毎日、読むこと。唱えること ~ 心の薬

sutra ojisan おじさん経典

はじめに

エントロピーの増大

エントロピー (乱雑さ) はかならず増大します。
子どもを並ばせても、かならず子どもはかってに動き走り回ります👦
部屋はかならず散らかります。
だから毎日、片づける必要があります。
できれば散らかったらその場ですぐ片づける。

物はかならず汚れて、傷ついて、壊れていく。
それも真理ですが、手入れしてやればより長く持つのも真理です。

人の心も

人の心もほっとけば千千に乱れていきます。
時間が経てば経つほど修復がむずかしくなる。
日々、いや時々刻々、心を修繕しましょう。

残念ながら自動的に修復はされません。
自分で積極的に修復しなければなりません。
そのことに吝かであってはいけません。

人はつねに外界からマイナスの、ネガティブな情報や刺激を受けつづけます。
だからこそ、毎日欠かさずそれ以上のプラスで、ポジティブな情報と刺激を入力しつづけて上書きすることが必要です。

太古の昔から、洋の東西を問わず、人が考えること、心の動き、行動、そしてそれに対する戒めの言葉や、力づける言葉は変わっていません。
でも、すぐ忘れてしまいます。

だから毎日、何度も、何万遍でも繰りかえします。
そうしないと人の心のエントロピーはすぐ増大し、散らかってしまうからです。

何の脈絡もなくまとまりもなく、日々、聞いたら、思いついたら書きます。

おじさん経典

すべてを受け入れる

自分の生まれも境遇も、自分の体の健康も能力も性格も。

「苦」は「渇愛」から生まれる。
渇愛とは、「欲しい欲しい」「もっと欲しい」という貪欲な心である。
それは何も、金や財産、富、名声、物質とはかぎらない。
自分がもっと健康であればいいのにとか、
自分がもっと体力があればいいのにとか、
自分がもっと精神的に強ければいいのにとか、
自分がもっと賢ければいいのにとか、
自分がもっと要領よく、世渡り上手だったいいのにとか、
自分がもっと心に余裕があって、強くやさしく朗らかであればいいのにとか、
むしろ自分自身への理想、高い要求水準だったりする。

じっさいにはそうでないから苦しむ。

強くもなく、人にやさしくする余裕もなく、不健康で、病気だらけで、要領は悪い。
そんな自分をひっくるめて受け入れれば楽になる。

好きになれとは言わない。
嫌いなものは無理に好きにはなれない。
それは犬とか蛇とかいう話ではない。
自分が望む自分でない自分を無理に好きになる必要はない。
ただ受け入れる。

望まない冷酷な親のもとに生まれて、朗らかに成長できるはずがない。
そんな自分は好きではないかもしれない。
それは自分が悪いのではない。
親が悪いのだ。

その親も好きになれとは言わない。
ただ、それはあなたの親だという事実じたいはどうしようもない事実だ。
自分にはどうにもできないし、生まれる前にもどってべつの親を選ぶことはできない。

好きになる必要はない。
ただ、あなたはその親から生まれたという事実を「ただ」認めるだけだ。
そして、その親のもとで性格や考えかたを歪められてしまったのも事実だ。

心に傷を負い、世間や人を裏から見るようなひねくれた性格になったのもしかたない。
しかたないのだ。
しょうがないのだ。

好きでなくていい。
ただ事実をそのまま受け入れる。

自分は健全な人間になる必要もないし、健全な人間のふりをする必要もない。

なるようにしかならない

努力すれば報われるなどというのは、たまたま運がよかったやつが言う世迷い言だ。

むかしから言われるとおり、泣いても笑っても世界は変わらない。
あなたが喚いたところで何も変わらない。

あなたは流されていく落ち葉。
あなたにできるのはちょっと向きを変えるとか、ちょっとだけ右に行ったり、左に行ったりするくらい。

だからもがいたり、あがいたりしてもムダ。
せめて流される中で楽な姿勢でいようよ。

身近でできることならやればいい。

あなたがアイドルになる夢を叶えるのははっきり言って運でしかない。
歌や踊りの練習をしたからといって、あなたがアイドルとして人気が出るわけではない。

でも、あなたが仕事帰りにちょっとアイスクリームを食べるとか、休みの日に映画を見に行ったり、山登りに行ったりすることはあなた次第でどうにでもなる。

会社で認められて出世するとか、アイドルもそうだけど、およそ他人の評価でしか決められないことは自分ではどうにもならない。
そんなことに労力と時間を使うのはムダ。
自分の意志次第でできることをやる。

人生は大したものではない

人の命は地球より重い?
そんなわけなかろう。
あなたは地球にいる人間はおろか、動物の1つにすぎない。
はっきり言って、あなたがいなくなっても誰も困らない。

あなたは自分がいなくなって誰かが困るとうれしいのか?

