儒教は呪教?~ 支配階級に利用された

「儒教」「呪教」「支配」

はじめに

特定のものを批判するものではありません。
まあ批判するとすれば邪 (よこしま) な支配階級です。

キリスト教、イスラム教、仏教などの宗教もほんらいは人の心を救うために生まれたはずですが、宗教同士でも争うどころか、各宗教内部でも派閥が分かれ醜い争いをしています。
人間とはなんと争いが好きな生きものであることか。
おじさんも人間でありながら嘆かわしいことです。

宗教もそれ自体が争いの火種になることもあれば、支配者が自分の利益を得るために意図的に利用することも多々あります。
これは歴史を見ればほとんどの戦争が領土争いではなく宗教や価値観のちがいによる争いだということがわかるでしょう。

日本人はなぜハグしないのか?

また唐突と思われるかもしれないけど、そもそもおじさんがこれを書こうとしたのは日本語の生徒からの質問が発端です。

「友だちが泣いてるときにハグしないんですか?」

日本人はなぜハグしないのか?

ハグだけじゃありません。
握手もしないし、キスなんて以ての外。
とにかく体の接触を避けます。
ハグやキスは恋人だけのもので性的な意味を持ってしまいます。

日本人なら肩を叩くか、子どもなら頭を撫でるくらいしかしません。

単なる文化や習慣のちがいなの?

これをハグや握手は西洋の文化・習慣だからとかたづけてもいいんだけどおじさんはちょっとちがう、と思いました。
そこに何か理由がある。

恋人じゃなくても親しくなれば「触れたい」というのは人間の自然な心理です。
人間だけじゃなく動物すべてですね。

心地よいものにはより近寄り、不快なものを遠ざけるのは生命の基本原理といっていいでしょう。

人に触れないというのは日本人のおじさんとしてもよそよそしい感じがします。

抱っこもおんぶもしなかったおじさんの親

おじさん、すでにおじいさんの領域にはいっているおじさんの父親は大正最後の生まれ。
母親は昭和一桁です。
だから古い人間といってしまえばそれまでだし、またおじさんの両親は相当のひねくれ者だったので同年代でも他の家庭では事情はちがっただろうけど、今より親子の間も隔たりがあったのはまちがいなさそうです。

もちろんおじさんも赤ん坊だったのでその頃は母親もおじさんを抱っこしたでしょう。
多分😅
でも物心ついてから抱っこやおんぶをしてもらった記憶がいっさいありません😥

親の膝に座ったこともありません。

三つ指ついて「お帰りなさいませ」と挨拶したわけじゃないけど、「おとうさま」「おかあさま」と呼ばされていたのでかなり特殊な家庭と特殊な親だったことはまちがいありません。

その分、おじさんは自分の子どもは惜しみなく抱っこしたりおんぶしたり肩車もしました。
それでぎっくり腰になったこともあるけど😅
子どもが泣いていれば抱いて背中をやさしく叩いたりさすってやる。
「どうしたの?」
「大丈夫だよ」
「痛かったね」
と声をかけてやる。
子どもの指定席はおじさんの膝の上でした。
食事の時間になると子どもは何も言わずにおじさんの膝の上に座ります。
それが椅子だから😂
テーブルと椅子じゃなくて、床にちゃぶ台だからできたこと。
子どもが安心できる場所ができたことで、おじさんが満足しています。

儒教は国民や目下の者を従わせるため利用された

そこで思いついたのがこれです。
そもそも「目上」「目下」という呼びかた自体が階級社会を如実に物語っています。

ちなみに儒教は儒学ともいい宗教というよりは学問・哲学・教えといったところです。
孔子 (こうし) が始めたということで、英語では Confucianism といいます。
Confucius は孔子の英語読みです。
なんか confusion (混乱) に似ていますね😅

中国で始まり、朝鮮、日本に伝わりました。
西暦500年ころというので、仏教や漢字が伝わったのとほぼおなじ年代です。
古事記や日本書紀が書かれたのは700年以降です。
だってそれまで文字がなかったんだから。

礼 (れい)

この漢字は「れい」と読みますが、じつはこれは音読みで訓読みはありません😮
つまり中国からはいってきた外国語であり、日本語にはなかった言葉です。

五常 (ごじょう)

儒教の中の五常の仁・義・礼・智・信の1つです。

三綱(さんこう)

君臣・父子・夫婦間のルール。

五倫 (ごりん)

