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「美徳」「道徳」「利他精神」「戦略」「メリット」
人間界では美徳
子どものころから親や先生に言われます。
「人にはやさしくしなさい」
「親切にしなさい」
これは「美徳」「道徳」「人間としての資質」のように教えられます。
でもなぜこれを教えるのでしょうか?
自然発生的なことなら教える必要はありません。
わざわざ教えるということは「教えなければ (強要しなければ) やらない」からですね。
すこし違和感を覚えます。
ほんとにいいことなら教えなくてもかってにやる。
それが人間の本性なら教えなくてもやる。
教えないとやらないということは、ふつうの人は自発的にやらない、そもそもやりたがらない、「自分の利益にならない」ということを明示しています。
よくある標語
「挨拶しよう」という標語の看板が立っていたら、「その町の人は挨拶しない」ということを物語っています。
そうでしょう。
みんなが挨拶する町ならわざわざこんな標語を看板にしたりしません。
「納税100%の町」
ああ、この町は未納が多いんですね😅
当たりまえにみんなやっていることはわざわざ言葉にしません。
美徳は何のため?
人にやさしくしたら何かメリットがあるんですか?
これはちゃんと教えたほうがいいです。
教えてる先生もわかってなくて、ただ「そのように指導しなさい」と書かれているから生徒に言ってるだけです。
「そうするのが当たりまえです」
「そうするのが人間としての常識です」
なんてのはダメですね。
「そうすると人にほめられます」
なんてのもダメです。
話になりません。
先生が全然わかってない。
「わたしはべつに人に褒められなくてもいいです」
と言われればそれでおしまいです。
弱肉強食
人間もふくめて地球の動物は微生物、ウイルスにいたるまで、弱肉強食の世界です。
みんな「自分が」生き残り、子孫を残すことがプログラムのいちばん根底にあります。
生命の大義
- 自分の保存 (できるだけ長生きして生き延びること)
- 自分の複製 (子孫、つまり自分の複製を残すこと)
これは「そうしよう」としたわけではなく「そのようなプログラムをされたものだけが生き残った」ということです。
こういうときは反対のことを考えてみればいいです。
自分が生き残りたいとは思わない。
生への執着はない。
死の恐怖もない。
こういうものはすぐ死んでしまいます。
目の前にライオン🦁がいても逃げない。
高いところから飛び降りてあっさり死んでしまう。
子孫を残さない。
1代かぎりでおしまいです。
自分が死んだらおしまいです。
あとはありません。
それだけのことです。
だから、生への執着があって、死を恐れ、子孫を残すものだけが、いま地球上に生き残っているだけのことです。
利己精神 (利己主義)
他人のことはどうでもいい。
自分が食べたいだけ食べてほかのものには食べさせない。
自分が生き延びればほかのものは死んでもいい。
自分には関係ない。
人に褒められなくても、好かれなくても、嫌われても、尊敬されなくてもそんなの関係ねぇ。
自分が生き延びればそれでいい。
人に尊敬されたところで何の得がある?
利他精神?
