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「たら」「れば」「仮定」「已然」「必然」
ニコイチで「タラレバ」は、「もしも」という仮定のことばかり言って行動しない人のことを揶揄していいます。
この2つはまったくおなじなんでしょうか?
ニュアンスのちがいがあったり、片方しかつかえないものもあります。
これは日本語の中でもとくにむずかしい言葉ではっきり線引きすることができずグレーゾーンがありますが、例文を出しながら比較してみましょう。
グレーなので
「その言いかたもできる」
「まちがいとは言い切れない」
ものもたくさんありますが違いを明確にするために断定的に説明します。
またここに書いたものがすべてではないけど、全部書くと訳がわからなくなるので「仮定」としてつかっている用法について書きます。
そこは日本人特有の能力で「言外の意味を察して」ください😄
あっ、品詞は覚えなくていいです。
ふ~ん。
そんな感じか、くらいでいいです。
ば
そもそも「仮定」を表すのは、この「ば」という接続助詞です。
現代語がややこしいのは、この仮定を表す大事な「ば」がしばしば省略されてしまうからです。
れば
代表で「れば」といいます。
「する」のように「る」で終わる動詞ならもちろん「 (す) れば」ですが、
行く→行けば
読む→読めば
のように活用するので音としては「-e・ba」
「仮定形+ば」
です。
この「仮定形」という言葉が曲者で、本来、古語では「仮定形 (まだこれからするかもしれない) 」ではなく「已然形 (すでに終わった) 」といいます。
これは別の記事で説明します。
現代では仮定形として仮定の意味でつかうこともありますが、本来は已然形なので
「当然の結果」
「Aに続いてかならずBが起こる (必然) 」
という意味合いも残しています。
これが現代語の「れば」で起きる混乱と複雑さ難解さを醸し出しています。
必然。当然。かならず続いて起こる (自然現象)
A→B (順番。セット)
仮定ではなく、
A→Bという例を見てみましょう。
Aだと、かならずBになる。
Aに続いて、Bということが起きる。
「れば」の後ろには人の意志・動作はつかえない
「れば」の後ろに「人の意志・動作」はつかえません。
Aは状況説明や前提条件ですが、
Bは「結果的に起こる物事」なので
「人の意志・動作」にはつかえません。
単純に「時間や動作の順番」を表しているともいえます。
桜咲く🌸
春になれば、桜が咲く。
春になった→桜が咲いた
これは「仮定」というよりも、
春になれば「かならず」「いつも」桜が咲く。
という因果関係を表しています。
また例文は「現在形 (未来形) 」しかつかえないことにも注意。
こんな例はどうですか?
押す→開く
ボタンを押せば、ドアが開く。
ボタンを押した→ドアが開いた
これも仮定というより、
「ボタンを押す」という動作→「ドアが開く」ということが「いつも」「かならず」「続いて」いわばセットで起こることを表しています。
この2つの例を見てもわかるとおり、これは人間の動作ではなく、「自然現象」「機械の動作」などにつかいます。
(する) と
単純な順番としては「 (する) と」に置き換えることもできます。
春になると、桜が咲く。
ボタンを押すと、ドアが開く。
~て (テ形)
順番としては日本語の「スーパー接続助詞 “て”」✨があります。
この場合は、つかえる形がすこし変わります。
春になって、桜が咲いた。 (自然現象の場合は過去形もしくは完了形でつかいます)
ボタン押して、ドアを開ける。 (「開く (自動詞) 」が「開ける (他動詞) 」に変わっています)
×春になって、桜が咲く。
×ボタンを押して、ドアが開く。
これらは日本人ならつかわないし、このような文章を読んだり聞いたりしたら変だと思うでしょう。
外国人はこのへんの「感覚」がわからないので、しばしばこのような作文をします。
自然現象とか、自動詞・他動詞を理詰めで説明しようとすると、さらに難解・不可解・混乱の土壺にはまるので、超上級の学習者以外はさらっと流しましょう。
また、「タラレバ」で止めておいて、「すると」や「~て」の例文は出さないほうがいいです。
これも学習者のため (教師のため?) です。
もし生徒から「するとに置き換えられますか?」と質問されたら答えましょう。
相手の理解度・理解力・容量などに応じてカードを見せるのも先生の腕のうちです✌
たら
これももともとは「たらば」で、仮定の「ば」が省略されています。
終助詞
「たら」は終助詞として固定化して市民権を得ていますが、もともとは
過去の助動詞「た」の仮定形「たら」+仮定の「ば」です。
動詞によっては「だ」になります。
そもそも「た」は「たり」の連体形「たる」の「る」が脱落したものですがこれはまた別の記事で書きます。
例:
買ったら、飲んだら
過去の助動詞の形は、外国人に対する日本語教育では「タ形 (ta-form) 」という言葉をつかっています。
かならずしも過去のことだけにつかわないからです。
仮定
こちらは「仮定」の意味がとても強いです。
だから、しばしば頭に「もし (も) 」がつきます。
そしてA、Bとも
「するかもしれないし」「しないかもしれない」 (人間の動作)
「起こるかもしれないし」「起こらないかもしれない」 (自然現象)
というニュアンスがあります。
比べてみよう!
