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「漢字」「日本語」「語源」
漢字は日本になかった文字をもたらしてくれたけど、そのことでもともとの、やまとことば (日本語) の意味がわからなくなってしまったものがたくさんあります。
もともとのやまとことばの意味がわかれば納得するものを集めてみました。
これを知れば漢字にも興味が湧くかもしれません。
そもそも漢字はすべて当て字
最近の歌詞にとても多くて気になる当て字。
「理由」と書いて「わけ」
「瞬間」と書いて「とき」
「未来」と書いて「さき」など。
まあ言葉遊びの一種ですが、歌の場合、文字数の制限もありますね。
ただそこまで欲張らずにつかえる言葉をつかえばいいと思います。
それが作詞家の能力でもあるはずです。
やまとことばの「わけ」には「理由」という意味があるので、わざわざ漢字にしなくてもそのままひらがなで「わけ」と書けばいいと思います。
「この先が不安」などのように「さき」には「未来、将来」という意味もあります。
未来という漢字がつかいたいなら、「みらい」と読めばいい。
「五月蠅い (うるさい) 」はどこぞの文豪と呼ばれるお方が小説でつかったそうです。
しょせん漢字はすべて当て字なんだけど、一部の人 (いやたった1人か) がつかったものをありがたがったり、それが全国的にも国語分科会的にも認められているかのように翻弄されるのは愚かです。
おじさんは漢字はおもしろいと思うけど、それに踊らされる日本人はかわいそうだと思います。
黄泉の国
蘇る。甦る。黄泉帰る (よみがえる)
「蘇」も「甦」ももともとは当て字です。
「蘓」という字体もあります。
さらに「魚の下が大」のパターンもあります。
「衡」の真ん中の字です。
残念ながら単独でこの漢字を表示できません。
「よみがえる」を「黄泉 (よみ) + 帰る (かえる) 」
と書けば意味がわかります。
黄泉の国 (死者の世界) から帰ることですね。
「黄泉」でなんで「よみ」というのか?
これも当て字だからです
日本ではもともと死者の世界を「よみ (のくに) 」と呼んでいたところに、中国から漢字がはいってきて、中国では死者の世界を「黄泉」と書いたのでそれを日本では「よみ」と読むことにしました。
黄泉帰る (よみがえる) → 「見るな!」3枚のお札 ~ 古事記
体
爪
冷たい (つめたい)
爪痛し (つめいたし) →つめたし→つめたい
古語の形容詞語尾「し」は現代語では「い」に変わっています。
「うつくし」→「うつくしい」のように「し」の後ろに「い」が加えられたもののほうが多いですね。
例:
たのし→たのしい (楽しい)
うれし→うれしい (嬉しい)
かなし→かなしい (悲しい)
躓く (つまづく)
爪 (つま) + 突く (つく)
現代語表記では「つまずく」と書くことになっています。
でも語源からすればとうぜん「つまづく」です。
「近付く」は「ちかづく」です。
国語分科会は連濁によって「゛」がついたときはもとの文字 (す、つ) を使うべしといっているにもかかわらずこのようなトンチンカンな表記をさせます。
国語分科会のみなさん、もうちょっと考えてください。
「つまずく」と書くことで意味がわからなくなっただけでなく、本来「つまずく」は誤りで「つまづく」が正しいのにテストで「つまづく」と書くと×をつけられます
なまじ言葉の意味をちゃんと知っている人ほど不正解にされます。
またこんな問題を出す先生をどうかと思います。
首
頷く (うなづく)
項 (うな) + 突く (つく)
項 (うな、うなじ) は首または首の後ろのこと。
これも「うなずく」と書くことになっていますが、おじさんは「うなづく」と書きます。
仲間に「項垂れる (うなだれる) 」があります。
「ず」か「づ」か?
これはほんとに頭の痛い問題で、おじさんが個人でブログを書く分にはどうでもいいけど、外国人に日本語を教えるときには大問題です。
「日本人も使い分けできていません」といって慰めますが、日本語能力試験を受ける学生に対しては「現行の日本で決められている日本語や読みかた」を教えなければなりません。
ただでさえわかりにくい規定に加え、「つまづく」を「つまずく」と書かせるお役所。
「力づく」も「力尽く」なので「づく」と書くべきところを、国語分科会は「ずく」と書かせます。
かつて国語審議会と呼ばれていたものは現在、
「文化庁文化審議会国語分科会」というお経みたいな名前です。
ここで働いてる役人でさえきっとまちがえるな😄
腹
片腹痛い。傍ら痛い (かたはらいたい)
ほんらい「傍ら (かたわら) 痛し (いたし) 」で、
「傍ら (そば) で見ていて気の毒だ」という意味です。
旧仮名遣い (歴史的仮名遣い) で「傍ら」を「かたはら」と書いて、発音は「かたわら」なんだけどむかしの人は文字の読み書きができませんでした。
できてもひらがなだけ。
「かたはらいたし」という文字を見て「片腹痛し」だと思ってもムリはない。
自分の辞書でしか検索できない
話はそれるけど、おじさんは子どものころ「東名高速」は「透明」なのになんで見えるのか不思議でした。
ほかにも「台風一家」というおそろしい家族がいるのかとか、「骨折りゾーン (のくたびれもうけ) 」ってとても危険な場所なのかとか、およそ自分が頭の中に持っている辞書 (知ってる範囲の言葉) でしか理解できないのでこういうことはよく起こります。
ああ、いちおう正解を書いておきますね。
台風一過。骨折り損のくたびれ儲け。です。
話をもどします。
「片腹」と解釈したことで、意味も「腹の横がむずがゆい」→「くだらなすぎて笑っちゃうよ」という意味になってしまいました。
