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「記憶喪失」「忘れたい」
おじさんは一時期、高校時代の記憶がないときがありました。
学校に行っていたことは覚えています。
クラスメイトの顔や名前も何人かは覚えています。
でも、あるときアルバムを見て驚いたんです。
自分がクラスメイトと旅行に行っていたことさえ忘れていたんです!
イヤなこと、都合の悪いことは忘れる
酒を飲んで記憶をなくすという人
よく酒を飲んで暴れたり、暴言を吐いたことを忘れる人がいますね。
とても都合よくできています。
中には覚えていても社会的に、人間的に悪いことをしたという自覚があるから、忘れたふりをする人もいるでしょう。
でも、ほんとに覚えていない人もいるようです。
それは自分にとって都合の悪いことなので脳のハードディスクから「消去」したのです。
もちろん無意識のうちに。
耐えがたい、辛いことは忘れる
自分の不始末ではなく、耐えがたい事故や災害、犯罪などに遭ったとき、そのときのことをすべて忘れてしまうことがあります。
心の防御システム
これは自分の心を守り、そのさき生きていくために必要なシステムです。
しかし、ここに厄介な問題があります。
それは「そのできごとだけを忘れることはできない」ということです。
記憶はいろんなことに関連づいている
記憶は単独でバラバラにデータベースに埋めこまれるのではなく、時系列や人間関係などに紐づいて記録されます。
1つのことを消すためには、それに関係することも消さなければならない
パソコンのデータなら不要なファイルだけを削除すればいいでしょう。
でも、人の記憶というのは、まず「時間の流れ」に沿って記録されます。
幼稚園のころのこと、小学生のときのこと、中学生の時のこと…というように。
それから、そのできごとがあったときに「自分の周りにいた人たち」
人間関係ですね。
家族、友人、学校、会社の同僚、上司、部下。
環境。
自分がどこに住んでいて、どこの学校に行っていたか、どこの会社に行ってどんな仕事をしていたか。
こういうものに関連づいているので、たとえばそれが、小学校の時のできごとなら、通っていた小学校、クラスメイト、住んでいたところ、よく遊んでいたところなどを思い出すと、その忌まわしいできごともいっしょに思い出してしまいます。
クラスにとてもイヤないじめっ子がいたとします。
あなたは大人になってそれを忘れようとしても、クラスメイトの中からそのいじめっ子だけを消去することはできません。
その精神的苦痛があまりにも大きくてどうしても消去したいときには、いじめとはまったく関係ない他のクラスメイト、先生、通っていた学校、住んでいたところまですべて消し去る必要があります。
たとえば失恋
相手だけを忘れることはむずかしいです。
恋愛をしていたときに、ほかの誰ともつきあいがなく、この世から隔絶したところで生活していたなんてことはありえませんね。
いっしょに遊ぶ仲間がいたり、恋人と遊びに行った場所があったり、生活していた場所があったりします。
それらは何かにつけ元恋人のことを思い出すきっかけになります。
アルバムの写真を捨てるなら、いっしょに写ってる友人の写真や、遊びに行った場所の写真もぜんぶ処分しなければなりません。
友だちといっしょにキャンプに行ったのなら、友だちとキャンプに行ったことも忘れなければなりません。
高校の記憶
おじさんの話にもどります。
わたしは高校のとき部活もせず、友だちもいなくて何もない日々を過ごしていたと思っていました。
ところがある日アルバムを見たら、修学旅行ではなく、個人的に友だちと旅行に行った写真があったんです。
なんで忘れていたんだろう?
そういえば昼休みはいつもみんなと野球をしていたな。それも忘れてた。
親の期待と将来の失望
高校も学年が上がってくると、大学に進むのか、就職するのかという選択にせまられます。
やりたいことが何もない!
大学に行って勉強するにせよ、就職するにせよ、何もやりたいことがなかったんです。
でも、ほんとはやりたいことがなかったのではなく、「親が望むことは自分のやりたいことではなく、親の欲望を満たすことはできない」というのが真実でした。
でも、それに気づくことは倫理にもとると、自分をだましつづけていたのです。
親はわたしが当然、進学するものと思っていました。
そして、親が大学と思っているのは、東大、早稲田、慶応といった「人に自慢できる」大学でしかありませんでした。
そこで何を勉強するとかは関係ない。
「うちの息子は東大に行ってますのよ」と親類縁者にいいたかっただけです。
そんな中でわたしの心は崩壊していきました。
高校生活は「闇」だったのです。
でも、ほんとは高校生活が闇なのではなく、「家」が、「親」が闇だったのです。
自分のほんとの気持ちを隠し、表向きは東大とか、慶応に行きたがってるふりをして、心はどんどん落ちこんでいきました。
目的がないのに受験勉強などできるはずもなく、自分のレベルを無視した大学を受験し、すべて落ちて、親には慰められるどころか、「期待してたのにがっかりした! 」と罵られ、家にいる資格さえないような状況に追いこまれました。
なので高校から、受験、浪人生活のころの辛さを忘れるために、その期間のことをすべて忘れたんですね。
大学は親の望む大学とは程遠い「滑り止め」とか「三流大学」とか言われるところでした。
それでも大学に行ってからは友だちもできて、今までとはまったくちがう考えかたにも触れて、人間らしさを取りもどしたんだけど、その前の3年くらいのことは、まるで自分は存在しなかったかのように忘れてしまいました。
今はちゃんと思い出すことができます。
戦争、事故、犯罪など
あまりにも悲惨なできごとがあると、その期間のことや、自分がどこにいて何をしていたかまで忘れてしまいます。
レベルがさらにひどいと、思い出すきっかけになる、自分の名前や家族や、住んでいた場所まで忘れてしまいます。
それは意識して忘れているのではなく、自然な防御反応です。
無理に思い出すことなく、別人として生まれ変わり、生きていくのも1つの道かもしれません。
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