そんなことを考えるのが愚か。

自分は誰かのためにあるのでも、誰かのために生きるのでもなく、ただひたすら自分が生きるというプログラムで動いているだけだ。
それでいいのだ。

自分が幸せになるために全力を尽くす

生命の第一義は「自己保存」である。

死にたがる生命は存在しない。
そのようなものは生き残っていないからだ。
ひたすら自分が生き延びることに貪欲でその能力に長けて、時代や環境に適応したものだけが生き残っている。

自己犠牲はしばしば美化されるが、彼は死に、自己犠牲をしないものが生き残っているのが事実である。

それは悪いことではない。
それが生命の本質だから。

人の役に立つことに生き甲斐を求めるな。
それは為政者が奴隷を支配するために作ったエセ道徳である。

自分が幸せにならずに誰を幸せにできるというのか?
自分が辛い思いをして、苦しみ、他人の幸せを祝福できるとでも思っているのか?

またすべての人が自分で自分を幸せにできれば、世界中の人が幸せになるということだ。

他人のものを奪うというやりかたではなく、自分の中で自分を幸せにする。
自己完結した幸せなら、他人を不幸にすることはない。

幸せになるための努力を日々怠るな。

今ココ

ほとんどの人の悩み、苦は過去か未来にある。
過去にはもどれないし変えることもできない。
未来もそのときがやってくるまで触ることはできない。
自分が触って何某かできるのは、今ココだけだ。
過去にさ迷い悔やんだり嘆いたりしたら今ココにもどってくる。
未来にさ迷い不安や心配に苛まれたら今ココにもどってくる。

今この瞬間、ここには、後悔も不安もないはずだ。

ちなみに禅やマインドフルネスは今ココに超集中すること。
リラックスして集中する。

一期一会

人も出来事も一生に1度のこと。
2度と会うことはないかもしれないと思って接すれば、それを大事にするはず。

自分第一

生命の第一義は「自己保存」
自分がひたすら生き延びることである。
これを恥じることも、責めることもない。

自分第一 ~ 他人といると疲れる人へ ①

利己主義者が「自分のために」利他主義を謳い、他人に強要する。
要するに、自分を捨てて俺様のために奉仕しろということだ。

誰になんと言われようと自分の人生を生きろ

自分にやさしく。

心配するな。
心配したことの99%は起きなかった。
じっさいにはまったく予想だにしないことが起きる。
だから必要なのは、備えではなく、臨機応変だ。

人生はいつもアドリブ。
台本どおりに進むことなど万に一つもない。

考えるな

考えてもいいことは何もない。

思い出すな

思い出してもいいことは何もない。

動け

とにかく動け。
下手の考え休むに似たり。
考えるのは「どのように動くか」だけのためにしろ。
そして実践しろ。

思いこむと、思い詰めると、自分はよく物を考えていると勘違いするが、それは勘違いだ。
完全に思考が止まった状態だ。
下手の考え休むに似たり。

とにかく動け。
疲れたら休んでもいい。
さぼってもいい。
でも下らんことは考えるな。
下らんお笑い番組でも見てるほうがまだましだ。

比較するな

他人とだけでなく、過去の自分とも。
若いときにできたことも、年取れば思うように体が動かなくなり昔のようにできなくなるのは当たりまえ。

結果をすぐに求めるな。
あるかないかもわからない結果や報酬のために生きるのではなく、今やりたいことをやれ。

忘れる

嫌なことは忘れよう。
必要なことも忘れてしまうけど、それは一種の副作用。
これは人の心を守るために大切なプログラム。

また、忘れることはどうでもいいこと。
ほんとに大事なことは忘れない。
もし忘れたなら、それはあなたにとって重要ではないということだ。
たとえば、食べることや寝ることはメモを取らなくてもアラームをセットしなくても忘れないだろう。