また「片方の腹」とすることで「お腹をかかえて大笑い」ではなく「つまらない」「くだらない」というニュアンスも生まれました。
現代語でも「痛い」を、「みっともない」とか「恥ずかしい」という意味でつかいますね。
他人のことにつかいます。
「痛車 (いたしゃ) 」など。
物
簪 (かんざし)
髪挿し (かみさし) の音変化。
自然
黄昏 (たそがれ)
「誰そ (たそ) 彼は」
あれは誰? からできた冗談みたいな言葉。
人の見分けがつきにくい時間で夕方をさします。
黄昏は当て字です。
それに対して「かわたれ (時) 」があります。
「彼は (かは) 誰 (たれ) 」
単語を入れかえただけですがこちらは明け方をさします。
現代人は夕方から夜は活動するけど、夜明け前に活動することがなくなったので「かわたれ」のほうはつかわれなくなりました。
東雲 (しののめ)
篠 (しの) の目
篠竹で編んだよしずから漏れる光、あるいは篠竹のように雲間から光が射し込む様子から。
「篠」は「しの」とも「ささ」とも読む。
「笹」は国字。したがって音読みはない。
「しののめ」は雲のことではなく「明け方」という時間帯のこと。
その他
承る (うけたまわる)
受け (うけ) + 賜る (たまわる)
たまわる (賜る / 給わる)
「もらう」の謙譲語。≒「いただく」
「謹んでお受けいたします」の意。
ちなみにおじさんの知るかぎり、漢字1字でいちばん音 (ひらがなの数) が多い字です。
「うけたまわ」の5字です。
それもそのはず、もとは「受け賜る」ですからね。
もう1字、「忝い / 辱い」で「かたじけない」がありますが、時代劇でしか聞きません。
もったいない、ありがたいという意味です。
あっ、ちなみに「ない」は「無い」ではなく形容詞語尾なのでおまちがいなく。
「かたじけ」というものが「無い」のではなく、「かたじけない」という形容詞です。
「忙しない (せわしない) 」も「忙しく無い」のではなく、「とても忙しい」という意味です。
基づく (もとづく)
元+付く
これは「もとづく」と書くんですね
国語分科会のみなさん、統一してください。
礎 (いしずえ)
石+据え
土台となる石。
2人合わせて「基礎 (きそ) 」です。
顧みる。省みる
返り + 見る
そのまんま「振り返って、見る」です。
物理的・空間的に振り返って見るという意味から、時間的に過去を思い返す、さらにはそれに「反省」の気持ちがはいることにもつかいます。
だからふつうの「かえりみる」は「顧」をつかい、反省する気持ちがあるときは「省」と書くことになっていますが、はっきりいってどっちでもいいです
やまとことばは1つ。
それに過去を振り返るときは多かれ少なかれ「後悔」の念がありますから。
ただ過去を思い出したり、楽しいことを思い出すときに「かえりみる」はつかいませんね。
邪 (よこしま)
横しま。横向きであること。→正しくないこと。
古くは「横様 (よこさま) 」といいました。
とくに「正しくないこと」のほうを「よこしま」といって区別するようになりました。
逆様 (さかさま) を「さかしま」ともいいます。
古くは「倒」「逆」1字で「さかしま」と読みました。
「しま」「さま」は「様子 (ようす) 」を表す接尾語です。
「逆さま」は「逆さ (さかさ) 」とも言いかえられます。
逆さまになる=逆さになる
「様」はとうぜんやまとことばの「さま」に「当てた」漢字です。
もとは「樣」と書き、「様」は略字です。
番外
入る
これも悪徳代官による悪徳漢字です😄
いやはやこの漢字は「はいる」とも「いる」とも読みます。
「入る」と書いてあると「はいる」と読むのか「いる」と読むのか日本人でもわからないことがあります。
わかったとしても、毎回「これはどっちかな?」と考える時間があります。
その結果、わからないこともあります。
どちらでも意味が成り立つときです。
「入れません」
と書いてあったらなんと読みますか?
「はいれません」
物理的に、あるいは許可がないので「あなたがはいれない (不可能) 」のときと
「いれません」
権利あるいは個人の気持ちの問題で「誰も入れない (禁止) 」のときがあります。
だからおじさんは「はいる」のときは意地でもひらがなで書きます
でもうっかり長い文を変換すると「入る」に変換されてしまうのでひらがなにもどします。
恐るべし、お上の力。
這入る
そもそも「はいる」は「這い入る」です。
読んで字のごとく、「這って、はいる」です。
「いる」には同音異義語がわんさかあって日本人同士でもしょっちゅう誤解と混乱を招きます。
入る、居る、射る、要る、煎る、炒る、鋳るなど。
後ろのほうは「熱を加えて処理する」というおなじ意味の言葉ですね。
ここまで使い分けが必要か?と思います。
細かいことを言うと、「要る」は「入る」とおなじ語源。
「居る」はほんらい「ゐる (wiru) 」なのであきらかに「いる (iru) 」とはべつの音だけど現代ではそのちがいはなくなってしまいました。
また「いる」は音も短いので聞き取りにくいです。
それで「這入る (はいる) 」という言葉がつかわれはじめました。
現代語では「入る (いる) 」という辞書形でつかうことはまずないけど「入ります」「入れません」「入ってください」というような活用ではよくつかいます。
「入ります」「入ってください」あたりならみんな「はいります」「はいってください」と読むだろうけど、「入れません」はどちらか悩みますね。
参考:
デジタル大辞泉 小学館
新明解古語辞典 第二版 三省堂
標準 漢和辞典 旺文社
新漢語林 第二版 大修館書店
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