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「受身」「直接」「間接」「迷惑の受身」
直接受身はあまりつかわない / つかわれない
ワクチンを打つ
さらに日本語では主語はもちろん目的語の「を」も省略する / されるのでこんな文章になります。
「ワクチン打った?」
「うん。打ったよ」
厳密に言えば、ワクチンあるいは注射を打つのは、看護師さんやお医者さんであなたではないですよね。
英語的に理論的に考えるなら、
「看護師さんがわたしにワクチンを打った」
主語:看護師さん
間接目的語:わたし
直接目的語:ワクチン
動詞:打った
「わたし」を主語にするとこうなります。
「わたしは看護師さんにワクチンを打たれた」
主語 (主題) :わたし
副詞句:看護師さんに
直接目的語:ワクチン
動詞 (受身形):打たれた
だから厳密に言えば前の部分を省略したとしても
「ワクチン打たれた?」
「うん。打たれたよ」
となります。
でも、日本語では受身をつかいません。
外国人学習者は be shot で「打たれた」と言ってしまいます。
まちがいとは言い切れないけど、自然な日本語でないことは確かです。
主語を省略するから
日本語ではわかりきったことはいちいち言いません。
2人で会話をしているときには、自分か相手が話題の中心です。
第3者が話題に出るときは「田中さんは」のように言わないと「誰?」ということになります。
上の例文であれば
「ワクチン打った?」
という質問は相手に聞いているのだから
「あなたはワクチンを打ったか?」
ということがわかります。
だから「あなたは」は言いません。
また相手に
「わたしはワクチンを打ちましたか?」
と聞くことはありえませんよね。
もしそんな質問をすれば
「 (おまえが打ったかどうかなんか) 知らねえよ!」
となります。
「うん。打ったよ」
もそれは自分のことだと話し手も聞き手もわかっています。
話題に関係ないことも省略する
この話題で大事なことは「ワクチンを打つ」ということで、その対象は誰だかわかっているし、打つ人が看護師さんなのか、お医者さんなのか、田中さんなのかはどうでもいいことです。
だから、主語と「どうでもいいこと」は省略します。
自己注射をする人は稀なので、「ワクチンを打つ」といえば病院で看護師さんか、お医者さんに「やってもらった」ということはわかりきっています。
主語と動作者不在
この日本語の「主語不在」「動作者不在」ということが「受身」をつかわない理由の1つになっていると考えられます。
(「考えられる」も「考える」といえば「わたしの考え・意見」です。「考えられる」は「受身」と「可能」の両方の可能性があります)
もし、この文章で看護師さんが出てくれば
「看護師さんがわたしに打った」と言わないとおかしくなります。
「わたし」を視点に話す
さらに日本語では主語の「わたし」を省略するだけでなく、「わたし」目線で話します。
だから、ふつうは
「彼がわたしにプレゼントを与えた」
という文章構造をつかうことがなく、日本語の文章構造・視点・イメージの浮かべかたからすると、
「 (彼がわたしに) プレゼントをくれた」か
「 (わたしが彼に) プレゼントをもらった」になります。
さらにいうと「わたし」目線が主なので、「くれる」より「もらう」をつかうほうがふつうで自然です。
「くれる」をつかうときは、相手 (動作主) に視点を置く場合です。
日本語特有のやりもらい表現ですね。
もしワクチンの例文で看護師さんを話題に出すなら
「看護師さんがわたしに打った」ではなく
「 (わたしは) 看護師さんに打ってもらった」になります。
またもし「看護師さんに…」という言葉が出てきたらもはや「打った」という言葉はつかえず、「打ってもらった」と言わないとおかしくなります。
「看護師さんに打った」では意味が変わってしまいます。
お気づきのようにこの場合でも「打たれた」はつかわず、「打ってもらった」をつかいます。
ここで重要なのは、主語はあくまで「わたし」で、「動作者」は看護師さんであることです。
「打たれた」が単なる受身あるいは迷惑の受身にもなるのに対して「~もらった」は「恩恵を受けた」というニュアンスが生まれます。
いっぽう、「くれる」は「動作者」 (この場合は看護師さん) が主語になり、やはりわたしが恩恵を受ける言い回しですが、この場合「打ってくれた」はおかしいです。
やりもらい表現については別の記事で書きます。
この「主語・動作者不在」と「どうでもいいことは省略」によって「ワクチンを打つ」という動作・事実のみが残り「ワクチンを打った」という文章になります。
厳密には「もらう」もつかわない
ワクチン接種に関していえば「打ってもらった」ともいいません。
なぜでしょうか?
感謝してないから?
いいえちがいます。
結果的にワクチンは自分が病気にかからないためという恩恵があるのですが、みなさんは注射が好きですか?
嫌いですよね😄
なぜ?
そりゃ、痛いからに決まっとろうが😂
だから、結果的には恩恵があっても、直接的には「注射」はありがたくないのです。
したがって「打ってもらう」という人はまずいなくて、ただ「打つ / 打った」とだけいいます。
物を話題にするとき、動作者はどうでもいい
この記事の最初の見出し。
「直接受身はあまりつかわない」
と書きました。
説明のために要点だけの文章にしましょう。
「受身はつかわない」
「は」は主語ではなく、話題です。
目的語とも取れます。
省略されてる見えない主語は何でしょうか?
