いろんな挨拶 (あいさつ) の語源 ~ やまとことば

greeting 挨拶2026-03-25

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「あいさつ」「語源」

はじめに

挨拶はどこの国でもネイティブは意味を知らずにつかっています。
意味を知ると
「ええっ、そんなの!?」というのもあるし、
「どこの人でも考えることはおなじだね」と納得してしまうものもあります。

挨拶の語源

おはよう (ございます)

お早く (おはや) ございます。

のウ音便。
やく→やう→よう→よー

古語ではウ音便は当たりまえで、西日本では今でもつかいます。

例:
もうすこし高く (たかく) →高う (たかう→たこう)

現代語にすれば「早いですね」ということ。

ございます

もとは「御座ります (ござります) 」
これがイ音便化して「ござます」になりました。

「書きて」→「書て」
「置きて」→「置て」

もそうですが、とにかく人間は怠け者です🦥
めんどくさい発音というのはそれだけ口や舌を動かさなければならないので、動かすのをやめてしまいます。
それで意味がわからなくならなければ。

御座 (ござ)

文字どおり「座ること」またその場所を敬う言葉です。
だから貴人 (身分の高い人) に対してつかいました。

御座有る (ござある) →御座る (ござる)

例のごとく省略・短縮します。

「有る」「居る」の尊敬語。

人類怠け者の法則ともう1つ何にでも使う法則により
「行く」「来る」の尊敬語としてもつかい、
さらにはたくさん使うと擦り切れる法則により尊敬の意味はなくなり
「惚れる」「気がある」「腐る」「 (腹が) 減る」という意味にまでつかうようになりました。

例:
この魚は御座った。 (腐った)
腹が御座った。 (減った)

現代風に解釈すると「いっちゃう」「なっちゃう」というような感じですね。

「この魚は御座った」は
「この魚はいっちゃった」みたいな感じでしょう。

否定形

室町時代:御座ない
江戸時代:御座らぬ

御座ります (二重敬語)

たくさん使うと擦り切れる法則により「ござる」の価値が下がってしまったので、これまた後ろに「まする」「ます」をつけて「御座り・ます」というようになってしまいました。

御座い

名乗るときに「空き樽屋でござい」などと申します。
現代人はつかいません。

漢字の使用について

今は説明のために漢字で書いていますが、
「ごさいます」「なさいます」などはひらがなで書きましょう。
漢字は主張が強いので「御座います」が目に突き刺さってほかの大事な部分の影が薄くなってしまうからです。

こんにちは

今日は。

「今日 (こんにち / きょう) は、いい天気ですね」
のように後ろに何かつけていたのが省略されました。

これを言いさしと言います。
言いかけて、その後ろは言わなくてもわかるか、言わなくてもいいこと、あるいはどうでもいいことは言いません。

おばんです

お晩です。

これは地域性もあるかな。
たぶん死語。

文字どおり夕方から晩にかけてつかう挨拶。
現代ではこんばんはに吸収合併されました。

こんばんは

今晩は。

これも「こんにちは」とおなじく「今晩は何?」と聞かないように。

昔の人は
「今晩は、月が綺麗ですね」とか
「今晩は、すこし冷えますね」とか言っていたのでしょう。

おやすみ (なさい・ませ)

お休み (なさい)。

つまり「寝ろ!」ということ😄

なさい

「なさい・ませ」の「ませ」が脱落したもの。

なさる (為さる)

「す」「なす」の尊敬語。
命令形は「なされ」。
時代劇で聞くことがあります。

「す」は現代語では「する」になっています。

「為す (なす) 」「成る (なる) 」で他動詞と自動詞の使い分けをすることもありますが、もともとのやまとことばは「なす」で「する」という意味です。

為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり

という言葉がありますが残念ながら浮世は「やればできる」というものでもありません😅
おじさんはとにかく勉強熱心で、技術を磨くことにも熱心でいろんなことをやってきましたがとにかくがありませんでした。
60年生きてきて実感したのは「この世は運でできている」ということです。