忘れることはどうでもいいこと!~ しかしいくらかの対抗策

風化させちゃいけないの? ~ 忘れることも必要

記憶喪失 ~ 忘れたいから忘れる

許す

まず自分を許す

他人の言動を許せないのは、人間に求める基準が高すぎるからだ。

他人を許せない人は自分も許せない。
中には人に厳しく自分に甘い、都合のいいやつもいるけど。

他人を許そうと思っても許せないのは、自分にも人にも厳しい基準を設けているからだ。

まず自分を許す。
そうすれば「自分もやってるんだから、他人がやってもいいよね」と思える。

他人を許す

自分を許すことができればつぎは他人を許すことができる。

他人の過ちや非礼を許すのは相手のためではなく、自分のため。
相手にずっと腹を立てていると自分の心と体に害があるからだ。
また下らない相手の下らない言葉や態度に自分の貴重な時間とエネルギーを費やすことほどバカらしいことはない。
その時間とエネルギーは自分のために使ったほうがいいに決まってる。
自分のために、相手の過ちを忘れ、許す。

人は勝手なことを言うもんだ。
だから人の言葉に耳を傾けるな。

「人は勝手なことばかり言うもんだ」~ブッダのつぶやき

アドバイス (助言) は役に立つか?~ つぶやき

自分が考えたとおりに行動してうまくいかなかったら、うれしくはないが後悔はない。
人の言うとおりにしてうまくいかなかったら、悔やんでも悔やみきれない。
どうして自分が思ったとおりに、自分がやりたいようにやらなかったんだろう?
その助言?大きなお節介?をした相手を生涯恨むであろう。
あなたが人の言うことを聞いてどうなろうと、人は責任を取ってはくれない。

しかしそれを選んだのはあなただ。
結果的に自分自身を憎み、恨むことになる。
選ぶのはあなただ。
決めるのはあなただ。

自分のせいにするな。
自分を悪者にするな。
他人のせいにして自分が動かないのはよくないが、なんでも自分のせいにして自分を嫌いになるのはもっと愚かだ。
自分が考えて、自分の判断基準に照らし合わせて行動したなら、あなたは何も恥じ入ることはない。
もし自分の過ちに気がついたのなら素直に認めて謝り、これからの言動を改める。
しかし、人と対立したら何も考えずにかならず自分のせいにして謝るのは、いい人ではなく、愚かな人である。
また何でも自分のせいにすれば考えなくていいので、怠け者でもある。

諸行無常

永遠のものなど何もない。

千変万化。

すべてのものは生まれるとともに死に向かう。
しかし、生きるとはいつ来るかわからない将来の死に怯えて毎日を暮らすことではない。
今日を、今を生きる。
昨日を、遠い昔を悔やんで今を無駄に費やすな。
明日を、遠い将来を心配して今を無駄に費やすな。
今日は、過去や未来のためにあるのではない。
今しか触れることのできない今を生きること。

過去を悔やみ、未来を心配する毎日は、つぎの瞬間に取りもどせない過去に変わって定着していく。
あなたは人生が終わるときに、振り返れば、後悔と不安だけの人生だったことに気がついて愕然とする。
今この瞬間を生きる毎日を送れば、人生の終わりに、充実した一生に満足し、何の後悔もなくこの世を去れる。

目の前にあるケーキをもったいないからと取っておけば、食べないうちに味は落ち腐ってしまう。
そのほうがもったいない。
目の前にあるケーキはおいしいうちに召し上がれ。

明日のジャムは永遠に食べられない。
今日食べてしまおう。

明日の百より今日の五十

世の中には目先のことに囚われず将来を見据えることが賢いというウソが流布している😄
人は考えるほうが賢いという勘違い。
ほぼ100%、人は考えているのではなく、ただ不安に思い今という時間を浪費しているだけだ。
もし心配なら今動け。
今どうにもならないなら将来について考えるな。
とにかく今、動け。

