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「引き際」「大事」
引き際が大事
最近おじさんはよく物を倒したり落としたりします。
ただ、お湯がはいった薬缶とか、刃物は落としません。
手を離すときに引っかける
要するに老化してボケてきて集中力がなくなっただけのことです
お湯や刃物は危険なので最後まで慎重に扱い見届けます。
自分の行動を観察していると、物を置くときに倒すことはなくて、手を離して注意がそこから離れたときに倒すことがわかりました。
コップを置いて手を離すときに指が取っ手に引っかかって引っ張ってしまう。
あるいは手を引いたときに、近くにあったもの、手前にあったものに手が当たってひっくり返す。
「引き際が大事」です。
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人生も引き際が大事
人生の2大事
人生で大きなことといえば、やはり就職と結婚でしょうか。
この2つの大きな特徴はつぎの2つです。
- 一度決めたら長く続く
- 自分1人の意思では決められない
- 契約である
仕事はできれば「自分がやりたいこと」「自分の能力が活かせること」を長く続けたいです。
結婚も「理想的な相手と」「末永く幸せに」続けたいものです。
そして、自分の気持だけではできないものです。
かならず相手がいます。
仕事なら会社が自分を雇ってくれないことにはいくら「やりたい」と言ってもできません。
結婚も相手がいることなので、すくなくとも現代の日本では双方の合意がないとできません。
そしてもともと赤の他人が、会社なり家庭なりで、おなじ目的や打算で結びついておなじ方向に向かって歩いて行く (はず) なので契約を交わします。
ただ好きならいっしょにいればいいだけのこと。
法的に「結婚」という契約を交わすのは、それ以上の「縛り」があります。
いやはや、ほんとにお互い愛し合って、信頼があって、永遠に相手を尊敬し支え合うのであれば「契約」する必要はありません
契約するのは法律で縛らなければならない理由があるからですね
始めるよりやめるほうがむずかしい
さて、仕事もバリバリこなしてやりたいことができて、自分の能力を思う存分発揮できて、会社も順調、人間関係も良好、結婚生活も互いの信頼が揺らぐことなく、互いに相手に対する尊敬と思慕の念が変わることなくつづけば人生万々歳です。
まあ、こんな人はいないでしょう。
この中の1つでも、それが1日でもあればそれでも奇跡。
それが何年もつづくなんて贅沢の極み。
始めるのはカンタン
仕事も結婚も相手がいて、相手がOKしないとできないので物理的にはむずかしいです。
ただ、自分がその気で相手がいれば、始めるのに問題はありません。
まして自分が仕事や結婚相手を探していて、就職や結婚を望んでいたのなら始めるのに何も問題はありません。
やめるのはむずかしい
仕事も結婚も物理的には、自分が「や~めた」といってやめればいいのでカンタンです。
ふつうの会社なら仕事をやめても小指を詰めることはないし、結婚をやめる、つまり離婚しても牢屋に入れられるわけでもないし、絞首刑になるわけでもありません。
すくなくとも日本では。
でも、イヤになってもすぐにやめない、やめられないのはなぜでしょう?
