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「聞く」「聞こえる」「他動詞」「自動詞」「情報」
よくある外国人のまちがい
「~というニュース・噂が聞こえたとき」
「この食べものが健康にいいと聞こえたので」
もちろん日本語母語話者なら「聞く」をつかうのですが、かれらはなぜ「聞こえる」をつかってしまうのでしょうか?
ああ、母語話者のみなさんなら正解を書かなくてもいいですよね😄
他動詞と自動詞
日本語は
「自動詞→他動詞」というパターンと
「他動詞→自動詞」というパターンがあるので、いつもどちらを先に書くか悩みます。
こんなこと悩むのおじさんだけだろうな。
たとえば
「驚く (自動詞) 」→「驚かす (他動詞) 」
「焼く (他動詞) 」→「焼ける (自動詞) 」
聞く (他動詞)
他動詞なのでかならず「目的語」があります。
日本語なら「~を」の対象があるはずです。
音楽を聞く。
話を聞く。
下線の音楽や話が目的語ですね。
基本的には
「自分の意志で」
「聞こうとして」
「熱心に・一所懸命に」
聞くときにつかいます。
聞こえる (自動詞。自発)
そもそもこの言葉の本来の形は「聞こゆ」です。
自発の「ゆ」
上代の言葉で
「自発」「受身」「可能」
を表します。
受身、可能といえば、現代語では「れる・られる」ですね。
「聞こえる」には「聞くことができる」という意味もあります。
「聞く」の可能形「聞ける」とのちがいは何か?
これはまた別の記事で書きます。
自発というのは「自然にそうなる」ということです。
「聞く」の未然形「聞か」に「ゆ」がついて
「聞かゆ (きかゆ) 」の音が変化して「聞こゆ (きこゆ) 」になりました。
この「ゆ」は現代語では「える」に置き換わっています。
例:
見ゆ→見える
燃ゆ→燃える
萌ゆ→萌える
消ゆ (きゆ) →消える (きえる)
潰ゆ (ついゆ) →潰える (ついえる)
ヤ行の音
したがって本来の発音は
eru ではなく yeru なんですが、
ヤ行の「yi, ye」はかなり早い時代にア行の「i, e」と同化してしまったのでひらがながありません。
ただ、万葉仮名ではこの2つのグループに当てる漢字は厳密に使い分けられていたので発音も区別していたようです。
「江戸」を yedo
「円」を yen
と書くのはその名残りです。
英語では
es と yes は区別しています。
east と yeast も然り。
ear と year も然り。
おなじ「える」の形の動詞で
「教える」「数える」などがこれまたたくさんありますが、これらは自発ではありません。
元の形は
「教ふ (おしう) 」「数ふ (かぞう) 」です。
だから無理やりひらがなで書くと「おしゑる」「かぞゑる」となります。
もちろん歴史的仮名遣いでは「おしへる」「かぞへる」と書きます。
これらの「える」の正しい発音は「eru」ではなく「weru」です。
したがって自発のヤ行の「yeru」とは発音も意味もちがいます。
「ゐゑ」はいちおうひらがなとして存在しましたが、「wu」はこれまた早い時代に「う (u)」と同化してしまったのでひらがながありません。
またハ行でワ行の音を表していました。
英語の listen と hear
英語では listen のほうが「聞こうと努力して聞く」
hear のほうが「かってに聞こえてくる」なんですが、自他は日本語とまったく逆です😮
listen が自動詞。
hear が他動詞。
だから listen は目的語を取るときは「前置詞」が必要になります。
listen to ~
I listen to the radio.
ラジオを聞く。
hear は他動詞なので前置詞は要りません。
I hear the radio.
ラジオを聞く。 (ニュアンスとしては日本語の「聞こえる」)
これも混乱の原因の1つですね。
聞こえるの例
自動詞なので目的語はありませんが、基本的に「音を出す物」が主語になります。
音楽が聞こえる。
花火の音が聞こえる。
鳥の鳴き声が聞こえる。
下線が主語です。
ここに「わたし」はいません。
これらは
「自分の意志に関係なく」
「聞こうとしたわけではなくかってに聞こえた」
「一所懸命に聞いてはいない」
けど
「聞こえる」ときにつかいます。
ここまではだれでも想像できます。
でもそんな単純な話ではなさそうです。
ただの雑音か / 言葉として意味・情報を持っているか?
「~というニュース・噂を聞いたとき」
「この食べものが健康にいいと聞いたので」
これらは自分から進んで「熱心に・一所懸命に」「聞いた」わけではありません。
それでも「聞こえる」ではなく「聞く」をつかいます。
ただの雑音・背景音→「聞こえる」
音楽が聞こえる。
花火の音が聞こえる。
鳥の鳴き声が聞こえる。
言葉としての意味・情報がない
これらは言わずもがなですが、人の話であっても
「言葉としての意味がない」
「内容がわからない」
「言葉として情報を持っていない」
ときは「ただの雑音」として扱われ「聞こえる」をつかいます。
人の話し声が聞こえる。 (何を言ってるか、内容はわからない)
だれかの叫び声が聞こえる。 (同上)
言葉としての意味・情報を持っている→「聞く」
この場合は
「自分の意志がなくても」
「聞こうとしたわけではなくても」
「聞く」をつかいます。
「~というニュース・噂を聞いたとき」
→ニュースや噂の内容を聞いて理解した。
「この食べものが健康にいいと聞いたので」
→「この食べものが健康にいい」という情報を得た。
だいたい、過去形でつかわれます。
耳にする。耳にはいる。耳に入れる
ニュース・噂・不特定の人の意見などを聞くことを「耳にする」「耳にはいる」という言いかたもします。
「耳にはいる」は「目にはいる」の仲間ですね。
例:
『社長は交代したほうがいい』という意見を耳にする。
一方、「耳に入れる」は積極的に情報を相手に伝えるときにつかいます。
例:
ここだけの話ですが、お耳に入れておいたほうがいいと思いましたので。
これらの例を見ると、あまり心地よい内容ではなく、他人に聞かれないようにこっそりと、という感じがしますね。
そもそも噂とは心地よいものではないので😅
「小耳に挟んだ」なんてのもあるけど、ここでは説明しません😄
微妙なニュアンスのちがい
ここまで読んだ方はつぎの2つのちがいがわかるでしょう。
「悪い噂を聞いた」
「悪い噂が聞こえてくる」
上は「噂の内容を知っている」
下は「有象無象の噂を聞いているが細かい内容は把握していない」
外国人には超難問
「叫び声が聞こえた」
「叫び声を聞いた」
上の例とあえて順番を逆にしました。
これは両方とも「叫び声の内容」はわかりません。
にもかかわらず「聞こえる」と「聞く」の2通りの言いかたをすることがあります。
上は「単なる叫び声という雑音が、自分の意志に関係なく、自然に」「聞こえた」ということです。
問題は下。
こちらも「内容はわからないただの雑音」なのですが、
「自分の意志ではなく、聞こうとしたわけではないけど、神経に刺さる音で感情を揺さぶられ心が動きそこから『何だろう?』『何と言っているのだろう?』『何が起きているのだろう?』という変化が起きた」ので「聞いた」になっています。
むすび
安心してください。
日本語母語話者のみなさんはこんなこと知らなくても考えなくてもちゃんと使い分けていますから。
ただ、日本語教師として外国人学習者に教えるには、この2つのちがいを理解し、説明できなければなりません。
わたしは日本語教師をしています
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