刹那主義とはちがう。
ギャンブルや酒に溺れるのは、今を生きているのではなく、今をドブに捨てているのだ。
ギャンブルに溺れればそれは富をもたらすのではなく、金と財産を失い借金にまみれ犯罪に手を染めるようになる。
心は満たされるどころかボロボロになっていく。
酒に溺れるのは、今が不安なのではなく、今が楽しいのでもなく、過去を悔やみ、未来を恐れているからにほかならない。
過去と未来から逃れるために、酒の力で思考を抑えようとしているだけだ。
適度な酒はもちろんOK。
でも飲みすぎれば身近な経験から二日酔いで今以上の「苦」がやってくることはみんな知っている😄

溺れてはいけないもの

ギャンブルや酒はいうに及ばず。

宗教

これほど人々の過去の後悔、未来への不安につけこみ世界にはびこり、現在もはびこっているものはない。
とくに新興宗教には注意。
薬物依存とおなじ。

人の道を外れ、金も人間関係ももちろん人生のすべてを奪われる。

悪徳宗教の見分けかた

この宗教を信じないと災難に見舞われると言って脅す。 (脅迫)
もうすぐこの世の終りが来ると言う。 (末法思想)
入信して多額の寄付をすれば救われると言う。 (金)
またはあの世・来世で幸せになると言う。 (あの世・来世・生まれ変わり)
友人・家族との接触を断つ。 (正常な世界から隔離する)
破壊活動を行う (テロリズム)

これらが見えたらすぐ離れること。
断乎として離れること。

近代、現代仏教は、念仏仏教、商売、そして不安な人々を餌にして私腹を肥やす悪徳団体に成り下がっている。

ただ座って念仏や呪文を唱えても何も起きない。
たくさん寄付しても何も起きない。
幸せにもならない。

心を集中して落ち着かせる手段としてお経を唱えるのはいい。
しかし念仏を唱えると願いが叶ったり、不思議なことが起こるわけではない。

ブッダがやりたかったことは「今この瞬間幸せになる」ことで、あの世や来世で幸せになることではない。
ブッダは生まれ変わりを否定している。
本来のブッダの考えは実践的であり、「今どう生きるか?」である。

日本に伝わった北伝仏教 (いわゆる大乗仏教) ではなく、ダンマパダ (法句経) や、スッタニパータ (経集) などを読むといい。
ほんらいお経とは念仏や呪文ではなく、「今どう生きるか?」が日常の言葉で書かれたものだ。
上座部仏教 (テーラワーダ) に関するものを読むのがいい。

何ものにも縋るな

ブッダは言ってる。

何ものにも縋るな。
物質にも人にも。
信仰すら捨てろ。
わたし (ブッダ) にも縋るな。

自灯明法灯明

自分を島とし自分を拠り所にせよ。

正しい教えにしたがい生きろ。

もしその教えに従って不幸になるならそれはまちがった教え。
その教えに従って幸せになるなら正しい教え。

他人をいっさいかえりみず傍若無人に振る舞い、ギャンブルや酒に溺れれば不幸になることはみんな知っているだろう。
かといって山に籠もり禁欲的な生活を送るのも幸せではない。

自灯明法灯明 (自らを拠りどころとせよ)~ブッダのつぶやき

中道

なにごとも程々に。

「ほどほどに (中道) 」~ブッダのつぶやき

ギターの弦はゆるゆるだと音が出ない。
張りすぎると切れてしまう。
ほどほどに、程よく張った弦はいい音を奏でる。

落ちたら拾え。
倒れたら起きろ。
倒れたら起こせ。
壊れたら直せ。
直らなければ新しいものを作れ。
直らないし、作れなければ、諦めろ。
忘れろ。
逃がした魚は大きい。
でも魚はほかにいくらでもいる。
ほかの魚を探せ。

すべてのものはいつか壊れる。
すべてのものはいつか終わる。
あなたの家も車も体も時とともにかならず衰えいつか滅びる。
家や車は修理したり買い替えたりできるが、あなたの体は買い替えることはできない。
あなたの人生は1度きりで、あなたの体は1つしかない。
今つかっている体がボロになればそれが人生の終わり。

だから大切に使え。

使ってなんぼ

でもタンスや物置にしまっておくな。
使え。
大事にしまっておいて、かりに人生が何日か伸びたとしても、何もしない人生は人生ではない。
すこしばかり長い人生より、すこしばかり短くても充実して満足した人生を送れ。