ではじっさいに例文を挙げて比較してみましょう。
あなたはどちらをつかうか?
ニュアンスのちがいがあるか?
この言いかたは変!と感じるか?
吟味しながら読んでください。
遊園地はどこですか? (とうぜん遊園地に行く)
あなたは見知らぬ町にやってきました。
駅を降りて歩きはじめたけど遊園地の場所がわかりません。
通りがかりの人に聞きます。
Q. 遊園地はどこですか?
A.
そこを右に曲がればありますよ。○ (必然。当然の結果)
そこを右に曲がったらありますよ。△ (曲がるかもしれないし、曲がらないかもしれない。それはあなたの気分次第だから)
どちらもつかえますが、この場合は上の「れば」のほうが自然ですね。
これは「仮定」というより、
あなたは遊園地に行くことが決まっているので、場所がわかれば「かならず」行きます。
「行くかもしれないし」「行かないかもしれない」という不確定のことではなく「決まっている」からです。
また遊園地も
「あるかもしれないし」「ないかもしれない」ではなく、そこに厳然として存在しています。
だからA→ (ならば、かならず) Bの「れば」をつかいます。
財布を落としました。探しています。
あなたは財布を出そうとしたら、ないことに気がつきました。
どこかで落としてしまったようです。
どこで落としたか見当もつきません。
そこにたまたま知り合いがやってきました。
そのときあなたは何と言いますか?
Q.
財布を見つければ教えて。× (ぜったい使わない)
財布を見つけたら教えて。○ (見つかるかどうかはわからないから。頭には「もし」「万が一」などの枕詞がつく)
この場合は「春になれば桜が咲く」とは訳がちがいます。
「財布は見つかるかどうかわからない」
「たぶん、見つからないんじゃないかな…」
それでも「もし見つけたら」
なので「たら」しかつかえません。
これが上の「曲がれば」とちがうところですね。
上の例ではあなたは遊園地に行こうとしているし、
「いつでもあなたの意志次第で、曲がることができます」
それに対してこの例文では
「見つかるかどうかは運次第」で、
あなたや知人の努力や能力や意志とは無関係です。
「見つければ」というと
知人の努力や能力次第で「いつでも見つけることができる」という意味になってしまいます。
だからこの言いかたをすると「変!」と感じるのです。
「れば」の後ろには人の意志・動作はつかえない
また「れば」の説明に書いたように、
「れば」の後ろに「人の意志・動作」はつかえません。
後ろのBの部分に物事の成り行きや当然の結果ではなく、「教えて」と「人の動作」があるので「たら」しかつかえません。
飲んだら乗るな
珠玉の標語ですね👏
これもつぎの言いかたはできない理由はもうおわかりですね。
×飲めば乗るな。
雨が降る→運動会が中止
よくあるパターンです。
あした雨が降れば、運動会は中止です。△
(つかえないこともない。意味もわかるけど気持ち悪いです😅)
あした雨が降ったら、運動会は中止です。○
(ふつうはこちらですね。雨が降るかどうかはわからないからです。それによって運動会をやるかやらないかも決まるのでAもBも不確定要素がとても大きいです。要するに「仮定」です)
「春になれば桜が咲く」というのは、
「春になる」のも「桜が咲く」のも自然現象であり、天変地異でも起きないかぎり
「毎年、その時期になるとかならずそのことが起きてそのようになる」のです。
一方、
「あした雨が降るかどうか」も自然現象なのですが、
「春になる」のとちがって、「どちらになるかわからない」のです。
またその結果しだいで「運動会をやるか、やらないか」を決めるのは人間です。
「小雨だったらやろうか」とか
「いまは小雨だけど台風が近づいてるからやめたほうがいいね」とか
これまた人間の心積もりの不確定要素がとても多いので単純に
A→ (ならば) Bである、とはならないのです。
ボーナス→焼肉🍖
ボーナスが出れば焼肉にしよう。× (つかいません)
ボーナスが出たら焼肉にしよう。○ (もし出たら。出ないかもしれないという含みがある)
ボーナスが出れば焼肉が食える。○
上の例文と似ているけどこちらはつかえます。
何がちがうのでしょう?
