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「牛頭天王」「祇園」「薬師如来」「スサノオノミコト」「八坂神社」
牛頭天王とは?
祗園精舎の守り神
もともとインドの「祗園精舎」の守り神です。
頭に牛を乗せてます=^^=
※ たまに「🐴午」という文字が使われているけど、頭に乗ってるのはまちがいなく「🐮牛」です(^^)
疫病
日本では疫病をもたらす神として畏れられていました。
だから、「どうか疫病を起こさないでください」となだめるために祀ったんです。
「お願いだから静かにしていてください」と。
それがいつしか、「疫病から守ってくれる」「病気を追い払ってくれる」神さまと位置づけが変わってきました。
神社とお寺で
神社では「スサノオノミコト」
お寺では「薬師如来」と同一視されています。
薬師如来 (やくしにょらい) の種字
薬師如来の種字、真言はこちら
祇園精舎 (ぎおんしょうじゃ) とは?
平家物語
歴史にも国語にも興味のない人でも聞いたことはある、
「祇園精舎の鐘の声」ではじまる物語のまさに冒頭に出てきますね。
コーサラ国の首都、シュラーヴァスティー (舎衛城) にあった精舎です。
精舎
修行僧がとどまり、修業をする場所です。
祇園
結論からいうと祇陀太子 (ぎだたいし) の園です。
祇陀太子=ジェータ太子
「祇陀」というのは「ジェータ」の漢訳です。
太子は王子。
ジェータはコーサラ国の王、パセーナディ (プラセーナジット) の王子です。
スダッタ (須達多)
スダッタは大金持ちの商人です。
あるときスダッタはマガダ国のラージャグリハ (王舎城) にあった竹林精舎でブッダの教えを聞き深く感銘して、「コーサラ国に精舎を建てるのでぜひ来てください」とブッダに頼みました。
ブッダは快く承諾しました。
スダッタは祇陀太子 (ジェータ) の持っている園林を譲ってもらいそこに精舎を建てようと思い、ジェータにお願いしました。
しかし、ジェータは「たとえ金貨を敷きつめても譲れない」と言いました。
スダッタは「金貨」という言葉が出たのだから、金貨を積めばなんとかなると思いました。
そこで自分の財産を投げうって、地面に金貨を敷きはじめました。
来る日も来る日も金貨を地面に敷いているスダッタの姿に心を打たれ、ジェータは土地を譲り精舎を建てることを認めました。
そこで「祇陀太子」の「園」に建てられた「精舎」ということで、「祗園精舎」と呼ばれるようになりました。
給孤独 (ぎっこどく)
スダッタはほんとにいい人で、身寄りのない孤独な人たちに食べものを給していました。
なので、「給孤独 (ぎっこどく) 」と呼ばれていました。
祇樹給孤独園 (ぎじゅぎっこどくおん) =祇園
祇園は、祇陀太子の樹 (林) に給孤独 (スダッタ) が建てた園 (精舎) ということで、「祇樹給孤独園 (ぎじゅぎっこどくおん) 」と呼ばれます。
給孤独と祇樹給孤独園は頻繁にお経の中に出てきます。
それはブッダがここにいることが多かったからです。
祇園社。八坂神社
ということで日本では「牛頭天王」を祀っているところを「祇園社」とか「天王社」などと呼んでいました。
神仏分離令
明治の神仏分離令により「廃仏毀釈 (仏教を排斥) 」だけでなく、異国の神さまや、もともと日本にいた神さまでも土着の神さまで「古事記」や「日本書紀」に登場しないような神さまは神さまとして認められず、廃止されたり、祭神を神道が認める神さまに変えることを強要されました。
祇園社の牛頭天王もこの例に漏れず、祭神は「スサノオノミコト」に変更され、社名も「感神院祇園社 (かんじんいん ぎおんしゃ) 」から「八坂神社」へと変えられてしまいました。
しかし、「祇園」という言葉は、地名や「祇園祭」などに残り、じっさいには「祇園社」のまま残っているところもあります(^^)
これは近所の「祇園山」というところにあるお寺です。
思い切り「祇園。牛頭天王」と書いてあります(^^)
お寺の名前は「真言宗別格本山祇園寺」です!
祇園寺~岡山県高梁市はこちら
コーサラとマガダ
両方とも今のネパールのすぐ南にあった、インド北東部の大国です。
ブッダ (お釈迦さま) の生まれ故郷のサーキヤ (シャカ) 国は、コーサラによって滅ぼされます。
ブッダと生まれ故郷サーキヤ国についてはこちら
今、お経がおもしろい! (一覧) ~ ブッダのつぶやき
参考文献
図解 ブッダの教え (田上 太秀 西東社)