刻も早く病院へ!
おじさんは体の変化がわかりますがふつうの人は知る由もありません。
瞼が腫れたり、唇が腫れたりしても、それは蜂の毒だと思うしまさかそれで死ぬとは思わないでしょう。
でもここで「正常性バイアス」が自分もまわりの人にも働き、この人は死に向かいます。
「大したことないだろう」
「スズメバチじゃなくて小さなハチ1匹だった」
「瞼が腫れただけ」
「じんましんが出ただけ」
アナフィラキシーはひどいときには10分、15分で死にます。
窒息死です
これはわかっていても素人にはどうしようもありません。
喉に穴を開けるわけにもいきません。
人工呼吸をしても気管自体が腫脹して詰まっているので息がはいっていきません。
挿管といって喉に管を挿しこむ方法がありますが、もちろん道具もないし素人にはできません。
何もなくてもとりあえず病院に向かったほうがいいです。
刺された人はいつどうなるかわからないので他の人が運転して送ってあげましょう。
向かう途中で様子がおかしくなったらすぐ救急車を呼びましょう。
ほんと死ぬから。
運動誘発アナフィラキシー
食べてすぐ動くと起きるアナフィラキシーです。
かならずなるわけではなくて、いくつかの条件が重なったときに起こります。
これもおじさんの経験です。
会社で弁当を食べて、昼休みに車で郵便局に行きました。
帰ってきたら体の異常に気づきました。
いつものやつです。
わかってます。
運動誘発アナフィラキシーです。
しかし、車で行っただけで激しい運動をしたわけじゃないのに。
おじさんは上司に体の不調を訴え休憩室で横になりました。
しかし動悸は速くなり、脱力感 (疲労感ではない) もひどくなり1人でいることに不安を感じて事務所にもどり椅子に座りました。
脱力感はますますひどくなり椅子に座っているのもつらくなり、机に伏せていましたが、ついにその姿勢も保てなくなり床に崩れ落ちました。
体に何が起きているか?
医学的な解釈をすれば、おじさんはアナフィラキシーで血管が拡張しすぎて血圧が下がり、脳にも血液が充分に行かなくなっていたのです。
平たい言葉でいえば「貧血」
いや血が不足しているのではなくて、あくまで血管が広がりすぎて心臓が頑張っても血液を送れなくなったんです。
間抜けな反応
人が意識を失うときに最後まで残るのが聴覚と言われています。
貧血になると目も見えなくなります。
それでも人の声は聞こえます。
まだ意識不明になる前、まわりの音や人の声は聞こえるのですがその間抜けなこと
「〇〇 (おじさんの名前) 」
「どうしたんだ!大丈夫か!」ではありません。
その間延びした呼びかたはこう聞こえます。
「〇〇。何ふざけてんだよ」
そんな語調です。
いわゆる正常性バイアス。
そこは慌てて救急車を呼んでくれ!
人が目の前で床に倒れこんでも「ふつうだ」「異常ではない」「何も起きていない」「いつもどおり」と思いたい。
最終的には救急車で運ばれましたが、もうちょっと症状がひどければおじさんはこの時点でお陀仏だったでしょう。
そのほうがよかったのかも。
そうすれば今、毎日草刈りなんかしなくてすんだのに
日本人はとくに危機意識がない
触らぬ神に祟りなし
ヤブヘビなんて言葉もあります。
余計なことに首を突っこんで痛い思いをすることを笑う言葉だけど、要するに触らぬ神に祟りなしってことです。
できるだけ人のことには関わらないようにする。
あっしには関わり合いのねえことでござんす、なんてセリフもありましたね。
英語の None of my business (俺には関係ねえ) の心持ちです。
危機に際して
おじさんの経験のとおり日本人は冷たいというか、それを通り越してアホだと思います。
他人の事故だけではなく、自分も危険に曝されるかもしれない状況で「他人事」という顔をします。
昨今は世界中の動画が見られるようになりました。
海外では事故があるとすぐ人がすっ飛んできます。
全員ではないけど、たまたま居合わせた人が集まって人を救助します。
日本ではおじさんの経験のとおり、知らん顔です。
それか高みの見物。
ただの野次馬。
なにごとも程々に
危険をなかったことにする。
見なかったことにする。
それで心の平安は保てるかもしれないけど、物理的な危険はなくなりません。
見えているものを、見えてないように振る舞うのも程度問題です。
明日は我が身ですよ。