アイドルが世に出るかどうかは本人の努力や歌や踊りがうまいかではなく、たまたまその時代の多くの人がその人を「気に入った」というだけのことです。

また話がそれた。

「す」と「なす」のちがいはわかりません。
現代語とおなじように「す」のほうがあらゆる動詞の代用をします。

なさり・ます→なさい・ます (二重敬語)

「御座ります」とおなじく二重敬語です。

そして例のごとくイ音便です。
日本語のラ行は弾き音と言って舌先を上の歯茎の後ろに叩きつけなければならないのでエネルギーがたくさん要ります。
で、舌を叩きつけるのをやめちゃったんですね。

「ませ」は「ます」の命令形。

つまり「なさいませ」はていねいの皮を被った命令です😄
言いたいことは「しろ!」「やれ!」です。

もちろん「なされ」より「なさい (ませ) 」のほうがていねいです。

「ごめんなさい」もおなじ仲間ですね。

さよなら

もともとは「さようなら」
左様なら。

「左」は当て字。
然様 (さよう) とも書きます。

「さ」は現代語にすると「それ」「その」のこと。

つまり「左様なら」は「そのようなら」「それなら」「そうだったら」という意味。

現代語にすると
「それなら」
「じゃあ、そういうことで」

そこで
「何がそういうことなの?」と突っ込んではなりません😄

「ああそういうことね」とわかったふりをして受け流すのが日本人です。

バイバイ👋

しかし「さよなら」ももはや死語登録。
これをつかう日本人はほとんどいなくなりました。

外国人向けの日本語の教科書でも学校でも「さよなら」と書いてあり教えますが、現実界では「バイバイ」「じゃあね」などがふつうです。

おじさんは15年ぐらい前に岡山に来て「さよなら」という言葉がふつうに使われていて新鮮な感じがしたのをおぼえています。

じゃあ・それじゃあ

「それでは」の音変化ですね。
それが「それじゃあ」に変わり、さらに「それ」が取れて「じゃあ」になりました。

「左様なら」と考えかたはまったくおなじです。

「何がそれなの?」と聞かないように。

岡山弁「じゃあ」

これは本来の意味の「それじゃ (それだ) !」で相槌を打つときにつかいます。
共通語では「そうそう」「それそれ」ということです。

近年流行りのネット語で「それな」というのとおなじです。
「それな」はもともとどこかの方言らしいです。

知らんけど。

ひげおじさんがたまに「じゃあ」と言うけど、それは「それじゃあバイバイ」ではなく、「そうだね。その通りだね」という意味です。

ありがとう (ございます)

有り難く御座います。

「有る」ことが「難い (かたい) 」
つまり「有る」ことが「難い (むずい) 」ということです。
つまり「滅多にない」「とてもめずらしい幸せ」ということです。

「有り難い」+「御座ります」です。

「有難き幸せ」とも言いますね。
日常会話ではつかわないけど。

「アンビリーバボー」「ありえねえ」ということです。

蟻🐜 (あり) が十 (とお) ではありませんよ。

さっちゃん
言われんでも知ってらあ

おおきに

大きに。

「大きなり」の連用形から。
現代語だと「大いに」

これも「大いに感謝します」の「感謝します」が取れてしまった形ですね。

大きな・小さな vs 大きい・小さい ~ 古語から紐解くちがい

ごめんなさい (ませ)

御免なさい。

「免じろ」「許せ」という命令形です。
もちろんもとは「御免なさりませ」です。

謝るのに命令するな!と言わないように。

時代劇では殿が家臣に向かって
「許せ」
などと暴言を吐きます😄

謝る気あるのか。

すみません

済みません。

「済む」は「終わる」「解決する」という意味。

だから
「 (ただでは)  /  (このままでは) 済みません」ということです。
ほんらいなら迷惑かけられた相手が言うセリフですが、それを先回りして迷惑をかけたほうが言うわけです。

先手必勝。
先に言ってしまえば相手が言いにくくなるじゃないですか?
ちがうか。

だからよく言うじゃないですか。

「済みませんじゃ済まないぞ💢」って。

「済まない」という言いかたもあるけど、やはり「本気で謝る気ある?」と思ってしまいます。

すいません

これも天下のイ音便です。
これに目くじらを立てる人もいますが、それならあなたは「御免なさませ」と言いますか?

