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「スペイン」「闘牛」
闘牛
スペインといえば闘牛ですね。
さて、念願の闘牛場にやってきましたが、そもそもおじさんは人や動物が殺されたり、血が出たりするものは好きじゃありません。
あくまで社会見学として来ました。
いったい彼ら (ヨーロッパ人) はどういう目で闘牛を見るのか?
どんな反応をするのか?
むしろそちらのほうに興味がありました。
いよいよ、闘牛がはじまりました。
現物を目の前で見たけど、テレビで見たとおりです。
何の罪もない牛が、剣で刺され殺されていきます。
何も楽しくないです。
かわいそうです。
闘牛士はかっこよくもなんともないです。
matador (マタドール) という言葉がぴったり。
ただの「殺し屋」です。
しかも一撃で殺さず死なない程度に何本も槍を刺していって、いよいよ牛が倒れそうになってやっとトドメを刺すんです。
白人たちは足を踏み鳴らし、手を打ち鳴らし、歓喜しています。
目の前で血が飛び散り、牛が殺されていくのを見て何が楽しいんだろう!?
それがおじさんの感想です。
そう感じるのはおじさんだけではないようで、闘牛は無意味で残酷なことから、消えていく傾向にあります。
スペインといえばカトリック。
キリストの博愛主義に反しますよね。
それいったらカトリック教徒がなんで戦争したり、世界中を侵略して植民地化してきたのかということになるけど。
たぶん、キリストが生きていたら嘆いていたことでしょう。
自分はこんなことを人に説いてきたのではないと。
もちろんおじさんも牛を食べます。
それは生きるためです。
魚も、鳥も、豚も食べます。
米や野菜も食べます。
でも、食べるためでなく、見世物として殺害の場面を見せるのはおかしい。
また、それに狂喜する人たちもおかしい。
殺されるのが牛でなく、人間でも喜ぶのでしょうか?
それとも牛だからいいのですか?
もし、あなたたちが、自分たちが、異星人や巨人に囚えられ、余興として大勢の前で殺されたらどう思うのでしょうか?
闘牛で殺された牛は、安く売られるそうですが、食肉用の牛とちがって固くて食べられないそうです。
クラシックギタリストの荘村清志さんが言ってました。
Bull-leaping 牛飛び
カタルーニャ州では2012年から闘牛が禁止されました (ウィキペディアより)
最近では牛を殺す代わりにいかに牛の突進をかわすかを見せるものに移行する動きもあるようです。
最近になって考えられたものではなく、古くからある見世物です。
いずれにせよ牛にとってはいい迷惑ですが、殺すよりはマシですかね。
帰りの地下鉄
闘牛が終わると観客がいっせいに帰ります。
地下鉄の駅は中にはいれないほどの大混雑です。
闘牛は夕方にはじまるので、帰るころにはあたりは暗くなっています。
これからマドリードのホテルにもどらなければなりません。
首絞め強盗が出る!
そうでなくても、暗くなってから夜道を1人で歩くのは怖いです。
なんとか地下鉄に乗り、マドリードで降りました。
まだ、まわりは人であふれかえっています。
でも、ホテルに向かって歩きはじめるとしだいに人影がなくなっていきます。
駅前は高いので、すこしはなれたところに宿を取りました。
ホテルというより、いわゆるペンションです。
日本でいうスキーリゾートにあるかわいらしいものではなく、素泊まりの安宿をいいます。
なんとかペンションにたどり着き部屋にもどりました。
マドリード駅からすこし歩くとはいえ、20ユーロ (2000円くらい) で泊まれるんですよ!
カフェで飲むコーヒーは1杯、1.5ユーロ (150円) 。缶コーヒーじゃないですよ。
しばらく金銭感覚がおかしくなりました。