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「お先にどうぞ」「我先に」
日本人に「お先にどうぞ」はない
アメリカ人
「お先にどうぞ」の文化はおもにアメリカですね。
レディーファーストのみならず、男同士でもドアを開けて後ろの人を先に行かせることがあります。
こちらが客であることが多いですが。
それでもはじめて「お先にどうぞ」と言われたときはドギマギしました。
そんなこと日本ではないから。
ありがたいというより、予想もしないことにどう反応していいかわからない感じです
人が開けてくれたドアを通ることは、「うれしい」というより「はずかしい」気がします。
「我先に」のヨーロッパ人
レディーファーストは西洋の文化だと思っていましたが行ってみないとわからないもんです。
ヨーロッパは「我先に」の文化です。
レディーファーストもなければ、年寄りも子どももほったらかしです。
とうぜん弱者は押しのけられ、おいていかれます。
バス停にいちおう列らしきものができてるんだけど、バスが来たら驚き
順番なんか関係なくドアに人が群がり早いもんがちです。
バスの車内でも、年寄りが立っていても譲る人なんかだれもいません。
これって日本、中国を代表とするアジア人のステレオタイプだと思ってたけど、ヨーロッパ人のほうがひどい
自分だけの話ではなく、ヨーロッパでは「お先にどうぞ」をやっているところを見たことがありません。
シルバーシート
フランスのバスにはシルバーシートがありました。
つまり、年寄りを大切にしない国だということです。
日本同様。
もともと年寄りや子ども、いろんな弱者を大切にする文化があればシルバーシートは必要ないからです。
こんなものがないと弱者は座れないということを如実に物語っています。
スキー場
カナダのウィスラーに2回行きましたが、こういうところの客は社会的に洗練されています。
おそらく現地の人よりヨーロッパのお金持ちが来ている風情があります。
おじさんみたいにドミトリーの2段ベッドに泊まるのは、お金のない若者だけです
リフト待ちはけっこうあるんだけど交通整理係がしっかりしていて、また自信と誇りを持ってやっています。
客もそれに従います。
また整理員がいなくても4人乗りのリフトなら知らない人同士でもできるだけ4人で並び、「お先にどうぞ」をやります。
順番はお互いに暗黙の了解でできていて、「お先にどうぞ」とやったら次は自分の順番。
譲ると同時に、自分の当然の権利もしっかり守ります。
おじさんは1人なのでもじもじしていたら、逆に後ろの客に突付かれ「前の3人組といっしょに乗れよ」とどやされました。
日本でもむかしは知らない人同士で相乗りしていましたが、「私をスキーに連れてって」 (古い!) で有象無象の俄かスキーヤーがどっとなだれこんできてスキー場のマナーは一気に悪くなりました。
とかくスノーボーダーだけ言われますが、スキーヤーも悪いです。
しかも会社ではそれなりの地位にあるかもしれないええ年こいた大人も。
「我先に」の日本人
日本人はわりと並ぶほうですが、「人目とその場の人間関係」に大きく左右されます。
要するに、会社の上司、客、地域の知り合いなどにはメチャクチャ気をつかうくせに、一歩外に出て「知らない人」のところに行くと傍若無人に振る舞う。
これがおじさんは大嫌いです。
ジャイアンのように相手がだれだろうと傲慢なやつはそれなりに認めます。
友だちにはならないけど
しかし、知り合いで何らかの利害関係が生まれそうな相手にはメチャクチャ気をつかって、自分のことを知っている人がいないであろう、あるいはだれも見てないところでは、傍若無人に振る舞い、ゴミも捨てる。
こういう小市民が大嫌いです。
「小人閑居して不善を為す」というのはだれも見てないところでは悪いことをするという意味です。
これにはつづきがあって、君子はまわりにだれもいなくても、1人でも慎ましく行動するのです。
君子とは地位の高い人ではなく、人格・徳のある人ということです。
阪神淡路大震災のときにコンビニの前に日本人が並んでいてびっくりしたと、世界で話題になっていたけど、それは写真や映像を撮られているからです。
それを知ってるから並んでいる。
外部の目がなかったら我先にです。
ホームでもいちおう並んでいても、電車が着いてドアが開くとかならず列を無視して先に乗るやつがいます。
こいつもいやらしいのは、最初から割りこむと文句を言われたりケンカになったりすることを知っているので、電車が来るまでは後ろにいて、人が動きはじめたら一気に割りこむんです。
