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「仏教」「旦那」「だるま」
もともと仏教用語
檀那、旦那 (だんな)
<梵 (サンスクリット語) dāna
与えること→施し。布施→施しをする人。檀家 (だんか)
檀那と旦那はちがいはありません。
むかしは読み書きできる人がすくなかったから、しちむずかしい「檀」から「旦」に書き換えたんでしょう😄
現代では広い意味で主人、夫の意味ですね。
檀越 (だんおつ)
だんおち、だにおち、だんのつ、だんえつ、などの読みかたもあります。
<梵 dāna-pati 施主。檀那。檀家
ドナー
じつは英語の donor (ドナー、提供者) / donator とおなじ語源です。
<ラ dōnō (与える) 、dōnātor (提供者)
フ donneur
受け取るほうは donee [doʊní:] ドウニー
なんで「インド・ヨーロッパ語族」?って思ったけど、古代インドのサンスクリット語とヨーロッパのギリシャ語、ラテン語などは共通の語源を持っています。
ケバブ
doner の綴りもありますがふつうはトルコのドネルケバブ (döner kebap) を連想します。
達磨 (だるま)
<梵 dharma、巴 (パーリ語) dhamma
真理。法。
サンスクリット語で「ダルマ」
パーリ語で「ダンマ」になります。
サンスクリット語が文語で、パーリ語はその口語に相当します。
お経は、じつはカンタンな日常の言葉で書かれているんですね。
日本人にとっては外国語はすべてお経のようなもんで何を言ってるかわからないだけです。
外国人にしてみれば日本語もお経みたいなもんでしょう😄
達磨大師 (だるまだいし)
一般的には達磨大師と呼ばれていますが、菩提達磨 (ぼだいだるま) ともいいます。
<梵 bodhi-dharma (ボーディ・ダルマ)
菩提 (ぼだい)
bodhi (ボーディ 菩提) 悟ること。
ということで直訳すると
「悟り真理」
なんか悟 (さとる) と真理 (まり) という名前みたいですね💦
菩提樹 (ぼだいじゅ)
ブッダがその下で悟りを開いたのでこう呼ばれます。
菩薩 (ぼさつ)
梵 bodhisattva (ボーディ・サットヴァ) 、巴 bodhisatta (ボーディ・サッタ)
菩提薩埵 (ぼだいさった) →菩薩 (ぼさつ)
むかしから日本人は省略していたんですね。
スマートフォンをスマホと呼ぶのとおなじです。
とくに菩提薩埵なんて意味のわからない漢字の羅列では省略したくなるのもむべなるかな。
薩埵
衆生 (しゅじょう) 。この世の生きとし生けるものすべて。人間だけでなく動物や虫などもふくみます。
菩提薩埵で「悟りを求めるもの」という意味です。
仏教では「修行僧」のような意味でつかわれ、ブッダその人を指すこともあります。
現在の「菩薩」は衆生を救う存在のような意味になっています。
上求菩提下化衆生 (じょうぐぼだい・げけしゅじょう)
自分は菩提 (悟り) を目指し、自分以外のすべての生きものには真理とその方法を教えて助ける、ということ。
仏陀 (ブッダ)
<梵 buddha
bodhi (菩提、悟り) に至った人。
つまり悟った人。
目覚めた人。
ふつうの人は起きていても真理がわかってなくて無意識に自動実行プログラムで動いているだけなので「まどろんでいる」と表現されます。
なので真理がわかることを、「悟る」とか「目覚める」と言います。
覚悟 (かくご)
命がけの決心をする意味でつかわれていますが、「覚」も「悟」も「さとる」です。
つまり仏教用語としてはそのまま「さとる」「真理がわかる」という意味です。
ただ「覚」は「おぼえる」「さめる」で、人名でのみ「さとる」という読みかたが認められています。
それが仏教の祖、
梵 Gautama Siddhārtha (ガウタマ・シッダールタ)
巴 Gotama Siddhattha (ゴータマ・シッダッタ) 個人の呼称として定着しました。
ちなみに「ガウ」は「牛」🐮、
「タマ」は「良い」で、
「良い牛」という名前です。
軽飛行機のことをセスナと呼ぶようなもんです。