父子、君臣、夫婦、長幼、朋友のルール。

目下の者は目上の者を敬い、命令に従え

孔子さんがもともとそう言ったのかどうかはわかりません。

論語は「子曰く (しいわく) 」で始まるように「先生はこうおっしゃった」ということで、孔子本人は何も書いてないんですね。
これは仏教もおなじで、経典はガウタマ・シッダールタの没後、弟子たちが「尊師 (ブッダ) はこうおっしゃった」と書いたものです。

だから、あることないこと、本人の意図とはちがうことが山程書かれています。
孔子やブッダの権威ある名前だけ借りて、言葉は悪いけど自分たちの都合のいいように改竄することもいくらでもできます。
仏教の経典もたくさんあり、宗派がたくさんあって、すこしずつ内容がちがうように時代とともにどんどん形は崩れ変わっていきます。
そもそもブッダは肉食を禁じていませんから。

今、お経がおもしろい! (一覧) ~ ブッダのつぶやき

孔子がほんとうにいたのか、ほんとうにそのように言ったのかは怪しいですが、論語という書物が日本に伝わってきたのはまちがいなさそうです。

支配者に都合がいい内容

そしてその内容は支配者、為政者、長老、年配者にとってはとても都合のいい内容だったのでこれを重用して広めたんですね。

そもそも父子の関係というのが変ですね。
親子でも母子でもなく、父子。

孔子はほんらいはお互いに健全な関係であれと言ったのかもしれないけど、現実には「目上に目下は従え」というルールに成り下がっています。

そしてそれを「道徳」とか「人格」などというこれまた美辞麗句で塗り固めている。

殿様が「わしは威張りたいから、お前らはわしの言うことを聞け」と言ったら、誰も言うことを聞かないけど、
「これが人間としての道徳人の道じゃ」と、これが学問であり、賢いことであるかのように吹聴して調教すれば手下どもが自分の都合のいいように自分の駒になってくれます。
手下ども、目下どもは、何もしなくても無条件で自分を尊敬して、自分の言うことを聞いてくれるのでこんな都合のいい学問?はないじゃないですか😄

これこそ学問でも哲学でも人の道でもなく、呪教と書いた所以です。

ほんらい人は、その人の考えかた・行動が素晴らしいから尊敬するのであって、年齢で無条件で尊敬するのではありません。
だから仰げば尊しを自ら歌わせる教師の人格は知れてます😄

自分から「わたしを尊敬しなさい」という人を誰が尊敬するでしょうか?

自分のものは自分のもの ~ 奴隷の道徳からの脱却 ~ 他人といると疲れる人へ ②

ブッダは「頭が白くなったと言うだけで立派な人間になったわけではない」と言い切っています。
人はその行動で尊敬するので、年齢で尊敬するのではないと。
年取っただけで偉くなるわけではないと。

みすぼらしい老人にならないように ~ 人は年取っただけで立派になるのではない! ~ ブッダのつぶやき

殿様、武士に大人気

この階級制度と家来を従わせるのに都合のいいエセ学問は殿様の間で大流行り。
そして、家来同士でも「お前より俺のほうが上だ」とかいうどんぐりの背比べみたいな醜い権力争いがあり、最終的に武士は百姓を踏みにじるのです。

何様のつもり?
お百姓さんのお陰であんたたちは飯が食えてんだ。
と、おじさんは代わりに言ってやりたい。

いやはや武士や殿様なんて、現代の警察とは訳がちがい、武器を携帯して威張り散らしてるくせに、いざ合戦がはじまると百姓が駆り出され、前線に立たされるのは百姓です。
自分らは後方の安全なところにいて、百姓を盾にしていざとなれば真っ先に逃げます。
お前ら何のために腰に刀さしとんのじゃ!

だからおじさんは武士が大嫌いです。
何が武士道なもんか。
暴力団、ヤクザです。

武士から庶民へ

武家では親子でも「父上」「母上」と子どもは手をついて挨拶をし、抱っこやおんぶ、ハグなんてありえません。
この呪教は親子関係を健全なものにするどころか、人と人を排斥するさみしい教えです。

おじさんはタイムマシンを持っていないのでわからないけど、百姓は嬉しいとき、悲しいとき親子で抱き合ったりしてたんじゃないかと思います。

たぶん、江戸時代のころはまだ庶民は健全だったと思います。

江戸時代になって寺子屋なるものが現れ、読み書きだけでなく、この悪魔の書も読まされるようになり、それを学問とか道徳とか称して次第に調教されていき、庶民も武家のように振る舞うのがかっこいいかのように洗脳されてしまったんですね。

