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「完了」「過去」「た」「たり」
「なら」「たら」のちがいを知るにはまず「た」を知らなければなりません。
た / だ
現代語で「完了」「過去」を表す助動詞です。
活用は
未然形:たろ
連用形: (ー)
終止形:た
連体形:た
仮定形:たら
命令形: (ー)
(ー) は「存在しない」ということです。
動詞の連用形に接続する
「見た」「聞いた」に対して、「読んだ」「遊んだ」「泳いだ」のように撥音便とイ音便は「だ」と濁ります。
濁るって「゛」がつくってやつね。
上の活用表の「た」に「゛」をつけてください。
ちょっと待って。
「聞いた」が濁らないのに「泳いだ」が濁るのはおかしくないですか。
前者は「聞く」というカ行のイ音便なのに対して、後者は「泳ぐ」というガ行のイ音便です。
また断定の「だ」とはちがうので注意が必要です。
母語話者の日本人には問題ないけど、外国人に教えるときはこのちがいがわかっていないといけません。
そして問題になるのが「たら」ですがこれは別の記事で書きます。
ここまではまだ根回しです😄
たり
古語の「完了」と「過去」を表す助動詞です。
完了の助動詞「つ」の連用形「て」+「あり」
→てあり→たり (→現代語の「た / だ」)
活用は
未然形:たら
連用形:たり / たっ
終止形:たり / たる / た
連体形:たる / た
已然形:たれ / たら
命令形:たれ
「たり」にはもう1つ「断定」を表す「たり」があります。
現代語の「これは花だ」の「だ」に相当します。
こちらは名詞に接続します。
また活用が微妙にちがいます。
これについてはまた別の記事で。
動詞の連用形に接続する
これは現代語の「た / だ」とおなじです。
例:
見たり。聞きたり。読みたり。飛びたり。
音便化するのは現代語の「だ」になってからです。
古語には活用の「乱れ」が多くあります。
いや乱れという勿れ。
「変化」です。
なにしろ現代語では「た」になってしまったのですから😄
「た」の形が出てきたのは鎌倉時代よりあとです。
中でも終止形の「た」は室町時代よりあとです。
古語から現代語の変遷では、古語の連体終止のつかいかたから現代語の終止形に至るものが多いです。
連体形
じつは現代語では終止形と連体形はおなじ形です。
だからわざわざ連体形を置く必要はないと思います。
例:
行く (終止形)
行くとき (連体形)
たとえば古語の「たり」は連体形の「たる」でつかわれるようになって、さらに「る」が落ちて「た」という形になりました。
そしてそれがふつうにつかわれるようになると、もはや連体形ではなく終止形として定着してしまったんです。
連体終止 (連体止め)
最近はやりの「よきよき」という言葉はおじさんは嫌いです。
これは「良し」の連体形の「良き」なんだけど、そのことわかってつかってんのか?
わかってねえだろうなあ😄
まあ遠からず消える流行り言葉の部類です。
グッドやナイスがすでに古くなってしまったので持ち出したんだろうけど長続きしないパターンですね。
連体形なのでもともとは「良き日」のようにうしろに名詞がつきます。
そして連体終止にすると断定より何かしらの心情を訴える表現になります。
「なんだけど~」というように、断定の形でなくそのあとに何かしら自分の気持や考えをふくんでいるという意味ですね。
いずれにせよ現代語では終止形と連体形はまったくおなじなので変わりようがありません😅
ちなみに「体言止め」は「名詞で止める」ということなのでちがいます。
例:
わたしが欲しかったのはこれ!
これから乗るのはあの飛行機!
これはこれで最後の名詞を強調する働きがあります。
たら
ここで注目すべきは未然形と已然形がおなじ「たら」という形だということです。
もともと已然形は「たれ」だったんだけど時代とともに変化し未然形とおなじ「たら」という形になりました。
已然形に「たら」という形が現れたのは江戸時代になってからなので、けっこう最近の話です。
未然形+ば
ほんらい仮定の意味を表すのは「ば」という助詞で「たら」は仮定の意味ではありませんでした。
未然形の「たら」+仮定の「ば」=「たらば」で「仮定」の意味を表していました。
なんせ古語には「仮定形」なるものが存在しなかったので。
已然形は「既にその状態になっている」という意味なので「たれば」は「~なので」という意味です。
仮定ではありません。
江戸時代になって已然形に「たら」という形も現れ、未然形の「たら+ば」と混ざり合ってというかグチャグチャになって、そのうち「ば」が取れてしまって「たら」だけで仮定の意味を表すように変わっていきました。
それが現代語の「たら」です。
なり
断定の助動詞「なり」もおなじ道を歩み、もとは
「なら (未然形) +ば (仮定の助詞) =ならば」で仮定を表していたのに、「ば」が取れて「なら」だけで仮定の意味を表すようになりました。
現代語の仮定形なら「なれ」という音になるはずですが「なら」で仮定の意味として定着しました。
数学など堅い文章ではAならば (⇒) Bという表現もつかいますね。
古語の已然形「なれば」が現代語では「仮定」の意味と同時に「当然」「必然」の意味も持つのはそのためです。
例:
春になれば (かならず) 桜が咲く。
ボタンを押せば (かならず) ドアが開く。
だから「タラレバ」と一括りにされますが、「たら」と「れば」はニュアンスがちがい場合によっては片方しかつかえないこともあります。
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