こういう小賢しい小市民がいちばん嫌いです。
まだジャイアンのほうが清々しい。
嫌いだけど
日本では「お先にどうぞ」をやっているといつまでたっても自分の番は来ない
日本には「遠慮」だとか「気配り」「気遣い」なんて言葉がありますが、上に書いたとおり「知人」の中だけの話です。
「他人」に対してはとことん冷たく、無神経です。
おじさんは西洋、いやアメリカかぶれして、ドアを開けて「お先にどうぞ」なんてやれば、日本人はこちらには目もくれずにどんどんはいっていきます。
そして、誰一人「今度はあなたがお先にどうぞ」という人はいません。
まるでおじさんはドアボーイか、いやそれよりもっと悪い、存在さえ気づかれていない
おじさんはいつまでたっても、自分がはいることができません。
車でも
狭い道ですれ違えないところでは、すれ違えるところで待つのは暗黙の了解です。
と、おじさんは思っています。
これはマナーというより、狭いところで動けなくなると「自分も損する」からです。
狭いところで睨み合ったり、すったもんだして、ノロノロとバックする時間と手間を考えたら、広いところで待つほうが自分も早く前進できるんです。
ところがこのことがわからない人が多いです。
ていうか最近増えてきました。
むかしのほうが道は走りやすかったです。
車はもともと顔が見えず匿名性が高いので「どこの誰か知らない人」になる傾向が強いけど、むかしのほうがお互い譲ったり挨拶したりすることが多かったです。
ここ岡山の田舎では車がないと生活ができず、狭い道も多いです。
免許取り立てでそんな余裕がない初心者はともかく、何十年も地元にいてこのような狭い道で対向車と出会うことも少なくないはずの年寄りでさえカーブミラーも見ず突っ込んできます。
見ても止まる気がないのか、見たこともないのか。
おじさんは岡山に来て15年くらいになるけど、来たときは年寄りでもスマートに運転できるいいところだと思いました。
これはマナーの問題ではなく高齢化なんでしょうか?
おじさんも15歳年を取ったけど、まわりの人間も確実に15歳年を取ってる。
ボケ老人が増えたということかもしれません。
朝の通勤時間帯など、こちらが待っていると対向車はつぎつぎにはいってきます。
「今度はあなたがお先にどうぞ」という人は1人もいません。
自分で考える能力に欠けている
こういうことはマナーとか教育の問題よりも、個人の「考える力」に関わってる気がします。
日本人はとにかく知人の間ではまわりの人の様子を窺い、他人の中では他人を顧みない民族です。
心が狭いです。
みみっちい奴らです。
人から言われたからとか、親や先生に教育されたからではなく、自分で考えて行動することがありません。
だから前の人が進めば自分も進む。
赤信号みんなで渡ればこわくないなんて言葉も流行ったけど、これが日本人をみごとに表しています。
みんなやってるから / だれもやってないから
赤信号では渡るのは良くないよな?とか
赤信号で渡ったら危ないよな?車に轢かれるよなとか
自分で考えることなく、他の人がそうしているから自分もそうする。
みんなが万引きしてたら自分もする。
みんなが人殺ししてたら自分もするんかい!
自分の判断で、他の人がやっていても自分はやらない、あるいは、だれもやっていなくても自分はやる、という判断ができません。
1億総白痴化
テレビが登場したときにすでにこのことを予測してこの言葉を口にした人はすごいです。
じっさいそうなっています。
まだインターネットで何か調べるほうがマシです。
それは自分から能動的に、特定の目的のために行動しているからです。
ネットニュースをただ眺めてるのはテレビを眺めているのといっしょですよ
テレビでかなり白痴化に成功したところで、携帯電話が広がりさらに白痴化は加速します。
そしてとどめはスマホ。
大成功です。
日本人全国民白痴化に成功しました。
あとは地球温暖化とかコロナとか流しとけば、国民は為政者の言いなり。
アンドロイドやロボットのごとく好きなように操れます。
二酸化炭素を悪者にしておけば、あれだけ大惨事を招いた福島の原発事故があっても憚ることなく原発を再稼働できます。
汚染水はどうするんだ?とかいう話も烏合の衆には風の音にしか聞こえません。
なし崩し的に垂れ流せば、ツイッターで烏合の衆が騒いだところで何も変わりません。
むすび
おじさんはインフルエンサーではないので、おじさんのつぶやきです。
おじさんも烏合の衆のツイッター民とおなじですね。
ただちがうのは、おじさんは自分で考えて自分で行動します。

