目次をご覧になりたい方はクリックしてください→
「ムダ」「意味」「価値」
この世にムダなものはない
すべてのものに意味がある、なんてセリフは聞き飽きました
みんななんで自分で考えないで親や先生に言われたこと、本で読んだこと、ネットに書いてあることをそのまま鵜呑みにして受け売りするんでしょうね?
世の中コピペのコピペです。
それはあなた自身が自分で考えたことですか?
おじさんはまったく逆を行きます。
ひねくれているのではなく、自分自身の人生経験と自分で考えた結果です。
そもそも意味や価値がなければならないという考えかたがおかしい
無駄という概念はどこから生まれたか?
「はじめに無駄ありき」ではありません。
意味や価値に対して相対的に生まれた
人が意味とか価値とか効率とかいう概念と言葉を生み出した結果、そうでないものは無駄というレッテルを貼られただけのことです。
事業仕分け
かつて民主党が事業仕分けというものをやりました。
この事業は意味があるのか?
この事業は価値があるのか?
国民の血税をつかってまでやる必要があるのか?
あれはあれで良かったと思います。
血税からなる国の財源には限りがあり、その財布の中でやり繰りするのは当然です。
財布の中に金がないのに使いたいだけ使って足りない分は借金なんてありえません。
もし個人の生活なら1年も経たずに破綻しています。
破産です。
国は国債を発行すればいくらでも借金ができる。
誰に?
未来の子どもたちに
しかも少子化は進み、老人だけの世界になり、今世紀中には人口は半分くらいになる。
国債発行するくらいなら、お札を好きなだけ印刷すればいい。
おなじことです。
現在国の借金は1200兆円。
返す当てはまったくなく毎年、国家予算110兆円のうち40兆円を平気で借金しています。
そしてその中から25兆円を借金の返済に当てています。
けっきょく日銀が際限なく国債を買っているのでお札をばらまいているのとおなじことです。
事業仕分けは意味や価値というより限りある収入の中で、何を優先するかという至極当然のことです。
無い袖は振れぬといいます。
個人ならみんなやっています。
自分の収入以上の生活はできないんです。
あっ、また話がそれた。
政府のアホな連中はどうでもいいです。
生きるのに意味や価値が必要なの?
人はなぜ生きるのに意味や価値を求めるのでしょうか?
意味や価値がないと生きられないんですか?
べつに意味や価値がなくても生きていいのだ
人間以外の動物、植物、微生物にいたるまで、生きる意味や価値を求めているでしょうか?
意味や価値を考えているでしょうか?
考えてないですね。
たぶん。
聞いたことないけど
また犬猫が意味や価値を考えてないから生きてるのはおかしいと思いますか?
虫や花
も存在しているのはおかしいですか?
それを考える人間は偉い?賢い?
意味や価値を考える人間はほかの生きものに比べて偉いとでも思ってるんですか?
もし犬猫が人間の心を知ったなら「人間てアホな生きものだな」と笑うことでしょう
何をくだらないこと考えてるのか?
バカなやつほど、ああでもないこうでもないとそれこそ無駄な理屈をこねくり回して、俺様はいろいろ考えてるから偉いと勘違いしているものです。
下手の考え休むに似たり
アホなやつは「わたし考えています」といいながら、有益な行動に結びつかないので、それは休んでいるのとおなじということです。
考える暇があったらやれ!
何時間も考えるより、1秒でもすぐ実行したほうがよほど利があります。
考えないですぐ行動するのは浅墓という考えも浸透していますが、じっくり考えたところで人間の考えられることは限りがあり、とくに1人で考えているかぎり1時間考えようが、100時間考えようが、10年考えようが出てくる答えはおなじなんです
おじさんはブログを書いていて、新しいことを書いたつもりなのに、以前にまったくおなじことを書いていたことに気づいて愕然とすることがよくあります。
しかも一字一句にいたるまでおなじ
すごい記憶力?
いや忘れてるから書くんだけど、つかう言葉や文章がまったくおなじということが人間の思慮の浅さを物語っています。
おじさんだけか
そもそも生きる意味や価値なんかない
こう書くとすごく厭世的で否定的な考えと思うかもしれないけどほんとにそうでしょうか?
