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「他動詞」「自動詞」「人を主語にしない」「物を主語にする」
言語のちがい
日本語教師をしていると、しばしば外国人生徒のおかしな言い回しに出くわします。
文法的にはまちがいではないので、日本語でふつうはどのように言うのかわからなくなってしまうこともあります。
「でも、日本人はそういういいかたはしない」
「なんか変」
教師である以上「なんか変」ではすまされません。
ちゃんと理由を説明しなければなりません。
文法ではなく文化・概念・表現の問題
1対1ではない
外国語を勉強するとき、大事なことはすべての単語や文章が1対1で置き換えることはできないということです。
単語の守備範囲がちがうこともあれば、表現方法そのものがちがうこともあるからです。
find
例に挙げた find。
辞書を引くと「見つける」と書いてあります。
だから、英語圏の人はこのような文章をつくります。
「本屋で本を見つけます」
「本を見つけました」
う~ん。
文法的にはまちがいではないし、意味もわかるけどなんか変。
何が変なのか?
日本人ならこういうときなんて言うのかな?
「本屋で本を探します」
「本が見つかりました」
もっというと
「本がありました」
ですね。
結論から言うと、自然な日本語ではこうです。
探している→あった (物) / いた (人)
「探す」ほうは「ている形」をつかい、見つかったら動詞は存在の「ある / いる」で完了の「タ形」にします。
他動詞と自動詞
まず、1番めの問題として「find」は他動詞であるということ。
だから、辞書を引くと「見つける」です。
これは正しいです。
でも、英語圏の人は辞書を引いて「find = 見つける」と書いてあるから「I find ~」は「私は~を見つける」と訳してしまいます。
自他のペア
日本語にはこれがとても多いです。
英語では、1つの動詞で自動詞と他動詞の両方につかえるものが多いです。
というより語彙がまずしい😅
日本語では
見つかる-見つける
残る-残す
壊れる-壊す
のように自他の区別がはっきりしていて、それぞれ別の言葉があるものが多いです。
もちろんすべての動詞にペアがあるわけではなく、ないものもあります。
上の例文にもあるように「探す」は他動詞だけで、自動詞がないので日本語でも「本を探す」としか言えません。
日本語 (日本人) は人を主語にするのを避ける
そもそも日本語は主語をできるだけ言いません。
わかっているときは言いません。
英語は文法上、かならず主語→動詞→ (あれば目的語、補語など) にしなければならないので、
I read a book. (私は本を読みます) と言わなければならないけど、
日本語では
「本を読みます」で、「私は」とは言いません。
日本語では目的語さえ省略します。
たとえばここにおいしそうなケーキがあるとします🍰
英語では
I want to eat this cake. (私はこのケーキを食べたい)
と言わなければならないけど、
日本語では
「食べたい!」
とだけ言います。
主語も目的語も言いません。
何かを探して見つけたときもいい例ですね。
「私が本を見つけた」と言わず、ただ「 (本が) あった」とだけ言います。
このように主語や目的語を省略するだけではなく、人を主語にして文章をつくるのを避ける傾向があります。
他動詞を嫌う→自動詞をつかう
見つけるのではなく、見つかる
だから「人が本を見つける (人+目的語+他動詞) 」のではなく、
「本が (人に) 見つかる (物+自動詞) 」のです。
「見つかる」は自動詞で物 (この場合は本) が主語ですが、受身の「見つけられる」とおなじような意味を持ちます。
よく言えば奥ゆかしい
自分の意志と努力で「見つけた」としてもそれを言わず、あたかも自然に、ひとりでに「見つかった / あった」かのように言います。
「わたしの力ではないんですよ」という奥ゆかしい心です😄
がしかし、そうとも言い切れないんですね。
責任逃れの感じもある
たとえばあなたが教室でふざけていて窓ガラスを割ったとします。
わざとじゃないかもしれないけど、あなたの不注意であなたの行為で割りました。
あなたはなんと言いますか?
