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「Russian」「Rallye」「ロシアン」「ラリー」
Russian Rallye ロシアン・ラリー 1999.4.27-5.5
たまたまバイク屋でオイル交換していて雑誌の記事を見た
その日が応募締切日だった!
これは何かのお告げか運命にちがいないと思い参加を決めました。
それは勘違いでした。
おじさんは直感が当たりません。
いつもハズレです💦
広いところを思いっきり走りたい!
とにかく広いところを走りたかったので申しこみました。
しかし、これもとんでもない勘違いでした。
事前準備
医療施設がない異国の山の中を走るので、血液型の検査と、破傷風の予防注射をします。
間隔を空けて2回しなければなりません。
生涯免疫にはならないようで4~5年ごとにする必要があるようです。
よほどひどい損傷を受けてそこに泥などがはいらないかぎりふつうはならない病気ですが。
子どものころからしょっちゅう膝っこぞう擦りむいて遊んでたけど、破傷風で死んだ人の話は聞いたことがないでしょ。
家に帰ってきてから赤チン塗って、風呂にはいるときはしみるのでハンカチをまいてはいってました。
気休めだったけど。
新潟港までがメチャクチャ遠い
当時、茨城県に住んでいたので300km以上の道のりをオフロードバイクに荷物を満載して高速道路で新潟港まで行くのが大変でした。
ナホトカ上陸
Находка (Nakhodka)
日本海をはさんですぐ対岸にあり緯度は札幌と函館の間くらいです。
すぐ西にはウラジオストクがあり、さらにその西にはすぐ中国の国境があります。
ふつうならビザの申請がいるのですが、日本の団体が主催するので特別にビザなしで入国できます。
あるいは団体で何らかの申請をしていたのかもしれません。
免許もナンバーもそのままです。
あくまで特別措置です。
税関は一応ありました。
Антони́на Нежда́нова アントニーナ・ネジダーノヴァ
アントニーナ・ネジダーノヴァはロシアのソプラノ歌手の名前です。 (ウィキペディアより)
船がホテル
宿泊は乗っていった船。
ラリーの間ずっと港に停泊しています。
朝出て、何ごともなければその日の夜には帰ってきます。
食事はすべてついているのでお金はいっさい必要ありません。
というか、船から出て、山の中を走り回り、船に帰ってくるので、店や商業施設はいっさいありません。
民家もほとんどありません。
もちろん自動販売機もありません。
毎朝、パトカーの先導
日本のナンバーと免許のまま走るので、市街地を抜けるまでパトカーが先導します。
それはありがたいのですが、現地の車を蹴散らしていきます。
マイクで何やら怒鳴りながら。
なんかこっちの信号が赤でも一般車を止めて走っていったような。
事情をよく知らない一般車がそのまま青信号を進もうとすると、それこそ拳銃をぶっ放すぞ!くらいの勢いで蹴散らします。
いやいや、そこまでしていただかなくても💦
というより、日本人の印象を悪くしてしまいます。
まるでわれわれ日本人が遊びにやってきて、我が物顔で走り回り、現地の人を踏みにじっているようではないですか。
ラリーの実際
ラリー初日
期待に胸をふくらませ港を出発します。
日本人が来てくれた (というよりお金を落としに来てくれた) ので歓迎式典がありました。
参加者はちょくせつお金を使うことはないけど、フェリーをチャーターして、停泊中も食事をつくるスタッフがいて、ラリーではガソリンを入れてくれます。
給油車
огне (ogne) 火
опасно (opasno) 危険な
「火気厳禁」ということですね。
けっこうお金がロシアに落ちています。
ラリー中はいっさいお金をつかわないけど、参加費用が50万円くらいだったかな?
独身貴族でお金あったから。
それに、外食とか、外酒とか、賭けごととかいっさいしなかったから。
ありがた迷惑な式典
式典をやってくれるのはいいんだけど、これは日本の主催者が悪い。
その日はラリーをやらずに市内見物とかにすればいいのに、昼過ぎまでやってからスタート。
それならそれで距離を短くするとか。
時間的にムリがあり、初日に真夜中の12時前までにもどってきたのは、おじさんをふくめ脱落組の5人だけ😄
コマ図のホルダーもないので人の後ろをついていくだけ
おじさんは応募締切の最終日に応募したのでほとんどラリーについて予習もしなかったし、準備もできませんでした。
寒いから、北極でも行けそうな分厚いジャンパーとオーバーパンツを用意したくらい。
ほかの参加者は弁当箱でコマ図のホルダーをつくっていました。
思ってたのとちが~う!泥沼
何もない広い平原を、6速全開で、時速100kmで巡航するイメージで行ったのですが、
現実はシートまで浸かる川を何本も渡り、泥沼では誰かに押してもらわないと動けないくらいの悪路でした。
悪路というより、道ではないですね。
前の年、モンゴルに行って馬に乗ってきたのでその印象が強くてかってに思いこんでいただけです。
人助けをしていて、自分がバック・マーカーに追いつかれ失格!
