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「日本語」「語順」「数」
日本語の語順
外国語との比較をするとたくさんありますね。
ここでは形容詞、数のつけかたを見ます。
形容詞、数の位置
まず英語を見てみましょう。
five red pencils
5本の赤い鉛筆
英語では数が先頭に来ます。
そして、色などの形容詞、最後に主役の名詞です。
「5本の赤い鉛筆」で文法的にはまちがいではないし、意味もわかるけど何か気持ち悪いです。
赤い鉛筆が5本
数は最後に
あなたはこういうでしょう。
形容詞が名詞の前につくのはおなじですが、数は最後につけます。
日本人にとって数はあまり重要ではないんです。
だから単数形、複数形がないし、それによって動詞の形も変わりません。
「今日、友だちが遊びに来るから」
という文章だけでは1人なのか、2人なのか、はたまた100人も来るのかわかりません。
だからお母さんは聞きます。
「何人来るの?」
厳密には、「友だち」は「友、達」で「友」の複数を表しますが、現代の日本では「ともだち」という1つの言葉として定着してしまったので、複数という概念はありません。
もちろん文法的にも複数形はありません。
1人でも「友達」
1人でも、2人でも「来る」という動詞は変わりません。
「こども」も「子、供」で「子」の複数なんだけどこれも忘れられています。
1人でも「子供」
現代では、「子供達」なんていいます😅
さすがに「友達達」はつかわれないようですが。
「赤い鉛筆が5本」は「が」がはいってるのに文章として不完全ですが、最後に「ある」が隠れています。
「赤い鉛筆が5本 (ある) 」ですね。
後ろにつく動詞は、状況によって「見える」かもしれないし、「ほしい」かもしれません。
また、ふつうは「赤鉛筆」といいますが、ここでは語順と修飾する言葉がどこにつくかに注目しているのであえて「赤い鉛筆」という言いかたをしています。
どうしても気になる方は、「緑の鉛筆」とでも言いかえてください。
英語教育の弊害
自然な日本語は
「赤い鉛筆が5本」なのに、「5本の赤い鉛筆」という記述をときどき見かけます。
これはfive red pencilsをそのままの順番で訳した結果かもしれないし、英語的な発想や語順に冒されているのかもしれません。
英語の情報と自動翻訳 (機械翻訳)
英語教育のせいだけでなく、現代では「多くの情報が英語ではいってきます」
→英語の情報がたくさんはいってきます。
これをおそらく自動翻訳すると「たくさんの~」とか「多くの~」に変換されます。
この「受身」も英語的表現で、日本語ではできるだけ受身をつかいません。
many people たくさんの人々?
英語では
many people
といいますが、
「たくさんの人」より「人がたくさん」のほうが自然な日本語です。
数は最後です。
How many people も
「どれくらいの人」ではなく「人がどれくらい」といいましょう。
もっといえば「人が」はつけずに「何人ぐらい」というでしょう。
これも辞書を引くと「たくさんの、多くの」と書いてあるからいけません。
それを見た日本人は無条件で「たくさんの~」と訳してしまいます。
もちろんまちがいではありません。
でも、自然な日本語ではありません。
many は名詞の前につくので辞書に「たくさんの」と書いておけばまちがいはないかもしれません。
これを「~がたくさん」と書くとかえって混乱するかもしれません。
しかし、このことが日本語をおかしくしています。
can ~することができる
これも有害ですね。
たしかにこれならすべての動詞を原形 (辞書形、終止形) で接続することができます。
たとえば can run なら「走ることができる」
can swim なら「泳ぐことができる」
しかし、この英語の安易な翻訳 (直訳) 、変換、辞書の作りかたによって本来の日本語が失われつつあります。
外国人学習者ならともかく、母語話者の日本人が「走れる」「泳げる」という動詞の活用をやめてしまいました😱
確かめる→確認する、見る→視聴する、走る→走行する→ランニングする!のように、いずれ日本語から活用が消えてしまうかもしれません。
これなら、五段活用、上一段活用、下一段活用、カ変の活用をおぼえる必要はなく「サ変 (する) 」の活用だけおぼえれば日本語の動詞が操れます。
これはおじさんとしては、憂うるべき状況だと思っています。
羊を数えるとき🐑
1匹の羊、2匹の羊って数えますか?
羊が1匹、羊が2匹ですよね💤
わたしは日本語教師をしています
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表示名はToshiです。