収入と世間体
これがその原因のほとんどでしょう。
気に入らない社長や上司に啖呵を切って、あるいはドラマみたいに殴って「やめてやる」というのはカンタンそうだけど、現実世界ではまずだれもやらないのはひとえに「明日から収入がなくなる」からです
殴らないまでもやめて?次の日に当たりまえのように会社に来る奴がいるけどおじさんには信じられません。
またそれを当然のごとく受け入れる上司や社長も信じられません。
碌でもない会社です
やめた奴もほかに行くところがないし、会社もなかなか来てくれる人がいないからです。
これは悲しいかな現実世界にあります。
おじさんが碌な会社に行ってないということですね。
会社をやめたときは清々しいですが (経験者は語る) 、潤沢な財産を持っているとか、食べさせてくれる人がいるとかいうことがなければお金はすぐなくなるので、つぎの仕事を探さなければなりません。
探すのもめんどうだし、履歴書を書いたり、面接するのもめんどう。
しかも1度で決まるわけがない。
またブラック企業かもしれない。
仕事が決まるまで食いつなげるか不安です。
履歴書に傷 (やめたということ) がつくと次の就職に響きます。
転職回数が増えれば、「飽きっぽい」「忍耐力がない」「本人の人間性に問題があるのでは?」「またすぐやめるんじゃないの?」という当然の想像をされます。
じっさいはたまたま行った会社が悪かっただけでも、けっしてプラスになることはなくまちがいなくマイナスの材料になります。
だからやめるのをためらいます。
今いる会社が超ブラックでいつ殺されるかわからなくても、なんとかしがみついてでも続けようとします。
結婚のほうは「カンタンに離婚させないため」の契約があるので、婚姻届を出すのはカンタンだけど離婚届を出すのはいろいろと手続きもめんどうです。
そして、どちらかが浮気したとかギャンブルにハマってるとか日常的に暴力を振るうとか大罪を犯したとか特別な条件がないとカンタンに離婚させてくれません。
また、親権と慰謝料と養育費の問題があります。
「離婚してせいせいしたぜ」とは行かず、のちのちまでめんどうで、経済的にも精神的にも苦痛を味わいつづけなければなりません。
片親になれば仕事をしながら子どもを育てるのは経済的にも物理的にも大変です。
実家に住んで親にめんどうを見てもらうなどの環境がないとむずかしいです。
もちろん子どもに与える社会的な問題 (名字が変わるとか) や精神的ショックも考えます。
何より離婚すると世間体が悪いです。
これも仕事とおなじで、かりに本人に落ち度はなくても相手の問題でも、「浮気したのかしら?」「酒癖が悪いのでは?」「ギャンブルにハマってるの?」「金遣いが荒い?」「ワガママなんじゃないの?」などとにかく悪いイメージしか持たれません。
就職と結婚は似た者同士で、これがうまくいかない人は「人間性に問題がある」というレッテルを貼られがちです。
やめるのはカンタンだから明日にしよう
こう考える人がほとんどでしょう。
「やめるのはいつでもできるけど、つぎの仕事を探したり、つぎの相手を見つけるのはカンタンではない」
たしかにそうなんだけど、そういって現状をごまかしているだけの人がほとんどですね。
仕事 (会社) でも結婚 (家庭) でも現状を良くしようとするつもりはない。
いや何かしらしているけど効果がない場合もあるかもしれません。
いずれにせよ引き延ばしているだけ。
じっさいはいつでもできるのではなく、いつまでもできません。
自分は何も努力しない、またはできないけど、そのうち風が吹いてまわりの状況がよくなってくれるかもしれない。
なりません。
物事はつねに変化するけどたいてい悪いほうに転がっていきます。
エントロピーの増大
エントロピー (乱雑さ、無秩序さ) はかならず増大します。
高いところにあるものは低いところに落ちる。
熱があるものはかならず熱を放出して冷めていく。
金はいつも掻き集めていてトントンで、手を休めるとあっという間になくなります
敵といっしょに暮らすのは地獄
敵とはあなたを否定する人
もちろん物理的にあなたを傷つける人、攻撃する人は敵です。
有り体に言えば、あなたを殴ったり蹴飛ばしたりする人。
でも物理的に攻撃する人だけが敵ではありません。
言葉で攻撃したり、あなたのまわりの環境を悪くしたりする人も敵です。
好き嫌いよりも「あなたを否定する人」がいちばんの敵です。
あなたを否定することが結果的に言葉や暴力になります。
ブッダも言っています。
ふさわしい人がいないなら1人でいるほうがマシ。
犀の角のように。
味方とはあなたを肯定する人
言いかえれば、「あなたを肯定する人」があなたの味方です。
結果的にあなたに和やかな顔を見せたり、話しかけたり、あなたのやることを応援したり手伝ったりしてくれます。
趣味や食べものの好みなどちがっていてもいいんです。
あなたという人間を肯定してくれる人。
できれば戦わずに相手から離れる
戦って物理的に勝っても得るものはない
あなたを否定する人と戦ってもムダです。
疲れるだけです。
ケガをするかもしれません。
あなたが仮に腕力が強くて相手を殴り倒したところで相手があなたを否定することには変わりありません。
力でねじ伏せたところで相手があなたのことを心から尊敬したり慕ったりすることはありません。
力で人の気持ちを変えることはできません。
機械的にバネを押さえつけているだけで、手を離すといつでも元にもどります。
物理的に勝っても負けても、心は晴れない
勝っても負けてもあなたには不快感しか残らないでしょう。
もし相手を殴り倒してスカッとする人ならこのページを閉じましょう
我慢はえらいのか?
