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「だ」「じゃ」「である」「なり」
現代語を理解するにはしばしば古語の文法や活用を知らなければならないことがあります。
「だ」「じゃ」の語源
「断定」の「だ」
丁寧体は「です」ですが、語源はちがいます。
だ
「である」→「であ」→「だ」と変化しました。
近頃の若者は!というパターンですが、あなたが現在話している言葉は100年、200年前ではまちがった言葉ですからね。
だからあなたに「近頃の若者は!」という資格はありません😄
おじさんは、これはまちがいだなどという記事を書く気は毛頭ありません。
言葉は生きものでつねに変化するものだからです。
じゃ
「である」→「であ」→「ぢゃ」です。
dea の変化からすると dya, dja (ぢゃ) と書くのが自然ですが国語分科会のおかしな規則により「じゃ」と書くことになっています。
音声学的に厳密に言うと、
舌先を歯茎の後ろに当ててから放すと破裂音の「ぢゃ dya [dʒ]」、
舌先をつけずに隙間から音を出すと摩擦音の「じゃ ja [ʒ]」です。
人は楽したい生きものなので、舌先を完全につけるより、近づけるだけの「じゃ」の音に移行しつつあるのは確かです。
関西では「じゃ」と言いますね。
「だ」「じゃ」が現れたのは室町時代
つまりそれ以前は「だ」「じゃ」はありませんでした。
さらに江戸時代にはいり「だ」「じゃ」の活用形が現れはじめました。
役割語
よく博士は「~なんじゃ」と言います。
いえ、じっさいには「~なんじゃ」という博士に会ったことがありません😄
子ども向けのサイトに出てくる博士とか、アニメや吹き替えで「じゃ」がつかわれますがこれを役割語といいます。
年寄りか博士のイメージ
ついでに1人称は「わし」です。
これをつかうことで説明しなくても、このキャラは年寄りか博士だということがわかります。
関西では今でも古語をつかっている
現代の日本語の共通語は東京山の手の1つの方言をもとに人工的につくられた言葉です。
だからNHKのアナウンサーがニュースで話している言葉は日常生活ではつかいません。
都会の中心ほど言葉は変化する
現代は江戸ならぬ東京が中心なので言葉は目まぐるしく変化していきます。
つぎつぎと新しい言葉が生まれ必要性がないものはどんどん消えていきます。
ナウいとかMK5とか😄
それに対して地方は言葉の変化がとてもゆっくりかほとんど変わりません。
おもしろいのが海外に移住した日本人です。
もちろん現在はだいぶ時間が経ってしまったし、テレビ、インターネットがあるのでそれに合わせて変わってしまっていますが、ちょっと前のドキュメンタリーの映像を見ると、現地の人が「古~い」日本語を話していたのが印象的でした。
そうか!
外部の影響を受けなければ変わらないんだ。
化石のようにずっとおなじ言葉を使いつづける。
ガラパゴス化とも言えます。
関西は田舎というわけではないけど、言葉があまり変わらず昔の日本語を残しているんです。
おじさんは今、岡山に住んでいますが年寄りでなくても若者でもフツーに「わしは~じゃ」をつかいます。
また「明日は雨が降ろう / 降るまあ (まい) 」といいます。
共通語では「明日は雨が降るだろう / 降らないだろう」ですね。
どちらがいいとは言えませんが、おじさんは古語のほうが簡潔でかつ味があると思います。
単なる懐古趣味ではありません。
現代語は長ったらしくなってしまったし、古語では短い言葉で言えるのに現代語ではなくなってしまったので長々と説明しなくてはならないこともあります。
何でも省略するくせに現代語は長ったらしくなってしまったという矛盾があります。
それなら古語をつかえばいいのに。
おじさんは子どものころ広島に住んでいました。
広島でもつかっていましたが「鉛筆がちびた」という言いかたがあります。
現代共通語では何というのでしょう?