ちなみにセスナは人名。
その人がつくった飛行機と会社名がセスナです。
釈迦 (しゃか)
<梵 Śākya (シャーキャ)、巴 Sākiya (サーキヤ)
ブッダ (ゴータマ・シッダッタ) のことを、お釈迦さまとも呼びます。
してその心は、
シャーキャは部族の名前であり、国の名前でもあります。
Śākyamuni (釈迦牟尼 しゃかむに) でシャーキャ族の聖者という意味。
中国の坊さんがサンスクリット語を中国語 (漢字) に翻訳して、さらに日本に持ちこまれました。
もともとの意味を知らない外国人は前半の「シャカ」のところだけ切り取ってそれが定着してしまいましたが、それは国の名前ですよ😄
ウィンナーがいい例ですね。
ウィンナーはウィーンのという意味です。
ウィンナー・ソーセージ (ウィーン風のソーセージ) の前だけ切り取って「ソーセージ🌭」の意味になってしまいました😅
それじゃウィンナー・コーヒー☕って…
物が壊れれてつかいものにならなくなることを「お釈迦になる」なんて言いますが、お釈迦さまごめんなさい🙇
おじさんが言ったんじゃないですよ。
でも辞書にも載っています。
三昧 (さんまい)
< 梵 samādhi (サマーディ)
三摩地 (さんまぢ) 、三摩提 (さんまだい) ともいいます。
こちらのほうがもとの音に近いですね。
しかしとにかくむかしの人は漢字など読めないのでできるだけカンタンに→三昧😅
1つのことに精神集中し動揺しない状態
いわゆる瞑想とか、禅とか呼ばれているものですね。
禅 (ぜん)
< 梵 dhyāna ディヤーナ 巴 jhāna ジャーナ
音から禅那 (ぜんな) という漢字が当てられ、例のごとく那は省略されて「禅」だけ残りました。
三昧は、意味から「定 (じょう) 」とも訳され、禅は「禅定 (ぜんじょう) 」ともいいます。
禅では集中した状態にはいることを「入定 (にゅうじょう) 」、
瞑想を終えてもとにもどることを「出定 (しゅつじょう) 」といいます。
ざんまい
それで1つのことに「没頭する」ことを「〇〇ざんまい」というようになりました。
例:読書三昧、贅沢三昧、映画三昧、ゴルフ三昧などなど。
奈落 (ならく)
< 梵 naraka (ナラカ)
「地獄」の意。
転じて、舞台の地下の空間や装置のことを言うようになりました。
「奈落迦 (ならくか) 」からこれも「迦」っていらなくね?と省略したんでしょうね😄
また日本人は2文字の熟語、音も2音ずつが好きな性質を持っています。
機織部、服織部 (はたおりべ) が、音も「はとりべ」→「はっとり」と変わり、
文字も、この「織」ってゴニョゴニョした漢字要らなくね?と省略されて「服部」になってしまいました😄
文字と読みがまったく一致しないのはそのためです。
「服部」でなんで「はっとり」? ~ 機織部 (はたおりべ) !
バカ
< 梵 moha
「無知」の意。
モハとバカではちょっと音がちがいますね。
ただ調音点はおなじ両唇音で鼻音か破裂音のちがい。
鼻が詰まっている人がマ行を発音すると鼻に息が抜けないので破裂音のバ行になります。
山瀬まみさんがヤバセバビとなるように😄
他意はありません。
漢字では「馬鹿」「莫迦」と書きますがもちろん当て字です。
「莫」は
漢音では「バク」「ボ」ですが
呉音では「マク」「モ」なので、
中国人はちゃんと「モハ」と転写したのかもしれません。
あっ中国音の「ハ」は日本では「カ」になります。
なぜならむかしの日本にハ行はなかったから。
漢字の「カン」も中国音では「ハン」です。
汗も然り。
海も日本では「カイ」と発音するけど、それは中国音の「ハイ」が発音できなかったからです。
「う~ん。この漢字の読みどうする?」
「カイでいいんじゃね?」
という会話が聞こえてきそうです😄
それにしても馬鹿の漢字を当てた人はなかなかおしゃれです🐴🦌
がらんどう
中がからっぽで広々していること。
伽藍堂 (がらんどう)
伽藍神 (がらんじん) を祀っているお堂。
伽藍神
お寺を守る神さま。
仏教は仏陀 (ブッダ) の教えで、ブッダは神さまではなくれっきとした人間です。
王子なのに城を捨てて求道の旅に出た人です。
