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「人生」「川」「流されるだけ」
人は流される葉っぱ
人生の分岐点と選択
人生はつねにさまざまな取捨選択が要求されます。
あなたはこの選択と決断で今後の人生が大きく変わると思っているでしょう。
大したちがいはない
残念ですが、あなたの選択は大した意味がありません。
大したちがいもありません。
あなたは流されているだけ
自分で考えて自分で選んで自分で決めていると思っているけど、あなたはしょせん川の上を流されていく落ち葉です。
目の前に岩が現れて、右に行くか左に行くかを大げさに考えているけどどちらに行っても岩を通りすぎればまた元の川の流れにいるだけで、べつの川に転移することなどできません。
目の前に現れた岩はあなたにとって大きな人生の分岐点になるように思うかもしれないけど、川に突き出したただの岩です。
一時的に岩の上に乗り上げて喜んでる
メディアに多く露出している人たち。
一時的に岩の上に乗り上げているだけにすぎません。
あたかも自分のたゆまぬ努力と能力で勝ち取ったと思っているけど、たまたまそこに乗り上げただけです。
つぎの波が来ればまた流されてもとの川の流れの上にいます。
大げさに考えるな!
大したことではない
あなたは川を流れていく落ち葉です。
あなたが右と左、どちらを選ぼうと行き着く先はいっしょです。
ちょっとだけ流れが変わるだけで、異世界に転移することはありません。
もがいても行く先は変わらないならどうでもいいことは身を任せましょう。
そして、あなたが選んでも、川の中でちょっと右に行ったり、左に行ったりしただけのことです。
あきらめず努力すれば夢は叶う?
よくこのようなことを言う人がいます。
ていうか、世間的に成功したと思われる人や、啓蒙書、頑張れソングに、掃いて捨てるほどあります。
思い上がりとかんちがい
水を差すようですが、とんでもない「思い上がり」と「かんちがい」です。
たまたま、スポーツの世界でチャンピオンになった人、小説を書いて賞をもらった人、会社を起こして盛り上げた人、今たまたまテレビや映画に数多く出ている役者やタレント、今たまたま歌が売れてもてはやされている人。
スポーツやレースでは本人の努力はもちろん必要で運だけではチャンピオンにはなれません。
スポーツやレースは、いちばん速い人、いちばん高く飛べる人など数値で測られるのでそこには他人の色目や評価がはいるすき間はありません。
じゃあ世界でいちばん努力した人がチャンピオンになるのかというとそうではありません。
努力からすればチャンピオンより何十倍も努力した人は数え切れないほどいます。
そこには生まれ持ったものがあります。
たまたま親から譲り受けた遺伝子がそのスポーツやレースにおいては力を発揮したのです。
レースの世界では本人の努力と能力だけでなく、与えられるマシンがとても大きな割合を占めています。
いくら能力は世界一でも、軽トラでF1マシンには勝てないのです。
体も自分で鍛えたり、技術を磨いたりする部分もありますが、生まれ持って軽トラに乗ってるか、F1マシンに乗っているかという自分では選べない、努力できない部分があります。
軽トラをいくらチューンナップしてもF1マシンにはならないんです。
勝てば官軍負ければ賊軍
「運も実力の内」なんて言う人もいますが、これまたとんでもない勘違い野郎です😄
しょせんは結果論でたまたま勝負に勝った人がさも自分の努力と能力の賜物かのようにいうだけです。
人の評価で決まる仕事、分野
みなさんはテレビを見ていてそこで活躍してキラキラ輝いている人を羨ましいなと思うでしょう。
でも、これほど「人の評価」に頼っている商売はありません。
本人の努力や実力が占める部分はかぎりなく0に近いです。
役者、女優、歌手、作曲家、作詞家、お笑い芸人、小説家、漫画家、映画やアニメの監督、絵を書く人、さまざまな分野のアーティストと呼ばれる人たち。
彼らの仕事はいくらがんばっても「より多くの人」が「気に入る」ことが必要です。
世の中の多数の人に「気に入られなければ」売れません。
本人の努力と能力は関係ありません。
オークションで何億円という値がつけられる画家たち。
かれらは自分が生きてるときには誰にも受け入れられず極貧で惨めな生涯を閉じています。
まず、生存中に絵が売れてウハウハという人を知りません。
死後、自分の絵が何億円で取引されてるなんて許せませんね。
レースの話をしましたが、役者や歌手は与えられる「役」や「歌」がとても重要で、どんなに演技がうまくて魅力的な役者でも「クソみたいな役」しかもらえず、どんなに美しい歌声でも「クソみたいな歌」しかもらえなければ売れません。
売れるきっかけとなる「役」や「歌」にめぐりあえば、そこから世間に知られることになりますが、めぐりあえなかった人はだれにも知られないのでなかったことになります。
みなさんはたまたま運がよく、テレビや映画その他のメディアに出てきた人を見ているにすぎません。
その陰には、もっと努力して、もっと実力のある人たちが埋もれています。
その人たちはメディアに登場せずだれの目にも触れないのでみなさんが知らないだけです。
審査員
小説にしても、芸人にしても、しょせん「審査員」の個人的な好みに合うかどうかで、世間全般の平均値ではないことに気をつけてください。
M1なんか見てても、個人的にはいちばん面白かった人が落ちて、まったく面白くなく1つも笑えなかった人が優勝します。
もちろん審査員によってもちがい、わたしとおなじ人に票を入れる人もいますが、そこにいるたった数人の審査員の「個人的な好み」で芸人の将来が決まってしまいます。
世の中とはそういうものです。
努力はムダ?
ムダです。
ただ勘違いしないでほしいのは「人に気に入られるための努力はムダ」ということです。
そんなものは他人の好みや気分次第であなたの努力や能力とはまったく関係ありません。
かりに市場調査をして世間の多数派の好みを分析してそれを実行して、受け入れられたとしてあなたは幸せですか?
まあ、商売として収入を得る手段としてはいいかもしれません。
でも、それがあなたの人格を代表するものになればあなたは不幸でしょう。
仕事、収入の手段とはべつに、ほんらいのあなた自身の活躍の場をつくったほうがいいです。
そして、その部分は人の評価はいっさい関係ない。
あなた自身が無条件に楽しめること。