それは不特定多数の「人」です。
英語だと主語は省略できないのでこういうときは they をつかいます。
「受身はつかわない」は
「受身をつかわない」とも言い換えられます。
「を」の場合は目的語になります。
受身をつかわないのは「日本語を話す」「日本人」です。
でも、それはわかりきっているので省略します。
英語的に主語を特定するなら
「日本人は (日本語を話すとき) 受身をつかわない」
となります。
だから、もし「受身」という言葉を主語と解釈するなら
「受身は (日本人によって) つかわれない」
という受身の形になります。
あっ、ちょっと例文が紛らわしかったかな💦
冒頭の「省略する / される」も
「省略する」のは日本語をつかう日本人であって、「省略される」のは主語や目的語という言葉なのでわざわざ下線を引きました。
日本語では「省略する」とふつうの形 (能動態) をつかいます。
「省略される」というのは英語の影響を受けて出てきた言い回しでしょう。
あるいは翻訳する人が自然な日本語を考えずに、英文が受身だからそのまま受身で日本語に翻訳することによって、受身の日本語の文章が大量に出回ってそれが定着してしまったとも言えます。
例文
胃の検査をする (胃の検査をされる / 受ける)
マッサージする (マッサージされる)
散髪する (散髪される。髪を切るのはお店の人)
場合によっては日本人同士でも誤解する/されることがあります。
「バイクのフレームにヒビがはいったから溶接したんだ」
「えっ!?自分でやったの?」
「まさか。プロにやってもらったに決まってんじゃん!」
迷惑の受身 (間接受身)
直接受身はつかわないくせに、間接受身 (迷惑の受身) はめちゃくちゃつかいます😄
しかもこれは日本語特有の概念と言い回しですくなくとも英語にはありません。
英語では受身は他動詞にしかつかいません / つかわれません。
他動詞は人や物など対象 (目的語) があり、それに対して動作するものです。
たとえば
「釘を打つ」→「釘が打たれる」
「猫がネズミを食べる」→「ネズミが猫に食べられる」
だから、目的語を持てない自動詞、とくに自然現象を表す動詞は受身にすることができません。
あくまで英語では
「歩く」→×「歩かれる」
「立つ」→×「立たれる」
「降る」→×「降られる」
など受身にすることができません。
迷惑の受身
雨に降られる
「雨が降る」
これを「雨に降られる」と受身の形にすると「迷惑」「被害」を受けたという意味合いになります。
ただ「雨が降る」のではなく「雨に降られる」と「濡れる」「冷たい」「予定していた運動会が中止になった」など迷惑・被害を受けたことになります。
それに対する不快感を表します。
英語では it rains を I am rained にすることはできません。
じゃあこういうときはなんと言えばいいんでしょうか?
そのまま
「雨が降ったのでわたしは濡れた / 迷惑した / 困った」
といいます。
つまんない言葉。
日本語の「降られた」を外国人に説明するときにはこのように説明するしかありません。
やられた
よくつかうけど、「誰に」「何を」やられたのかさっぱりわかりません。
日本人同士でもとつぜんこう言われたら「どうしたの?」と聞かないとわかりません。
意中の彼女がいたんだけど、先にほかの男が声をかけていい仲になってしまったときに「やられた」といいます😅
彼はあなたに「何もしていません」
あなたはかってに「被害者になったつもり」です。
彼はあなたの存在すら知りません。
あなたは彼に殴られてもいないし、蹴られてもいません。
🐁ネズミ
おじさんの家にはネズミが出ます。
米びつがかじられます。
そのときいいます。
「やられた😡」
もちろんおじさん本人がかじられたわけではないので「間接受身 (迷惑の受身) 」です。
「あちこちに糞をされるのも困ります💩」
あっ、これもおじさんに直接💩をしたわけではないので間接受身です。
英語で直接受身がよくつかわれる理由
理論的に主語と動作 (動詞) と目的語 (対象) を考える、そもそも主語と動詞は不可欠で、孤立語という文法構造上その位置で主語と目的語が入れかわってしまうので能動態 (ふつうの文章) と受動態 (受身) は厳密なものになります。
えっ、わかりにくい?
そうですね。
日本語では
「猫がネズミを食べる」のように「が」「を」で主語と目的語であることがわかります。
だから順番を入れかえても意味がわかるし、意味は変わりません。
「ネズミを猫が食べる」
でも、英語には「がのにを」の助詞がないので単語の位置で主語、目的語が決まってしまいます。
A cat eats a rat. 猫がネズミを食べる。
A rat eats a cat. ネズミが猫を食べる😱
このような文法構造を持つものを孤立語といいます。
それからもう1つの理由は「主語を省略できない」ことで、「主語がしつこくなる」からです。
日本語では
「朝、起きました。歯を磨いてご飯を食べました」という何気ない文章が英語だと
「I got up morning. I brushed my teeth. Then I had a breakfast.」としつこく I が毎回出てきます。
この主語の連続を嫌って
My teeth were brushed by me.
のように「対象物」のほうを主語にして受身にすることで「I (わたし) 」の登場を減らして文のマンネリ化を防ぐ意味もあります。
とくに物語ではずっと He, He と言いつづけなければならないので、「カバンは彼によって机に置かれた」と受身にしてみたり、He を「頭の白くなった老人は」などと言い換えたりします。
わたしは日本語教師をしています
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