日本語教師のおじさんも「すいません」をよくつかいます。
ただ、これは口頭でわりと距離が近い関係の人に「些細なこと」に対してつかうか、店で店員を呼ぶときです。

ビジネス文書やメールでは「すみません」も論外で、
「誠に申し訳ございません」と書きなさい。

もうしわけございません

申し訳御座いません。

「申す (まをす→まおす→もうす) 」は「言う」の謙譲語ですがこれもたくさん使うと擦り切れるの法則にのっとり価値が下がってしまい、今ではただのていねいな言いかたになっています。

これも二重敬語なんだけど「申す」だけでは物足りないので「申し上げる」と言うようになっています。

「申す (もうす) 」は現代の丁寧語の「ます」の元になっていると考えられています。

「申し訳」は言い換えると「言い訳」つまり「弁解」という意味です。
言い訳のしようもありません。
弁解の余地もありません。
ということです。

ちょっと丁寧度が下がると「申し訳ありません」になります。

これは相手との関係によります。
あるていど距離が近い人にバカ丁寧な言葉をつかうとかえって、相手を遠ざける雰囲気が出てしまうので、このへんは言葉の機微として捉えましょう。

申し分ありません

よく似た言葉に「申し (ぶん) ありません」があります。

これは「言うことが何もない」つまり「満足している」という意味なのでくれぐれもまちがえないように。
謝罪のつもりが相手を激怒させることになってしまいます。

いただきます

頂きます / 戴きます。

2人合わせて「頂戴 (ちょうだい) します」とも言います。

「もらう」の謙譲語です。

やりもらい (授受) 表現 ~ 日本語

これは食事を振る舞ってもらったときに感謝の言葉として言います。
「この食事をわたしがもらいます」ということですね。

でもおじさんはちがう解釈をしています。
これは作ってくれた人に感謝を述べるのではなく、このに対して感謝を述べる言葉だと。

地球上のものはすべてほかの命を頂いています。
食物連鎖のピラミッドがあり、人間はその頂点にいます。
でも、人間だけでなくほかの生物もみなほかの生物の命を頂いて自分の糧としています。

食物連鎖のいちばん下はなんでしょうか?
微生物ですね🦠

でもちょっと待って。
微生物が最下層なのでしょうか。

人間もほかの動物も植物も寿命を終えると微生物に分解されます。
微生物に分解されるというのは、一言で言うと腐るということです。
もっと言うと微生物に食われるということです。

だから食物連鎖はピラミッドではなくになってグルグル回っているのです。

それどころか生きた状態でわれわれは微生物に冒されます。
有り体に言えば、生きた状態で微生物に食われています。

兎にも角にも、すべての生きものはほかの命を頂いているので、その命に対しておじさんは

「いただきます」と言います🙏

ごちそうさま (でした)

御馳走様。

漢字で書くと仰々しいですね。

「馳走」は文字どおり「走り回る」ことです。
この食事をつくるためにあちこち走り回って料理してくれた。

その感謝の意味をこめて「御馳走様」と言います。

これは「いただきます」に対して明らかに、食事をつくって出してくれた人への感謝の言葉です。

食事じたいを「御馳走」ということもあります。

ごそまつさまでした

御粗末様でした。

「ごちそうさま」に対して、食事を振る舞ったほうが言う言葉です。
日本人特有の謙遜ですね。

「いえいえ、そんな大したもんじゃありませんよ」ということです。

粗品なんて言葉もあります。
ほんとは今月の給料を使い果たしたかもしれないのに
「粗品ですが…」といって贈り物を渡します。

「つまらないもの」という言いかたもあります。

これも死語か。

いってきます

行ってきます。

これは説明の必要はないですね。
ただ、「行って来ます」と書くとちょっと変な言葉です。
ここには「行って→それから帰ってくる」というニュアンスが込められています。

ちょっと前は「言って参ります」と言いました。
「参る」は「行く」「来る」の謙譲語です。

返事の「行ってらっしゃい」についてはこのあと書きます。

ただいま

只今 (帰りました) 。

「ただ」は「たった」と音変化します。
人類怠け者の法則には例外があります。
法則にはかならず例外があります。
この場合、長くなってしまうのですが短すぎる言葉は聞き取りにくいので長くする法則があります。

