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「敬語」「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」
2007年、文化庁文化審議会国語分科会 (かつての国語審議会) により「敬語の指針」なるものが出され、敬語は3つから5つに増えました。
学者の言うことはもっともですが、かえって複雑にわかりにくくなった感が否めません。
敬語に関する記事は山ほどあるので、おじさんは別の切り口で書きたいと思います。
そもそも敬語とは?
身分を表す
もともとは階級社会において上下関係を表すものでした。
じっさいに相手を尊敬するかしないかにかかわらず身分が低い者が高い者に対してつかう言葉です。
自分の教養と人間性をアピールする
現在、表向きは階級がないので、社会人としての常識、身分に関係なく相手に対する敬意、はたまた自分の教養や人間性をアピールするためにつかわれるようになりました。
やはり、敬語はつかえるに越したことはありません。
世渡りの手段の1つです。
相対性理論を考えつくような類まれなる頭脳を持っていたり、世の中を変えるようなプログラムを開発する能力があったりしても、言葉づかいがなっていなかったり、字が汚いと「頭悪そう」と思われてしまうのが現実です。
裏を返すと、字がきれいだったり、言葉づかいがしっかりしていると「頭良さそう」と思われます。
社員を名前でなく「おい!」と呼ぶ社長は誰からも尊敬されないどころか、最大限の軽蔑を受けることはまちがいないでしょう。
そんな社長に対しても社員は敬語をつかいますが、もちろん表向きで陰ではボロクソに言ってます😅
おっと話がそれた。
ここでは今までどおり3つに分けます。
動作 (動詞) する人は誰か?
尊敬語と謙譲語のちがいは動作する人が誰か?ということです。
動作主は
尊敬語:相手
謙譲語:自分
です。
形容詞、名詞につける「お / ご」もありますが、やはり動詞が重要です。
尊敬語 respect
相手 (目上・地位が上の人) の「動作 (動詞) 」につかう
相手を自分より「持ち上げる」
目の前の相手だけでなく、会話に登場する第3者もふくみます。
ここにいない先生の話など。
相手がする
お / ご ~になる
お帰りになる。
お出で (おいで) になる。
ご覧になる。
※ 例文として「お帰りになる」という書きかたをしていますが、じっさいには「お帰りになります」といいます。
~れる / られる
受身、可能とおなじ形になってしまうものです。
これらと混同することもあるし、別の言葉をつかうほうが多いです。
見られる→ご覧になる
食べられる→召し上がる
行かれる→いらっしゃる
読まれる→お読みになる
おられる
「おる」 (元は「居り (をり) 」) は尊敬語としてつかえるのか?
「おる」はむしろ「謙譲語」ではないのか?という議論がありますが、
それより、「いらっしゃる」をつかったほうがいいと思います。
お / ご ~なさる
お大事になさってください。
ご記帳なさる。
ごめんなさい
御免なさる→ごめんなさります→ごめんなさいます→ごめんなさいませ→ごめんなさい
「お帰りなさい」「お休みなさい」「おはいり」「おいで」などもこの仲間です。
方言では「行きなさる」→「行きんさる」のような変化もあります。
また「行きなさい」→「行きんちゃい」などもあります。
お / ご ~ です
お休みです。
ご心配です。
「心配」は名詞とも考えられるし、ナ形容詞 (形容動詞) とも考えられます。
おじさんとしては、ナ形容詞はもともと「名詞+だ」であると考えます。
「名詞+だ」がナ形容詞として定着したものと、現在はまだ認められていないものがあります。
「元気+だ」→「元気な」はいいけど、「病気+だ」→「病気な」はおかしいですね。
お / ご +名詞、形容詞
お名前、ご住所、御出席、御欠席、御芳名
貴社、貴殿のように「貴」をつけるものもあります。
お忙しい、ご立派な
ごちそうさま、ご粗末さま、ご苦労さま、お疲れさまのように「さま」をつけるものもあります。
ただ「おつかれさま」を挨拶代わりにつかうのはやめましょう。
お疲れさまです! ~ 疲れてません ~ ひげおじさんのつぶやき
結婚式や、同窓会の案内でいちいち線で「御」の字を消さなければならない面倒な習慣があります。
おじさんはこれはやめたほうがいいと思います。
