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「持つ」「なくなる」「心配」「苦」
持つ=なくす心配
車を持っている人は車のことで心配する。
物を持つことで心配が生まれる。
物を持たない人は心配することがない。
<サンユッタ・ニカーヤ 1篇 神々についての集成 2章 歓喜の園 2節 歓ぶ>
<サンユッタ・ニカーヤ 4篇 悪魔についての集成 1章 8節 歓喜>
人や物への執着が苦を生む
「持つ」ということは自分が大きくなったり、広がったりしたような気がしますが、その瞬間から「なくなる」という心配が生まれます。
愛しい人
恋人や、家族、子どもは喜びを与えてくれることはまちがいありませんが、離別や死別がかならずあります。
棺桶までいっしょという人はよほどの幸せ者です。
ふつうはどちらかがかならず先に死にます。
物
車や家など手にしたときは嬉しいかもしれません。
でも、永遠のものはありません。
いつかは壊れる。
盗まれるかもしれない。
家が火事で燃えたり、地震で崩れ去ったりするかもしれない。
それはけっして杞憂ではなくいつかはかならず「なくなる」のです。
自分のものなどどこにもない
むかしから言われるように死ぬときはすべて手放すのです。
棺桶には何も持っていけません。
愛しいわが子も、お気に入りの車も、居心地のいい家も。
死ぬまで持っていられればいいほうで、ふつうは生きてるうちにこれらを手放さなければなりません。
手放したくなくても、だれかに持っていかれたり、年とともに傷み、朽ちていくのです。
自分の心と体さえも
それどころか「自分の心と体」と思っているものもすべて手放すのです。
永遠のものはない ~ その覚悟
覚悟
「覚」も「悟」も「さとる」です。
大上段に構えた決死の覚悟ではなく、ただ静かに、
「わかる」「理解する」
という意味です。
なにも今あるものをすべてかなぐり捨てて出家する必要はありません。
永遠のものはない
ただ、「永遠のものはない」ということだけを「理解する」のです。
子どもがいたら惜しみなく愛情を降り注いでください。
それこそケチケチせずに。
「パパ」「ママ」と言ってくれるのは今のうちだけですよ。
これだけ愛情を注いだのだから、感謝してもらわなければならないとか、老後の面倒を見てもらわなければならないなんてケチなことは考えずに。
まあ自分の子どもに感謝を求める人は、自分の親には感謝しないもんですけどね💦
愛車があったら飾っておくのではなく、できるだけ乗ってあげましょう。
でも、いつかは壊れて乗れなくなるということは「理解しておく」のです。
だからこそ、乗れるときに乗っておきましょう。
自分の体も
あなたの体も永遠ではありません。
あした死ななくても、あしたケガや病気で動けない体になるかもしれません。
動けるうちに動いておきましょう。
あなたの体は今生に与えられた車みたいなものです。
車種も、色も、排気量も何一つ選べません。
車とちがって買い換えることもできません。
いまの体がボロになればそれでおしまいです。
動けるうちに動いておきましょう。
「自分のものなどどこにもない」
「永遠のものなどない」
ということを理解していれば、終わりが来ても悲嘆に暮れることはないでしょう。
使えるのに使わなかったら、悔いが残るでしょう。
充分に使い切ったら、悔いはないでしょう。
車を持っている人は車のことで喜ぶ。
物を持つことで人に喜びが生まれる。
物を持たない人は喜ぶことがない。