むしろ使わない家や車はすぐボロボロになる。

あなたの人生はケーキとおなじ。
食べないで腐らせてしまったケーキは何の意味もない。
大事に取っておいたつもりが、じつはそのほうが無駄にしている。
食べて「おいしかった」と思えればそれで幸せ。

花はどうせ散るから咲いても無駄なのか?
咲いて、きれいだなと思い、虫が蜜を集めに来る🍯🐝
それでいいのだ。

どうせ死ぬんだから生きても無駄?
生きることも死ぬことも選ぶことはできない。
人間をふくめてすべての生きものは。
生まれたら、死ぬまで楽しめ。

喜びを外の世界に求めない

だれかに楽しくさせてもらうんじゃない。
自分で楽しむのだ。

物や金は喜びを生むとともに失う心配も生む。
最低限は必要だが、持てる人を羨むなかれ。
かれらはつねに失う心配に苛まれている。

物を持つと喜びとともに心配が生まれる!~ ブッダのつぶやき

幸せや喜びを他人や外界に求めない。
喜びは自分の中に見出す。
自己満足大いにけっこう。
満足とは他人に評価してもらうことではなく、自分自身が感じるものである。
自己満足以外に何の満足があろう。

そもそも幸せとは「幸せについて考えない」状態だ。
健康も同様。
「今、健康だ」なんて考えてるうちは健康ではない。
ほんとに健康な人は自分の体のことをいっさい忘れている。
「今日は快調だ」なんて考えること自体が不健康である。

バカのほうが幸せ。
バカだったら幸せを感じる能力もないだろうというけど、小利口な人間は不幸を感じる力のほうが圧倒的に大きいのだ。
たとえいいことがあっても「このあとに良くないことが起きるにちがいない」と考える。
ほんとに幸せな状態とは「幸せについて考えない」状態だ。

この世の真理や事実は何も変わらない。
あなたが何を考えようと、どう感じようと何も変わらない。
地球は太陽の周りを規則正しく回っている。
あなたが何かを考えたからといって、地球の速度が変わることはない。

あなたが泣こうが笑おうがこの世の真理・事実は何も変わらない。
あなたが泣こうが笑おうが、過去に起きたことは取り消すことはできないし、やってくる未来も変えることはできない。
あなたが何某かできるとすれば「今、この瞬間」しかない。
それによって未来はほんのすこしは変わるだろう。
あなたの身のまわりのことはすこしは変わるだろう。
しかし、あなたが努力さえすれば何でもできるというのはとんでもない思い上がりだ。
世の中には「頑張りさえすれば何とかなる」という絵空事・世迷い言が幅を利かしている。
オリンピックで金メダルもらったとか、会社を起こしてうまくいったとかいうことを、まるで自分の努力と能力で成し遂げたかのように勘違いしている愚かな連中が多いが、かれらは「運が良かった」だけだ。
また、今だけうまくやってるように見えても、明日はどうなるかわからない。
永遠のものなど何もないのだ。

今あなたが何かするのは、未来のためではなく、今現在を生きるためである。

未来のために現在を捨てていくのではなく、現在の積み重ねの結果が未来というだけのことだ。
そして自分自身と身のまわりの些細なこと以外は、ほとんどあなたの考えと行動には関係ない。

人事を尽くして天命を待つ

人事を尽くすのは自分の努力と能力で実現するためではなく、「やっとけばよかった」と後悔しないためだ。
ほとんどの後悔は「やってしまったこと」ではなく、「できるのに、やりたいのに、やらなかったこと」だからだ。
繰りかえすが、人事を尽くしさえすれば実現するほど世の中はやさしくない。
運は気まぐれだ。

もしあなたが「努力さえすれば叶う」と信じているなら、叶わなかったときに「自分は怠け者だ」「自分は無能だ」とみずからを罵り、蔑むことになろう。
あなたは万能の神ではないことを知れ。
オリンピックで金メダルを取るのは1人だけ。
オリンピックの出場権さえ得られなかった人をふくめ、あとの何千、何万という人たちは無能で怠け者だったのだろうか?