ラリーは本来はレースではありません。
古フランス語で「再び集まる」が語源です。
難所をみんなで助け合いながら進むイメージです。
しかし、おじさんは川でほかのバイクを押してるあいだに気がついたら最後尾になっていました。
水没
車でもバイクでも「空気」が必要です。
人間といっしょですね。
「空気」が取りこめないと「窒息」してエンジンが止まります。
一時的な窒息なら空気がもどれば息も吹き返すのですが、「肺」に水がはいってしまうと「人工呼吸」をしてやらなければなりません。
バイクはだいたいシート下についてる空気取入口 (エアクリーナー) とマフラーが上限で、それより深いところにはいると水を吸い込んで「溺れます」
セオリーは「なるべく波を立てないように静かに進む」ですが、ロシアン・ライダーを見てるととにかく勢いで行っちゃえ!という感じです。
じっさい、そのほうがいいみたいです。
やはり「理屈」ではなく、「経験」ですね。
おじさんはセオリーどおりゆっくり進んだのですが、水を吸いこんでしまいバイクが溺れてしまいました。
まだまわりに人やスタッフがいたので押してもらい、プラグを外してバイクを逆さまにしてシリンダー内の水を排出。
空キックを何十回もしてからなんとか再始動。
気づいたらまわりには誰もいなくなっていました。
そして、ついにバック・マーカーに追いつかれてしまいました。
この時点で「失格」
べつにレースで優勝しようと思ってるわけではないのでいいけど、バック・マーカーに追いつかれたらその時点で今日の走行は終了!
鬼ごっこで鬼にタッチされた感じです。
スタッフとともに船にもどらなければなりません。
結果的にはこれが幸いだったのですが。
船にもどるとおじさんとおなじ境遇の人が5人ほど。
まあ初日だし、レースに勝ちたいと思っているわけでもないので悔しくもありませんでしたが。
初日の晩飯は5人だけ
晩飯は5人だけ。
ほかの参加者はいつまでたっても帰ってきません。
さみしい催し物
初日の夕餉のあとは、催し物がありました。
ロシア舞踊を見せてくれました。
でも、観客は5人だけ。
誰も帰ってきません。
晩飯もすまし、踊りも見て、おじさんは4人部屋にもどり1人で寝ました。
ほかのメンバーがもどってきたのは12時過ぎてからでした。
あとで話を聞くと川渡りの先も例年になく荒れていたようで難儀をしたようです。
中にはミスコースして行方不明になり現地の人に助けられたという人も。
それはそれで貴重な体験だったかもしれません。
船の中で
まずい晩飯
とにかく腹を満たすだけ。
うまくなかったですね。
スープは味がないので、みんな塩やケチャップを投入してごまかしていました。
ゴミは窓から海に投げ捨てる
途中1日だけべつの港に移動する日がありました。
船室でくつろいでいると若いお姉ちゃんが部屋の掃除をしに来ました。
われわれが飲んだ酒瓶やジュースの缶をビニール袋に入れたところまではいいのですが、
次の瞬間、
船室の窓から海に投げ捨てました!
意味ないじゃん!
う~ん。
ロシア人はゴミを海に捨てるのね。
放射性廃棄物を海に捨てるのもむべなるかな。
日本人は「水に流す」といって、いまでも田舎ではゴミを家の前の川に平気で捨ててるけど。
ゴミは川の水に流されて下流に行って、自分の目の前からは消えてなくなるのできれいになったと思うようです。
物乞い
さて、つぎの日から気持ちを切りかえてラリーにもどります。
走るところは民家も商業施設もないようなところです。
いわゆるど田舎、あるいは原野というところです。
たまに民家があると村人が歓迎?してくれます。
でも、かれらにとって日本人は「お金を持っていて」「物をくれる」存在です。
エサを当てにして寄ってくる野良猫のような感じです🐈
おそらく何度かラリーに参加している人は小物を用意していてそれをあげてました。
おじさんはそんなことは知らなかったので何も持っていなくて、「何もないよ」という仕草をすると、逆ギレされます!
う~ん。それはちがうんじゃないかな?
「もらって当たりまえ」
「くれないのは悪人」
という「常識」が身についてしまっています。
「なくて当たりまえ」
「あれば感謝」
という気持ちを忘れたくないものです。
また日本人が貧しい国に行って、子どもに無造作に1000円とか渡してしまうけど、現地の1カ月の平均収入かもしれません。
自分の懐が痛まないからではなくて、相手のことを考えましょう。
ロシア人は野蛮人!?