これが学問であり道徳であり人の道だと。
きれいな言葉でいいように言いくるめられてしまいました。

補足というより蛇足

40、50になって先輩、後輩とかいうやつ😄

こんなアホがいるんですね。

その1.
おじさんがサラリーマンをしているとき、定年間近の窓際族がよそから左遷されてきました。
おじさんの会社は左遷という位置づけなのか?😄
その人はたまたまおじさんの履歴書を見て言いました。
「君は〇〇高校の出身なんだね。わたしも〇〇高校なんだよ」
そこまではいいです。

「へえ、奇遇!何年ころですか?」とか「〇〇先生知ってますか?」とかいう話で盛り上がると思いきやこのクズはこうのたまいました。
「君は〇〇年卒業だからわたしの後輩ということになるね」
「😮」

「アホか!」という言葉が喉元まで出てきました。
言ってもよかったです。

おそらくその人は60歳ちかく。
高校で会ったこともない。
おなじ年代でおなじクラブに所属していたというならまだしも、高校出て、社会人になって何十年も経って、会ったことももちろん世話になったこともない知らんおっさんに「君は後輩だね」と言われる筋合いはねえ。

じっさいこのクズは「ほんらいなら君は後輩だからわたしの言うことを聞かなきゃいけない」というようなことも言いました。
さすがにおじさんは言いました。

「社会に出て何十年も経って高校の先輩、後輩とかって言ってて自分で恥ずかしくないですか?」

哀れな愚か者よ。
話し相手が欲しいなら相手してやったのに。
手下なら誰もならないよ。
1年経たずいなくなったけど。
こんどはどこに飛ばされたのやら。

その2.
ギター仲間?と年齢の話になり、「干支は?」と聞かれたので「寅🐯」だと答えると「一緒じゃん!」という。
「えっ、〇〇さんも寅年なの?」と聞けば
「卯年🐰」
「…🦉」

「ちがうじゃん」
「でも学年はおなじでしょ」
「… … 🦉🦉 (どゆこと???) 」

「僕は早生まれ (1~3月) だから」

アホか!

そこまで同い年、いや同学年にこだわりたいのか!?
どうやらこいつは自分が年下だとおじさんに敬語をつかわなきゃいけないとか思ってたようだ。
おじさんは年齢はまったく気にしてない。
ふだんからも相手が年上だとか、年下だとか、国籍はどこかとか😄まったく気にしたことがない。
年下であってもだいたい敬語で話すし、相手が年下だったら威張ろうとか思ったことがない😂

中学生、高校生が「お前何年だよ」というのはまだわかるけど、40過ぎのおっさんが先輩、後輩ゆーな!

人と人が疎遠な関係へ

話を元にもどして、

こうして日本はほんらいの儒教の意味や目的はともかく、その悪い部分だけ吸収して成長させ、人と人が疎遠な関係になってしまったような気がします。

人と人が会ってただ頭を下げるだけの関係って、やっぱりさびしいですね。
それは「礼」ではなく「疎遠」「排他的」です。

そしてコロナ

もともと人間関係が疎遠だったところをもって、コロナ騒ぎ。
レジではビニールやアクリルの壁にマスク。

おじさんは西洋かぶれしているので以前は握手してたんだけど、こうなるとさすがにできません。
いや、おじさんのほうはもし「移されても」平気ですが、おじさんが「移すかもしれない」ことには抵抗があります。

いや、むかしからふつうの風邪やインフルエンザなど、移し移されるのが当たり前だったんだけど、これだけ騒がれると「そんなの関係ねぇ」とはいいにくいですね😅

日本人はもともと人と接触しないからコロナが広がりにくかったんだという説もあるけど、けっきょく人と人の間に完璧なウイルス障壁をつくることはできないので広がってしまいました。
それでいいんじゃないですか。

今頃になってはしかが流行っているのは、はしかのウイルスが蔓延しなくなったから抗体をつくらなくなったという皮肉な結果です。
終生免疫のはずが2度3度かかる人も出てきた。
終生免疫はそのウイルスが蔓延していてつねに抗体をつくりつづけているからなので、ウイルスにあまりお目にかからなくなれば無駄な在庫は抱えないのが生物の免疫システムです。
抗体をつくるのには資源とエネルギーが必要ですから。
しかも賞味期限があるので、一回つくったら死ぬまでOKではなく、古くなった売れ残り商品は一度も日の目を見ることなく破棄され、また新しい抗体をつくらなければなりません。

おじさんはもしコロナで死んでもだれも恨みません。
確率的にはガンがいちばん多いのだから。
毎年38万人が死んでる。
コロナで騒ぐな。

おじさんの場合は、最近誤嚥が増えたので誤嚥性肺炎で死ぬ確率のほうが高いかも。
ふつうの肺炎で毎年8万人。
誤嚥性肺炎で4万人死んでます。

コロナで何人死んだ?

