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「幸せ」「無関心」「想像力の欠如」
幸せの定義・条件
一般的に幸せの象徴とか、幸せである条件とか、幸せそうに見える人というのはどんなものでしょう。
まず、健康であること
たまに風邪を引いたりすることはあるけど2、3日寝れば治る。
慢性的な持病や、薬を飲んでも病院に行ってもけっして良くなることはない難病に冒されていない。
お金が充分あること
億万長者とはいわなくても、さしあたってお金の心配をすることがないこと。
今日食べるものがない。寝るところがないという危機とは無縁の状態です。
もちろん世の中何が起こるかわからないけど、そういう突発的な天変地異や事故や犯罪が起こる可能性ではなく、まあ今日も、明日もおなじように生活できて、どうなるかわからないという不安がないこと。
家族や恋人、友人がいること
好きで1人でいる人は別として、愛情があって温かい家庭と家族がいること。
結婚はしてないけど、おたがいに信頼して尊敬できる恋人や、気のおけない友人がいること。
そんなところでしょうか。
治る見込みのない病に冒されていてずっと病院のベッドの上。
あるいはお金がないので病院に行くこともできず、家もなく路上で苦しみながら明日生きているかどうかわからない。
自分に注意や関心を持つ人などだれもいない。
こんな人を幸せだという人はいないでしょう。
自分がやりたいことができている
これはかなり稀でしょう。
趣味でもかまわないのですが、仕事でこれができている人はこの世で最高の幸せ者です。
本人がどう感じるか?でしかない
しかし、健康で、お金もあって、家族もいるのに幸せでない人もいます。
つまり、人もふくめて物質的なものではかならずしも幸せにはなれないのです。
「本人がどう感じるか?」
につきます。
不治の病に冒されていていつも体が痛み、苦しく、日常生活も困難で、しかもお金がない、食べるものもない、身よりもない人が幸せに感じることはないと思います。
いっぽう、テレビで超売れっ子なのに自殺してしまう人がいます。
少なくありません。
なんであの人が?
あんなに人気で、仕事もあって、収入もあって、地位も名誉もあって、自分のやりたいことができていて何が不満なの?
だれから見てもこれ以上幸せな人はいないじゃないですか。
当人のことはだれもわからないので、それを超える苦しみがあったのでしょう。
人気はあったけどじつはその人はその仕事が好きではなく、仕方なくいやいややっていたのかもしれません。
テレビを見てる人はわからないけど、とてもつらい病気を抱えていたのかもしれません。
百万人に愛されていても、たった1人に愛されなくて自殺する人もいます。
いや、自分が自分を愛せないために自殺する人もいます。
そもそも幸せとは?
不幸でないこと。
幸せについて考えないこと。
たしょうの病気を持っていて、さほど裕福でもなく、独身でも、さしあたって今日、明日生き延びられるかという不安や懸念がない。
遠い将来はわからないけど、今のところ身のまわりにトラブルを抱えていない。
そういう人は幸せでしょう。
ほんとに幸せな人は
「幸せとは何か?」
「幸せかどうか」
などと考えません。
あって当然!
「わあ、わたしは〇〇がこんなにあるから幸せ!」なんて思わないものです。
あるのが当たりまえと思っているから気がつきません。
当たりまえとも思っていません。
そもそもその存在すら知らないから。
たとえば空気。
だれも空気があるから生きられる、空気があるから幸せなんて思いませんよね。
呼吸さえ無意識に行われます。
空気のありがたさ、いや存在に気づくのは溺れたときだけです。
もし、「〇〇があるから幸せ」って思うとしたらきっと何か不安や不満を抱えていてそれを見たくないので隠して、幸せだと思いたいだけでしょう。
比較するのはおかしいかもしれないけど、お金がある人が「お金があったら?」なんて考えないのといっしょです。
「幸せとは何か?」と考えた時点であなたは不幸です。
もう1つの幸せの条件
他人の苦しみや悲しみに無関心・無頓着であること
おじさんが60年ちかく生きてきて得た結論です。
カンタンにいうと
「感受性のない人」
「想像力のない人」
もっとありていにいえば
「バカ」
「アホ」
です。
1つしかないもの
東の「1つ残し」、西の「遠慮のかたまり」をまったく躊躇なく食べてしまう人です。
「ほかの人も食べたがっているけど、ほかの人に遠慮してる。気をつかってる」
「自分も食べたいけど、ほかの人も食べたいはず」
という想像などできない人です。
こういう厚かましい人はみんなに嫌われるけど、そもそも感受性と想像力がないので嫌われていることにも気がつきません😅
自分が手に入れれば、ほかの人の手にはいらない
食べものだけではありません。
自分がストーブの前に陣取ればほかの人はストーブに当たれません。
「自分が寒いんだから、ほかの人も寒いだろう。ほかの人もストーブに当たりたいだろう」などという想像はできるはずもありません。
自分がテレビの前に座ればほかの人はテレビが見られません。
ほかの人も見たいだろうからすこし端に寄るなんて芸当はできません。
勝負や試合に勝てば自分はうれしいけど、負けた相手はどんな悔しい思いをしているかわかりません。
たとえ、自分が負けた経験があってもです。
極端な例ですが、自分が試験に合格すれば、1人落ちる人がいます。
試験は極端かもしれないけど、どんなものでも自分が手にすれば、かならず手に入れられない人がいるのです。
あなたが生きるにはかならず何かを食べている
弱肉強食といってしまえばそのとおりですが、自分は何か他のものの犠牲の上に成り立っていることなど想像できません。
観光牧場で
「ねえねえユキちゃん (子羊) カワイイ🐑❤」
といってた女の子が、牧場のレストランでジンギスカンを食べて
「ねえねえ、この肉おいしいね🍖🍴」
と笑顔でいいます😋
彼女はきっと幸せです。
もちろん彼女には幸せの実感はなく
「わたしはこんなおいしいお肉が食べられて幸せ」
なんて思うこともありません。
でも、きっと彼女は幸せにちがいありません。
なぜなら殺されて自分の食事になった子羊の恐怖、苦しみ、悲しみ、痛みなど感じないからです。
カワイイといって撫でてた子羊と、おいしいといって食べた子羊が同じものだという想像ができないからです。
動物を食べてはいけないという話ではありません。
動物に感謝しなさいという訓話でもありません。
他のもの (人をふくめて) の痛みを感じない、想像できない人は幸せです。
知らぬが仏
ほんらい自分に関わるマイナスの要素に対していうのですが、他人の悲しみや苦しみに気がつかないこともおなじですね。
人の足を踏んでいても気づかない連中です。
傍若無人といってもいいです。
このことばみなさんよく使うけど、
「傍らに人無きがごとし (まわりに誰もいないかのようにふるまう) 」という意味です。
あなたはほんとに幸せになりたいですか?
物でも場所でもふんだくって人の反感など屁でもない。
平気なのではなく、感じないだけなんです。
かれらは幸せかもしれません。
でも、あなたはそんな人間になりたいですか?
想像力豊かなあなたがかれらとおなじことをすれば、人の苦しみや、また人の反感を感じてしまうのでむしろあなた自身が苦しむのではないでしょうか。