「先 (さき) 」が「さっき」になるのもおなじ事情によるものです。

また「た」と「だ」はおなじ歯茎破裂音で連続して言いにくいので促音「っ」化するということも考えられます。

短いので言いかえられる言葉 ~ やまとことば

「只今何?」と聞かないように。

おかえり (なさい・ませ)

御帰りなさい。

「帰る」に命令形の「なさい」がついたのですが、解釈によってはちょっと変な言葉です。

文字どおり取ると
「帰りなさい」「帰れ!」という意味になります。
それは「ここから出て行け!」ということです。

だからこれは命令形ではなく「 (ようこそ) 御帰りなさいました」がもとの言葉かもしれません。
でも言葉はつかっているうちに、つかっているネイティブでも意味がわからなくなっていくものです。

本来の意味が消える法則です。

それでほんらい命令形なのに「ごめんなさいませ」とおなじ感覚で「おかえりなさいませ」と言うようになったのではないかと思います。
「ませ」が命令形ではなくただのていねいな言葉として。

ごめんください (ませ)

御免下さい。

「下さ」が「下さり」のイ音便だということはもう申し上げません。

「許してください」つまりもともとは「御免なさい」とおなじ。

ただこちらは謝罪の言葉というより「お邪魔します」の意味です。
時代劇では「御免」だけしか言わないこともありますが「ごめんください」も死語ですね。

いらっしゃい (ませ)

いらせられる→いらっしゃる

もとは「入る (いる) 」の未然形に尊敬の「す」と尊敬の「られる」がついたので二重敬語です。
「行く」「来る」「居る」「ある」の尊敬語。

人類怠け者の法則によりかなり音を端折ってしまいました。

いらっしゃ・ませ→いらっしゃ・ませ
についてはもう説明する必要もないでしょう。

現代語では「入る」も「居る」も「いる」で、しかも「居る」の尊敬語なので混同するのもむべなるかなですが、古語では「居る」は「る」なので語源としては「居る」ではなく「入る」なのです。

ああややこしや~。

「いらっしゃる」で「行く」「来る」「居る」「ある」とはずいぶん欲張ったものです。
これは文脈で判断するしかありませんね。

ほとんどの場合、店に呼び込むため、あるいははいってきたお客さんに「いらっしゃい」と声をかけます。

行ってらっしゃい

そもそも「いらっしゃい」が「行く」の意味なのに「行って+いらっしゃい→行ってらっしゃい」です。
「行って来る」のていねいな命令とも考えられます。
「行ってきます」のところにも書いたけど「行って来る」をもう1度掘り下げてみましょう。

来る

この場合の「来る」は「行きっぱなしではなくて戻って来る」というニュアンスがふくまれていますが、あまりその意識はなくなっています。

「あっ、財布忘れた!取ってくるね」
というのも家に取りに行って、またこの場所に「戻って来る」という意味合いが込められています。

「あっ、スーパーに買ったもの忘れてきた / 置いてきた」
なんかも厳密に分解すると
「 (スーパーに) 忘れた / 置いた→ (家に帰って) 来た」
ということになりますが、「きた」はひらがなで書いてあまり出しゃばらないのがふつうです。

はじめまして

初めまして / 始めまして

さっちゃん
冷やし中華かっ

そもそも「はじめ」「はじめる」というやまとことばは1つです。
物事の「まり」が「最」のわけです。
でもそれを「原初」と書いたり「原始」と書いたりします。
つまりもともとおなじなんです。