むかしから我慢することが必要、我慢する人がえらいという社会通念があります。
もちろん幼児のように自分のことしか考えないで、気に入らなければ泣き喚き人に暴力を振るうような人は社会的に抹殺されます。
なにごとも程々に。
程度の問題です。
しかし、幼児のようにワガママを言って人に当たり散らせるのは、社長のような権力を持った人だけです。
それでけっして許されているのでも、認められているのでもなく、金をもらうために我慢しているだけです。
権力や金のために人々は従っているということを理解せずに言いたい放題、やりたい放題の人はだれにも尊敬されません。
みんなに最大級の軽蔑を受けています。
表向きはいい顔をして、陰ではその人の悪口ばかり。
もしその人が権力と金を失えばただちにみんな離れていきます。
ただ我慢するほうも程度問題です。
限界を超えると破綻します。
自殺してもだれもほめてくれない
収入のため、世間体のために、会社や家庭に自分を縛りつけ、「いつでもやめられる」といいながらけっしてやめることはなく、そのうちに仕事や結婚ではなく、自分の人生をやめてしまう人がいます。
愚かです。
あなたは自分が生き残るために仕事をしていたのではないですか?
仕事のために自分の命を終わらせるって本末転倒ですよね。
結婚もおなじです。
世間体や子どもや煩雑な手続きのために自分の人生を終わらせるんですか?
子どもは大事です。
でも、我慢した結果が自殺や無理心中だったら子どもはもっとかわいそうです。
後悔すればまちがい。悔いがなければ正解
「やめた」とき自分の決断が正しかったのかどうか?
カンタンです。
後悔すればまちがい。
悔いがなければ正解です。
やめなければよかった→まちがい
やめてよかった→正解
嫌なことしか思い出さない
おじさんの人生の最初の大きな決断は家出です。
残念ながら出家ではありません
今でいえば虐待されていました。
虐待されているという自覚があればまだマシ。
怖いのは愛されているという呪いをかけられていること。
洗脳されている。
すべては親が自分を愛しているから故のこと。
そう思わされていました。
また親の庇護なしに生きていけない子どもにとって、親が自分を愛していないということに気づくことは死ぬよりも恐ろしいことでした。
だから愛されているふりをしていました。
虐待されても。
親はよく言いました。
渡る世間は鬼ばかり。
この家だけが平和で安全な場所なのだ。
子を愛さない親はいない。
しかしすべては嘘でした。
すべてはおじさんを鎖で繋いでおくための呪い。
この家こそが世の中でいちばん恐ろしい場所でした。
そんなころ金属バットで親を殴り殺す事件が起きて世間は騒然としました。
しかしおじさんには彼の気持ちがわかるような気がしました。
自分を虐めた両親と兄は殺したけど、自分にやさしくしてくれたおばあちゃんと妹は殺しませんでした。
彼は気が触れたわけではなく実に正気でした。
自分を虐めた、あるいは自分の命を奪おうとした「敵」だけを殺したのです。
彼は金属バットで殴られるよりもひどい仕打ちを幼いころから絶え間なく続けられてきたのです。
すると相手を殺すか自分が死ぬかどちらかしかない。
残念ながら彼には「逃げる」「相手から離れる」という選択肢は思い浮かばなかったようです。
やはり親に洗脳されて、親から離れて1人で生きていくという考えは消去されていたようです。
家出
おじさんは家出という選択肢を取りました。
それは正解でした。
親を殺すこともなく自分が死ぬこともない。
親が自分たちの欲望と欺瞞に気づけばいちばんいいのですが、彼ら自身自分たちの本心に気づいていないでしょう。
それに気づくくらいなら子どもの奈落ともいえるくらいの深い悲しみと恐怖に気づくはずです。
おじさんは大学に行かなくなり今で言う引きこもりになり、自分で退学しました。
そして黙って家を出ました。
それでもあの親たちはわからないのでしょう。
子どもを自分たちの慰みものにしていたことに。
行くところがないので新聞屋で住み込みで働きました。
そこも天国ではありませんでした。
新聞屋で働きはじめて1週間くらいは毎日、死にたいと思っていました。
でも、家にいるよりはマシです。
新聞屋はけっして天国ではなく超ブラックだったけど、それでも家にいるよりはマシでした。
家にいれば金属バットで親を殴り殺すか自分が殺されるか、自殺するか、最悪のシナリオしかありませんでした。