「私が窓ガラスを割りました」と言いますか?
多分、いやまちがいなくこう言うでしょう。
「窓ガラスが割れました」
もっというと
「割れてしまいました」「割れちゃいました」
でしょう。
こう言うと「私が割った」のではなく「窓ガラスがかってにひとりでに割れた」ような響きを醸し出します。
これも、
「人+他動詞」ではなく
「物+自動詞」にすることで
物がひとりでに、かってに、自動的に動作したかのような雰囲気にさせます。
するどい (いや、イヤミな) 先生は
「窓ガラスがひとりでに割れたとでも言うのか!」
とツッコむでしょう😅
「誰が割ったんだ?」
のほうがマシですね。
物を主語に置き換える
外国人学習者にはこう説明します。
日本語では (日本人は) 人を主語にするのを好みません。
だから、「I find ~」のような文章でも、日本語では目的語の「物」のほうを主語に置き換えて「自動詞」をつかいます。
「私が見つける」のではなく、
「物が見つかる」のです。
血眼になって探していても「見つけた」ではなく「見つかった」と言います。
「落としたコンタクトレンズが見つかった!」のように。
英語には「見つかる」という単語がない!
日本語の記事なのでいちばん最後になりましたが、そもそも英語には「見つかる」という単語がないんです。
じゃあどう言うのか?
be found 見つけられる
物を主語にしたときは、「受身」になります。
find をつかうかぎり、主語 (動作者) は人間でなければなりません。
もちろん be found という英文が出てきたときに、上には受身の形で「見つけられる」と書きましたが自然な日本語では「見つかる」と言います。
このように「I find ~」を1対1で翻訳することはできないんです。
そこには文法を超えて、文化・概念・表現のちがいがあるのです。
逆もまた然りで、日本独特の迷惑の受身はそのまま英語にはできません。
「雨に降られた」というやつですね。
英語にするときには「雨が降ったことにより、私が困った」と考えかたを変えなければなりません。
意図したとき、または偶然でも他動詞をつかうことがある
もちろん日本語でも他動詞「見つける」をつかうことがあります。
それは「見つけようとして見つけたとき」
反対に「偶然」だけど驚きや意外な発見があるとき。
かくれんぼ
隠れている人を探して「見つけようとして」見つけたときは「見つけた!」と言います。
しばしば「見~・つけ・た」になります。
これは日本語が foot (2拍ずつの音のセット) を好むからです。
1.2.3 (いち・に・さん) を「いち・に~・さん」
金土日 (きん・ど・にち) を「きん・ど~・にち」というのもそのためです。
「見つけられた」人は「見つかった!」と言います。
残念な気持ちなら「見つかっちゃった」と言います。
この場合は自動詞というより、受身ですね。
日本語の自動詞には「自然に / ひとりでに」のほかに、外部から作用や力が働き「結果的」あるいは「受身」の意味もふくみます。
コンタクトレンズのように「見つけようとして」見つけても「見つかった」ということもあるので線引きはむずかしいです。
もっというと、やはり「見つかった」もつかわず「あった」がいちばん自然な言いかたです。
めずらしい虫🐛
子どもが外で遊んでいたらめずらしい虫をつかまえました。
このときはこう言います。
「めずらしい虫、見つけた!」
おもしろいですね。
「探していて」「見つけようとして」見つけたわけではないのに、偶然見つけたら「見つけた」と言います。
これは「意図しない / 予期しない発見」です。
ただこれも「めずらしい虫がいた」というほうが多いかな😅
人を主語にする場合もある
うまくまとめたと思ったけど、「物+他動詞→人」のときは人を主語にします。
これは上にもちょこっと書いたけど、共通するのは「他動詞を嫌う」ことです。
できるだけ人間、それも自分を主語にする。物を主語にしない ~ 日本語教師
わたしは日本語教師をしています
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