次第にブッダは神格化され、また守護神などというものも付属するようになってきました。
伽藍 (がらん)
< 梵 saṃghārāma (サンガーラーマ)
漢字では「僧伽藍摩」と書き、「そうがらんま」「そうぎゃらんま」と読みます。
「僧が修行する清浄な場所」です。
おなじようなものに「精舎 (しょうじゃ) 」がありますがちがいはわかりません😅
意味から「衆園 (しゅおん) 」「僧園 (そうおん) 」ともいいます。
例のごとく「僧伽藍摩」はむずかしい漢字が多くて言葉も長いので省略します。
僧と摩を取って、伽藍を残したんですね。
なぜ真ん中を残したかはわかりません。
「がらんどう」「がらんとしてる」「がらがら」などの言葉が「伽藍 (堂) 」からつくられたのかどうかは不明です。
「がらがら」は「空 (から) 」からつくられた言葉でないかとおじさんは考えます。
もしそうなら「伽藍」が日本にはいってくる前から「がらがら」という言葉はあったと思います。
僧伽藍摩の真ん中の「伽藍」の部分を残したのは、お堂の中が「がらん」としていたからかもしれません😄
「がらがら」と「がらん」のペアは、「だらだら / だらん」「つるつる / つるん」「どかどか / どかん」などにも見られるのでめずらしいものではありません。
僧 (そう)
お寺のお坊さんのことです。
< 梵 saṃgha (サンガ)
出家した修行者の集まりのことをいいます。
僧伽
サンガの音写は「僧伽」でしたがこれも例のごとく省略して「僧」だけが残りました。
ということで「僧伽・藍摩 saṃghārāma (サンガーラーマ) 」のsaṃgha (サンガ) で「僧」という意味なので、「伽藍 (がらん) 」で切ってはおかしいんですね。
まあ外国語の意味がわからないとこういうことはしょっちゅう起きます😅
舎利 (しゃり)
米粒のことをいいます。
白い米は銀シャリともいいます。
麦飯やほかの穀物とちがいピカピカ輝いているからです✨
< 梵 Śarīra シャリーラ
「遺骨」「遺体」のこと。
サンスクリット語で「米」を sari という説もあります。
こちらのほうがよりそのものを指していますが真偽は定かではありません。
遺灰が米粒に似ているから「シャリ」という説も、「そんなものに例えるか?」という疑問がありますが😅
ご飯を食べながら遺灰のことを想像するなんて気持ち悪いですよね🍚🙏
仏舎利 (ぶっしゃり)
「仏陀 (ブッダ) の遺骨」ということです。
仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)
ブッダの遺骨を納めているお墓を仏舎利塔といいます。
平たく言えば、ブッダのお墓です。
ブッダの遺骨はいくつかに分けられて何カ所かに納められているようですが仏舎利塔は数多あります。
だからほとんどの仏舎利塔は形だけでじっさいにブッダの遺骨が納められているわけではありません。
はじめは8つに分けられたけど、のちに墓を掘り起こして (ひどいですね) 遺骨を粉砕してさらに何万カ所に分けたそうです。
ブッダはけっして喜んでいません。
ていうかブッダは物に執着することをもっとも否定しすべての物欲から解放されることが幸せの境地であると説いたのでまったく逆を行ってます。
墓や寺や金ピカの仏像なども、ブッダの意志とまったく逆のものです。
さらに仏舎利塔をふくめ、あとで説明する卒塔婆は厖大な数ですが、ほんものの仏舎利が納められているといわれている仏舎利塔で宝石類を供養 (まあ、その前で拝んだということです) したものを持ち帰って、それを仏舎利の代わりとして仏舎利塔を建てて納めるということです。
勧請 (かんじょう)
神社では「勧請」というのがあり、有名ブランドの神社に行ってそこから「神さまの一部?」を分けてもらって自分の地域に新しい神社を建てます。
秋葉山神社なら、自分の地域にも秋葉山神社の「支店」のようなものができるわけです。
信仰は自由ですが、おじさんとしてはそんなことをしなくても、信仰は「自分の心の中にある」と思っているので、そのへんに転がっている石でもいいんじゃないかと思います。
むかしからある地域の神さまでいいんじゃないですか?