後悔はありませんでした。
新聞屋は天国ではなかったけど、家にもどりたいとはまったく思いませんでした。
家はよかったなと思ったことは1度もありません。
あの親にもいいところがあったなとはまったく思いません。
家のことで思い出すのは嫌なことばかり。
悪夢
自分で家や親のことを考えることはなかったけど、たまに家の夢を見るとかならず
「親に罵られてる」
「親に叩かれてる」
不快な夢です。
夢の中で怒鳴り自分の声で目が覚めます。
じっさい声を出しているのかどうかわからないけど、そんな感じです。
目が覚めると胸がドキドキしています。
そんな夢を何度も見ました。
ただの1度も楽しかった家の夢を見たことがありません。
20代の10年は家の悪夢をしょっちゅう見ました。
30歳くらいになってやっと見なくなったけど、それでもたまに見れば悪夢でした。
悔いはない
家を出たことに悔いはないので正解でした。
ほんとに家にいて、殺人事件か自殺にならなくてよかったとつくづく思います。
おじさんが家出という手段を選んだことに感謝しなさいよ。
わたしの親たち。
思い出さない
ほんとに家や親のことを思い出すことがありません。
やっぱり良かったなと思うことがただの1つもありません。
つくづく家を出てよかったなと思うだけです。
世の中は親が言うほど怖い場所ではなく、見ず知らずの人がわたしを助けてくれました。
離婚
長くなるので細かいことは書きません。
これもして良かったと思います。
やっぱり別れなきゃよかったなと思ったことが1度もありません。
悲しいことに
思い出せば嫌なことばかり。
楽しいことは1つもありません。
なんで結婚したんだろう?
ああ離婚してよかった!
まあ元嫁はおじさんをことごとく否定して、おじさんの悪口ばかり言ってたけど、じゃあなんで結婚したのか皆目わかりません。
仕事
順番が逆になったけど、仕事も「やめなきゃよかったな」と思う仕事は1つもありません。
「ああ、やめてよかった」と思う仕事ばかりです。
厳密には仕事というより、会社ですね。
おじさんはどんなに辛い仕事でも辛いと思ったことがありません。
何が辛いかって、やっぱり人間なんです。
仕事の作業ではなく、まわりの人間。
どんな仕事をしていてもまわりが敵ばかりなら地獄です。
「どこに行くかではなく誰と行くか」というCMがあったけどその通りでそれは2500年前にブッダも言っています。
「楽しい場所はどこか?」
「それは心地よい人がそばにいたところではないか?」
おじさんは不幸です
親に虐待され、自分が持つ家族くらいは幸せにと思ったけど相手がいることで自分の努力や思惑だけではどうにもならず、これといった仕事にも会社にもめぐり合うこともなく、体はあちこち支障があり、まあ我ながらよく生きてると感心します。
ほんと地球温暖化とかコロナとかどうでもいい。
そもそもインチキだし。
こういうことで騒いでる人ってほんとに幸せなんだなと思います。
おじさんは明日の自分の体がどうなっているかがいちばんの心配事です。
いや今これを書いてる途中で倒れるかも。
何もわからず死んでくれればいいんだけど、中途半端に体が動かない状態で生きつづけたらそれこそ地獄です。
今もアタタ地獄にいるよう。
いっそアハハ地獄でも行きたいわ
地獄と、とてつもなく長い時間 ~ ブッダのつぶやき (番外編)
人生をやめる
むかしは自殺というのは逃げ道とか弱い心とか思ってたんだけど、年取ってきて体はあちこちボロボロで、努力は報われず、潤沢な財産もなく、身のまわりの面倒を見てくれる人もなく、この先逆転する可能性は宝くじで1億円当たるより低く、自分で人生をやめるという選択肢もあるのではないかと思うようになりました。
今も生きつづけているのは、「もしかしたらいいことがあるかも」という何の根拠もない植えつけられた呪文によるのかもしれません。
20、30の頃なら
「先のことはわからない」
「生きてればいいこともあるさ」
いう言葉も信じられたんだけど、さすがに60になるとありません
あとはさらにボロボロになっていく体がよくなることはけっしてありません。
死なないのは生への執着でしょうか?
そんなに強い執着はないので惰性ですね。
「いつでも死ねる」といいながら「死なない」
まあ早いとこお迎えが来てほしいと思っているのは事実です。
苦しんで生きつづけるよりは、苦しまないように一瞬でやっちゃってください。
願わくば明日の朝は目が覚めませんように