たまたま金メダルをもらった奴が「努力は報われる」なんて恥ずかしげもなく言うさ😄

人は天邪鬼

覆われたものに雨は降る。
開かれたものに雨は降らない。

人は隠すと執拗なまでに中を見ようとする。
ところが反対に見せようとすると誰も見てくれない。

あなたの投稿に1つも「いいね」がつかないだろう😄

自分が欠点・弱点だと思っているものも、ぜんぶ曝け出してしまえばかえって誰も見ないのだ。
恥ずかしいと思うものこそ、曝け出してしまえ。
人はあなたに興味などないのだ。

雨は覆われたものに降る ~ ブッダのつぶやき

バカ

バカにつける薬はない。
バカとは算数の計算ができないとか、漢字が書けないということではない。
自分で考えることができないということである。

バカでも性格が良ければいい?
バカは想像力がない。
だから人が嫌がることが理解できない。
自分がされて嫌なことが想像できない。
だから人に不快な言動をする。
悪気がなければいい?
悪気がなければ、人をナイフで刺してもいい?
悪気がなければ、人を轢いてもいいか?

あなたが腹立たしいと思う人間は100%バカである。

この世はバカであふれている。
だからバカの相手をしてるときりがない。
疲れる。
だからできるだけバカには関わらないこと。

話せばわかる?
わからないからバカなんだ。
話してわかる理解力を持つ人は最初からバカなことはしない。

雑用で今日という日を埋め尽くすな

明日できることをなぜ今日やらなければならないんですか?

これはある韓国人の名言です。

じっさいは自分は明日休みだから明日にすれば自分はやらなくて済むという落ちでしたが😄

優先順位をつける

手は2本しかない。
体は1つしかない。
1日は24時間しかない。

この中でできることは限られる。
時間だけでなく体力と精神力も限りがある。
年相応で、24時間不眠不休で動けるのは若いときだけ。

やること、やりたいこと、やりたくないけどやらなければならないことが山程ある。
でもこれを全部やるのは不可能だ。
優先順位をつけて取捨選択しなければならない。

ほんとに大事なこと。自分が心からやりたいと思っていることを優先する。

自分がほんとにやりたいと思っていること。

おじさんだったら、飛行機に乗って楽しみながら訓練して、免許を取って、アクロバットをやることです。
これは実現しました。
ただ継続的にはできていません😅

それに対してやらなければならないことは、生活のために金を稼ぐこと。
もし働かなくても飯が食えるならそれもOK。
ただ、お金がないのに働かず、他人に寄生する奴はクズだ。
働けるのに働かないで年老いた親や兄弟に食わせてもらってるやつ。
また社会保障に頼って他の人の税金を増やすやつ。
こんなやつらは豆腐の角に頭をぶつけて死んでくれ。

話がそれた。

やらなければならないことは金のために働くこと。
炊事、洗濯、掃除、家の補修や、確定申告などお国のために収入の計算や報告書をつくることなど。
保険も自分のためではあるけどほんらい生きるために必須ではなく、そのために手続きや更新などもしなければならない。
期限が決まっているので放置して満期を過ぎると保険が効かないだけではなく、法的に違法で罰せられることもある。

しかしこれらは自分で望んでやっているのではなく、もしやらなくてすむならやらないほうがいいものだ。

雑用で日々を埋め尽くすな

こういう自分が望まない外部からの義務の雑用で毎日を埋め尽くしてはいけない。
何のために生きているのか?
ただ忙しく、そのくせ空しい毎日。

自分がやりたいことをやり、その他諸々の雑用はスキマ時間に差し込んでいく。
けっして雑用をメインにしてはいけない。
期限があるものはそれまでにやらなければならないが、それも1年先のことなら今日やらなくてもいい。

だから明日できることを今日やらなくてもいい。

ただ何事もほどほどにで、雑用をためておくとそのことが気になったり、期限が重なっていっぺんに片づけなければならなくなったりしてかえって大変なことになる。
でもこれらは「しかたなく」やるものでこれを毎日のメインディッシュにしてはいけない。
あくまで空いた時間にちょこちょことやって、今日やらなくていいものは明日に回して、自分がほんとにやりたいことをやるべきだ。

雑用でくたびれて何もする気がなくなるなんて愚の骨頂。
あなたは雑用をするために生まれてきたのか?

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