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「打算」「当たりまえ」
人は打算で動いている
こう書くと悲しい感じがしますが事実です。
ただ、打算というのは金だけではありません。
英訳すると cold calculation (冷たい計算) です。
一般的な打算とは
ふつうは、この人と仲良くすると
「お金がはいる」
「優遇措置をもらえる」
「特別なおいしい蜜が吸える」
などということです。
そこで打算的な人は嫌われたり、軽蔑されたりします。
でも、打算はお金だけではないんです。
いろんな打算
いい人
たとえば「いい人」がいます。
いい人とは、
「あなたにやさしくしてくれる人」
「嘘をつかない人」
「正直な人」
などですね。
あなたが「いい人」とつきあい、仲良くしようとするのもじつは打算です。
やさしくしてほしい。
自分を大事にしてほしい。
嘘をつかないでほしい。
という願望、要求があります。
それはそうされると「自分が心地よい」からです。
人だけでなくすべての生き物は「不快」を避け、「快」を求めます。
だから、こういう人とつきあおう、いっしょにいようというのも打算です。
じつは「いい人」とつきあうだけでなく、自分が「いい人」であることも打算のうちです。
それについてはあとで書きます。
面白い人
これもおなじです。
いっしょにいると楽しい。
笑わせてくれる。
いやなことを忘れさせてくれる。
このような人のそばにいたい。
これも打算です。
いろんなことを知っている人
知識が豊富でいろんなことを教えてくれる。
知識欲にあふれている人にとって、自分が知らないこと、知りたいことを教えてくれる人は自分にとって「有益」「役に立つ人」です。
これも打算です。
自分を大事にしてくれる人
これが何よりトップですね。
「好きな人」=「自分を大事にしてくれる人」
という構図さえ成り立ちます。
もちろん好き嫌いはありますが、
自分を傷めつける人、貶す人、踏みにじる人が好きな人は「変人」です。
かれらは自分が「痛みを感じることで快を感じる」と勘違いしている変質者です😄
たとえば蚊に刺されると痒いです。
そのときほとんどの人は掻きむしります。
それは「痒みをなくす」ことではなく、もっと強い「痛みで痒みをごまかす」ことです。
「苦」に耽るのは、「快楽」に耽るのと同じくらい愚か~ブッダのつぶやき
すべての生き物は「不快」を避け、「快」を求める
これは生物の「大原則」です。
それはひとえに「生きのびる」ためです。
不快:自分を傷つけるもの、こと、状況。自分の存在を脅かす外敵。空腹。眠い。めちゃくちゃ寒い。めちゃくちゃ暑い。
快:自分が生命として存続することを助けるもの。食べる。寝る。満腹。ほどよく暖かい。
そもそも快と不快って何?
もともと満腹が快いと感じるような物理的な法則があるわけではありません。
満腹が快いと感じるものだけが生き残っただけの話です。
空腹になっても不快 (苦痛) を感じないものはそのまま息絶えます。
子孫を残しません。
だから、いま存在しないだけのことです。
空腹を不快と感じて、満腹を快と感じるものだけが生き残りました。
打算
だから、自分が生き残るのに都合がいい、ふさわしいことを求めるのは当たりまえのことです。
打算は悪いことではない
生命が自分の命をより長く続かせるために、自分に都合のいいもの、こと、状況を求めて、集めたり、それがある場所に行くのは当たりまえのことです。
ただ人間社会はそんな単純なものではありません。
他人のことを考えず、ゴミや石ころのように扱い、自分だけが「おいしい蜜」を集めていると人々の反感を買います。
程度があまり大きくなければ反感を買う程度ですみますが、著しく他人の「打算」や「生きる権利」を奪う行為をすると、反感を超えてあなたを排除する動きがはじまります。
それもまだかわいいレベルならあなたをグループの外に追い出すくらいですむでしょう。
それでもあなたは「蜜」を吸うことに支障が出ることになります。
さらに度が過ぎるとあなたは抹殺されるでしょう。
ほんらい生きのびるための打算のはずなのに、集団から排斥され、さらにはあなたの「命」まで奪われてしまいました。
これでは本末転倒です。
自分がいい人であるのも打算のうち
こう書くと噛みつく人がいるかもしれないけど、事実です。
それは「打算」という言葉が悪いイメージを持っているからで、人にやさしくするのも、思いやりを持つのも、結果的に集団の中で生きのびるのに都合がいいからです。
一見、自分がほしいものを取らずに、人に譲るのは「損」のような気がしますが、その物質的なものを人に与えることで、もっと大きな援助や精神的安定を得られることもあるのです。
いじめっ子やヤクザ、暴力団は力でなんでも手にはいるように思えるけど、社会という集団の中ではみんなから嫌われ、避けられ、かれらがかりに困っていても手を差し伸べる人はいないどころか、いい気味だと思われるだけです。
それだけの当然の報いを受けます。
ふだんから人にやさしてくして、思いやりを持って接していれば、困ったときに助けてくれる人がいます。
賢く打算的に生きる
ということで、あなたが生きのびるために、ほどよく人にやさしく、思いやりを持って、親切にしましょう。
なんでもほしいものは独り占めして、人をないがしろにすれば、まわりの人もあなたをないがしろにして社会という集団から葬り去られるでしょう。
ただなにごとも程々です。
都合のいい人にならないように
自分を犠牲にしたり、過剰にだれかに貢ぐような行為はしてはいけません。
それにはよい「報い (見返り) 」はありません。
あなたはただ「都合のいい奴隷」として扱われるだけです。
尊大にならず、卑屈にならず、一人の自立した人間として尊厳と誇りを持ちつつ、人のことも気に留めましょう。
上から見下ろすのでもなく、下から見上げるのでもなく、対等な人間としてつきあうのです。
相手を尊重するのとおなじように、自分も尊重しましょう。