返信用の自分の名前の下に「行」と書いて、相手に消させて「様」と書き直させるのもそう。
「相手によけいな手間をかけさせている」と思うのですが。
最近では、郵便でやり取りすることが少なくなりましたが、おじさんは公文書でつかわれる「殿」を書いて煙に巻いています😅
相手が自分に対してする (相手→自分)
お / ご ~くださる
そもそも「下さる (くださる) 」で、上 (相手) から下 (自分) へという意味です。
反対が「上げる」ですね。
お褒めくださる。 (先生が→私を、お褒めくださる)
ご配慮くださる。 (先生が→私に、ご配慮くださる)
※ これは「お / ご ~いただく」と動作主も方向もおなじですが、これについては「いただく」のところで説明します。
下さい (ください)
下さる (くださる) →くださります→くださいます (r の脱落) →くださいませ (命令形) →ください (ませの省略)
「ご覧遊ばせ」「いらっしゃいませ」などもこの仲間です。
言葉自体が変わるもの
いる、行く、来る→いらっしゃる
来る→見える
言う→おっしゃる
見る→ご覧になる
する→なさる
食べる、飲む→召し上がる
「召す」はもともと尊敬語で「いらっしゃる」と同様、いろんな動詞につかわれます。
着る、お風邪を召す (引く) 、お気に召す (気に入る) 、お年を召す (取る)
「召す」だけで尊敬語なのですが、その意味が薄れてきて「お召しになる」という言いかたが定着しています。
本来なら「二重敬語」として「近頃の若いもんは」と槍玉に上がるところだけど言葉は移ろうものです。
謙譲語 humility
自分の「動作 (動詞) 」につかう
自分を相手より「下げる」
相手の「動作 (動詞) 」がないので、相手より自分を「下げる」ことで相対的に相手を持ち上げる。
これが日本ならではの発想ですね。
「へりくだる」といいますが、漢字では「謙る / 遜る」と書きます。
合わせて「謙遜 (けんそん) 」です。
古語では「謙る」で「へる」と読み、「へりくだる」の意味です。
自分が相手にする (自分→相手)
お / ご~する
お伝えする。 (私が→先生に、お伝えする)
ご案内する。 (私が→先生を、ご案内する)
お / ご~申し上げる
お伝え申し上げる。
ご案内申し上げる。
お / ご~いたす
お伝えいたす。
ご案内いたす。
~て差し上げる
尊敬語「下さる」の反対語「上げる」をもっと丁寧にした言いかたです。
「~てあげる」はもはやただの丁寧語あるいは親愛の情を表すものになって、謙譲語ではなくなっています。
荷物を持って差し上げる。
自分と身内に対してつかう
愚、小、拙、弊+名詞
愚妻、小生、拙者、弊社
今の世の中、自分の女房を「愚妻」などと呼んだらすぐ「女性蔑視」と騒ぎ立てるでしょう😅
相手が自分に対してする (相手→自分)
お / ご~いただく、~ていただく
お越しいただく。
ご覧いただく。
教えていただく。
「くださる」と「いただく」のちがい
お待たせしました。
動作主も方向もおなじなのに大きなちがいがあります。
内容はおなじなので日本人もよくまちがえます。
先生が来る / 来た
このシチュエーションでつかわれることがとても多いのでこれを例に説明します。
この事実は「くださる」「いただく」ともおなじです。
視点 (主語) がちがう
相手視点で話すか、自分視点で話すかで、尊敬語をつかうのか、謙譲語をつかうのか変わります。
視点 ≒ 主語と考えていいです。
「くださる」は尊敬語。視点 (主語) は相手
先生が、お越しくださいました。
言外の意味はこうです。
先生が、私 (たち) のために来てくれました。
「いただく」は謙譲語。視点 (主語) は自分
先生に、お越しいただきました。
言外の意味はこうです。
私 (たち) が、先生に来てもらいました。
文法的には能動態ですが、意味上は受け身です。
「先生に来られた」というと「迷惑の受け身」になるけど、この場合は「ありがたい受け身」です。
「が」と「に」をよくまちがえるので気をつけましょう。
まちがえるというより、最初からこのことをわかっていない人も多いかもしれませんね。
やりもらい表現
ふつうに尊敬語にすればつぎの文でOKです。
先生がいらっしゃいました。
わざわざ「くださる」「いただく」をつかうのは「わたしのために」ありがたいという感謝の気持ちがあるときです。
文例に書いたとおりふつうの言いかたなら「くれる」「もらう」です。
主語はそれぞれ
先生がくれる。
私がもらう。