しかしこの「自分が生き延びる」というプログラムに反して他人を助けることはよくあります。
これは人間だけの特許ではなく、動物界にも見られます。
もちろん動物は美徳などという概念もないし教育もされていない。
それでもそのような行動をすることがあります。
その行動は直接、自分には何のメリットもありません。
ライオンに襲わている仲間?を助ける
草食動物🐮は肉食動物の餌食になっているだけかというとそんなことはありません。
ふつうなら自分が逃げのびて、自分が食われなければそれでOKです。
にもかかわらず、わざわざライオンのところにもどって食われている仲間を助ける行動が見られます。
生き残りの戦術からすれば、わざわざ自分を危険に晒すことは意味がないし、生き残り戦術に逆らっています。
だれかに言われたわけでもない。
美徳という概念もない (聞いたことがないのでわからないけどたぶんないでしょう😅)
だれかに「そうしなさい」と言われたわけでもない。
自分の子どもなら「子孫を残す」という目的のためにするかもしれないけど、そうでなければ助ける意味はありません。
むしろ他人の子どもなら死んだほうが自分の血にとっては有利なはずです。
じっさいライオンなどはほかのオスの子種は殺します😱
そして自分の子どもを産ませます。
肉食動物にとってはこの戦略が効果的なのかもしれないけど、草食動物にとってはほかのオスの子どもであっても助けることが戦略的に意味があるのかもしれません。
爬虫類のカメでも🐢
カメはひっくり返ると自分で起きられません。
バタバタやってるとカメが集まってきて、そのカメを起こします。
さらに驚くべきは哺乳動物がカメを起こすこともあります。
そんなことをしても何も得はないし、褒められもしないのに😄
ただ面白半分につついただけなら、元にもどらなくても離れていくだろうし、反対に元にもどったのにまだつついてまたひっくり返してしまうかもしれません。
でも元にもどると離れていきます。
これはどういうことなのでしょうか?
美徳ですか?
自分のため?
直接的には自分には得はないし褒められるわけでもない。
そもそも動物は褒められても喜びません。
喜ぶのは犬くらいでしょう🐶
でもほんとはここにも「利己精神」「打算」があります。
だってなければそんなことしないもん。
自分にも「種」の繁栄にも役立つ
見返り。お返し
よく「見返りを求めない」などといいますが、詭弁です。
見返りを求めることはけっして悪いことではありません。
ただ、見返りを期待していると、なければがっかりするので「期待しないほうがいいよ」ということです。
「人によく思われる」のも打算です。
でもこれはけっして悪いことではありません。
そもそもこれを悪いことと思うから、屁理屈が横行するので、人に何かをしてあげて感謝してもらってなにがしかの対価や便宜を図ってもらうのはけっして悪いことではありません。
ただ「契約」ではないので「見返り」はないと思っていたほうが気が楽です。
イライラしたりしません😄
そういうことです。
世の中に貯金する💰
おじさんは人に何かするとき「世の中に貯金してる」と思っています。
じっさいその人から見返りやお返しがなくても、見ず知らずの他人に助けてもらったことは数知れません。
また直接お世話になった人にお礼がしたくても経済的理由その他でできないことも多々あるので、直接返せないけどその分を見ず知らずの人に返すつもりでやっています。
そうすれば人に何かしてもらったときにも心苦しくなく素直に「ありがとう」といえます。
いやあ借りができちゃったから、また世の中にお返ししないと。
人間のそばにいる動物がすること
動物園のシロクマが池に落ちたカラスを助ける動画がありましたね。
カラスは食われると思ったのにシロクマは知らん顔なので仰向けになったまま呆然としています😄
えっ?食べないの?
えっ?逃げていいの?
自然界ならもちろんシロクマはカラスを食べたでしょう。
好みかどうかは知らないけど。
動物園のシロクマは充分な餌が与えられています。
シロクマは溺れているカラスに憐れみを感じたわけではなく、ただバタバタやってるから拾い上げたくらいの感覚かもしれません。
犬やネコが小鳥や金魚を守るような行動も見られます。
これもおもに「飼われている」ものが多いようですが。
人のマネ
1つは人のマネをしているだけということがあるでしょう。
自分に餌をくれる人がいつも取っている行動を見て、自分もそのように行動しただけ。
飼い主に気に入られることは自分のため
ネコ😺は人間を飼い主ではなく「食事を用意してくれる召使い」くらいにしか思ってないようですが、それでもこの「召使い」は自分にとって有用な存在です。
自分の食べものを用意してくれるんですから。
これは感謝というより、この「召使い」を手なづけておけば、この先も自分は食べものに困らないわけです。
そういう観点で「召使い」が喜ぶ、望む行動をしておけば自分の利益になるわけです。
あっ、犬は人間を「主人」だと思ってますよ。
だから、おじさんはネコが嫌いです😄
結果的にその性質を持つものが生き残っただけ
上の話は人間と接している動物の話ですが、野生の動物はどうでしょうか?
