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「アドバイス」「有害」「悪意」「無責任」
良薬口に苦し
孔子の言葉でだれでも聞いたことがあるし意味もわかりやすいです。
良薬口に苦けれども病に利あり
忠言耳に逆らえども行うに利あり
正確にはただ「いい薬は苦い」ではなく「病気に効く (治す) 」ということを言っています。
そして薬になぞらえて
「アドバイスは聞いてうれしくないけど、じっさいの行動には役に立つ」と言っています。
果たしてほんとにアドバイスは役に立つか?
ほとんどは役に立たないどころか害がある
大事なことは
「ほんとにいい薬は苦くても病気を治す」のであって
「苦い薬はいい薬」ではない、ということです。
おなじように
「ほんとに物事をわかった人が、ほんとにあなたのためだけを思ってするアドバイスなら役に立つけど、人が言った不愉快な言葉がいいアドバイスとはかぎらない」ということです。
もっというとほとんどのアドバイスは「百害あって一利なし」です😅
人は自分勝手なことを無責任に言う生きものである
問題はこれです。
2500年前にブッダがすでに看破しています。
繰りかえします。
アドバイスが役に立つのは、あくまであなたより知識も経験もあって、親身になってあなたのことを思う人が言うときだけです。
ほとんどの人は自分勝手に好き勝手に無責任に言いたい放題。
ためしにあとで聞いてご覧なさい。
「あなたのアドバイスを聞いてその通りにしたら酷い目に会いました」
「えっ?そんなこと言ったっけ?」
アドバイス?を吐いた当人は自分が言ったことさえ覚えていません😄
「あなたのため」は「自分のため」
また悪意はなく無責任に言う人だけでなく、「あなたのため」という人には気をつけましょう。
ほとんどの場合、それは「あなたのため」ではなく「その言葉を口にする人のため」だからです。
よくあるエセ・アドバイス
そんなことをすると人に嫌われるよ。→あなたがそうするとわたしが不愉快だ。わたしが損する。だからあなたにそれをしてほしくない。けっしてあなたのためではなく、私のために他ならない。
ふつうはそんなことはしない。それが世間の常識だ。→その人の価値観またはその人の利害においてふつうなのであって世の中のふつうではない。その人の個人的な価値観を世間の常識だと思っている。
みんなそうしてる。しないのはあなただけだ。→いや、だれもやってないですねえ😄日本人はこの「みんな」が殺し文句なんですよ。
ためしに聞いてみましょう。
「みんなって誰?」
「…みんなだよ」
「誰と誰と誰?名前言って」
「屁理屈言うんじゃない!」
(おまえが屁理屈言うとんじゃ!」
この反対もおなじようにとても頻繁につかわれるので気をつけましょう。
だれもそんなことはやってない。やっているのはあなただけだ。→いえいえ、やってないのはそれこそ「あなただけ」です。ほかの人はみんなやってます。
アドバイスにしたがって後悔したことが多々あり
おじさんは素直な性格なので、自分の価値観や判断とちがうと思っても、人のアドバイスも聞いたほうがいいと思いそれにしたがってきました。
その結果は?
はじめの自分の判断と行動が正しかった
自分がまったく気づかずに、自分の判断や行動のせいでトラブルが起きたときはしかたありません。
でも、人のアドバイスにしたがって、それが原因でトラブルになったとき、さらにはじめの自分の判断と行動であればトラブルにはならなかったということが明確になったときは「悔やんでも悔やみきれない」です。
悔しいです。
自分はわかっていたし正しかったのに、わざわざ他人の意見を聞いてトラブルになったり不愉快な気持ちになったりする。
自分が考えて、自分で判断し、自分で行動した結果なら、たとえ悪い結果になったとしても諦めがつきます。
しかし、他人に言われたように行動した結果が悪い結果になったとしたら、これ以上の悔しさはありません。
責任取ってはくれません
たとえだれかに言われてそのようにしてトラブルになっても、言った人は責任を取ってはくれません。
すべては実行したあなたの責任です。
人は勝手なことを言うもんだ。そして無責任だ。
もう1度おなじことを言います。
単に無責任なだけでなく、その人自身の利益のために、人に物を言うのが「ふつうの」人間です。
だれも「あなたのため」だなんて思っていません。
それでもあなたにそうさせるために「あなたのため」という言葉をつかいます。
人の価値観は人の数だけある
またこんなこともあります。
あなたは「行こう」と判断して動き出しました。