です。
やりもらい (授受) 表現 ~ 日本語
言葉自体が変わるもの
行く→伺う (尊敬する相手に向かう)
行く、来る→参る (単に自分の行動に対して)
言う→申す (自分の行動に) 、申し上げる (尊敬する相手に)
見る→拝見する
する→いたす
食べる、飲む→頂く
※ 「敬語の指針」では尊敬する相手に向かうのをI、単に自分の行動に対するのをIIとしていますが煩雑になるのでここでは詳述しません。
丁寧語 polite
これはあくまで言葉づかいが「丁寧」なのであって、人や自分に対しての尊敬や謙譲の意味はありません。
~です
日本人です。
ご飯です。
~ます
行きます。
食べます。
お (ご) +名詞
お箸、お米、お陰、お互い
ご飯、ご苦労、ご年配
これを美化語ともいいますが名称をおぼえる必要はありません。
「お / ご」は尊敬語、謙譲語でこれでもかというくらいつかわれているけど、箸や米を尊敬しているわけではないので丁寧語といいます。
二重敬語
「お帰りになる」で、「お~なる」という尊敬語の形式をつかっているのに、さらに「~られる」をつけて「お帰りになられる」のような言い回しが増えています。
これを二重敬語といいます。
文法的に正しいかどうかより、「しつこい」「まどろっこしい」感じがします。
ただ、「召す」で尊敬語なのに、「お召しになる」が当たりまえになり、そのうち「お召しになられる」なんて三重敬語も現れるかもしれません。
テレビで一般人の家にとつぜん押しかけ、
「いま話しかけたりなんかしちゃったりしちゃってもよかったりしちゃったりしちゃいますか?」
なんていうAD、ディレクターは引っぱたきたくなっちゃったりしちゃったりなんかしちゃいます😄
正しいかどうかより、うるさいです。
おじさんのところに来たら、引っぱたかないけど、「ダメじゃ!往ね!」と断ります。
慇懃無礼 (いんぎんぶれい)
敬語はつかえるに越したことはありませんが、人間としていちばん大事なのは「相手に対する気持ち」とそれに付随して現れる「表情」と「態度」、それから具体的な「行動」です。
口調は丁寧なんだけど「無礼」な感じを振りまく人がいます。
これを慇懃無礼といいます。
表情、態度、行動
あなたのことを尊敬もしていなければ、大事にも思っていない。
それが、表情、態度、行動に如実に現れます。
人は言葉だけで話しているのではありません。
目は口ほどに物を言う、ともいいますね。
あなたを見ずに中空を見つめて薄ら笑いを浮かべて「申し訳ありません」と言ったら、「ほんとに悪いと思ってるのか!」と思いますよね。
最近はやりの「できかねます」しか言わず具体的な行動を伴わない人たちも然り。
あっ、「できかねます」は、まちがいですからね。
「おつかれさま」とともに今すぐ消えてほしい日本語ワースト2です。
つい最近もありましたがネットで机を買ったら部品が足りませんでした。
そのとき必要なのは100の謝罪より、その1コの部品をすぐ送ってくれることです。
もちろん謝罪も必要ですが、行動を伴わない謝罪は意味がありません。
取り返しのつかないことはともかく、足りない部品を送ることはすぐできることです。
相手との距離感、関係、状況
敬語は丁寧な言葉ですが、心や行動が伴わなければ慇懃無礼になるだけだし、場合によっては相手と近づかないためのバリアになることもあります。
親密になればタメ口もいいですが、会っていきなりはダメです。
出川哲朗みたいにいきなりズケズケと土足ではいってくる人もいるけど、それが許されるのは好意や善意を持っている人。
それが全身からにじみ出ている人。
その人自身が完璧でないことをあらかじめ知っていて、土足ではいられても不快感を感じない人です。
もちろんそういうのをまったく受けつけない人にはダメです。
また、人の家には土足ではいるのに、自分の家にはいられたら怒る人もダメです。
自分がされて怒るなら他人にもしないことです。
このへんはあなた自身の人間性や醸し出す雰囲気などもあるし、相手との関係、状況など様々な要素があるので、相手の様子や反応を見ながら臨機応変に対応します。
バカね!
未来少年コナンのモンスリーが物語の後半になって連呼した言葉。
本来、相手を愚弄する言葉ですが、時と場合によっては親愛の情を示すこともあります。
ほんと時と場合ですから、つかうときはくれぐれも注意してください。
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