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「考える」「勘合」「考ふ」「鑑みる」
「考える」について考える
これはもともと日本語なの?
日本語に「ん」はなかった
そもそも、やまとことば (日本語) には「ん」の音がありませんでした。
それに近い音としては「む」か「ぬ」でした。
いざ行かむ→行かん
わしは行かぬ→行かん
両方ともおなじ「ん」になってしまいましたが、
「む」は未来の予想、仮想、推量、希望・意志で、現代語では「~おう」になりました。
「ぬ」は否定の「ず」の連体形で「未然形」につきます。
「ぬ」にはもう1つ「完了」を表す助動詞がありますがこちらは「連用形」につきます。
「行かぬ」未然形+「ぬ」→否定。行かない。
「行きぬ」連用形+「ぬ」→完了。行ってしまった。
連体止め
本来なら終止形 (辞書形) の「ず」で「行かず」とすべきです。
連体形は「体言 (名詞) に連なる」形なので、
「行かぬ時」「行かぬ事」のように体言 (名詞) を後ろにつけなければならないのですが、連体形で止めることで「話者の特別な気持ち」を表します。
現代語なら「行かない」だけど、「行かぬ」というと、
「行かないよ!」とか「行かないったら、行かないんだよ!」という気持ちがはいります。
でも両方とも「行かん」では区別つかないですよね。
もちろんそのときの状況とか文脈であるていどわかりますが。
む→う→おう
「行かむ」は「行かう (いこー) 」に変わり、表記も「行こう」になったので否定の「行かん (行かぬ) 」と区別できるようになりました。
一段活用、カ変、サ変では「見よう」「来よう」「しよう」のように「~よう」という音になります。
漢語の「ん」は「む」と発音した
漢字といっしょにはいってきた中国の音の「ん」は、日本では「む」で代用しました。
三 (さん) は「さむ」、陰 (おん) は「おむ」
これが三位一体が「さんみいったい」、陰陽師が「おんみょうじ」と読むゆえんです。
かんがえる
そうすると「かんがえる」という言葉はもともとの日本語ではないことになります。
「かむがえる」か「かぬがえる」が考えられますが、古語辞典や語源を調べてもこのような表記は出てきません。
また「かがふ」「かがふる」などがありますが、これらはまったく別の言葉です。
そもそも、もともとは「かんがふ (かんごー) 」です。
「かんがえる」も歴史的仮名遣いでは「かんがへる」です。
ハ行は「ハ行転呼音」により「ワ行」に変わりました。
さらに「あう」は「おー」と発音します。
ああ、ややこしや~。
勘合 (かんがふ→かんごー)
そこで出てきたのがこの漢語です。
意味は「考え合わせること」
勘ふ (かんごー)・勘える (かんがえる)
さらに「かんがえる」というとふつうは「考える」と書きますが、「勘える」という書きかたもあります。
「勘合 (かんがふ) 」という漢語があって、たまたま語尾が「ふ」で「ハ行下二段活用」っぽい形だったのでそのまま「動詞」として使うようになったのではないでしょうか。
あくまでおじさんの独自解釈です。
だから漢字も古語辞典では「勘ふ」が上にあって、その下に「考ふ」があります。
現代国語では「考」のほうをつかうようになっていますね。
鑑みる (かんがみる)
似たような言葉に「鑑みる」があります。
古語では「鑑む (かんがむ) 」という形もあります。
おじさんは「考える」と「見る」の混成語かな?と思ったんだけど、こちらは残念ながら「かがみる」からの音変化でした。
真中 (まなか) →まんなか
きちっと→きちんと
やわらか→やんわり
ふわり→ふんわり
ぼやっと→ぼんやり
の仲間ですね。
鏡 (かがみ) +る
語源はなんと「鏡」+「る」
鏡を動詞化したもの😮
「手本に照らし合わせて考える」という意味です。
日本人は大昔から「ディスる」「愚痴る」「テンパる (聴牌から) 」のような言葉をつくっていたんですね。
一時期「江川る」「田淵る」などと人名に「る」をつける言葉が流行りました。
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