「れば」は当然の成り行き、必然、かならずそうなる、でしたね。
「焼肉にしよう」というのは自然現象や、当然の結果ではなく
「人の意志・動作」です。
これが大きなちがいです。
いっぽう「焼肉が食える」のほうは、
「人の意志・動作」ではなく「可能性」です。
あくまで可能性であり、じっさいに
「焼肉を食うか食わぬか」には言及していません。
宝くじ→海外旅行
これもおなじ部類ですね。
宝くじが当たれば海外旅行に行こう。× (必然、当然ではなく、人の意志・行動)
宝くじが当たったら海外旅行に行こう。○ (人の意志)
宝くじが当たれば海外旅行に行ける。○ (可能性)
着いたら電話する / して
ここまで読んだらもうわかりますね。
「電話する / して」は「人の動作」なので「れば」はつかえません。
駅に着けば電話するね / して。×
駅に着いたら電話するね / して。○
仮定より単なる順番・順序
上の「宝くじが当たる」とちがって「駅に着く」ことは奇跡ではありません😄
突発的な事故でもないかぎり、「ふつうは」駅に着きます。
だからこの場合は「仮定」の要素は薄まって「単なる順番。行動の順序」を表しているといったほうがいいかもしれません。
「飲んだら乗るな」もその部類ですね。
已然的つかいかた
言わなければよかった
これは「仮定」というより「已然」
なぜなら「すでに言ってしまった」からです。
「 (彼女に好きだと) 言えばよかった」もおなじです😄
歌に見る「タラレバ」
どじょっこふなっこ
〽春になればしがこも溶けて…
春になればかならず「しがこ」が溶けます。
おじさん60年間今日の今日まで「しがこ」という湖があるのだと思っていました。
「しが」は東北地方の方言で「氷」だということを今日知りました😅
「こ」は「かわいいと思う気持ち」を表しています。
「どじょっこふなっこ」という題名が最たるものですね。
高橋竹山さん
津軽三味線の名士がいました。
あるとき1人で東京に行くことになって、弟子に聞きました。
竹山「東京さ行って、訛ってると思われないようにするにはどうすればいいべさ?」 (正確な東北弁ではないし、他意はありません)
竹童 (弟子) 「東北弁は言葉の最後に『こ』をつけるから、それを言わないようにすればいいですよ」とアドバイスしました。
さて竹山さん、東京駅のホームでキオスクにタバコを買いに行きます。
「タバください」
「?」
「タバ。あんたタバ知らんのかね?」
「ああ、タバコのことですか?」
「あっ、あんたも津軽の人かね」
いやタバコはもともとタバコです😄
これは高橋竹童さんの三味線のライブでじっさいに聞いた話です👂
ネタかもしれんけど😄
山賊の歌
〽雨が降れば 小川ができ 風が吹けば 山ができる
雨が降れば小川ができるのはわかりますが、
風が吹いても山はできませんね😅
いや、そういう歌なんで。
当然の結果、必然です😄
タラレバ
「もしお金がたくさんあれば〇〇するのに」
「もっと時間があれば〇〇できるのに」
この場合は
「もしお金がたくさんあったら〇〇するのに」
のほうがいいですね。
「できるのに」のほうは「可能性」なので「れば」でいいでしょう。
よく言われるように、この人はお金があっても時間があっても何もしません。
どうでもいいけど😄
まだまだ氷山の一角にすぎませんが、長くなるので今日はここまで。
「すると」「なら (ば) 」なども説明しなければなりません。
それはまたのお楽しみ。
わたしは日本語教師をしています
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表示名はToshiです。