基本的に参加者は日本人なのですが、現地のロシア人も走ります。
このへんのことも事前に知りませんでした。
特別参加という感じです。
途中から適当に混じってきて、いつの間にかいなくなります。
おそらく彼らはふだんからそのへんを走り回っているのでしょう。
走りが日本人とまったくちがう!
上にも書いたけど、川は勢いで「えいやっ!」で渡るもの。
じっさいそれでスタックしてるロシア人はいませんでした。
サポートカーなどいないし、車載工具などかぎられているのに、とつぜんフロント・フォークを外して分解・修理をはじめたりします。
日本人の感覚だと、絆創膏を貼るくらいのもんでしょうか。
それに比べると自分をふくめて日本人は弱いなと思いました。
よく生きてられるな、というくらい。
これはヨーロッパやアメリカに行ったときにも感じました。
オーストラリアではおばちゃんに「chicken」と呼ばれました🐤
ただこれは「言葉の問題」もあるんですけどね。
かれらが英語やロシア語がまったく通じない日本の地方に1人で来たら何もできないと思いますよ。
でも日本人はあまりにも守られすぎていて、1人じゃ何もできない。
チンピラ、ヤクザといった連中でさえ1人じゃ何もできない。
かならずどこかのグループに所属してないといられない。
いきがるのも、人に絡むのも1人じゃできない。
「俺を誰だと思ってるんだ!〇〇組の…」
とかならずグループ名をいわないと人にケンカを売れないようです。
パンク立てつづけに2回
来る日も来る日も泥沼。
平原を時速100キロ走行はありません。
泥や砂といったグリップの悪いところではタイヤの空気圧を抜くと接地面積が増えるのでいくらかグリップがよくなります。
でも、泥沼から抜け出してちょっと良さげな林道にはいったときに、前のバイクについていかなければ道がわからないのでそのまま走っていってパンクしてしまいました。
中でタイヤがリムとズレてチューブが引きずられてしまうんですよね。
そのためにビードストッパーがあります。
でもビードストッパーを入れといても、空気圧をもどさないと、段差や石ころなど踏んだときにタイヤとリムやビードストッパーにチューブがはさまれてチューブが破れてしまいます。
リアタイヤがパンクしたけど、そこは予備のチューブを用意していました。
チューブは前後用意していたんだけど、そこで驚愕の事実が発覚!
2本ともフロント用だったんです😄
パンク修理キットで修理してると、スタッフが手伝ってくれました。
それだけはありがたかったですね。
そして、すこし走るとこんどはフロントがパンク。
林道でパンクしたことは今まで1回しかなかったんだけど。
最長1日500km
フロントはチューブごと換えたからいいけど、リアはパッチを貼っただけです。
最終日には500kmのリエゾンが待っています。
同室の若い兄ちゃんが「日本まで持たないよ」と意地悪なことをいいます。
そんなことはわかっています。
ほんとにこいつのせいでラリーが不愉快なものになりました。
締切日に応募したので、禁煙室を希望したけどそれもかなわず煙い部屋にいなければなりませんでした。
バイク洗い
ラリーがぜんぶ終わったあと、洗車場でバイクを洗います。
日本に植物の種や病原菌などを持ちこまないために泥を洗い落とすのです。
そんなの自分でできるけどそこには子どもたちが待機していて洗ってくれます。
これも親切ではなく、雇用なんですね。
そのためにわれわれは大金を払っています。
アフリカツインのとこには大勢子どもが集まり、おじさんのTT-Raidにはあぶれた子が「しかたなく」やってきました😅
ここにも人間模様が見える。
最終日にジャンパーをもらう
最終日にくじ引きがあり、おじさんはガルルのジャンパーをもらいました。
でも、うれしくありませんでした。
平原をかっ飛ばすこともなく、道がわからないので、人の後ろについていくだけ。
同室の同行の若造は何かとケチをつけてくる。
東山温泉 (福島県)
新潟港にもどり、帰りは300km超を一気に家に帰るのはしんどかったので東山温泉に一泊することにしました。
予約もなく、泥だらけのジャンパーで断られると思ったけど泊めてくれました。
宿の若女将がとてもきれいに見えました😋
昔からいいますね。
山から降りてくると女性がきれいに見える。
日本に帰ってきてから口直しに北海道に走りに行く
広いところを思いっきり走りたいのでロシアに行ったのに、ぜんぜん楽しくなく鬱憤がたまるばかりで、その夏に北海道に走りに行きました。
いやあ、やっぱり北海道はいいよねえ♬