ちなみに
初め。始め。
初めて。始めて。
どちらも使えます。
習慣的に初の漢字をよくつかいます。
それに対して動詞の「はじめる」は「始める」をつかうことになっていますが、なんども言うようにやまとことばは1つです。

漢字の弊害で、便利だからとむかしの日本の学者さんがなんでもかんでも使いすぎたんですね。
それで現代の日本人はいい迷惑です。

だから使い分けろと言いながら、どっちの漢字でもよかったりニコイチでつかったりします。

ニコイチ熟語 ~ 使い分けろと言いながらいっしょに使う

「はじめまし」とテ形なのでほんらいはその後ろに何か言葉が続きます。

「はじめまして、田中と申します」とか
「はじめまして、よろしくおねがいします」とか。

これもほかの挨拶とおなじく後ろが省略されてしまったパターンです。

「どうもどうも」なんかもそうで「どうも何ですか?」と聞かないように。

よろしく (おねがいします)

夜露死苦、もとい宜しく御願いします。

「よろしい」は「良い」のていねいな形、あるいは控えめな言いかた。
「よろしくお願いします」の「よろしく」は
「可もなく不可もなく」「ほどよく」「ちょうどいい塩梅に」という曖昧でテキトーな言葉です。
積極的に「良く」ではないのです。

そもそも

よろし

「よろし」の古形は「よらし」
なんと「寄る」という動詞が形容詞化したものです。

もとの意味は
「近づき寄りたい」です。

それを知ると「お近づきになりたい」とも取れます。
ただ現代では「うまいこと、ほどほどに、いい塩梅にやってよ」という意味になっています。

さほどでもない

そもそも「良し」という言葉があるのに「よろし」という言葉ができたのは、

「まあ悪くはないんじゃないの」
「べつに取り立てて言うほどのもんじゃない。まあふつうだね」

という守備範囲を与えられたからで、もっと言うと

「平凡」「並み以下」「大して良くない」ぐらいの否定的な意味でした。

ランク

良し→よろし→わろし→悪し (あし)

両端が「良し」「悪し」で、真ん中の「よろし」「わろし」は中ぐらいの意味。

「わろし」は「めちゃくちゃ悪いわけじゃないけど良くもない」というレベルです。

「あの人、悪い人じゃないんだけどね」
が「わろし」の部類でしょうか。

悪い人じゃないけどけっして良い人ではない。
どちらかというと悪い人です。

そもそもほんとにいい人は「悪い人じゃないんだけどね」なんていう言われかたはしませんから。

挨拶の語源

最後になったけど挨拶の語源です。

「挨」は「押す」、「拶」は「迫る」の意味で、
禅家で門下の僧に押し問答して、どれぐらい理解しているか、悟っているか確認することでした。

謎かけというか、訳のわからない質問をして、修行僧がなんと答えるかを見るのです。

その答えによって
「お主、なかなかやるな」と判断されるか
「まだまだ青いのう」と判断されるか。

これがいわゆる禅問答ですね。
答え、正解のない質問といってもいいです。

挨拶は時の氏神

この諺の「挨拶」は「仲裁」という意味です。

ケンカしたときにどっちも引っ込みがつかなくなるんだけど、そこに現れた仲裁役は絶妙なタイミングで現れた神さまのようだということです。

「んんん。あんたがそう言うんならしかたない…俺は悪くないけど」
と振り上げていた拳を収めるのです。

しかし世界中の国は戦争をやめませんねえ。
世界中の国が仲裁にはいるのに。
もういい加減やめてくれませんかねえ。

けっきょくとばっちりを食うのは庶民なんですよ。

さっちゃん
あいさつだけでお腹いっぱいだわ
ひげおじさん
わしもこんなに長くなるとは思わなんだ

わたしは日本語教師をしています

プロフィール・レッスン予約はこちら。
表示名はToshiです。

https://www.italki.com/teacher/8455009/japanese

さっちゃん
わたしはさっちゃんです!watashi wa Sacchan desu!
ひげおじさん
わしはひげおじさんじゃ!washi wa hige-ojisan ja!

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