除夜の鐘はなぜ108つなの? ~四苦八苦

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「除夜の鐘」「108」「四苦八苦」

除夜の鐘が108つなのは…

いろんな説があります。

過去、現在、未来にわたって、それぞれ36の煩悩があるから

36×3=108ですね。

36なのは、「四苦」4×9=36だから。

また、「四苦八苦」で4×9=36、8×9=72。36+72=108だからという説も。

そもそも「四苦八苦」って何?

ブッダ
仏教から出た言葉だが、わしの言葉かどうかはちとわしもわからん(^^)

四苦

生老病死 (しょうろうびょうし)

1の「生」以外は説明するまでもないでしょう。

生 (しょう)

生まれる苦しみ。

生まれるのは、めでたいことじゃないの?

でも、人は「生まれた」瞬間から「老い」や「死」にむかって歩きはじめるんです。

だから、赤ちゃんは「泣きながら」生まれてくるでしょう。

老 (ろう)

年取るのはイヤですね。
うれしい人はいないはずです。

だから昔から、「不老長寿」の薬なんてものがあるかのように言われてきました。
現代もいっしょです。
どれだけ多くの人が「若返る」「若さを保つ」「健康を保つ」と謳う薬、健康食品、サプリメントに弄ばれていることか。

年とともに、確実に目は悪くなり、耳は聞こえなくなり、足腰は弱っていきます。
以前はできたことが、できなくなります。
これは誰にもさけられないのです。

病 (びょう)

これも生まれたときからついて回るものです。
年取ると、さらに病気になりがちです。

年取ると、話題は「病気」のことばかりです(^^)

「足が痛え」だの、「腰が痛え」だの…
「どこの病院の〇〇先生がいい」とか、「××病院はやめといたほうがいい」とか(^^)

死 (し)

最期です。

絶対、さけられません。

こんどはまわりの人が「泣きます」

でも、死ぬことは珍しいことでも、特別なことでもありません。
わたしも、あなたも、そしてイヤなあの人も…

死ぬことは珍しいことではないよ~ブッダのつぶやき

+四苦 (合わせて八苦)

  1. 求不得苦 (ぐふとっく)
  2. 怨憎会苦 (おんぞうえく)
  3. 愛別離苦 (あいべつりく)
  4. 五蘊盛苦 (ごうんじょうく)

この4つをさします。

求不得苦 (ぐふとっく)

読んで字のごとく、「求めても得られない苦しみ」です。

人はいつも「あれが欲しい」「これが欲しい」「〇〇だったらいいのになあ…」「〇〇があれば△△なのになあ…」という「欲」に翻弄され、手にはいらないので苦しみます。

渇愛 (かつあい)

これを「渇愛」といいます。

「愛」という字が使われていますが、仏教では「いわゆる人や物を愛する、大切にする」という意味ではなく、「もっともっと欲しいよ~」「まだまだ足りないよ~」という「限りない欲望」をあらわします。
それが手にはいれば、さらに「もっと」あるいは、また「他のものが」欲しくなります。

「欲望」はけっして「止む」ことがありません。

「けっして満たされることのない欲望に渇しつづけている」という意味です。

怨憎会苦  (おんぞうえく)

これも読んで字のごとく、

「怨み (うらみ) 」「憎しむ (にくしむ) 」人や物に「会う」「苦しみ」です。

学校や会社に行くと、かならず「イヤな」人、「コワイ人」がいますね。
学校に行く途中にいつもうるさく吠える「ワンコ」🐶がいるかもしれません。
病気や、事故という災難もつぎつぎと降りかかってきます。

「一難去ってまた一難」ですね。

人はいちばん痛いところが痛い!~ひげおじさんのつぶやき

これは誰もさけられません。

家族や、親戚にもかならず「困ったちゃん」がいます。

しかし、生きてる限りこれらはやはり「イヤでも」さけられないのです。

「求不得苦」が自分のほうに引き寄せたいという欲望なのに対して、「怨憎会苦」は自分から遠ざけたいという欲望です。

愛別離苦 (あいべつりく)

この場合も「愛」は「いとしいもの」というより、「執着」していて、あるいは「依存」していて「手放したくないもの」「手放せないもの」と考えたほうがよさそうです。

あなたが「愛着」と思っているものも、じつは「執着」にすぎないことがほとんどです。

もちろん大切な恋人や、家族と考えてもわかりますね。

ちょっと冷たく感じるかもしれないけど、ブッダは「愛しいものをつくってはいけない。家族にも執着してはいけない」といってます。

あっ! まちがえないでね。家族に冷たくしろと言ってるのではないんで。
あくまで、「執着するな」「依存するな」ということです。

家族や親戚、友だち、会社の同僚、部下などに「依存する」寄生虫のような人はほんとに迷惑です。
持ちつ持たれつではなく、一方的に「もたれかかる」人です。
友だちならそのうち誰にも相手にされなくなるけど、困るのは「会社の上司」とか「身内」の場合ですね。

諸行無常

どんなに大切な人でも、物でも、「いつかはかならず別れるときがくる」のです。

これは、生きてるうちに物理的に遠ざからなければならないこともあれば、仲が悪くなって別れることもあるでしょう。
ずっと仲良しでも、人はかならず寿命を終えるときが来ます。

どんなに大切でも、必要でも、「いつかはかならず手放さなければならない」のです。

それは「自分が持っている」と思っているものだけでなく、「自分自身」もです。
当然のことですが、わたしも、あなたも「いつかはこの世に別れを告げなければならない」日が来ます。

この世に、永遠に壊れないものはありません。
それは「物」だけでなく、「人間関係」もそうです。

この宇宙も、原子でさえいつかはかならず「終わり」をむかえます。

だからこそ、「新しいもの」を作りつづける必要があるんです。

諸行無常とは「すべて無くなるんだから空しい」という否定的な意味ではなく、「変わらないものはない」という意味なので、また「新しく生まれてくる」こともあらわしています。

「終わり」をむかえる宇宙や、原子がある一方、「新しく生まれる」宇宙や原子もあります。

「昨日の敵は今日の友」ということもあるので✌

五蘊盛苦 (ごうんじょうく)

これが厄介です。

というのはわかりにくいからです。
正直、おじさんもいまだによくわかりません。

般若心経に出てくる「照見五蘊皆空 (しょうけんごうんかいくう) 」の「五蘊 (ごうん) 」です。

「蘊 (うん) 」というのは人間を作っている構成要素。
「五蘊」とは「色受想行識」をあらわします。

う~ん…むずかしい!

五蘊盛苦はわからなくてもいいです(^^)

ものすごく大雑把にいうと、「この世は苦しみに満ちあふれている」という意味です。

色受想行識 (しきじゅそうぎょうしき)

これも般若心経に出てきますね。

般若心経を知らない人でも知ってる「色即是空 (しきそくぜくう) 」の「色 (しき) 」に始まり、「受想行識 亦復如是 (じゅそうぎょうしき。やくぶにょぜ) 」に続くところです。

「色」は「色気のあるもの」ではなく「色があるもの」「目に見えるもの」つまり単に「物質」という意味なので誤解なく(^^)
つづく「受想行識 亦復如是」は「受想行識」もまた同じだよ、という意味です。

「色」物質。体
「受」感受。感覚
「想」想念。
「行」心や体の動き。
「識」認識。

やっぱりよくわかりません(^_^;)

さっちゃん
今年はこんなことを考えながら除夜の鐘を聞いてみてね!
ひげおじさん
お寺は大晦日や葬式のときだけ行くものじゃないよ! 初詣をしてもいいし、盆正月でないときも行ってみてね!

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