たとえばライオンと戦う草食動物はオスならば、圧倒的にメスへのアピールが強いでしょう。
「まあ素敵な方だこと❤」
自分の子孫を残すチャンスが増えるかもしれません。
人間も万物の霊長とかいいながらやってることはこの草食動物といっしょです😄
また他のオスへのアピールになるかもしれません。
このオスが強いことを示せば、餌やメスについても優先的に獲得できる可能性が高くなります。
これらは「自分のメリット」ですが、「種の保存 (自分の複製) 」にも有利です。
おなじ種類の動物でも弱肉強食はおなじで、できるだけ自分がたくさん餌を食べたい。
豊富にあれば問題ないけど少なくなってきたときには争いが起き、強いものが餌を取り、弱いものは餌にありつけません。
弱いものはそれなりに、あまりおいしくないもの、消化が良くないものを食べたり、夜中にこっそりライバルがいないときに餌を掻き集めたりします。
自己保存にとっておなじ種でも、自分以外のものが餌にありつけなくても、子孫を残さなくても直接は関係ないんだけど、おなじ仲間としての「種」が存続しなくてはいずれ自分の子孫も絶滅してしまいます。
人間界では限界集落が問題になっていますが動物界も限界の個体数というのがあって、それより少なくなると今いる個体が子どもを産んでももはや種としての数を保てなくなります。
いわゆる絶滅危惧種ですね。
とくに草食動物のように群れで生活している動物はそうですが、直接自分に関係なくても種としての数が減れば絶滅してしまいます。
もちろん彼らはそんなことは考えていません。
だから考えてそうしているのではなく「たまたま」仲間を助けるプログラムを持った種が生き残っただけのことです。
もっといえば餌やメスの取り合いでもないのに、相手かまわずいつもケンカして殺し合っている種はあっという間に滅んでしまいます。
だからそのような攻撃的な種はもはや地球上に残っていません。
となると人類が生き残っているのが不思議ですね😅
取るものもないのにケンカして殺し合っている。
大昔から今でも。
この先もずっと。
人間はコロナだ戦争だと騒ぎながら今も増殖しています。
留まるところを知りません。
異常ですね。
ただ人種によりで、アフリカ人は生き残り、日本や韓国などのアジア人は遠からず絶滅します。
コロナでも戦争でも地球温暖化でもなく、たんに「子どもを産まない」から😄
人はそれを「美徳」「道徳」「友愛」「協調」などと呼ぶ
人間は「E (C)」なのでそのプログラムによる行動を「美徳」などと呼びます。
最初に書いたようにわざわざ「美徳」と呼んで教育しないとやらないなら、それは人間の本質ではありません。
ただ動物でもそのような行動を取ることがあるのは「自己保存」と「種の保存」に効果があるからです。
人間も動物の一種です。
人のためでなく自分のため
「美徳」なんて言葉をやめてもっと「自分のため」をアピールしましょう。
ただ「見返りを求めない」のは「美徳」だからではなく、ないことのほうが多いからがっかりしないようにです。
おじさんのように「世の中に貯金した」と思えば、忘れたころに利子がついて返ってきます。
いやそれ以上です。
返ってきたどころか「借りができてしまった」くらいです。
見返り
直接、お礼の言葉や金品が跳ね返ってこなくても、あなたがふだんから人にやさしく接していれば人もあなたにやさしく接するでしょう。
もちろんそうでない人もいるけど、そういう人はあなたにだけでなく誰にでもそうです。
そして、そういう人は「マイナスの見返り」つまり「報い」を受けます。
困ったときには誰も助けてくれない。
それどころか「いい気味」「ざまあみろ」とさえ言われてしまう始末です😄
見返りは見ず知らずの赤の他人から返ってくることも多いです。
人は太古の昔から、そして今も無益な争いと殺し合いをしていますが生き残ってきたのはこの「美徳」という名の「利他精神」があったからからもしれませんね。