また話がそれた。

韓国ドラマ

ドラマなんだけど世相を反映しているでしょう。

先輩にとても気をつかう

韓国ドラマを見ているととても気になるのが「先輩」という言葉と、後輩とのやり取りです。

たとえば先輩が後輩に「ジュース買ってくれ」というシーンがあります。
おじさんは韓国の実態を知らないけど、とくにジャイアン的なキャラじゃない人が言うので、やはりこういうのがあるんだと思います。
先輩が後輩にたかるなよ。
お前が後輩に買ってやれ。

また、敬語に対してもとてもうるさいです。
「年下のくせにタメ口利くな」なんていうセリフもよく出てきます。

韓国は日本以上に儒教の影響が大きい国だと思います。
韓国と書いたのは、北朝鮮の様子はまったくわからないからです😄
まあ似たようなもんでしょう。
上下関係に関しては。

少子化

先進国共通の問題だけど、儒教による人と人の隔たりがそのまま少子化にも貢献?している気がします。
世界で最低の出生率0.78人を記録した韓国。
日本は1.3人。
まあ2を切れば人口が減るのは誰でもわかります。
何歳で子どもを産むかというサイクルも関係するので単純に2-2=0という計算にはなりませんが。

また判で押したように2.1人なら人口が保てるって書いてるけどそれは先進国の安全で平和な国の話で、平均寿命も関係してくるので、平均寿命が30くらいの国では3人くらいじゃないと人口が保てません。

儒教がはいってきたのはずいぶん前だけど、その毒素が最後のとどめを刺そうとしている。

本家本元の中国では焚書坑儒 (ふんしょこうじゅ) など儒教を排斥する動きもありむしろ韓国や日本より影響がすくないです。

フランス

ヨーロッパや他の国でもハグの習慣は多いです。
アラブ人なんかも男同士でハグやキスしてますね。
いやゲイではなくふつうの挨拶として。

フランスに行ったときに印象的だったのは、カフェで友だち同士らしき人たちが3~4人いて、もう1人がやってくると全員、男も女も関係なく立ち上がってハグして頬にキスするんです。

これはフランスでは何度も見ました。
微笑ましい光景です。
こんなフランス人でもケンカしたり、戦争したりするんだろうけど、お辞儀だけの国より平和で幸せな感じがします。

フランスは特別ですね。
スペインやドイツではあまり見ませんでしたから。

日本もそこまでとは行かなくても、握手くらいしてもいいんじゃないかな🤝

やっぱりコロナが心配ですか?
あなたがコロナで死んだらそれは隕石に当たるくらいの、いや宝くじに当たるくらいの確率だと思ってください。
悲しいかな、日本では15~39歳までの死因のトップは自殺ですから。
年齢が上がるとトップの座を譲るのは自殺が減るからではなく、ガン、心臓、老衰、脳血管、肺炎が増えてくるからです。

ああ、90歳で末期がんで死んだ人のPCR検査をして死因がコロナだとか言わないでくださいね。

自殺と不慮の事故のちがい ~ 戯れ言

むすび

おじさんの時代 (40年以上前) でさえ論語だの孔子だのは学校でちょこっと出てきただけ。
中にはいい言葉もあります。
だから論語や孔子が悪いのではなくそれを悪用した支配者が悪です。

現代の若者は論語も孔子も知らないかもしれないけど、先輩後輩の図式は今も日本社会にはびこっています。
年上だから無条件で敬うのではなく、その人が人格的に素晴らしいから敬うのですよ。
人格的に素晴らしければ年下でも敬います。
そこんとこおまちがいなく。

さっちゃん
死ぬ前にケーキを食べとこ🍰
ひげおじさん
死ぬ前にビールを飲んどこ🍺

わたしは日本語教師をしています

プロフィール・レッスン予約はこちら。
表示名はToshiです。

https://www.italki.com/teacher/8455009/japanese

さっちゃん
わたしはさっちゃんです!watashi wa Sacchan desu!
ひげおじさん
わしはひげおじさんじゃ!washi wa hige-ojisan ja!

おじさんオススメの記事

飛行機はなぜ飛ぶか? ~「迎え角」と「コアンダ効果」

注目の記事

「右・左・右」はまちがい! 人は左から来た車に はねられる! 当たり前です!

話題の記事

シャンプーが水っぽくなるのはなぜ? (図解)

人気の記事

相手がえらんだカード (トランプ) を当てる! (カードマジック15枚)

<Sponsored Link>




<Sponsored Link>




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です