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「0」「ある」「ない」「複数」
英語の表現
英語では「0のものがある」という表現をします。
日本語ではつかいません。
例:
0個のファイルがあります。
PCでフォルダが空だったときこのように表示されます。
日本語ではこう言います。
ファイルが (ただの1つも) ありません。
I have no idea.
わたしはない考えを持っている。
→わたしには考えがありません。
ideaは自分で考えたことだけではなく、人からもらった情報もふくみます。
わしゃ知らん。
聞いたことがねえ。
くらいの意味です。
There is nothing.
ないものがある。
→何もない。
No one knows.
0人が知っている。
→誰も知らない。
肯定命令と禁止命令
英語は肯定文で命令、日本語は否定文で命令 (禁止命令) します。
No smoking. (Don’t smoke.ではない)
禁煙 (タバコを吸うな)
Keep out.
外にいろ。
→ (中に) 入るな。立入禁止。
Maintain seated.
座っていろ。
→立つな。
遊園地の乗り物の降り場によく書いてあります。
You must be above this line to ride.
乗るには、あなたはこの線より高かるべし。
→この線より高くないと、乗れません。
ジェットコースターなど身長制限があるものは、
英語では「この線より高くあるべし」と書き、
日本語では「高くないと、乗れない」と書きます。
mustを「べし」と訳したのには理由があります。
ふつうは「なければならない」というんですが、この言葉自体「二重否定」だからです。
「無ければ・なら無い」
not × not = 肯定 という日本語独特の構造です。
はじめての海外旅行 ~ 飛行機の免許とアクロバット ~ 飛行学校の1日
よく寝た⇔悪く寝た?
英語圏の生徒と話していると文法的にはまちがいではないけど「日本人はそう言わない」という言い回しが山ほど出てきます😅
中には「まちがいですか?」と食い下がってくる生徒がいますが、
「文法的にはまちがいではないし意味も通じるけど、日本語としては不自然で日本語ではそういう言いかたをしない」
ということをやさしく教えてあげましょう。
よく寝た
よく寝た。
ぐっすり眠った。
というのに対して、英語圏の生徒は反対のことをつぎのように言ってしまいます。
悪く寝た×
悪い眠りだった×
英語圏と言ったのはほかの言語がすべてそうとは言えないからです。
基本的にヨーロッパの言語はおなじ傾向があると思いますが。
良い (いい) ⇔悪い
なので
良く⇔悪く
なんだけど、日本人はこういう言いかたをしません。
つぎのように言いますね。
→よく眠れなかった。
ちゃんと眠れなかった。
眠りが浅かった。
眠りの質が悪かった。(かなり固い表現ですがどうしても「悪い」をつかいたければ。また英語の表現である可能性があります)
何度も目が醒めた。
疲れが取れなかった。
早く起きた⇔遅く起きた?
これも
早い⇔遅い
早く⇔遅く
のペアです。
早く起きた。
遅く起きた×
→時間どおりに起きられなかった。
起きる (予定の) 時間に起きられなかった。
寝過ごした。
寝坊した。
(予定より / いつもより) 起きるのが遅かった / 遅くなった。
もし自分の意志でいつもより遅い時間に起きるのなら…
遅く起きよう×
遅く寝ていよう×
→明日は、ゆっくり寝ていよう。
自然に目が覚めるまで寝ていよう。
寝る
早く寝る。
早く寝よう。
遅く寝る / 寝た×
遅く寝よう×
→まだ、もうすこし起きている / 起きていよう。
今日は、夜更かししよう。
まだ寝ない。
昨日は寝るのが遅かった。
昨日は遅くまで起きていた。
多くの人々
これも英語圏の生徒が頻繁につかいます。
たしかにpeopleを辞書で引けば「人々」と書いてありますわ😄
おそらくmany peopleのことでしょう。
意味はわかるし文法的にもまちがいではないけど日本語ではつかいません。
語順も「多くの人」ではなく「人がたくさん」と数は後ろにつけます。
Japanese word order 日本語の語順 ~ 赤い鉛筆が5本 ~ 日本語
日本語に複数形はない
日本語では1人でも100人でもただ「人」と言います。
人がたくさんいる。
人が大勢いる。
もっと言うと、「大勢」は物や動物にはつかわず、人間だけなので「人」もいいません。
→大勢いる。
混んでるなあ。
人を物扱いするときには「人がウジャウジャいる」とふざけていったりします。
もちろん「人々」という言葉はありますが会話ではつかいません。
固い文章でつかうことがあります。
国々、家々、村々などもおなじです。
むしろ日本語の言葉としてはこのような畳語はとても多いです。
隠れ複数形
厳密に言うと日本語にもわずかながら複数形がある (あった) んだけど、複数の意味がなくなってしまっています。
子供
「供」が複数です。
でも、1人でも子供です。
時代劇で「曲者じゃあ!者共出会え!」などと言ったりしますね。
このように複数の意味としてはもともと「共」の漢字ですが語源としてはおなじなのであまり気にしないように。
漢字の使い分け、多すぎます。
しかもその規則がちゃんと整っていません。
複数の意味が消えてしまったので、複数を表すときに「子供達 (こどもたち) 」といったりします。
「子供供 (こどもども) 」とは言わないようです😄
友達
もともと「友」でfriendのことです。
「達」が複数を表します。
だから「友達」はほんらい2人以上です。
でも、現在では複数の意味はなくなってしまったので1人でも「友達」です。
さすがに「友達達 (ともだちたち) 」という言いかたはしません。
文字と音がおなじだからです。
通常通り (つうじょうどおり) のように音読みと訓読みで音がちがうときには重複していることに気がつかないのでNHKでさえつかいますが、気持ち悪いです。
すくなくともテロップで文字にするときには気がつくだろう。
むすび
言語は1対1で呼応していないので、外国語と接するときはこのようなことがたくさん出てきます。
言語の構造や、概念・物事の考えかたのちがいもあるので数学の公式のようにはいきません。
ただちがうというのではなく、これが日本語の構造や考えかたで、ふつうの日本人はこういう、ということをくれぐれもやさしく・ていねいに教えてあげましょう。
わたしは日本語教師をしています
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