考えたことないでしょ。
本でも、ネットでも、テレビでも、テレビに出てくる著名人でも、みんな金太郎飴のように、判で押したように生きる意味について熱く語っているから。
でもそれはあなたが自分で考えたのではなく、あなたの考えでもありません。
有り体に言えば「生きる意味なんかない」でこの話は終わりなんだけど、この結論にいたるまでにはいろんなことがありました。
おじさんも60になりおじいさんの領域にはいりました。
おじさんも親や先生や本やテレビやネットにだまされて60年間、生きる意味や価値を探してきました。
その結果、得られた結論は「意味はない」です。
意味や価値を求めることの害毒
意味や価値を探す時間と労力が無駄
そもそもないんだから「骨折り損のくたびれ儲け」になります。
そんなもの世界中どこを探してもどこにもありません。
それこそもっとほんとの意味で有意義なことができる時間と労力を、それこそ無駄に浪費します。
これぞまことの無駄です。
意味や価値が見つからないと落胆する
そもそもないんだから見つかるわけがないんだけど、意味や価値があると盲信している、あるいは騙されている人はそれを探して、見つからないのでがっかりします。
心が折れます。
暗い気持ちになります。
意味や価値がすべてだと思っている人にとって、それがないことはこの上なく辛いことです。
でも、そもそもないんだから見つからなくて当たりまえなんですよ
根本的に、意味や価値がないと生きられないという考えがまちがっています。
有意義強迫神経症
何もない1日
今日一日を、この人生を無駄にしてはいけない。
1分1秒たりとも無駄にしてはいけない。
1分1秒を有意義に過ごさなければならない。
この考えがあなたを神経症にします。
有意義に?何かとくべつな出来事がなければ
「今日は有意義でなかった」
「今日は無為な1日だった」
「今日は無駄に過ごした」
と感じて自分を責めます。
何かしなければという焦燥感
いつも「何かしなければ」という焦燥感、強迫観念に追い立てられています。
そして「何か特別なこと」がないと無駄に時間を過ごしたと感じ、自分を責めます。
休みがない
休日でさえ「有意義に過ごさなければならない」という強迫観念から何か活動的な、記録に残ることをしなければならないと無理やり予定を入れます。
もし予定表に何もないと不安でたまらなくなります
収穫がないとがっかりする
お金と時間と労力をかけて準備して、何か「特別な事件」が起きなければ無駄だったと感じて自分を責めます。
たとえばパーティに出席して誰とも話さなかった。
パーティに出席して誰とも知り合いにならなかった。
誰とも連絡先を交換しなかった。
というようなことです。
お金と時間と労力をかけたらかならず何か「特別な事件」が起きなければならないと思っています。
何もないのがふつうです。
「特別な事件」は特別なんです
「人の役に立つ」はこの世で最悪の意味
自分の中に意味や価値が見つからないので、他人を持ち出して「人の役に立つ」ことを生きる意味や価値にしようとする人が多いです。
しかしこれもあなたの考えではありませんね。
これはあなたを利用したい支配者があなたを利用するためにつくりだした奴隷の道徳、ニセの美徳です。
あなたは奴隷になり、支配者にいいように利用されるだけではありません。
あなたが「人の役に立った」と実感しないとあなたは自分を「くだらない」「役に立たない」「意味のない」「価値のない」人間だと自ら評価します。
そして自分は「この世にいる意味や価値がない」と結論づけます。
自分では自分自身に意味や価値を見出せないので、そもそも存在しない意味や価値を、他人との関係に見出そうとして、他人にあなたの価値を決めさせるのです。
感謝されないと落胆したり、はたまた相手に「感謝する気持ちもないやつだ」と憎しみを感じてしまうことさえあります。
あなたはただ他人に「あなたは価値があります」「役に立ちます」と言ってほしいだけです。
これほど愚かなことはありません。
目を覚ましてください。
人の役に立たないとダメなの? ~ あなたの価値は誰が決めるの?
自分のものは自分のもの ~ 奴隷の道徳からの脱却 ~ 他人といると疲れる人へ ②
あなたがすべきこと
意味や価値をつけずに、あなたがやりたいことをやる
これに尽きます。
これには意味や価値があるかどうかなどということは考えません。
これをやったら得するか?とか、
これをやったら人に褒められるか?とか、
これをやったら人に自慢できるか?とか、
これをやったら有意義な時間を過ごせたと思えるか?なんてくだらないことは考えません。
無我夢中
あなたがほんとにやりたいことをやっていればまさに無我夢中の境地で自分の存在さえ忘れてしまいます。
自分がどんな人間か?とか、
人からどんなふうに見られているか?とか、
これには意味や価値があるか?
なんてことは忘れてしまいます。
寝食を忘れる
これをやっているとお腹が空いたことにも気がつかない。
お昼も食べずにやっていて気がついたら夕方だった。
夜になっても眠くならず気がついたら次の日の朝だった
これがほんとの幸せです。
おじさんは中学生のころSFにはまり、夕方単行本を買ってきて読みはじめたら最後まで読んでしまい、夜中の2時、3時だったということがよくありました。
超集中 = 禅定
禅は静かなところで座ってやるものとはかぎりません。
禅とは、「かぎりなく集中して心が動揺しない状態」のことをいいます。
座禅はその手段の1つにすぎません。
瞑想も言葉がちがうだけで禅とおなじです。
歩きながら歩いている足に集中する歩行瞑想というのもあります。
モータースポーツ
車やバイクでサーキットを走ったり、バイクで林道を走るのは禅とおなじ境地です。
そのとき今日の晩ごはんとか、テレビのドラマのことなど考えません。
仕事のこととか、いやな上司のこととか、人生の意味や価値など考えません。
超集中の状態です。
飛行機のアクロバットもそうです。
他のことは一切頭から消し去り、今やっていることに100%集中しています。
むすび
生きる意味や価値を探すなんてじつにくだらないことです。
それこそ無駄なことです。
ないんだから
意味や価値ではなく、あなたが没頭できることを探しなさい。
食欲も睡眠欲も凌ぎ、他人の目も感じない。
夢中になれること。