むかしから「鰯の頭も信心から」といいます。
墓に故人はいません。
寺にブッダはいません。
神社に神さまはいません。
わたしもお参りをしますが、神や仏は自分の心の中にいると思っています。
pagoda (パゴダ)
こちらも呼び名はちがいますが仏舎利を納めた (とされている) ものです。
ブッダのお墓です。
舎利子 (しゃりし)
般若心経には「舎利子」という言葉が何度も出てきます。
これはブッダの愛弟子シャーリプトラのことです。
般若心経ではシャーリプトラに語りかける形で書かれています。
<梵 Śāriputra、Śāradvatīputra、巴 Sāriputta
サンスクリット語ではシャーリプトラ、パーリ語ではサーリプッタ。
その音訳で「舎利弗(しゃりほつ)」ともいいます。
梵 putra, 巴 putta は「息子」の意味です。
お母さんの名前がシャーリ
お母さんの名前がシャーリ、サーリ。
漢字表記では「鶖鷺 (しゅうろ) 」
カタカナでも漢字でもオシャレな名前です。
ということで「シャーリさんの息子」という意味です。
このように本人の名前ではなく「誰々さんの子ども」という言いかたはよくあります。
なので「鶖鷺子 (しゅうろし) 」ともいうようですが、日本では舎利子で知られています?
知らないか😅
おなじ「舎利」という漢字をつかっていますが「遺骨」とはまったく関係ありません。
同音異義語ですね。
フラメンコギタリストで「ニーニョ・リカルド」という神さまのような人がいますが、これも「リカルドさんとこの坊や」です。
そう呼ばれていたのをそのまま芸名にしたんですね。
ウパティッサ
舎利子の本名 (幼名) はパーリ語で Upatissa (ウパティッサ) といいます。
卒塔婆 (そとば)
さてさて、仏舎利塔とパゴダが出てきましたが、おおもとは「卒塔婆」です。
卒塔婆といえばみなさんが想像するのはお墓に立っている細長い木の板で、謎の文字 (梵字) が書かれているもの。
でもこれは「板塔婆 (いたとば) 」といい、本来の卒塔婆はべつの意味を持っています。
ちなみに梵字といってもこれはおそらく日本でしかつかわれていないもの。
起源は古代インドでつかわれていた文字ですが、日本で独自に進化しました。
ガラパゴス文字といってもいいです。
< 梵 Stūpa (ストゥーパ) 、巴 thūpa (トゥーパ)
カンタンにいえば「墓」です。
塚 (つか)
遺骨を埋葬して土を盛り上げたところ。
もとは塚でした。
塔 (とう)
卒塔婆 (そとば、ストゥーパ) が「塚」「墓」という意味を持っていたんだけど、例のごとくわからない漢字は省略する😅
第1段階。塔婆 (とば)
第2段階。塔 (とう)
で、とうとう「塔」になってしまいました。
仏塔、供養塔などとも呼ばれます。
これは仏舎利塔、パゴダとおなじものです。
儀式的なものは本来の目的や意味を外れて一人歩きをはじめるので、土を持っただけの「塚」から、しだいに「高い建築物」いわゆる「塔」の形に変わっていきました。
さらに上に書いたように、そこにブッダの遺骨はありません😅
ブッダの象徴として建てられるようになりました。
五重塔 (ごじゅうのとう)
みなさんよくご存知の五重塔。
何を隠そうこれも卒塔婆、仏舎利塔、パゴダの一種で「ブッダの遺骨を納めている」ことになっている建築物です。
法隆寺の五重塔には遺骨の代わりにガラス製の舎利壺が埋められていたそうです🏺
現在ではこのように「高い建築物」のことを「塔 (タワー) 」というようになりました。
板塔婆 (いたとば)
これがみなさんが想像する卒塔婆です。
板塔婆(いたとうば、いたとば)といい供養のために墓の脇に立てるものです。
五輪塔
板塔婆の横の切れこみは墓で見かける五輪塔の形を模しています。
下から上に地水火風空。
上から読めば、空風火水地。
梵字はそれぞれ地水火風空に対応しています。
これも卒塔婆 (ブッダの遺骨を納めたことになっているもの) の一種です。
そんなにブッダの遺骨はありません😅
頭陀袋 (ずだぶくろ)
僧が修行するときに首にかける袋。
転じてたくさん物がはいるだぶだぶの袋。
頭陀 / 杜多 (ずだ)
梵 dhūta から。
托鉢。乞食。
衣食住などあらゆる煩悩を取り払うこと。
乞食 (こつじき)
文字どおり「食べものを乞うこと」。
僧が家々を回って食べものを乞うこと。
托鉢。
転じて、路上の乞食 (こじき) を言うようになった。
参考:デジタル大辞泉
wiktionary
wikipedia
語源由来辞典
ほか
神社。寺。建築 ~ 一覧
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