「鉛筆の芯が擦り減って先が小さくなった / 丸くなった」とでも言うのでしょう。
まどろっこしいですね。
これを「ちびる」で表現できるのです。
しかも方言と思いきや立派な古語です。
古語辞典に載っています。
「禿びる」で「擦り減って小さくなる」という意味です。
厳密には「禿ぶ (ちぶ) 」でたったの2音です。
「タイヤがちびた」もよくつかいます。
関東の人が聞くと「おしっこ漏らしたのか?」と思うようです😄
また話がそれた。
古い言葉→年寄りのイメージ
ということで関西の言葉、というより古語をつかうことで「年寄り」のイメージが醸し出せるのです。
それが何で「博士」なのかというと、だいたい著名な博士になるには時間がかかり年寄りが多いからです。
ノーベル賞を取る人を見てください。
だいたいおじいちゃんです。
20歳そこそこでノーベル賞を取る人はいません。
いてもとてもめずらしいです。
だから「じゃ」をつかう。
→年寄り
→博士
の役割語になったんですね。
活用が不思議
なぜこの記事を書いたかというと「なら」「たら」のちがいを調べているうちに「なら」は「だ」の活用形であることに気づき、何で「だ」→「な」という音に変化するのか疑問に思ったからです。
「だ」の活用
未然形:だろ (だら)
連用形:だっ / で
終止形:だ
連体形:な
仮定形 (已然形):なら
命令形: (ー)
連体形の「な」をもって「ナ形容詞」という言いかたになりました。
已然形 (いぜんけい)
現代語で仮定形と呼ばれているのはむかしは已然形といいました。
これは「已に (すでに) =既に」「然り (その状態である) 」という意味で、「仮定」ではなく「もう現実に起きたこと」を言います。
例:
「なれば」=もうその状態になったから (〇〇する)
ややこしいことに仮定の意味でつかうときは「ならば」をつかいますが、これは古語の活用です😅
「なら (未然形) 」+「ば (仮定の助詞) 」です。
この「ば」が省略されて、現代語では「なら」で仮定の意味を表します。
これは「なら」の記事で書く予定です。
いっぽう現代語では「なれば」という使いかたはもうしません。
「だから」とか「〇〇したから」とか「なので」ですね。
このように現代に引き継がれている古語があるので、現代語を学ぶには古語を知らなければならないことが出てきます。
「ぢゃ」もおなじように変化しますが省きます。
そして終止形の「だ」以外は江戸時代になってからようやく現れます。
もともとなかったから借用した
「だ」と「な」はおなじ有声歯茎音です。
破裂させると「だ」、鼻に抜けると「な」です。
よく「鼻が詰まった (はながつまった)」人がこれを発音すると、鼻音ができないので破裂してしまいます。
「はだがつばった」
さびしい→さみしい
けぶり→けむり
ねぶる→ねむる
のように、破裂音から鼻音化することもあるので「だ」→「な」もあるかもしれません。
断定の助動詞「なり」
「だ」とほとんどおなじ意味の「なり」という言葉がありました。
こちらが本家本元、奈良時代からつかわれています。
未然形:なら
連用形:なり / に / (なっ)
終止形:なり / (なる) / な
連体形:なる / な
已然形:なれ / なら
命令形:なれ
言葉はいつも変化しつづけているので古語も時代によって形を変えます。
「な」「なら」は鎌倉時代から江戸時代にかけて出てきた言いかたです。
連体形の「な」が現代語の「だ」につかわれて「ナ形容詞」になりました。
已然形の「なら」が現代では「仮定」を表す言葉としてつかわれています。
年代
おじさんは歴史がいちばん嫌いです。
高校のとき唯一赤点を取ったのが世界史です😅
だって年号と事件と人の名前を丸暗記するだけじゃん。
こんなつまらん学問はない。
数学とちがって考えてもけっしてわからない。
日本の〇〇時代も前後がいまだにわからないので西暦で1800年ころと書いてもらったほうがありがたいです。
だいたいおじさんは「いい国作ろう鎌倉幕府」で1192年だったのに、今は「いい箱作ろう鎌倉幕府」で1185年だそうです。
いい箱って何だよ😄
ざっと順番を書いておきます。
奈良→平安→鎌倉→室町→ (戦国) →江戸
言葉に関してはこのへんだけ覚えとけばいいです。
むすび
またとっ散らかったけど、室町時代には「だ」しかなかったのが、江戸時代にはいってから「おなじ断定の助動詞なんだから『なり』とおなじでいいんじゃね」と「だら→だろ」と「だっ」以外は「なり」の活用形の「な」「なら」を借りちゃったんですね。
ちなみに現代語で「だろう」と書くのはもともと「だらう」で「だろー」と発音していたのを「らう」で「ろー」って読むのはおかしいんじゃね、と国語分科会 (旧国語審議会) の人が「ろう」と書くようにしたんだけど、それを言うなら「だろー」だろー😄
「う」は「む」から変化したもので「推量の助動詞」です。
しかし、それにしてもよく変化する😅
時代劇でよく聞く「いざ、行かむ (いかん) 」→「いかう」→「いこう (いこー) 」ですね。
推量から意向 (自分の意志。いこう。ダジャレか!) にもつかうようになったんだけど、これはまったくちがう言語の英語でもあります。
willは未来のこと、想像・予想であると同時に、自分の意志を表すこともあります。
英語のwillはもともと「意志」の意味です。
日本語でも英語でも、文脈でどちらの意味か判断するんですね。
「だ」「じゃ」だけですごいボリュームになってしまいました。
お腹いっぱい。
「なら」「たら」に行く前に、古語の「たり」と現代語の「た」についても書かねばなるまい。
わたしは日本語教師をしています
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