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「墓」「要らない」
おじさんはお寺で草刈りや掃除をしています
墓は要らない
おじさん個人の気持ちです。
世の中のお墓を否定するのではありません。
お墓は誰のもの?
遺族のもの
お墓というと「死んだ人が眠る場所」というのが一般的な解釈でしょうが、お墓の下には誰もいません。
お墓は遺族のものです。
故人を思い出す場所
残されて現世にいる人が、死んだ人を思い出して懐かしむ場所です。
お墓参りをしたり、掃除をしたりしながら故人のことをあれこれ思い出すんです。
死んだら何も残らない
現実には死んだら何も残りません。
おじさんは魂はないと思っています。
大昔から人類はドンドン増えて今は78億人。
魂と肉体の数が合わない
魂も分裂したり、増殖したりするんでしょうか?
日本ではすでに人口が減りはじめています。
はいれる肉体が減っていくと、宿る場所のない魂はどこかで漂っているのでしょうか?
人間が人間に生まれ変わるとはかぎらないので、虫や動物など全体で辻褄を合わせているのでしょうか?
虫や動物ではなく、阿修羅とか、餓鬼なんかもあるんだけど。
そもそもいまの宇宙が生まれたのが138億年前。
地球が生まれたのが46億年前。
燃えたぎるドロドロの塊。
そこに生命がいるはずもありません。
地球が冷えるまでどこかで魂は待機していたんでしょうか?
まあ輪廻や生まれ変わりも信じていません。
ブッダの言ったとおり、また人間に生まれ変わって苦しむなんて地獄です
生まれ変わりたいと思う人はよほど現世が恵まれていた人ですね。
ちなみに人間に生まれるのは85万年に1回だそうです。
だから生まれ変わりとか考えてないで、いまの人生を楽しみましょう
散骨その他
日本では遺体を焼いて残った骨を埋めるのが一般的です。
土葬
もともとは土葬です。
世界的にもこれがいちばん多いでしょう。
遺体をそのまま放置しないのは、死者に対する気持ちもあるけど、腐っていく死体をまいにち眺めるのは気持ちのいいもんじゃないし、病気が流行る原因にもなります。
土に埋めるのが自然です。
わざわざ焼こうと思う人はいないでしょう。
また人1人焼くのは大変なことです。
燃料が大量に要ります。
水葬
インドなどではガンジス川にそのまま流します。
そこで人々は沐浴もし、水も飲みます。
これでは病気が蔓延するのも無理はありません。
日本では「水に流す」という言葉がありますが、自分の目の前のゴミは流れていっても、それは下流に流れていってそこで水をつかう人もいる。
自分の上流でもだれが何を捨てているかわからない。
火葬
火葬になったいちばんの理由は土地の問題でしょう。
死んだ人をぜんぶ土葬にしていたら、人が住む場所より墓のほうが多くなってしまう。
そしてもう1つは衛生上の問題。
地中に埋めるけどそのまま埋めればとうぜん腐敗します。
そこから疫病が広がるとよくないので焼くことにした。
鳥葬
日本では法律上できないようですが、おじさんはこれでもいいと思います。
もちろん死んでからですよ
子どものころは残酷だとか、遺体を粗末に扱っていると思っていたけど、おじさんも60になってすっかり考えが変わりました。
人間もあらゆる生命の1つにすぎない。
死んだらほかの動物に食われたり、微生物に分解されて土にもどっていくのは自然の摂理だと思うようになりました。
そして、それがまたほかの植物の養分となり、その植物を食べる動物がいる。
こうして生命はグルグル回っているんです。
ただでさえ人が住むところがない日本で、これ以上墓を増やすのはどうなのか?
まあ人口が減りはじめているのでそれにしたがって墓も増えるスピードが落ちていきますが。
家は住む人がいなくなれば朽ちていくけど、墓は基本的に永遠になくなりません。
百年、二百年、もっと経って、墓のめんどうを見る人もいなくなって、だれの墓かもわからなくなって朽ちていくことはあります。
散骨
これはやはり焼く必要があります。
これをやる人がすくなければいいけど、みんながみんなやるようになると、その遺灰の量も半端ではなく問題になるでしょう。
やはり焼かずに動物や微生物の餌になって土にもどるのがいちばんいいですね。
みなさんあまり考えたことがないと思うけど、身のまわりには虫や動物の死骸がないでしょ。
たまに道路で猫が轢かれていることはあるけど。
虫ならだいたいアリが持っていきますね
もし野生の動物が死んでも、ほかの動物、おもにカラスなどがその死体を食べることがなく、また微生物が分解することがなければ、地球上は死骸であふれかえっています。
おじさんはそういう動物たちとおなじように食べられたり、分解されればいいと思います。
もちろん死んでからですよ
こうして人間も動物も植物も微生物もグルグル循環している。
これがほんとの「輪廻」かもしれませんね。
そういう意味では輪廻から解脱することはできないのかも
故人は遺族の心にある
墓をつくらなくても、故人の思い出は遺族の心の中にあります。
ときどき思い出して懐かしいな、と思えばそれでいいと思います。
だんだん忘れていく。
それも自然なことです。
生きている人は、自分をふくめまわりの人間も生きている人の中で生きています。
死者のために生きているわけではありません。
明日はあなたも他の人もいないかもしれない
よく死んでから「もっと話をしとけばよかった」などと言う人がいるけど、死んだ人は口を利きません。
いま生きている人を大切に
そんなこと言う暇があったら、いま生きている人を大切にしてください。
自分をふくめて。
自分のまわりの人と挨拶をし、笑顔を投げかけ、話をし、やさしくしてあげましょう。
そうすれば後悔しません。
おじさんも身のまわりでとつぜん人が死ぬことがあります。
朝、挨拶した人が、昼には事故で亡くなる。
でも「朝、挨拶しといてよかった」と思います。
昨日も会って話をした。
だから不思議と悲しみや無念はありません。
ああ、死んだんだ。
もう2度ともどってこない。
でもおじさんには悔いがない。
死んだ人のことを嘆くより、いま生きている人を大切にね
そして自分もね。