するとAさんが「それはよくない。行かないほうがいい」と言います。
わたしは、そのアドバイスを聞いて行くのをやめました。
すると今度はBさんが「なんで行かないの?」と聞きます😄
いや、わたしは「行こう」と思ってたんだけどAさんが「行かないほうがいい」といったから…
決めるのはあなた
あなたが何を言っても、何をしても、かならず反対する人がいます。
賛成する人もいるんだけど、悲しいかなその人たちは何も言いません😄
だってあなたが言ったりしていることに不満がないから何も言う必要がないんです。
文句を言うのは「反対」意見の人だけ
賛成の人、満足している人は何も言いません。
あなたになにがしかケチをつけ、文句を言うのは「反対」意見の人だけです。
しかもタチが悪いことにその人たちは「わたしは反対だ」と言わずに
「あなたのため」「それがふつう」「それが常識」という言葉で利己心を隠します。
まるで善意と博愛に満ち溢れた人を演じます。
「自分のため」といえばとうぜんあなたは言うことを聞かないし、それだけではなくこの人たちは「自分が自分の利益のためにしている」ということに自分で気づくことを恐れているんです。
自分はそんな了見の狭い人間でない。
人のためを考える人格者だと思いたいんです😄
納得尽くなら路線変更してもいい
ここまで読んだ人は
「ぜったい人の言うことを聞いてはいけない」
「頑として自分の意見を通せ」
と極端に走りそうなのでちょっとだけ補足を。
問題は納得していないのに他人の言うことに従って行動することです。
「おかしいな」
「変だな」
「ちがうよな」
と思いながら自分の意に反することをすれば碌なことにはなりません。
人の話をちゃんと聞いて理解して、それはもっともだと自分でも心から納得したのならそれに従うのもいいでしょう。
それなら結果がどうなっても後悔することはありません。
納得していないのに人に従って行動すればかならず後悔することになります。
エセ善意が効果ないと脅しにかかる
いやですねえ。
「あなたのため」といってもあなたが言うことを聞かないと、こんどは脅しにかかります。
「わたしの言うことを聞かないと酷い目に会うよ」
さらに
「わたしの言うことを聞いたほうが身のためだぞ」
怖いですねえ😱
いえいえ、あなたの言うことを聞いたほうが酷い目に会います😄
宗教がつかう手
「言う通りにしないと酷い目に会う」といって脅して入会 (入信?) させるのが宗教のやり口です。
新興宗教やカルトでなくても世間で大手を振っているキリスト教や仏教でさえ、
「この世の終わり (末法思想) 」や「地獄」というものを大声で謳い、わたしの宗教にはいって、わたしの神さまを拝んで、わたしに「お金」をたくさん払えば助けてあげるよ、というのはもはやアドバイスではなく「恐喝」です😄
イスラム教を出さなかったのは、単にイスラム教にくわしくないからです😅
ほんとに心の広い博愛にあふれた神さまなら、信じようが信じまいが、お金を払おうが払うまいがみんな助けてあげてください🙏
ほんらいの仏教
宗教というものは「恐怖」を植えつけ、それから逃れるには「わたしに金を払え」という図式になってしまっていますが、ほんらいの仏教、というよりブッダの教えは「苦の原因は何か?」「どうしたら苦をなくすことができるか?」「死後ではなく今、生きてるうちに幸せになろう」というのが目的です。
輪廻 (生まれ変わり) を否定している
ブッダの時代は、いや今でもそうか、六道輪廻といって人間以外のいろんなものに生まれ変わると信じられていました。
ブッダは
「何度も生まれ変わってまた人間をやることは苦痛だ」
「わたしは悟りを開いたのでもう生まれ変わることはない (輪廻の外に出た。断ち切った) 。だから幸せ」
と言っています。
輪廻の絵で、ブッダが輪廻の輪っかの外に立っているのはこのためです。
ブッダはすでに「どこにもいない」のです。
だからそれこそ「ブッダの生まれ変わり」などとほざく奴がいたら八つ裂きにしてやりましょう😄
1人で歩め。犀の角のように🦏
ブッダが説いたお経にいちばんよく書かれていることは
「自分を信じて、1人でも歩いていきなさい」ということです。
ブッダは「何かに縋る (執着) 」ことを徹底的に否定し、「わたし (ブッダ) にも縋るな!」とさえ言っています。
それを端的に表している言葉が
「自灯明法灯明」ですね。
自灯明。法灯明 (自らを拠りどころとせよ)~ブッダのつぶやき
おじさんは仏教徒ではありません。
あくまでブッダのフォロワーです。
お経とはブッダのつぶやきをまとめたものです。